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米国在住のインド🇮🇳人の監督です。シドニー在住の時に彼女の映画を随分と観たものです。同じマイノリティの移民としてー。確かヴェニス国際映画祭でも金熊賞をとっているはず。しかし、私は、しばらくしてナイール監督の作品を全く観なくなってしまいました。何て言ったらいいのか。移民に焦点を当てるのはいいけれど【だから何】と思うようになってしまったからです。移民した先の国の移民のストーリー。幾多の困難を乗り越える⁉️いや、あの、移民をしようと思ったのは自分たちだよね⁉️そこから抜けて、もっと人間の普
こちらは9年前ほど。アホな親子ですーたまーに思うのは、息子は、母親寄りの性格で(父親は、チョー真面目)よかったなあ、ということです。
2023年8月吉日新作の企画書毎日がアルツハイマー・スピンオフby関口祐加認知症の母が逝って、はや6年。母のみとりは、母が望むように、母と父が建てた家の母の部屋だった。母の私に対する最期の言葉は「ありがとう」。2019年10月1日のことだった。私は、主演女優を失った・・・これ以上、一体、何を撮ればいいのか。ところが、それからわずか4ヶ月。世界は一変した。それも私が生まれ育った横浜から始まった。2020年2月3日、横浜の大黒埠頭に寄港した大型
今年の暑い夏☀️。そして、これまた熱い高校野球は、沖縄尚学高校の優勝で終わりました。私は、横浜ですが、横浜高校に対して全然熱くなれませんでした。なぜ横浜出身の選手は、20名のうちたった1人だってー全国区で選手をかき集めるなんて、高校野球の意味があるのか高野連も利権まみれなんじゃないかと思ってしまう。県岐阜や沖縄尚のように地元に根付いた高校野球を見たい。沖縄ファースト。岐阜ファースト政治で言えば、ジャパン・ファーストです。野球にグローバリズムはいらない。そんなことを考えさせられ
7年前に富士山🗻登頂をした男。息子です。ご来光🌅には手を合わせたくなりますよね。以上でーす
同じシナリオようやく、分かって来た…。弾は、後ろから飛んでくる。それにしても、国は違えども、同じシナリオのグローバリスト達。大丈夫か“Thefuturedoesnotbelongtoglobalists.Thefuturebelongstopatriots.”
劇場で観て大好きになった映画は、DVD販売がされていたら必ず購入しちゃいますねードキュメンタリー映画を含めて20本ほど持っています。
昨夜は、しっかりとお節を頂いて、3日の今日は、朝昼兼用の食事。もちろん息子シェフでーす親バカですが、メッチャ美味しかったレストランは、9日からですが、息子は明日仕込みに行くそうです☆先輩達にも可愛がられ、辻調の先生方や友人も多く、お母ちゃんとしては一安心です。次はいつ会えるかなぁ。「のんびり出来た」と言ってくれて嬉しかった私たち親子はオージーでもあるのでしっかりとハグ🫂。ちょっと目に涙がー。息子には見せずに別れました。元気で楽しみながらお客様のためにお料理を作ってね。
新年あけましておめでとうございます2025年は、どんな年になるのでしょうか。いい加減、オセロが全部ひっくり返って欲しいですね。皆様のご多幸とご健勝をお祈りいたします。本来は年越し蕎麦ですが、どうしてもお汁粉が食べたくて今年もどうぞ宜しくお願いします。
https://maiaru.tumblr.com/久しぶりに撮影日誌の更新です。映画製作をしている私が、一番青天の霹靂さて、映画の神様は🎬降臨してくれたのでしょうかようやくスピンオフの再開となりそうです。完成までどうぞお楽しみにお待ち下さいね。
この説明に納得しています。
DSは、今回も色々と仕掛けて来ましたが、トランプ大統領が無事に勝利今やテレビは📺全く見ないのですが、まるでお通夜のようだって。ドアホ!!勝利宣言の際のトランプ大統領。もうスゴイ何てもんじゃない人数ですね。さあ、日本も変えていこう
秋田に行った友人からきりたんぽを頂きました昨今のきりたんぽは小さくなって食べ易いです。美味しい
しかし、さすがmetaですわー‼️
昨日より、ゆめのたね放送局HPのグリーンチャンネルのトップ掲載になっていますちなみに今宵9月2日のゲストは、番組の音響も同時に担当したPAの永井聖子さんでーす義理のご両親の介護や遺品整理の話しで大いに盛り上がりました毎日がアルツハイマー!ゆめのたね放送局パーソナリティの関口祐加がお届けするラジオ番組。グリーンチャンネルにて毎週月曜日21:00〜21:30放送。www.yumenotane.jp永井さんは自律調整師でもいらっしゃって、自分を深掘りするツールのお話し。とても興味深かったで
本日で息子は、25歳になりました。上記のカードを送りました。25歳で自分の天命であり、天職を見つけた息子は、大変幸運だと思います。ただし、一朝一夕にはならず。息子は、シドニー生まれで、シドニーで日本の幼稚園とオーストラリアの保育園に通いました。バイリンガルのためです。5歳の男児はご多聞に漏れず、闘いごっこが大好きしかし、息子が好きだったのは、アンパンマンまで。バイキンマンは悪さはするけれど、いつも許されますよね。息子は、ウルトラマンも仮面ライダーも大ペケでしたその代わり、おままごとが
「毎アル」から「毎アル総集編」までの4作品をこの編集室で編集しました。映画の編集には、白板が欠かせません。この白板も引越しの際に処分してしまいましたが。これは11年前の息子。13歳ですねー。よく編集中もひっついていました。色々と懐かしい…。にしてもグチャグチャやねん
さすがタッカー、早いですね以下、引用です。ライブインタビューは、新しい@Wikileaks_Truthテレグラムチャンネルで放送されます!自由と正義を得るために、すべてとすべての人を暴露します!
素晴らしいですね
久々に若い役者さんにまだ、29歳で、才能たっぷり。どうも英国の役者さんの方が、米国の役者さんより好き。ニコラス・ガリツィンの名前から分かるようにロシア🇷🇺とギリシャ🇬🇷系イングリッシュらしい。父ジェフリー・ガリツィンはロシア人、母ローラ・ガリツィン(旧姓パパヤンニ)はギリシャ系アメリカ人。父はロシアの貴族ゴリツィン家(Golytsyn。Galitzine=ガリツィンとも書く)の末裔だそう。活躍が楽しみですね。しっかし、こんなオバさんになっても恋する気持ちが残っていた自分に驚きましたわ
6月15日(土)は、本当に久しぶりの「毎アル」上映会+講演が、埼玉県の熊谷でありました。対面式は、コロナ以前から考えると3年ぶり100名の定員のところ、150名のご来場でした。とっても嬉しい葬儀屋さんが主宰で今回で7回目です。主に『なぜ認知症ケアは難しいと考えるのか』ということをテーマにお話しさせて頂きました。また認知症ケアの先は《死》です。終活の話も。やっぱり皆さんのお顔を拝顔しながら、反応を見ながらお話し出来たのはサイコーでしたそれと…。今、死者が多く葬儀屋さんは大忙しだそう。
最新作「毎アル・スピンオフ」の映画製作費の🎬🎞️手続きに、最後の手落ちあり。しかし、ネバーギブアップ⤴️。そうやってずーっと33年間も映画監督としてやって来たんだもの。この言葉が、染み入る「毎アル・スピンオフ」のためにもそれに越えられない試練は来ないって言いますよねー。
「毎日がアルツハイマー」(「毎アル」)が公開されたのは、2012年です。もう12年前になりますね。公開前にこんな映画のタイトルで大丈夫かとスタッフ一同思っていた時に「このタイトルがいいよ。」と言ったのは、当時12歳だった息子です。公開当時、通常とは違う介護の価値観と笑えちゃう映画のトーンに観客の皆さんは、ビックリでしたね。そして、ありがたいことにいまだに全国のどこかで上映が続いています。来月の6月15日(土)は、埼玉県の熊谷市で上映されます。主催者は、何とファミール熊谷という葬儀屋さんで
4月23日(火)11:15pm(日本時間)にマーガレットさんのお葬式が始まりました。イギリス・マンチェスター州のセールでは3:15pm。友人を代表して、スティーブさんが弔辞を読みました。私とマーガレットさんの関係も話してくれました。この曲を聞いたらもうMorriconeconductsMorricone:TheMission(Gabriel'sOboe)LiverecordingatthePhilharmonieimGasteig,20October2004
マーガレットさんのお葬式プランについて英国🇬🇧から連絡が入りました。とは言え、詳細が決まるのは4月8日(月)だそうです。・お葬式の当日は、ウェブカムで横浜から参加・マーガレットさんは、火葬で、私の分の灰は、5月に渡英した時に撒けるように準備してくれる・マーガレットさんのお葬式当日に私の『送る言葉』を読んでくれるそう英語で手短に【送る言葉】を書く📝夜に弔辞を書くのは、よくないですね…。マーガレットさんが亡くなったことを実感しています。それにしても、英国🇬🇧でも高齢者のお葬式が多く、
マーガレットさんとの出会いは、シドニーのジムでした。オーストラリアで製作した「FATCHANCE」(邦題「THEダイエット❗️」)の時ですから2006年ぐらいに出会ったと思います。マーガレットさんは、当時72歳でした。ジムでの最年長で一番健康な人でした。うぎゃー、すげえ写真その横で海岸でジョギングをするマーガレットさんと私…。その後、私は母の介護のために2010年1月に帰国。それでも交流は、電話をしたり、カードを送り合ったりして続きました。再会したのは、「毎アル・ザ・ファイナル」の撮
ドキュメンタリー映画の意味は何かドキュメンタリー映画の製作を33年間して来た者として、永遠のテーマですよね。幸い《母》という最高の被写体を得て、認知症の世界に邁進して来ました。2019年10月1日に母が逝っても、私の気持ちは変わりませんでした。撮り続けるここに尽きます。撮り続けることは、時代を記録し続けることになります。何を撮るのか。今まさに目の前で起こっていることです。この3年間のコロナ禍は、上映会や講演が無くなり、とても大変でした。それでも撮る結果、コロナ禍の最中も撮り続
ついに私は、かつて自転車に乗っていましたが、両股関節術後に乗るのをやめました。主治医に《50%の確率で生きている》と言われたからです。今の状況だったら自転車🚲にも乗れる。しかし転倒して、股関節が外れたら、2回目なので大手術になる…。そう、50%の確率なのです。自転車に乗っている方々は、ご自分の便利さ+そんな自分の姿が車を🚙運転している運転手さんからはどう見えているのか、という視点が必要ですよねどうか安全運転を宜しくお願いします。
13年前の今日。「毎アル」の編集中で、編集助手さんと一緒に実家の2階の編集室にいました。大急ぎで母の様子をみに行きました。炬燵で💤居眠り💤をしていた母もむっくり起き上がったところでした。一生忘れられない東日本大震災。特にこの写真は心に残っています。心より哀悼の意を捧げたいと思います。