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2024/04/29令和六年合気神社例大祭に参加していただきました。毎年全国から沢山の合気道家が集まる合気神社大祭ですが道主植芝守央先生、合気会本部道場長、茨城支部道場長植芝充央先生の奉納演武を間近で見れるの幸せな事です。写真や動画でおさめた大祭の様子を皆さんと共有したいと思います。大祭の様子をYouTube動画にしました。良かったら見て下さい。合気神社大祭、令和六年2024/04/29、合気道道主植芝守央、植芝充央奉納演武#合気神#大祭#植芝守央#道主#奉納#演武つくば学園合気会Tsu
対話検索型人工知能のBINGCHAT、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、遺伝子の進化と自然淘汰に関してです。進化のきっかけは突然変異ですが、その変異がある個体で発生したとして、周囲は変異のない個体しかいないので、子供にその変異が引き継がれる可能性は半分、そして世代を重ねるごとにどんどん薄くなっていって消滅してしまうように思えるのですが、そこは優性遺伝とか遺伝子プールと言った仕組みがあるそうです。それでも意味ある変化の頻度は、100万年に3倍程度だそう
出口王仁三郎聖師のお墓参りへ聖地の綾部へ行って参りました🙏いつもながら
浄土宗開祖の法然上人の廟堂が、知恩院にあります。分骨し、金戒光明寺や知恩寺などにも廟があります。法然上人とは法然は、浄土宗の開祖です。長承2(1133)年、美作国に押領使・漆間時国の子として生まれました。9歳の時に父を殺された法然は、その遺言によって出家し、比叡山に登ります。そして、承安5(1175)年、43歳で「浄土宗」を開きました。浄土宗は、救いは念仏を称えることで得られるという「専修念仏」の教えを中心としていました。ただひたすらに念仏を称えることで、いつでも、どこでも、誰も
Vol.111【合気道の開祖植芝盛平の伝説①】の続きです。塩田剛三氏が「合気道修行」に書いておられる、植芝守平氏の不思議な言動について、続いてご紹介したいと思います。③ある時、陸軍の砲兵官の人が、軍の関係者を九人ばかり連れて植芝道場にやってきました。この時いっしょに来た人たちというのは鉄砲の検査官でした。射撃の腕前はオリンピック級で、私(塩田剛三氏:以下同じ)が見せてもらった時も、本当に百発百中なのでビックリしました。そういう人たちを前に演武を行った植芝先生が、「ワシには鉄砲は当
巫和(みわ)です(*^^*)宇宙と地球と人の架け橋愛と光の言靈師として歩み始めてますスターシードと言われる宇宙由来の魂を持ち過去世では審神者(さにわ)宇宙の過去世では宇宙商人(あきんど)でしたシリウスbのハイアーセルフと共に沢山の方々へ伝えていきます💫錬金術と宇宙商人について⭐巫和のセッションメニューや伝えていきたいこと⭐『ここ氣になるは大事だね~日光⭐』巫和(みわ)です(*^^*)宇宙と地球と人の架け橋愛と光の言靈師として歩み始めてますスターシードと言
実家の菩提寺が曹洞宗だから・・・と言うわけではありませんが、今日は私が敬愛する鎌倉時代の禅僧にして曹洞宗の開祖、道元禅師の命日・没後770周年にあたります。道元は、1200(正治2)年に右大臣・久我通親、太政大臣・藤原基房の娘・伊子との間に生まれました。(※両親については別説あり)しかし3歳の時に父を、そして8歳で母を亡くすという過酷な幼少期を送り、13歳の時に仏道を求めて比叡山にいる叔父を尋ね、翌年に出家。天台宗を学ぶ中で教義に矛盾を感じた道
日本で黄檗宗を開いた隠元禅師の350年遠諱の記念にといただきました。袋には、宗祖隠元禅師のサインもプリントされてます。その中身については、これからのブログネタとして小出しに紹介していく魂胆です。
次の偉人たちの共通項をご存知ですか?アルバート・アインシュタイン物理学者ブルース・リー俳優、格闘家プリンスミュージシャンフローレンス・ジョイナー陸上金メダリストナポレオン・ボナパルトフランス皇帝ジャンヌ・ダルクオルレアンの聖女、騎士フィンセント・ファン・ゴッホ画家フョードル・ドフトエフスキー小説家写真はすべてお借りしましたいずれも天才であり、常人には成し遂げることのできなかった偉業を達成した人たちですが、皆てんかんの患者であったか、文献上てんかんを持っていた
【問題】島津氏に仕えた東郷重位は、次のうちどの流派の剣術の開祖か?【選択肢】神道無念流天心流北辰一刀流示現流【正解】示現流【解説】東郷重位(しげかた)は、島津氏の家臣であり、剣豪としても知られる。京の善吉和尚の指導により日天真正自顕流を学び、薩摩に帰国後も研鑽を重ね、示現流の開祖となった。
和泉葛城山の山頂で、三角点タッチ。展望塔にも上りました。スタートから、2時間経過していますし。そろそろ、下りましょう。展望塔からは、神社さんへと。今回も、遊ばせていただいている、お礼参りに向かいます。八大龍王様に、お天気についての感謝を述べまして。そして、葛城神社さんで、感謝の弁であります。ちなみに、こちらも、やはり役行者様が開かれたのです。ジダンのトレイルランニング生活は、役行者様なしには、ありえません。ありがたや、ありがたやでございます。それでは、一気に駆け下っていこう
心の声本当の自分見つけませんか?お立ち寄りいただきありがとうございますプロフィールはこちら昨日は日曜日くつろぎ空間'ひなたぼっこは定休日毎週のように神社参拝に行ったり温泉に行ったりとやりたいことをやってのんびり過ごしてるよ昨日はなんと山形県の出羽三山月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した出羽三山神社をお詣りして来ました⛩️今年の初めご来店いただいたお客様から↓龍の柱の写真を見せてもらいその時から、行きた〜い見てみた〜いと思ってたのかな〜
(最後にひろぽん(・ัω・ั)国常ちゃんから困った事言われましてちょいと動揺(;´Д`)しとります😅💦今回もよろしくおねがいします(^^))『他人の指摘を嫌がるようでは次の段階には上がれないこのような事は昔から伝えていることであるが、(書いていいですか?)かまわん神、高次元の存在が正しく事実お伝えする者というのは当たり前のことであるが(笑)!謙虚であること指摘されたとき省みる心が備わったものにしか伝える意味がないのは当然のことである(笑)よいか?
和歌山県田辺市は合気道創設者の植芝盛平開祖の生誕地です。紀伊田辺は京都府綾部、茨城県岩間、北海道白滝と並ぶ合気道関係者にとっては聖地のひとつです。紀伊田辺駅前に合気道の記念碑があります。生誕の地という記念碑です。記念館は駅から徒歩10分少々の扇ヶ浜海岸に建つ田辺市武道館の中にあります。武道館の前に植芝開祖の銅像があります。植芝盛平開祖の説明文があります。合気道は敵と勝負することではなく、和合の道であり愛の道とあります。宇宙との調和ができれば争う事はないし、争おうとした
1子どもと学ぶ日蓮大聖人の御生涯第1回「誕生から立宗宣言へ」日蓮大聖人の御聖誕800年という意義深き年に当たり、「子どもと学ぶ日蓮大聖人の御生涯」を連載します。末法の御本仏の崇高な御生涯から、全人類の幸福を願う慈悲と勇気を学んでいきましょう。今回は、大聖人の誕生から1253年に立宗宣言に至るまでの経緯や御心境を学んでいきます。youtube.com2子どもと学ぶ日蓮大聖人の御生涯第2回「『立正安国論』提出」日蓮大聖人の御聖誕800年という意義深き年に当たり、「子どもと学ぶ日
合気道の創始者である「植芝盛平」氏のことを、私たち、「公益社団法人合気会(Vol.14を参照)」に所属している者は、尊敬の念を込めて「開祖」と呼びます。このブログで、植芝盛平氏のことを「開祖」と呼ぶことをお許しください。開祖は、1883年(明治16年)に和歌山県の西牟婁郡(現在の田辺市)で生まれました。幼少時は病弱で内向的な読書好きの少年でしたが、これを危ぶんだ父親が、近所の漁師の子供と相撲を取らせるなどして、体力と覇気を養うよう努めたところ、生来の負けず嫌いの気性もあり、やがて開祖は活発
今回は本「合気道開祖植芝盛平伝植芝吉祥丸編著植芝守央改訂版」を紹介しますこの本は、(株)出版芸術社より、平成十一年四月二十六日に第一刷が発行されておりますプロフィール↓↓↓著者植芝吉祥丸(うえしばきっしょうまる)大正10年、合気道開祖・植芝盛平の三男として出生。本籍地和歌山県田辺市。昭和21年早稲田大学政経学部卒。昭和23年、合気道本部道場長。昭和44年、開祖入神により、合気道道主を継承(二代)。財団法人合気会会長、財団法人合気会理事長、国際合気道連盟会長、日本武道館
本日は開祖と金剛禅について、お話をしました。開祖、宗道臣少林寺拳法は、宗道臣(そうどうしん)と言う日本人によって1947年に作られた宗門の行です。名前が日本人離れしていますが、これは改名によるもので、れっきとした日本人です。1911年〜1980年までご存命でしたので明治から昭和という時代を生きられました。戦争も体験し、その体験が少林寺拳法のコアに繋がります。1911年生まれて1947年に少林寺拳法ができた、と言うことは、少林寺拳法を36歳で作り上げてるわけです。恐ろしい話ですね。。。
Founder.ファウンダー
杉村太蔵、分かり易い側面援護!!彼にとって、これがイチバン大事ということ。(開祖の面目躍如)杉村太蔵、橋本聖子氏の五輪組織委会長就任濃厚に「なんぼ重要ポストとは言え、大臣を辞めて一財団法人に行くっていうのは政治家として酷だなあ」?笑分かり易い持ち上げ方!!背後にいる森と菅に媚びている。これで、(現状で)橋本聖子が、辞さないと言っている議員を辞せば政治的効果はバツグン!!!演出としては最高。蔵さんチーム開祖は、出演料をもらいながら、森と菅を側面援護
いわゆる「郭錠煥教」信奉者のcocoaさん記事(2021.01.18)「ヤクザを率いたシック管理|cocoaのブログ(ameblo.jp)」からは今も「独生女教」批判が聞かれます。何度もの繰り返しになりますが、「独生女教」というものがあるとすれば、その開祖もまた統一教会の「文鮮明総裁」ということになります。独生女教在れば開祖は文鮮明師1959年10月に「独生女」を真っ先に語り始められたのは、文総裁でした(お父様が「独生女」を最初に語られたみ言|奇知外
岐阜県飛騨市古川町の中心市街地で15日、江戸時代から続く伝統行事「三寺まいり」がありました雪像ろうそくの明かりが街路を照らす中、住民が厳かに祈りをささげました「三寺まいり」は、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の遺徳をしのんで営む報恩講です。町内の本光寺と真宗寺、円光寺を参拝します。明治時代以降、製糸工場から帰省した若い女性の出会いの場にもなった為に、良縁祈願の行事としても知られています今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止の為に、灯籠流しなどの来場者同士の距離が近づくイベントは中止とな
8日午前、皇居・宮殿で、『立皇嗣の礼』が厳かに行われ秋篠宮殿下が皇位継承順位第1位の「皇嗣」となったことが内外に示された!天皇陛下より皇嗣の地位を宣言し、秋篠宮殿下が決意を述べられた。今月は『諸手取り』稽古月間、今週は、二教と三教、四教を稽古しました!▼日時:2020年11月8日(日)▼場所:猿投コミュニティセンター・9:30~子供クラス・10:30~大人クラス・10:30~武器稽古(任意)▼稽古内容《体術》・体の変更・同気の流れ・諸手取り呼吸法
稽古後に道友がエントリーしていた道場付物件のトライ泊に便乗しました(^o^)/鍋を囲んで、美味しいお酒とワインで武道談義から本物件についてなど語らいながら夜が更けていきました。。▼日時:2020年10月25日(土)▼場所:猿投コミュニティセンター・13:30~子供クラス・14:30~大人クラス・15:30~武器稽古(任意)▼稽古内容《体術の部》・体の変更・同気の流れ・諸手取り呼吸法・両手取り呼吸投げ2(内)・同呼吸投げ1(外)・同変化・座技呼吸
武道練習(合気道)初版:昭和53年11月15日著者:植芝守高(盛平)著作権者:植芝吉祥丸発行者:菅原鉄孝発行所:港リサーチ株式会社昭和7年、開祖植芝盛平翁が合気道に至る鍛錬の道程を教示する目的で“武道練習”として出版し、修業者の中でも説くに心技上達の著しい人々に手渡したものです。従って、出版された数は非常に少なく、その内容は修業者の心に問う形で進められ、殆んど説明を入れず画を主体としたものでした。第二次大戦後若干の復版を致しましたが、貴重な記録として一般公開に至らず現在迄留め
バージョン5.3で実装された新しい防具、レベル108装備の「開祖」シリーズ。コッテコテの武闘家!という感じであちょ〜!!帽子もいいかんじ!長らくお世話になったゼルメア産のガナドールは、勢いでポイポイっ。だがしかし、酒場で強いバトさんを探しているとあることに気がつきました。「あれ?つよいひとたち…みんなまだガナドール?」こんなにつよいひとたちなら、開祖がすごーく強かったらアプデ後すぐに買い替えるのでは?と。。。ちょっと疑問に思い、・Lv105装備のガナドールセット・
『いちぐうをてらす、これこくほうなり?!』この年になって、ようやく原点にかえってきた。やっぱ、ただ大人になるのと、成熟するのってちがうよね。『一隅を照らす、これ国宝なり!』とは、“天台宗の開祖である、最澄(さいちょう)のコトバです。まず、「自分自身ががやき、その光でまわりを照らしていこうよ。」というニュアンスが気に入っている。しかし、「お金をもつことでは、幸せにはなれない。」とか、「
『合気道新聞第714号』に開祖植芝盛平翁のお言葉が掲載されていたので、一部を抜粋して、ご紹介します。合気道新聞昭和39年6月より『合気は天地自然の道にして、真、善、美なる世界経綸と共にある。天地の定めにより出でたる尊き道である。すなわち、この世の真人をつくりあげるための道である。:合気を練れば誠の魂を養い、魂をいれる善美なる体は理によってつくりあげるものである。古より道々の言に「武は万物の根元なり」とある。』合気道新聞第714号はこちら>>>━─━─━
■【きょうの人】0828■道元(禅師)曹洞宗の開祖鎌倉時代独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。■道元(禅師)曹洞宗の開祖鎌倉時代どうげん正治2年1月2日(1200年1月19日)-建長5年8月28日(1253年9月22日)諡号は仏性伝燈国師、承陽大師。諱は希玄鎌倉時代初期の禅僧で、日本における曹洞宗の開祖で、同宗旨では高祖と尊称
久しぶりのよい天気。名鉄エムザで開催中のフィギュア展に行ってきました。なかなか楽しいフィギュア展でした。尾山神社から兼六園に抜ける鼠多門が新しく出来たので見学に。真新しい橋を渡って鼠多門。鼠多門の中も散策しました。続いての目的地近世資料館へ尊敬する山岡鉄舟先生が書かれた書物等が、見れるというので行きました。びっくりしたのは、現物を見せてくれるという大盤振る舞いだった事。しかも山岡鉄舟先生関連のものがたくさんありすぎて😆どこから手をつけてよいものか嬉しい