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所用により生家へ。もう一年経つのか…今回も未踏の気になるお城へ寄って参りました。山陽自動車道をひた走りまず門司城へ遺構が全くといっていい程残っちょらん。これくらい?あと主郭逆サイドにも少し。その後、中津城を経て同市内、上伊藤田城へ最近、中津市や、堀切凡夫さんの発信により中津市域の城が気になっておりまして、特にここは堀切さんにお薦め頂きました。とても良い遺構で行ってよかったです。ここを先日近大で開催された城郭談話会の特別例会で紹介された「飛騨市式」図面作成で図化しよう
YUKIMURAチャンネルの最新作の「門司城の戦い(前編)」がアップされました。北九州で争う毛利と大友。石見銀山をめぐって尼子とも争う毛利だったが、尼子晴久の采配で一旦銀山をあきらめる毛利。毛利は大友との戦いに注力することに。そして尼子はその間に、美作や因幡を取り返す動きにでるのでした。今回も2時間を超える大作です。
【武術探訪シリーズ34】東明寺山城・地元民にも知られていない中世門司の城実際に東明寺山城にたどり着けたかは怪しいです。地元の偉い郷土史の専門家が【東明寺山城跡】みたいな看板を設置してくれれば嬉しいのに…と思います。youtu.be動画をアップしました。見てね。ゴリゴリの地元、北九州市門司区の東明寺山へ行ってきました。というか、これまで【東明寺山】というか名前すら聞いたことなかった…くらいマイナーな内容です。地元の人でも知っている人は少ないんじゃないかな~と思います。中世の門司城に関す
風呂上がり熱を冷ますために、室温を少し低めで設定してたのですがそのまま寝落ちしたため、腹が・・・Tシャツ・パンイチで布団の上に寝そべったままだったしな。トイレに何度も通いつつチェックアウトも遅めの9:30スタート。本当は、門司港から下関に行って2,3寄り道する予定でしたが兎に角おなかの調子が悪いのでパス。フェリーで新門司港は来る機会があるが門司港は恐らく来る機会が今後あるとはあまり思えないので、めかり公園?って門司城跡があるところへだけ寄り道。大し
GW7日目続き乃木神社に続き向かったのが櫛崎城山口県下関市長府宮崎町戦国時代には大内氏家臣内藤隆春が在城。その後は長府毛利家藩主毛利秀元の居城。現在は関見台公園として整備され石垣、天守台が復元されています。天守台天守跡復元石垣二ノ丸跡の石垣これは迫力がありますここから壇ノ浦の人道トンネルを通り門司へお昼は門司駅前で名物の焼きカレーを伽哩本舗門司港レトロ店でいただきました。この日ふGWでどこも長蛇の列でした💦食べた印象はカレードリアな感じでしたこの旅最後は城で締めく
GW7日目です。今日は山口県自転車旅🚴♀️最終日。初日からの膝痛は変わらず最終日は長府によってから門司で名物焼きカレーを食べて新門司港という行程。距離的には大したことないのでゆっくりポタリングです。まずは勝山御殿まで走りますが朝一から登りしかしこの日の登りはここと新門司港へ行くとこだけなので力を振り絞って登りました💦勝山御殿山口県下関市田倉41長府毛利家が幕末に外国勢から備える為毛利元周が築いた。御殿とあるが城郭と言っても良い縄張りです。長府毛利家最後の城(御殿)です。現在
門司港レトロカーミーティング2021②楽しんだ後門司港をちょっとブラブラ青い空と青い海関門海峡に癒されてました・・関門橋を臨む橋下海峡です・・門司港レトロ地区も人出が多くなってきましたので(;'∀')駐車場からシトロエン出して門司城跡となっている和布刈(めかり)公園の展望台に移動しています・・歴史的には大友義鎮と毛利元就の戦いの場になった山城跡地です!和布刈公園駐車場から正面に関門海峡の巌流島を望んでいます・・こちらは1612年ご存知宮本
公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~豊前・豊後編~大分県と福岡県北九州市にある100名城・続100名城を3日間で巡る旅。今回は2019年12月2日(月)の2日目をお届けします。(初日はこちら)『日本100名城巡り~豊前・豊後編~2019.12.01~03①』公共交通機関のみで巡る!日本100名城巡りの旅日本100名城巡り~豊前・豊後編~大分県と福岡県北九州市にある100名城・続100名城を3日間で巡る旅。今回…ameblo.jp
【問題】毛利・大友による争奪戦でも知られる門司城は、福岡県のどの市に所在するか?【選択肢】豊前市宗像市北九州市行橋市【正解】北九州市【解説】門司城は、福岡県北九州市門司区大字門司に所在する。関門海峡を望む要地に築かれた同城は、中国の毛利氏、九州の大友氏による争奪戦が繰り広げられたことでも知られる。
9月13日10:14-12:10城井谷城林道の入口に駐車しましたが、林道をもう少し車で登っていけました。表門裏門が見えるところからが難関です。裏門まで鎖場を登ります。そして門をくぐってから門の右手に回り込み門の上に登ります。門の上がいわゆる展望所となっています。そこは以下のとおりの景色が拝めます。が、下りはとても怖くて足がすくみます。大河の舞台となったこと、景色とスリル、城域の自然の雰囲気の良さなどから、私の満足度はとても高く、今回の九州遠征の中で最も
9月13日(日)17:45-18:37門司城日没前で和布刈公園駐車場には、数台の日没ハンターの車がいました。が城跡まで徒で登ってくる方はなし、主郭の撮影スポットは貸し切りでした。約30分は待機ないし写真撮影に費やしました。門司城から帰路和布刈第二展望台駐車場から同上もう少し後夜景がきれいそうです。
九州遠征プランをたてました。前日午後岐阜発1日目早朝門司城→立花山城→大野城→岩屋城→玖珠城九重黒川温泉泊2日目高千穂峡→岡城臼杵市街地泊3日目臼杵城→姫岳→鶴賀城→高崎山別府温泉泊4日目城井谷城→岩石城→勝山城(長門)翌日岐阜着お宿が安くなるなら行ってみたいと思ってたてましたが、岐阜から門司まで9時間もかかるようです。休憩や仮眠など3時間余裕をもつと12時間(8月6日追記:路線バスで11時間)になります。行くだけならまだしも初日から5
海を堪能した次は、山へ登りました。途中の展望台で、景色を楽しみました門司の町海の向こう側は本州です。西やん、絶対にSNSしてると思うwwwインスタかなぁ~展望台を出発して、山のテッペンを目指します。電動アシストだから楽チンなのだー10分ちょっとの走りだったけど、この時は8月24日。かなり暑いので、大汗かきましたここは、門司城址門司城の歴史は古く、最初の築城は平安時代です。九州には、歴史が古い史跡がとても多いんです。第二次世界大戦中は、高射砲の砲台が設
高遠城悲哀に思う/長野毎日新聞戦国時代末期の1582(天正10)年3月2日の高遠城合戦は、織田信長の嫡男、信忠の軍勢約5万人と、武田軍の高遠城主、仁科五郎盛信勢約3000人がぶつかった。多勢に無勢。1日で落城したとされ、26歳の盛信は自刃し、壮絶な最期を遂げる。歴史上ではこの戦いから10日ほどで武田家は滅亡。3カ月後「本能寺の変」...源平合戦から江戸時代に廃城になるまでの門司城の歴史について【福岡の旅】にっぽん旅行記門司は『もじ』と読みます。名の由来は漢字の通り『門を司る』か
お城ネタに戻ります。今回からはしばらくアーカイブスネタが続くと思います。実は「九州シリーズ」があと1城というところで中休みしておりました。今回はその8年前の九州城探訪、最後に訪れたお城です。そう、それこそ本州との境目、関門海峡を眼下に望む、福岡県北九州市門司区にある門司城跡です。明治期に、関門海峡を守る「下関要塞」が置かれ、本丸跡に砲台や弾薬庫を造ったことで、城の遺構はかなり破壊されてしまっています。残念ではありますが、その遺構と一緒に登城いただければと思います。登城は20
福岡県北九州市門司区猿喰豊前・猿喰城跡猿喰城(さるはみじょう)は門司親房により標高208mの城山山頂に築かれたといわれる現在の門司区一帯は鎌倉時代末期に、下総から下向した門司親房により治められていたという門司氏の本拠は、関門海峡の早鞆瀬戸を望む、門司城である門司城の近隣には、5つの支城があり門司氏が一族で守っていたといわれる猿喰城も、その支城の1つで猿喰城の北西1.2kmには、柳城があった南北朝時代、門司氏は南朝方、北朝方に分かれて争い猿喰城と、柳城は
①のつづき豊前・門司城『門司城攻防戦』大内氏の支配下にあった門司城は1557年に、大内氏が滅亡すると大友義鎮(後の大友宗麟)がこれを収めたすると、毛利元就は1558年6月に、門司城を攻撃してこれを奪い、仁保隆康を城将としたそこで、大友義鎮は北九州から毛利氏の勢力を一掃しようと大挙して門司城を攻撃し城将・仁保隆康を敗走させて門司城を奪還した門司城陥落の急報がもたらされると元就は当時、石見国に出陣中であったがすぐさま嫡子の毛利隆元と小早川隆景を北九州
福岡県北九州市門司区関門海峡の九州側、関門橋の橋桁がある古城山という山が、門司城跡です古城山の麓に到着ここは、和布刈(めかり)公園として整備されており、山の中腹まで道路があり、駐車場もあった中腹から関門橋を見下ろす説明板『源平壇之浦合戦について』壇之浦古戦場この地は、源平合戦最後の戦いの舞台であり戦国期には、大内氏と大友氏、また、毛利氏と大友氏が制海権を巡って、激しく奪い合った地である山頂付近にあった神社山頂へ門司城跡第二次世界大戦中に設置された砲台跡
・・・・・・っということで、門司城ってあるんですね。砲台跡だとおもいます。壇之浦の合戦を画いたレリーフですね。
007福岡県から山口県に走ってます。関門橋の後ろの山に門司城がありました。