ブログ記事33件
第1章から国衆の城長野氏はじめて箕輪城主として確認できる長野方業彼は実に名将とされる長野業政と同一人物だった。これは本当なのか。根拠が示される。改めて考えると長野氏きっての有名人業政、物語で語られる名将ぶりに反して、実際の事績は謎だらけ。明確な発給文書は1通もない。それどころか受給文書すらない。この謎は方業とすることで解消できる。初登場した方業は、いきなり厩橋賢忠とともに総社長尾氏の居城蒼海城(中世総社城)攻めを行っている。落城寸前という緊迫した場面である。
2025.6.25史跡巡りイベントの下見で
新陰流の上泉信綱の話。前半は長野業政に仕えて戦場の人で、後半は牢人になり武者修行に出る。二部構成な感じだった。河越城を前にして上杉家のお家事情は、人間ドラマだなあと思って読んでた。隠居した塚原卜伝に会い、剣のことより流派をおこした今からの世の渡り方を体験談を元に教えてもらった上泉信綱。塚原卜伝が言うには、教えを請うと上下関係ができてそこの門徒になってしまい、流派をおこした意味がない。だから教えを請うのではなく強い者がいると確認し、対処法を考えるのだと言っていた。上
【誕生日占い】【2月24日生まれの性格と運勢】人を感動させることで、充実感を得ることができます。人の役に立つことで、人生が明るく照らされていくでしょう。期待されていると感じると、能力以上の力を発揮することができます。ボランティア精神が強いことを通り越して、行き過ぎてしまうこともあります。なので、人が望む以上の結果を残して、かなり喜ばれます。…以下詳細は下記をクリックして下さい2月24日生まれの性格と運勢|日本占い師協会【JFTA】www.uranai.org【去年のブ
史実では信濃の隣国、上州に位置し武田信玄の攻撃を6回も撃退した長野業政。彼の死を知った武田信玄は小躍りして喜んだそうです。読んでみると箕輪城からおとり戦術、奇襲、ゲリラ戦を演じて武田信玄の攻撃を撃退しつつ何とかお家存続を図る一豪族の悲哀みたいなのを感じました。あと真田幸隆との兼ね合いですね。史実でも海野城を追われた真田幸隆は長野業政を頼ったそうで、この辺の恩も感じつつ中間管理職みたいな彼が武田信玄の命令で箕輪城攻撃に加わり功を得ようとする奔走する辺りや上杉謙信を頼り一人奔走する業政も花を
新陰の大河上泉信綱伝Amazon(アマゾン)新陰流を開いた上泉信綱(かみいずみのぶつな)を描いた作品。「そなたは夢を追うてくれ。儂は天下の兵法者を家の滅びに付き合わせたと誹られたくはない」「兵法を極めよとのお言葉、きっと成し遂げてみせまする」箕輪城主の長野業政に仕え、業政の遺言に従い廻国修行の旅に出ます。武田信玄、諏訪四郎から仕官するよう声を掛けられるも断り、鹿島神宮へ行き塚原卜伝と出会います。そこで剣術遣いにとって最も大事なことは「負けぬこと」、負けぬためには「戦
上野の名門、長野氏によって築城された箕輪城見どころは大堀切と忠実に復元された郭馬出西虎口門織豊以前はこのような門だったんだろうなと知らしめてくれます堀切の深さはその下に下りることが出来て戦国時代の戦闘を想起させてくれます本丸跡や郭跡などが明確に残って縄張の巧みさを感じさせてくれます武田氏と長野氏が激闘を繰り広げた名城は一見の価値ありです
長年寺長野氏の墓を見学して、・長年寺を開いた長野業尚(なりひさ)、最盛時の長野業政(業正)でも「大居士」ではなく「居士」。・同様に「院号」「院殿号」もついていない。・長年寺長野氏の墓7基は全て五輪塔。という事が分かりました。当時群馬県一の勢力を誇り武田信玄の侵攻を6度破った箕輪城主業政(表正:なりまさ)が病没(1561年・永禄4年)すると業盛(なりもり)が跡を継ぎます。しかし5年後に箕輪城は落城、業盛は自刃しました。亡骸はこの地に葬られました。伝長野業盛の墓業盛の
長野氏の系図・五輪塔の部位の名称は末尾の資料を参照してください。長年寺(高崎市中室田町)の長野氏の墓には、7基の五輪塔がまつられています。いつの頃かわかりませんが、この場所に集め並べられたのだと思います。右から4番目の中央は業尚(なりひさ)の墓。生年不明~1503年(箕輪城と上州戦国史より)業政(業正)の祖父にあたります。慶岩長善庵主。「庵主(あんじゅ)」という位号を初めて目にしました。きっと長年寺を開いて、背後の鷹留城主だったのでこの位号になったのだと愚考しま
長年寺(高崎市下室田)に伺った主目的は戦国時代の上州を治めた長野氏の墓を観ることでした。長年寺の創建は戦国時代の文亀元年(1501年)と言われ、長野業尚(ながのなりひさ:長野業正の祖父)が白井雙林寺(渋川市中郷)三世住職曇英恵応を招いて開きました。7基の五輪塔中央が長野業尚(なりひさ)、その右隣が長野業政(なりまさ)。長年寺の長野氏系図には説明板の長野業続(なりつぐ?)が居ないのです。他の系図を探しても居ないのです。きっと過去帳のみに出てくる名前なのでしょう。余談ですが、系図中
いつもは公民館通いの忙しい母が、今週は、目の治療後で、ずっと暇ということでちょっと付き合ってもらいました。みさと梅林です。ただ、私の車のナビがオンボロで、少し新しい道が載っていない....。一つ手前の山を登るように指示があり、その通りにしたら迷ってしまい、箕輪城跡に行ってしまいました。本丸跡のすぐ外は深い谷になってます。駐車場に着くと、案内係の方が、パンフレットをくださいました。大河ドラマの風林火山では、箕輪城主を小市慢太郎さんが演じていたかも。俳優オタクはドラマで歴史を知
こんにちは!今日は風が強く吹き荒れていましたが、天気が良くておでかけ日和でしたね。そんな中、群馬県高崎市にあります箕輪城にて、おもてなし活動を行いました!本日はたくさんのお客様が箕輪城へ初めていらした方や毎日来られている方、なかには群馬甲冑会のSNSを見て来てくださった方もいて、とても嬉しく思いました今年から毎月1〜2回を目標におもてなし活動を行いますので、この機会に是非1度箕輪城へいらしてください!!!!群馬甲冑会によるおもてなし活動以外にも、様々な催し物が開催されますよ2月23
攻城日:2018年8月11日↑心洞寺南側山門と"木部城主之廟所"石碑↑木部氏館は、群馬県高崎市にある館跡デス♪↑薬医門式の心洞寺南側山門↑館跡は、北側を烏川、東側と南側を鏑川に囲まれた低地に築かれており、現在は心洞寺になっています。この心洞寺を"木部城跡"として紹介しているサイトも多いのですが、ここでは心洞寺の南西側約200mの辺り一帯を"木部城跡"とする説を取り、そちらは別途紹介します。↑"木部駿河守範虎廟所"↑館跡についての解説板はありませんが、ココ木部氏館や木部城の城主だっ
【上州兵ども編】水上駅の運賃表上杉、武田、北条エリアへの運賃川越夜戦直前の上杉方陣・・陣中は乱れ切っている関東管領上杉家家老長野業政真田幸隆、山本勘助、本間江州、風魔のやり取りがいい→上杉方は北条に敗れ上州へ敗走したさて、湘南新宿ラインで新宿駅へ降りたホーム向かい2番線は海老名行き上州と相州の新たな接続🚋時代だね~
うっちーこと宇都宮芳綱ですブログネタの切り口をちょっと変えてみて、イクサに登場する武将が主人公の本を読んだ時は、その感想をアップしたいと思いますんで、記念すべき第1回目はこちらの本タイトルで誰が主人公かもうお分かりでしょうが、それはこの方ですそうです。長野業正(業政)さんですちなみに、この業正さんはワールド2+3で使っています参考までに、初期スキルにある黄斑とは虎のことらしいので、上州の黄斑=群
火坂雅志氏の【業政駈ける】を読みました。書店でこの本を見つけた時、「あら、どこかで聞いた名前」と。そう、三年ほど前に真田関係の書物を何冊か読んでいた時に武田に敗れた真田幸隆(幸綱)一党を自城の箕輪城に匿ってくれた武将として名前を知ったんだっけ。長野業政(業正)は戦国時代に上州一円に影響力を持っていた一族長野氏の武将で箕輪城に拠点を置いていました。当時の関東管領上杉憲政が天文二十一年(1552)に小田原北条氏の攻撃に耐えきれず、居城の平井城を捨てて、上越国境へ逃亡してしま
長純寺長野業政公墓所長野氏家臣団の墓長年寺長野氏累代の墓善龍寺長野吉業・福田五郎左衛門の墓2019.5.3
■所在地群馬県高崎市箕郷町西明屋字城山■遺構石垣・郭・堀■城のタイプ山城■築城者長野業尚・井伊直政箕輪城(みのわ)は、永正年間初頭(1505年)頃に長野業尚によって築かれたとされています。長野氏は関東管領上杉氏に従っていたが上杉氏が次第に勢力を弱め、越後国長尾氏を頼って落ちると長野業政は西上野の中心的な存在となり西上野侵攻を目指す甲斐の武田信玄と激しく戦いますが、国人衆らと固く守ってこれを許さなかった。しかし永禄4年(1561)長野業政が没して長野業盛が家督を継ぐと、永禄9年
村山党の貞さんからのご縁で父の故郷にて今月30日14:50村山党バンドが【公式】武士団・村山党の会@murayamatou9/30(土)『#みのわの里のきつねの嫁入り(高崎市箕郷町)』で#村山党バンド(Vo上田仁、箕輪城主・長野業政の家老・下田大膳末裔)と初代ミスきつね姫・#吉田知絵美(CD『みのわの里のきつねの嫁入り』発売中)が共演決定‼️村山党バンドステージは14:50~予定(箕郷ふれあい公園)です。https://t.co/t1Grt0IgX22018年09月17日07
○真田家の恩人・長野成政の居城真田昌幸の父・幸綱(幸隆)が海野平合戦で敗れ、一族を連れて上野の落ち延びていた時期があります。この時寄寓していたのが長野業政の居城・箕輪城でした。この辺の事情は大河ドラマ『風林火山』でも描写されています。長野氏が築城した箕輪城は発掘調査から15世紀後半から末にかけての時期とされています。長野氏は、上杉氏の傘下の重臣で西方約6キロの鷹留城(高崎市)、東方約10キロの厩橋城に一族を配して、中毛(群馬県中央部)から西毛(群馬県南西部)に勢力拡大した家で上野で大き
スペシャル時代劇新陰流上泉伊勢守信綱ウェブ検索3/3(金)19:00~20:54(114分)この時間帯の番組表BS朝日(Ch.5)ドラマ-国内ドラマ,ドラマ-時代劇番組概要戦国時代の上州(群馬県)を舞台に、新陰流を編み出した上泉伊勢守信綱の半生を、戦に翻弄される様々な人間模様を織り交ぜながら描く、壮大なスペクタクル時代劇!番組詳細上州侵略を狙う武田、北条軍に対抗し、長尾景虎の援護を受けながら箕輪城主・長野業政の下で、国を守るため一騎当千の活躍を続ける信
いつもご覧いただき、ありがとうございます。3月3日金曜日、13時です。イイ天気です。風が強いのがちょっとですが。さて、今日は上巳の節句、ひな祭りですね。今日はちらし寿司ですか〜〜。ひな祭りの歴史、見てみました。平安時代、貴族の女の子の間で男女の対の紙人形を使ったおままごとがスタートのようです。その後、江戸時代になると、3月3日のお祭りと定着したようです。段飾りも江戸の中期からとか。今では女の子のいるご家庭はお約束のように買いますからね。その後、出しては仕舞いを繰り返し、そ