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ハマっている漫画の作者さんが、実際に行ってみて良かったと書かれていて。行ってみたかったのが一乗寺にある金福寺でした。[新品]だんドーン(1-4巻最新刊)全巻セット楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}だんドーン(5)(モーニングKC)Amazon(アマゾン)一乗寺は、左京区にあります。電車でいうと、出町柳から出ている叡山電鉄の一乗寺という駅が最寄りです。一乗寺というと、書店の恵文社やラーメン激戦区としても有名かな。叡山電鉄沿線、お気に入
対話検索型人工知能のBINGCHAT、本日も対話の結果を、掲示していきます。本日第1の話題は、江戸時代末の大老の、井伊直弼についてです。井伊直弼は勅許を得ずに修好通商条約を締結しましたが、これについては当時、日本の実質権力が徳川幕府にあったことは世界の周知だったので、有効だそうです。また勅許なしの条約締結という発想は、直弼が長い間部屋住み(跡継ぎでない)であったために、庶民感覚を得ていたせいではないかという点については、あり得るそうです。本日第2の話題は、戦術の一つであ
繁蔵宅から戻る途中で、ふと長兵衛は足を止めた。「どうだろう、佐吉。ついでと言っちゃあ失礼だが、長野主膳様の墓にお詣りして行かぬか?」「大旦那様、それは名案でございます」二人で盛り上げた土饅頭は当時の半分ほどに凹んでいるが、その正面には地蔵堂が作られていた。「今にして思えば、あの時の仕事によくお付き合いくださったものだ、と心から思っています。本当にありがとうございました」取って付けたような佐吉の言葉に、長兵衛は正直驚いた。「なんでい、藪から棒に大層な言い草じゃのう
2/4…仕事帰りに…たまたま…見たお月さま…もうすぐ…満月🌕だなあ‼️って…思いましたや・は・り…満月🌕は…2/6…朝の…3:29時間差で撮ってみました…神々しい…ですね〜スノームーン🌕〜2月の満月🌕は…地球から…一番遠い…満月🌕…一番小さな…満月🌕…なのだそうです…2月は…私の誕生月…そう聞いて…なにか…愛しく…なってきました…二十四節気は…2/4から…立春…春の始まり…一年の始まり…随分と…日が長くなりましたね…旬の植物…早春…雪の中から小さな頭を出す
*1月22日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政の大獄と桜田門外の変。本日がシリーズ最終回、長野主膳の最期です。あんみつ「しらたま先生、安政七年(1860)三月三日の桜田門外の変は、まさに驚天動地の事態でした。事件を受けて幕府がまず行ったのは、なんと‟改元”。翌年は辛酉改元が予定されてたから一年限りになるのがわかってたのに、それだけ大老・井伊直弼の存在は大きかったんで
*12月25日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政の大獄です。本日は、大獄がもたらしたもののおはなし。あんみつ「しらたま先生、今年もよろしくお願いします!ええと、大老・井伊直弼による安政の大獄が安政五年(1858)九月から翌安政六年(1859)三月に吹き荒れ、容疑者の一斉検挙となりました。八月には審理裁判もほぼ終了します」しらたま「京都で大獄を主導した長野
*12月18日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政の大獄。本日は、啓発と留魂のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、安政五年(1858)、大老・井伊直弼の大獄で弾圧されたのは、日米通商修好条約調印反対派と、水戸出身の一橋慶喜を将軍に推す勢力でした。直接のきっかけは水戸斉昭に下された幕政改革を委ねる勅諚(=戊午の密勅)でしたから、それに関与した公家と水戸藩士が摘発対象です
*12月11日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政の大獄。本日は、非情の嵐のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、安政五年(1858)九月七日の梅田雲浜(うんぴん)逮捕から十日後、幕府の特使として老中・間部詮勝が着任しました。迎えた長野主膳は京都の情勢を詳しく知らせ、次なる水戸藩京都屋敷の手入れを進言します」しらたま「十日のあいだに、長野主膳は配下のスパイ、
*12月4日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは井伊直弼と長野主膳。本日は、安政の大獄はじまるのおはなしです。あんみつ「しらたま先生、大老・井伊直弼が京都での反対派弾圧を決意した直接のきっかけは、安政五年(1858)八月七日、朝廷の公卿会議で勅諚(=天皇のお言葉)が出されたことですね。‟水戸密勅事件”と呼ばれるもので、左大臣・近衛忠熙ら高官が井伊側の関白・九条尚忠を失脚
*11月27日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政の大老・井伊直弼。今回は、江戸の大老、京の大老のおはなし。あんみつ「しらたま先生、安政五年(1858)四月二十三日、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼の大老就任が実現しました。大老(たいろう)というのは老中を上回る最高地位の将軍補佐。常設ではないまさに大役ですけど、それだけにどういう職責なのかよくわからないような」
*11月20日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回はしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政期の彦根藩主・井伊直弼。本日は、百鬼夜行の都のおはなしです。🍚あんみつ「しらたま先生、十三代将軍家定の継嗣問題を巡って江戸の幕閣が紛糾してるころ、京都でも活発な工作が行われていました。井伊大老就任に先立つ3ヶ月前の安政五年(1858)一月、阿部正弘の後任で老中首座になった堀田備中守正睦(まさよし)は、日米修好通商条約の
*11月13日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回もしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政期の彦根藩。本日は、安政政変と井伊大老登場のおはなし。あんみつ「しらたま先生、長野主馬が京都公家社会の人脈を買われて150石給与に抜擢され、長野主膳(しゅぜん)義言(よしとき)と通称を改めた二ヶ月後の安政四年(1857)六月、首相の阿部伊勢守正弘が39歳で亡くなります。幕府はこの大事な時期に、得難いリーダーを喪ってしま
*11月6日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回もしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政期の彦根藩。本日は、黒船と幕閣蒼惶のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼(なおすけ)が譜代大名の筆頭格・彦根35万石の当主となって2年半後、長野主馬(しゅめ)義言(よしとき)が20人扶持で召し抱えられて1年後の嘉永六年(1853)六月三日、マシュー・ペリー提督の東インド艦隊4隻が浦賀にやっ
*10月30日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回も近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは安政の彦根藩。本日は、埋木に糸萩の花咲くのおはなしです。あんみつ「しらたま先生、天保十三年(1842)十一月二十日、彦根城三の丸は尾末町の埋木舎(うもれぎのや)で、国学者・長野主馬(しゅめ)義言(よしとき)と主人の井伊鉄三郎が初対面しました。ふたりとも28歳。三日三晩にわたって情熱的な会談を交わし、すっかり意気投
耳を圧するセミの声に津島屋は埋め尽くされている。今年の夏も暑さに苦しめられそうだ、と思いながら厠(かわや)を出たところで、長兵衛は暫(しば)し佇(たたず)んだ。「何をぼんやり考えておるのじゃ、佐吉?」真夏の昼過ぎ、中庭にぼんやり突っ立っている娘婿に問いかけた。「トカゲでもおるのかな?」(先日、佐和山の上り坂で出会ったトカゲ)「あっ、大旦那様。つい手を休めておりました。面目ございません」あわてて築山の草刈りに取り掛かろうとする佐吉に、長兵衛は廊下から手招きをする。「
天知茂主演の、江戸川乱歩の美女シリーズ第18作『化粧台の美女』のある場面が、大河ドラマ『青天を衝け』において幕末が描かれている折柄、私には、もう虚心には見られないのである。中村竹弥扮する山際大造の事情聴取を、荒井注扮する「ヤングのアイドル」浪越警部が行っているシーン。中村竹弥の後ろに、天知茂扮する明智小五郎がいるのだが、中村竹弥の後ろに天知茂が座る、こういう並びになると、もはや『天皇の世紀』における、井伊直弼と長野主膳のようにしか思われない。そもそも、なぜ、明智探偵は、そんなところに座っている
こんにちは、皆さん。歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【孝明天皇、戊午の密勅を下す(続き)】前回の続きです。ではそもそもなぜ勅書が水戸藩に対し下されたのでしょうか。この時期、一橋派は井伊大老の処断によりその動きを封じられていました。なかでも最大の不満を持っていたのは水戸藩で、徳川斉昭はなおも慶喜を将軍に就けることをあきらめておらず、井伊大老の独裁体制を叩き潰すため姻戚関係を利用して朝廷に対する画策を行っていました。孝明天皇の夷人嫌いは
日曜日、お忍びで殿こといしだみつにゃんが出かけた先は・・・のちの三成公、佐吉少年と秀吉様との出逢いの地、大原観音寺さん。http://www.zc.ztv.ne.jp/kannonzi/index.html秀吉様に「三献茶」をお出ししたあの日からの激動の日々を思い出すかのように一歩一歩参道の石段をのぼる殿。本堂にて心静かに手を合わせ・・・鐘楼では、お寺の小僧だったころを思い出して・・・修復されたばかりの薬師堂で、井伊直弼公の家臣、長野主膳の詠んだ歌が。諱の義吉
皆さんは、村山たかという幕末を生きた女性をご存知だろうか?彼女にはもう1つ名前があって、別名を可寿江(かずえ)とも言うが、一見この地味な名前の女性が、いったいどうした人生を送ったのか・・・・・。彼女の生まれは、いろいろと語られていて、実際のところ私にもよくわかりませんでした。父母の事もあまりちゃんとした事柄が、残されてもいないようで、強いて言えば・・・・。彼女の育ったのが、近江国・・・・現在の滋賀県にある多賀神社であったという事。幕末にはまだ寺社が一緒に
本屋さんで目に留まった『幕末動乱の男たち』上下巻作者が海音寺潮五郎さんと言うことで気になっていました。この本は、幕末動乱期に注目された人物を深く掘り下げて、書かれています。取り上げられた人物の出自や関わった出来事や事件は勿論のこと。当時の歴史的背景、諸藩の藩士たちとの繋がりetc.本当に細かいところまで書かれているのです。取り上げられているのは・・・(上巻)有馬新七、平野国臣、清河八郎長野主膳、武市半平太、小栗上野介(下巻)吉田松
直前番宣は全ガンダム大投票か。そういえばそろそろだな。前回のあらすじ。そして京で気勢を上げる吉之助ら。そこへ月照が現れ、斉彬の死を告げる。雨中、途方に暮れる吉之助。誰が見ても斉彬は毒殺のセン。俊斎は犯人探しする気だけど、意外にも吉之助は冷静。「また御公儀に負けた訳じゃなか」薩摩が動けぬのならば、水戸を動かす。そのために近衛公には詔をお願いする。斉彬の死で、相手が油断している今こそが好機。吉之助、まだ止まらない。それは「君命」でもある。長野主膳が、演者・人物に相応しい席順に
篤姫輿入れ、正弘急死、吉之助正助の熊本入り。そして別れ。正助は帰郷、吉之助は江戸へ。やっぱこの二人は好き。薩摩キャラがいないと序盤のキャスクレがスカスカだな。だったら長野主膳の席順を上げてやれよ。堀田正睦登場。他にも名前だけは見覚えのある当事者老中いろいろ。ヒュースケンの演者さんがロシア人?あれ?斉彬は出ないの?ハリスら、家定に謁見。そこでの家定の奇行は確か史実。セレモニー的なセリフのやり取りが終わったと思ったら、同じセリフを繰り返し続ける家定。みんな呆れ?うんざり?しっか
天寧寺http://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/561井伊直中(井伊直弼の父)が開祖。不義により腰元を手打ちにし、その子の父が直中の息子と判明。腰元と初孫を弔うために創建された、とある。彦根市はJR線彦根駅を中心とし、西側に彦根城などの観光地が集約されている。彦根市行脚後半戦は、東側エリアに進路を取る。市のほうでも、彦根城を世界遺産に、と積極的に推進しているようだ。敷地内の駐車場に停める。他には一台停まっているだけだった。
「出島表門橋」完成前に現地説明会nkt-tv.co.jp出島表門橋」完成前に現地説明会(長崎県).長崎市の出島と対岸を結ぶ出島表門橋の完成を前に27日、現地で説明会が開かれた。説明会には約80人の市民...『風雲児たち』三谷幸喜脚本でドラマ化に大反響!「真田丸」キャスト・スタッフ再集結ダ・ヴィンチニュース同作は、関ヶ原の戦いを機に始まる徳川幕府や江戸時代にスポットを当てた“大河歴史ギャグ”マンガ。今回のドラマ化では演出を大河ドラマ「真田丸」の吉川邦夫...東儀秀樹さん
■「ぶらり江州の旅/安土編」はこちら彦根、目覚めの景色。方角的に↑画面左奥が関ヶ原。右側が伊勢口・・・かな?笑。米原~この彦根辺りは、東西交通・流通の要衝。遅めにホテルを出て、まずは駅前まで戻る。するとこんな古めかしいボンネット型のバスが走ってました。観光用の話題作りかと思うが、排ガス規制、燃費の問題とか大丈夫なんでしょうか?エンジン音も結構大きいよーな気がするが・・・?本日は、まずはこちらへ。船。GWとあって、超満席。みなさん、既に予約券を持っていたらしく、私め
文久2年(1862)8月27日、長野主膳義言が彦根藩の牢屋敷で斬首されました。46歳井伊直弼の国学の師であり、直弼によって彦根藩に登用されてからは彦根藩士として直弼を支えた長野主膳は、主に京での活動が多く、その活動内容から井伊直弼を動かした“影の大老”のような言われ方をします。もしかしたらそのような面はあったのかもしれませんし、安政の大獄の大半は、直弼の指示と言うよりは長野主膳が京都の活動で知った情報による結果が多かったことも否めません。ですので、直弼の闇の部分に関して多くの影響があった事