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三寒四温暖かくなったかと思いきや急に冷え込むこの時期体調管理も気持ちの管理も不安定になりがちな気がします。人間も自然の一部なんだなぁと実感する春母の異変も1年前の春先におこりはじめた。今思うと、食欲ががくんと落ちて無気力になり目の力が抜けたような感じがした。と父。体重も減ってこれはいかん!とあの手この手で食べさせたと。食べることは生きること生きることは食べること本当この言葉通りだった。父のサポートのおかげで少しずつ体重も戻り夏前には元気に復活してきたわけ
仕事中に母から電話「あなた、お父さんと何か話した?様子がおかしいのよ」???「私が上京することを辞めさせようとしてる?なんかおかしい。勝手にコソコソ。あなたと喋ったって言ってたけど」???急に言われて頭が回らない。ん~???お土産のお菓子の話はしたけど何のことだろう?「認知症、認知症って決めつけて言うけど私は認知症ではないから!検査してちゃんと違うと言われてる!!」・・・「お父さんは一人で上京するつもりだね。私は邪魔なんだ。この結婚は間違いだった
父の誕生日に次女がお祝いメッセージを送った「いつまでもおばあちゃんと仲良く元気でいてください」父(じいじ)の返信「俺の大切な大切なばあばとずっと仲良く元気でいるよ」と返信あり。74歳になっても俺の大切な大切な妻と、孫に言える父。アッパレ!素敵です。尊敬・・・ばあば(母)は幸せ者だよ。私が小学生の頃、友達が家に遊びに来て父と母がキャッキャ♡と笑いながら会話している姿を見てお父さんとお母さん、仲いいねぇ。と言われたことがある。仲が良い分、喧嘩も
父は田舎で生まれ、貧しい育ちをしたため自分の事は一通り自分でできる、生きる力が強い。子ども時代は海で魚を槍で突いてとってた。素潜りでタコもゲット。鶏もさばくし畑仕事から料理・洗濯・大工仕事(家の修繕)なんでもお任せ。今は母の散髪もやっているらしい。学校も中学しか出ていないけれどもともと勉強は好きだったらしく、私の大学進学と同時に夜間高校に入学し高卒の資格を取得した頑張り屋さん。そんな父をすごいなぁと感心する反面何かにつけて「お金がないから。俺の給料が安いか
実家の事は父の理解を得てから母に話した方が物事がスムーズに動く。ので、どうしても母のいないところで父と話を(打合せ)することがあるそうすると、父が母と話をする中でなんでそれを父が知っているのか?なんで勝手に決めるのか??と口論になるらしい。そして捨て台詞「どうせ私なんかいなくなればいいんだ」と、泣きわめくらしい。困ったもんだよ~と、父。そうなんです。娘の私が言うのもなんですが母は自己肯定感が低い。そして見栄っ張り。常に周りの目を気にして行動するし
春の上京に向けて、実家との連絡がいつもより密になる。ふとした会話から普段の父と母の様子が聞けて現状を知る。母は仕事もやめて趣味の大正琴も月に2回と減り家でぼーっとしているか、TVを見ている時間が長くなったとの事。有り難いのが、朝夕の散歩。朝は父と二人で夕方は近所の方々と散歩をするのが日課らしい。そして仕事に追われて忙しい(人手不足のため)父の帰りを待つ日々。少しでも時間が遅くなると、電話がかかってきたり帰って来るなり激怒したりまいっちゃうよなぁと父。日
身体は元気な母ですが確実に会話が混乱するようになった。3月下旬に2泊3日で上京することになり電話口で大喜びの母。孫に会えることが喜びのひとつ。なかでも甥っ子とは4~5年ぶりの再会。ワクワクとうずうずした気持ちが電話口からも伝わる。で、1日目はうちに泊まって2日目に孫たちとお出かけしようね。母「うんうん」楽しみだねぇ母「楽しんでね~」???え??母「え??誰が行くの??」お母さんだよ母「あぁ、私か。どこに行くの??」孫(甥っ子)
暑い暑い毎日ですが、母も父も元気そうで何より。家の壁塗りと瓦の補修が終わったと嬉しそうです。私はというと、ひょんなことから占いを受けてきました。色々なことを話した中で妙に胸に残った言葉「2025年までに気になることは問題が小さいうちに片付けておいた方がよいですよ」今、気になっている事を放置していたら2025年に大問題になってふりかかる・・・・との事。こっわ~(泣)一番最初に頭に浮かんだことが、実家の事。片付けもそうだし、お金の事、老後の希望なにひとつ具体的に聞
母への苛立ちを抱えながら父にお父さんの都合の良いときに電話くださいとメールするとすぐかかってきた。旅行の計画の件、尋ねると体力的に自信がない。との事。そうかぁ、、、それならそれで言ってくれればいいのにその一言が足りないところが母の残念なところです。母に直接聞くことも考えたのですが思った以上に私の勘に触ってしまい、イライラが止まらず。このまま話をしたら怒りになってぶつけてしまいそうそれに対して母はキョトンとする→その様子にさらにイライラする自分が、想像ついたので
久しぶりの電話。というのも、1年前に母が行きたい!!行きたいねぇと言っていた伊勢神宮への旅行の計画をそろそろ立てようかなぁと話してみた。母「誰がそんなこと言ったの??」・・・・・・えっと・・・父は会いたい気持ちと提案があったことへの嬉しさか「ついでに大阪にも行きたいなぁ」など前向きに答えてくれた。が、後ろで母の納得のいかない様子が伝わってくる。ま、日程の検討なのでまた電話するねと話を切り上げ電話を切る。翌朝、母からのメール「伊勢神宮には行きません
実家から戻って一ヶ月あっという間に時間が過ぎました。母の症状が安定している事に安心したのもつかの間仕事や自分事が忙しくなり、目まぐるしい日々でした。私が忙しくなる(母に構う暇がない)と母の症状が安定し、(自分で何とかしようと気が張るのかなぁ)私が暇になる(母の心配ばかりしている)と母の症状が不安定になる・・・そんな気がしてきました。不思議な力関係。遠く離れていても気の繋がりを感じます。今は本を読んだり、ブログを読んだりしてます。こちらのチャンネル、勉強に
母は大正琴の師範免許を持っており月に2~3回、近所の生徒さんが来て練習という名のお茶飲み会を開いているらしい。らしい。というのは、話は聞いているけれどその生徒さんに会ったことがないから。(父も同じ説明なので多分本当。)実家に帰ると以前和室だった部屋は大正琴教室に変わっていて楽譜や楽器が置いてある。仕事をやめてからやることがない限りぼーっとしてしまう母に刺激を持って欲しくて、私も大正琴を習おうかな。と提案。母は目をキラキラさせて、「それはいいね!やりましょう!!」
この1ヶ月の間に仕事を辞め、車を廃車し、検査に行った母。もちろん1つ1つの事を決定するまで穏やかには済まない事もありましたが母の素直さと行動力には頭が下がる思いです。検査結果が認知症と診断までいかないという判断となり、拍子抜けした所での再会。にこにこ満面の笑み。肌もつやつや(先月より)元気そうでよかった。ですが、「あれ?あの子はどこに行った??」「今からどこ行くんだっけ??」「荷物はどこ??」同じことを何度も何度も聞いてくるのは違和感でしかない。慣れて
1ヶ月ぶりに帰省しました。ドアtoドアで5時間かかる実家早起き苦手な私が頑張って4時間睡眠4時起きで向かったもののスタートからくらくらする・・・(前夜の予定が押して就寝が12時過ぎてしまったのも敗因)介護に必要な大切なことまず、自分の体調!だと痛感しました。母は先月よりも元気な感じ。ひとまず良かった。父はせっかち度に輪がかかって1.5倍速になってる感じ。笑そして2人の声の大きさ。頭に響く・・・負けじと私も声が大きくなりお昼過ぎにはパワー切れ。こんなに1日が
母から説明があったお金のこと『お金の管理~母の涙~』いきなり本題に進んでしまった。通帳の場所を教えて欲しいとは言えない。(母以外誰も知らない)あ、あのね。お母さんが仕事を辞めたことで収入が減って家計の見直しを…ameblo.jpまず、・お父さんとは物の価値感が決定的に違う。・父には自分の通帳を絶対に見せたくない。なぜなら、お金があったらあっただけ使うから。いらないものばっかり買ってくる。過去どれだけ苦労してきたことか。・現状、父は自分の働いた分を自分で好きなように使
いきなり本題に進んでしまった。通帳の場所を教えて欲しいとは言えない。(母以外誰も知らない)あ、あのね。お母さんが仕事を辞めたことで収入が減って家計の見直しをする良いタイミングかなぁと思って。保険とかも見直すと助かることも出てくると思うのよ。せっかく帰省するから一緒に考えられたらなぁと思ってさ。母「・・・・・いい。その必要ない」とりつく島もない。うーん。そうか。今さ、通帳の管理はお母さんが全部やってるんでしょ?何か起きたら困ることもあるかと・・・母「全
帰省した時、スムーズにお金のことを話せるように前段階として電話で説明しようと思った。母方の家系的に昔からお金の話はタブーという暗黙の了解がある。それは時代的なこともあるだろうし地域性もあるだろうしそれぞれの家族の関係性もあるだろう。私から見てひいおじいちゃんか、ひいひいおじいちゃんが村一番の正直者で、頼まれて書類に印鑑を押したばかりに財を全部だましとられた。という話を幼い頃に何度か聞いている。ひ孫の私でさえ何度か聞いた伝説(伝承?)母たちは幼い頃から詳細を
母から電話。母「今、病院なんだけど。検査終わったんだけど何の問題もない!って」!?!?・・・・否定しても仕方がないか。あ、そうなの。良かったねー。気をつけて帰ってね(もやもや)夕方、父に詳細を聞いてみよう。何の問題もない、訳ないよなぁ~ちょっとした違和感、沢山感じるのに。と考えながら悶々と過ごす。夕方、父を交えて3人でトーク。母の話した通り、問診の段階で1年前との変化は見られず診断名をつける段階ではない。との事。つまり認知症予備軍。ホ
父曰く母の経済観念が緩くなっていて買い物に行っても同じものばかり買ってくることが増えたよ。私「ちなみに、お金の管理はどうなってるの?」父「俺は全く分からない。なんなら通帳のある場所も知らない」な、な、なんですと??父「お母さんがお金の管理は自分の仕事だと握りしめて見せてくれない。俺の退職金とかどのくらい残ってるんだろうね」他人事・・・。それ、帰省中に知ってればお母さんと話してみたのに。父「前に2人でお金を管理しようって話してみたんだ
価格.comさんの記事を引用させて頂きました価格.com-自賠責保険とは?|自動車保険の基礎知識自賠責保険(自動車損害賠償責任保険)とは、自動車損害賠償保障法ですべての車の所有者に加入が義務付けられている損害保険です。ここでは、自賠責保険の目的や補償範囲、保険料などについてわかりやすく解説します。hoken.kakaku.com立ち話している3人さんあるスーパーの駐車場満車じゃないけど入り口で待っている車が連なっています駐車係さんはお二人で誘導なぜ入場を待たせているのかしら⁉
お彼岸の準備で、またお買い物です。今週は、県外外出が多くてお疲れモード。お彼岸の準備を。夫と手分けして回ります、一緒に回ったら移動距離がハンパないですから。お供えを買う前に店内に併設されている茶房でまったりと。きちんとお手入れされたお庭を眺めながら、美味しく頂きました。ゆっくりと時間が流れる茶房でした。昨夜のお月様。
母が退院するとき主治医に「処方されたリフレックス錠が効いて、最悪な状態から持ち直しました。ありがとうございました。」と言うと「いえいえ、娘さんがずっとそばに付き添っていたからです。娘さんがいたからです。」と言われました。わたしは、薬が実際効いたと思ったのでそうかなあと思いましたが主治医は、結局当初のお腹の痛みも治せなかったので後ろめたさもあったのかもしれません。それで、退院するときにまた母の状態が悪くなったり、わたしが看れなくなったときは入院させてもらえるか尋ねると、
さて、引っ越しのために条件に合う物件を探していたのですがちょうどライダー君の学校に2キロくらい実家に10キロくらいの場所でショッピングセンターの近くで、国道1本で実家まで行ける家を見つけました。そこなら息子は自転車で、車に不慣れなわたしも通えると思いました。実家に同居ということも少しは考えましたが狭い実家に自宅1件分の荷物は到底入りません。実家は築40年近い建売でほとんど収納スペースがないのに父と母のものですでにあふれかえっていました。それでも母はいっさいのものを捨てることを拒ん
たくさんのいいね、フォローありがとうございます。10月になってなんとか退院することになった母ですが、座ったり立ったりしたときのおなかの痛みは変わらず、座っていられるのは5分ほど立っているのも10分ほどが限度でそれを過ぎると横になって休まないとつらいという感じでした。精神的にも不安定で毎日のように、なんでおなかが痛いんだろう何も悪いことしてないのに、こんな体になって情けないぐずぐずぐずぐず。。。。そんな日々を繰り返していました。週に2回の点滴とリハビリは続けていましたが
母には、「10月になったら必ず退院しよう。わたしは、むこうを引き上げてこっちに帰ってくるから。だから、もっと一生懸命食べて。でないと退院できないよ」と言いました。母には目標を持つことで少しでも食事量を増やしてもらいたかったのです。それから母も少し前向きになって、わたしの「いつもより一口多く食べてね」と言うことばに従っておかゆ量を増やしていって一度に8分目ほどまで食べれるようになったのでした。ただ、母にはもうひとつ問題がありました。それは若いころからの頑固な便秘
※画像はお借りしました。そもそもフジテレビの「Mr.サンデー」で放送されたらしい。評判が評判を呼んで、本来の作品に追加され劇場公開されたもののようだ。監督:撮影:語りを努める娘の信友直子さん。ドキュメンタリー番組の監督さん。フジテレビの「ザ・ノンフィクション」は面白い。実家は広島県呉市。40年近く東京暮らしをしながら、呉への長距離介護のために往復する日々の記録。実家に戻ろうかと思った時に、お父さんに自分の仕事をするように言われる。45歳の時に乳がんを患い、その時に力
2010年、母が原因不明の腹痛で入院したときのことを振り返っています。その頃の母は疑心暗鬼になっていました。何をしたって自分はよくならないんじゃないかと。少しずつ元気になってはいるものの、ごはんはあまり食べず自分から食べなくちゃという気もなかったようでした。そんなとき、「あんたはわたしをここに閉じ込めて捨ててしまおうとおもっとるやろ」とヒステリックに言われたのです。ショックでした。母のために病院に泊まり込んで1ヶ月。できるかぎりのことをしていたつもりでした。し
このようなブログにいいねしてくださってありがとうございます。更新は不定期になりますが、今年もよろしくお願いいたします。母の咽頭炎は治ったのですが、やはりおなかが痛い。おなかにウツボがいる。と言ってごはんをあまり食べません。そして、今度は目が見えないというのです。寝返りもできなくなった母をなんとか起こしてもトイレに行くのにも目が見えないので身体を支えながら、壁まで誘導して壁伝いにトイレまで行って帰ってこなくてはいけません。そして、しょっちゅう、どうしてこうなったのか、悪いこ
2010年の9月の話です。母の病室に駆け付けると、母はさらにやつれて痩せていました。薬を飲んでいないせいか、顔は不安でいっぱい。目つきも変わっていました。先生、すぐに良くなると言ったのにひどくなってるじゃないですか。この母を放ってはおけない。それから病室に泊まり込む生活が始まりました。母はなぜか上向きに寝るとそのままの姿勢で固まってしまい自分では横に向けなくなっていました。上に向いたままで身体が痛くなって横に向こうとするとさらに固まって横に向けない。寝返りを
おなかにウツボがいると真顔で言う母。頭がおかしくなったんじゃないかとも思いましたが脳のCTを撮って認知症検査をしても異常はなく念のため内科の検査ももう一度してもらいましたがやはり異常なしでした。では、やはり精神的なものからくるもので、便秘もあることから過敏性大腸炎のたぐいではないかと診断され抑うつ症改善のための抗うつ薬や便秘改善の漢方薬など、母に会う薬がどれなのか次々と試されたのです。そのため母は、幻覚を見て5階なのにわたしや叔母が窓の外に立っていたと言ったり