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KYOJOCUP&インタープロトシリーズ開幕戦AIMLegend’sClubCup2025年に1回開催されるレジェンドカップ。昨年もインタープロト開幕戦を観戦に行ったが、レジェンドカップはプログラムの最終レースだったので帰阪の時間が来てしまい観ずに帰ってしまった。今年は最終がインタープロト・プロになったので、初めてレジェンドカップを観る事ができた。往年の名選手が再びレースをするのはこの時だけという貴重な機会でワクワクする。10位:長谷見昌弘選手/恒志堂レーシ
とある日の午後予約していた日産ヘリテージコレクションの見学会へ日産の創世記から伝説のレーシングカーとプリンス自動車の車も展示されてる歴史の博物館故人桜井慎一郎さんは負けず嫌いのレース屋日本グランプリでポルシェ904との死闘を繰り広げ39号車故人砂子義一さん41号車生沢徹さん精一杯戦ったマシーンだったがサーキットで一時的にトップを奪うも敗退してしまうスカイラインのボディーを少し伸ばしてクロリアのエンジンを載せてまで望んだプリンススカイラインの悔
本日部屋の棚を整理していたので、久しぶりにこの3台を出してみました。この3台はKYOSHOから発売されている手のひらサイズのRCであるMINI-Zの交換用ボディですが、ボディのケースにそれぞれのマシンを操っていたドライバーからサインを頂いた物です。ハコスカには高橋国光氏、グループAのBNR32には長谷見昌弘氏、星野一義氏のサインを頂きました。まだ小さかった頃、グループAを知るまでは、パリダカやグループBで育ち、どちらかというとターマックよりもグラベルの方が好きでしたが、グループ
昨晩から降り続いていた雪が今朝になったら10センチちょっとかな?積もっていましたがベトベトした重い雪だったから気温は高かったみたいで・・・私の乗ってているFITは今朝こんな感じでした。たぶん、もう少し北へ行けばこんな量の雪じゃなかったと思いますがそれでも雪かきしたので大変でした。そして実家へも行って雪かきを実施・・・久しぶりの雪かきは疲れました(汗)そして今日その後は雪も止み積もりは、しなかったけど東京でも積雪1センチとか?我が家近辺だと1センチくらい積もったくらいじゃ
はい、今回は長谷見さんとこが作ったHMS(中の人はラルトRT4・BMW)ですよ。ハセミモータースポーツ(HMS)独自の企画で、1982年の全日本FP(フォーミュラパシフィック、後のF3相当)で使ったラルトRT4シャーシを流用して独自にGC用のカウルを作ったものなんです。GC参戦車の中で最軽量車に仕上がったものの、空力と冷却に手を焼いた結果、予選は13位。エンジンは当時の主流であるBMWM12/7を搭載していました。参戦はこの1983年の第2戦のみで、次戦からはラルトシャシーにMC
11月20日にスーパーGTの活動終了を発表したロニー・クインタレッリ(23号車MOTULAUTECHZ)。12月1日に富士スピードウェイで行われたニスモフェスタでは、イベントの最後にファンへのセレモニーが行われた。スーパーGTで唯一、GT500で4度のチャンピオンに輝いたレジェンドドライバーのロニーについて、この人物に聞かないわけにはいかない。現在、ニスモの名誉顧問を務めるニッサンのレジェンドドライバー、長谷見昌弘氏にロニーとの思い出について聞いた。ロニーは2002年に来日し、2003年
今日も疲れて、うたた寝をしてしまい相変わらず深夜になってから、このブログを書き始めたので今日のブログも時間の関係で下書きしてあった記事の中からいつものように?【私のお気に入りの一台】としてこんなトミカを紹介します。ルーフには長谷見さんのサインが入っている、このトミカは?RACINGMATEHISTORICCARSERIESRM-05SCALE1/68日産R30スカイラインターボ長谷見昌弘選手引退記念ラストラン2000年11月26日ニスモフェスティバル
超リアルチョロQUNISIAJECSSKYLINE#3GT500'99ALLJAPANGTCHAMPIONSHIPエントラントはハセミモータースポーツ。ドライバーは長谷見昌弘/田中哲也。1999年は未勝利、ランキングは17位となかなか厳しい成績でした。ボンネットオープンギミック長谷見さんはカッコいいカラーリングのマシンが多いですねトミカ『チョロQzeroスカイラインスーパーシルエットフォーミュラGr.51982』SKYLINESUPERSHIHOUET
ニスモフェスティバル限定チョロQG'ZOX・SSR・ハセミZ#3GT500JGTC2004ドライバーは金石年弘/エリック・コマス組。ランキングは4位。エントラントはハセミモータースポーツ。2006年仕様のハセミZとハセミモータースポーツいろんなカラーリングがあっていいね。ハコスカとユニシアカラーとも欲しくなる。
AIMLegend’sClubCup2024インタープロト開幕戦ではレジェンドドライバーによるエキシビジョンレース「AIMLegend’sClubCup2024」も開催された。レジェンドの中にはドルフィンが活躍期を知らないお方もおられた。鈴鹿では2019年のサウンド・オブ・エンジンでも行われた事がある。マシンはVITAでKYOJOとシェアする。エキシビジョンとはいえ豪華メンバーが❝レースをする❞のだから是非とも観ておきたいッ!観ておきたいのだが、この日の最終
こんにちは!ボブです。今回も番外編です。紹介するのはGZOXSSRハセミZです。2004年シーズンに引き続き2005年シーズンも走りました。あまり良い活躍ができなかったが黒が多いデザインなのがとてもかっこいいです。監督は長谷見昌弘さん。ドライバーは金石年弘/エリックコマスです。次回も引き続き番外編です。
こんにちは!ボブです。今回も引き続き番外編です。紹介するのはGZOX・SSR・ハセミzです前年までgt300で参戦し、前年のgt300チャンピオンのハセミモータースポーツがgt500に戻ってきました。監督は2000年に引退され、シルエットフォーミュラを運転された長谷見昌弘さんです。ドライバーは金石年弘/エリックコマスです。次回も番外編です。ご期待ください。
なかなかレアな、スギヤマ日産R87Eですよ。翌1988年にむけて長谷見昌弘選手組に、最終戦から杉山不動産のスポンサードが急遽決まったんですよね。もともと長谷見組にはスポンサーがついておらず、トリコロールカラーで走っていました。エンジンはそれまでの3リッターV6ツインターボのVG30から、同じく3リッターながらV8ツインターボのVEJ30へと換装。対して星野一義組はニチラから社名変更した、カルソニックがダブルネームでついています。そのためか、ル・マンではゼッケン32の長谷見組にもニチラ(
1976年のレースド・ニッポン(筑波じゃなくて富士なのよ)でのひとコマ。オイルショックに伴う不況、排気ガス問題に端を発した環境問題(あんま今と変わんねえな)のために、夏の鈴鹿1000kmも距離を短縮させられたこの頃、富士での耐久レースだというのに3時間と短くなっていました。距離的には優勝車で100周余りなので、450km程度でしょうか。不況やら環境問題やらでスポンサーが集まらなかったのか、軒並みRクラス(ほぼGCマシン)やGTSクラス(ほぼフェアレディZ)は台数が激減。主役は数が減ったとはい
今回紹介するミニカーはトミカリミテッドヴィンテージNEOから"JECSスカイライン(92年式)"です。トミカリミテッドヴィンテージNEOのグループA仕様のスカイラインGT-Rでは初めての"92年式"です。長谷見昌弘さんが前年91年にチャンピオンになってチャンピオンNo.1がゼッケンとなりました。92年もチャンピオンになりましたね。リーボックカラーも嫌いではなかったけどJECSカラーも悪くはないですね。長谷見昌弘さんのチームと星野一義さんのカルソニックチームでスカイラインGT-Rの年間チ
久しぶりのcheese&oliveのサンドイッチこの日はベーコンエッグにしました。具材たっぷりでこんなに大口開けたのいつ以来だろ、と笑うと「コロナでマスク生活になってから口周りの筋肉落ちたよね(^_^;)」それそれ(´-ω-)σところでじくちょーとあおっぴがランチトークかましてるこの空間は私たちの周り以外はサイン会場となっておりました。マスターのお兄様、長谷見
女優・高島礼子さんが、いすゞのジェミニでレースに出ていたそうで。僕、この頃鈴鹿に行ってましたけど、ジェミニのレースなんて知らないんですよ。おそらく何かのビッグレースのサポートレースなんでしょう、純正ホイールを履いてるのでN1程度のワンメイクレースだと思われます。グランドスタンドの横断幕に「長谷見昌弘」の名前がありますが、1987年当時長谷見さんはF3000・GC・耐久・グループAと馬車馬のような忙しさでしたから、鈴鹿でやってないGC以外とはいえ特定は難しいですね。JAFモータースポーツの
1981年に発売された6代目スカイライン。R30型ですね。『スカイラインの系譜(6)6代目R30系』私が大好きなスカイラインの歴代をイラストにして系譜をたどっています。今回は、1981年8月発売の6代目スカイライン、型式はR30型です。広告のキャラクターにポ…ameblo.jp若い方はほとんどご存じないとは思いますが、1980年ごろのサーキットでは「シルエットフォーミュラ」というカテゴリーのレースが大人気でした。正確な表現ではありませんが、まあ、市販車の面影を残したレーシングカーのレース
NISSANSKYLINER31#50Gr.AJTC-1JTC1989ドライバーは長谷見昌弘/アンデルス・オフロソン。第2期GT-R登場の前に日産は800台限定のR31スカイラインGTS-Rを投入。トヨタの70スープラ、フォード・シエラと三つ巴と言いたいところですが実際のところですがフォード・シエラとの戦い。ハセミスポーツのリーボックスカイラインが5戦中3勝を上げてシリーズチャンピオンを獲得。トミカ自体の状態はあまり良くありませんが長谷見昌弘のリーボックスカイラインは外せません
最近、仕事場にR34GT-R乗りがやってきてまじ本物?どうなの?って思ったマーティンですスカイラインといえばレースの長谷見選手を思い出しますが、レース仕様のスカイラインをラインナップしたギフトセットです長谷見スカイラインヒストリー(2001年)もうね表紙からエグゾースト全開です長谷見選手のサインをズバリ表紙オープンで歴代マシンのフォトが飾ります2000GT-RRSターボシルエットPダッシュスカイラインR32ユニシアジェックス同じくユニシアジェックスR33ユ
こんにちは、MP935Tです本日はこちらトミカリミテッドヴィンテージNEOトミカスカイラインスーパーシルエット1982年時は遡る事、13年前の2010年〜2011年トミーテックは1/64スケールでスカイライン、シルビアそしてブルーバードの「日産ターボ軍団」を立て続けに製品化手のひらでありながら圧倒的なクオリティが話題になったのは僅かに記憶しておりますしかし、2012年の1983年後期型スカシルを最後にバリエーションはストップしていました。今回は約10年振りにバリエ
イエローハットYMSトミカZ#3GT500スーパーGT2006ドライバーは横溝直輝/JPDオリビエラ。2006年のリザルトは15位。チームはホシノインパルと並ぶ日産系チームのハセミモータースポーツ。代表・監督は長谷見昌弘。どうしても長谷見昌弘のチームであることが先に来ちゃうよね。メインスポンサーのイエローハットがクラフト34号車から移ってきました。単色ですが安っぽくなく似合ってますね。2004年のイエローハットスープラと長谷見昌弘繋がり。長谷見さんが乗ったレーシングハコ
2月21日、文部科学省スポーツ庁は、モータースポーツ競技の発展に大きく貢献したとして、長谷見昌弘氏と星野一義氏を『令和4年度文部科学省スポーツ功労者』として顕彰すると発表した。この顕彰は、『我が国のスポーツ振興に関し、特に功績顕著な者、多年にわたりスポーツの向上発展に貢献した者』に『スポーツ功労者』として、文部科学大臣が顕彰するもの。令和4年度は6名が授与されることとなり、モータースポーツからは長谷見氏、星野氏に授与されることとなった。両名への顕彰授与について、全日本スーパーフォ
こんにちわいつもブログを覗いていただきありがとうございます。遅ればせながら”あけおめ”でございます。今年も一年、ずずずぃーーっと・・「粒log」をよろしくお願いいたしまする。反省の去年。痩せられなかったわたし。ぶくぶくになってしまった私。ことしこそ!やらねばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー皆さんの今年の目標は・・・?今週のミニカーをご紹介こちら通販では、ミニカーの中でもトミカはいつでも人気。中でも最近入荷した、「スカイライン
長谷見昌弘選手が、グループAでユニシアジェックススカイラインに乗っていた頃の話。実際のところ、コレで富士のストレートエンドで305km/h出ていたそうです。たしかR33をGT500で使っていた頃にFR化されたチームが280km/hしか出てないのに、四駆のままだったゼクセルスカイラインが300km/hオーバーだった…なんて事もありましたね。GTと比べるまでもなく、ダウンフォースを得るためのモノが(純正品以外)ついてないわけで。ある意味「空気抵抗が少ない」状態なんですよね。富士を走るのでペ
ということで、赤くないでしょ?実はコレ、1992年のマカオグランプリ・ギアレースに出たときのもの。ユニシアジェックスといえばこの色。塗り分けも違うので、ずいぶん印象が変わりますね。
こんにちは、MP935Tです。本日はこちらちびっこチョロQレーシングコレクションハセミモータースポーツトミカスカイラインシルエット複数仕様の異なる「スカシル」ですが、こちらは1983年の後期型でR30スカイライン鉄仮面のフロントフェイスになってるもの大きく張り出たフロントスポイラーを支えるかのように車体左右斜め前方向に三角形状が追加されています(伝えにくい)TOMICAのロゴをはじめ、GT-RWORKSなど最低限押さえていますリアウイングもちびっこ丸4灯は印刷
ホビーフォーラムのくるま村さんの展示。そのレベルの高さは驚異的です。1976年、日本で初めてF1の選手権レースが富士スピードウェイで開催されました。レース当日は雨でハントvsラウダの劇的なタイトル争いの顚末は映画にもなりました。当時日本からも4人のドライバーと2つのコンストラクターが出場しました。TトリマーのマキF1とウイリアムズに乗った桑島正美は予選落ちに終わりましたが高原敬武、星野一義、長谷見昌弘の3人が決勝を走り、日本人ドライバーのF1選手権初出場を記録しました。そして長谷見の乗
1994年の全日本GT選手権を戦ったユニシアジェックスGT-R。今、オークションに出されているようですね。詳しくはコチラ。1994NissanSkylineGT-R'JGTCC-GT1'byHasemiMotorsport|Monterey2022|RMSotheby's1994NissanSkylineGT-R'JGTCC-GT1'byHasemiMotorsportforsaleatRMSotheby'sMonterey2022rm