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長谷川良平1930(昭和5)年3月25日~2006(平成18)年7月29日愛知県半田市出身右投右打、投手広島創設時から「弱小」広島カープを支えた投手。ノンプロで活躍していた長谷川は創設された広島カープの入団テスト受け、石本監督の前で得意のシュートでバットをへし折るピッチングに石本監督がほれ込み入団。1950(昭和25)年にセ・リーグに参加した広島カープは勝てない。長谷川1年目で15勝27敗の成績を上げ、カープのエースとして活躍。167㎝の身長ながら、スリーク
皆さんこんにちは二度寝からの三度寝、起き上がる気力がないきららteaです。日曜日だなぁ…ポケん家が終わってしまい、新しいポケモン番組がはまらなくて、その時間に寝ちゃうんだよなぁ…別に松丸亮吾が嫌いじゃないんですけど。それはさておき昨日のカープは、森下くんが「エースで4番」みたいな活躍をしてくれて、それが何と津田以来という投手の4打点だった訳です【広島】津田恒美の満塁本塁打以来38年ぶり1試合4打点、森下暢仁がスクイズ&3点適時三塁打(日刊スポーツ)-Yahoo!ニュース<阪
今までに頂いた野球関係者のサインの紹介。続いては、「小さな大投手」長谷川良平さん1950年にカープに入団。カープ草創期の投手陣を支え、1955年には30勝をマークし、最多勝を獲得。10度の二桁勝利を記録するなど、通算197勝。2001年野球殿堂入り。Duerfusa【Amazon限定ブランド】3枚組洗えるひんやりマスクUVカット吸汗速乾メッシュムレない大人サイズホワイト…Amazon(アマゾン)990円
週間ベースボールオンラインより転載。Yahoo!より転載。長谷川良平「カープ創設期“小さな大エース”の“相手の心理を利用した生活の知恵”とは?」/プロ野球20世紀の男たち10/6(日)16:26配信プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。広島・長谷川良平原爆の爪痕が色濃く残る広島で「デカい人は損しとる。僕は、この体ですごく得をした。あの小さい体でよく
7日、神宮でヤクルト対阪神戦が行われ、ヤクルトは12安打11得点を挙げ、先発の石川も6回1失点と好投し、11対2でヤクルトが快勝して3連勝。阪神戦2連勝となりカード勝ち越しを決めました。石川は今季チーム最多タイとなる5勝目で、現役最多となる通算168勝目。写真はサンスポより。それにしてもこの身長差がいいですね。2回にマルテにソロを打たれて1点先制されたものの、ヤクルトは3回に太田のタイムリーで同点とし、4回には村上の24号3ランと奥村のタイムリーで4点を勝ち越し。5回には押し出しで1点、7回
カープのドクターKは誰でしょう1位は川口和久さん(現TBS解説者)の1938でした。サウスポーから速球と大きなカープで三振を量産しました。シーズン最多奪三振も3度獲得しています。イケメンで、リチャード・ギアに似てますね。2位は佐々岡真司さんの1806です。速球とスライダーが武器でした。佐々岡さんと言えば、自身の引退試合で当時DeNAの村田修一さんにホームランを打たれたのが記憶にありますね。普通は打たないのが常識ですが、ホームランのタイトルが懸かっていた村田さんは本
投球回2000イニング以上ということで、レジェンドたちの名前が並びます。1位は草創期のエース、長谷川良平さん(故人)の2.646です。2位は初優勝時の立役者、外木場義郎さんの2.88です。ボールを切るようなフォームからストレートを投げ込むピッチャーでした。3位は大野豊さん(NHK解説者)の2.90です。4位は大田垣(備前)喜夫さんの2.96です。そして5位はテレビでお馴染みの安仁屋宗八さんの3.08です。安仁屋さんは阪神にも在籍していましたので、その時の数字も
今日からカープに在籍した選手の記録をランキングで追ってみたいと思います。今日はピッチャーの通算勝利数(カープでの数字)です。栄えある1位はほとんどのカープファンの方はご存知と思います。北別府学さん(現ホームテレビ解説者)で213勝を挙げています。1970〜80年代のエースです。「精密機械」と言われた正確なコントロールが武器で最多勝、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞、MVPなどに輝きました。2位は長谷川良平さん(故人)で197勝、球団草創期のエースです。最下位が
三連戦のうち2試合が雨で流れてしまいましたね。天候には勝てませんが、これだけ中止になると、秋の連戦やもしかしたらダブルヘッダーという事も有り得るかも。私が子供の頃には、確か今みたいに6連戦はなく、ダブルヘッダーも普通にあったような気がします。その昔、故長谷川良平さんがエースだった頃には、長谷川さんはダブルヘッダーの第一試合に先発で勝利投手になり、第二試合でリリーフで勝ち、一日に2勝したことがあったそうです。今と違い先発、セットアッパー、クローザーという役割分
背番号32番はカープ草創期のエース、長谷川良平さんから始まりました。長谷川さんが18番になり、石黒忠さん、江原清治さん、管田薫さん、弘瀬昌彦さん、滝村修平さん、三好幸雄さん、飯塚佳寛さん、横山小次郎さん、久保俊巳さん、内田順三さん(現巨人二軍監督)、広島商から入団の永田利則さん(現カープ二軍守備走塁コーチ)、永田さんとのトレードで南海から来た西山秀二さんは1990年代のカープの正捕手でした。ベストナイン、ゴールデングラブを受賞しています。また、規定打席到達したカープのキ
背番号18番は竹村元雄さんから始まりました。小前博文さんの後、「小さな大投手」長谷川良平さんが着けました。身長167cmの小柄な体格で、シーズン30勝を挙げるなど、通算197勝しました。弱小球団だったカープでなかったら、間違いなく名球会入りしていたでしょうね。引退後、カープや中日のコーチを務められ、その後、RCCの野球解説者として活躍されました。西川克弘さん、長島吉邦さん、平岡一郎さんの後、松原明夫さん(福士明夫、敬章と改名)が南海(現ソフトバンクホークス)から移
wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E8%89%AF%E5%B9%B3)より公式での写真が見つからなかったため写真はwikipediaより転載です。小さな大エース、カープ黎明エース等と呼ばれた大投手です。決め球はシュートボール、躍動感のあるフォームからの伸びてくるストレートだったそうです。通算では197勝しており、名球会に一番近い投手です。黒田投手の200勝に向けて現在盛り上