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さっき観に行った林家正雀師匠の会で錦之介の瞼の母が大好きらしく、昨日途中まで観た瞼の母を観る。瞼の母62監督加藤秦原作長谷川伸脚本加藤秦中村錦之介松方弘樹大川恵子中原ひとみ原健策山形勲浪花千栄子星十郎木暮実千代赤木春恵沢村貞子!いいなあ〜、錦ちゃん。乞食の浪花千栄子に金をやるときのセリフ。なんと木暮実千代の手代に若き赤木春恵が!私たちの世代では金八の校長先生のイメージしかないが。声に特徴があるのですぐ分かる。長谷川伸と中村錦之介!最高の取り合わせ!いいな
小説が映像化される際、どのような脚色がなされたのかを検証する連載「映像と小説のあいだ」の最新回が更新されました。今回は「関の彌太ッぺ」原作の根底にあるイズムをさらに色濃く浮き上がらせた名脚色の分析ですhttps://shosetsu-maru.com/yomimono/essay/eizotosyosetu/37連載第37回「映像と小説のあいだ」春日太一|小説丸小説を原作にした映画やテレビドラマが成功した場合、「原作/原作者の力」として語られることが多い。もちろん、原
味噌汁の旨しを食べて寒の朝相原秀樹私の居室は阿夫利神社に対しています。朝、窓を開けるとそこには阿夫利神社の社務局が正面です。この建物は山腹の阿夫利神社下社の事務をする所です。昔、この建物は翠楼閣(すいろうかく)で大磯の滄浪閣(そうろうかく)に対していました。阿夫利神社の初代の宮司は権田直助翁です。明治の国学者で勤王倒幕の志士でした。國學院大學の前身の皇典講究所の設立に力を注ぎました。勤王の志士は明治政府設立時は要職につきましたが後に皆疎まれ地方の神社の
詳しく知っているわけではありませんが、昭和初期のヨコハマでは文芸活動が盛んだったようです。横浜出身の作家長谷川伸氏が若者たちをバックアップ、彼出身の新聞社の演芸欄が賑わいました。当時の文芸人が再び動き出したのは戦後世の中が落ち着いてからで、その人たちがたむろする場所の一つであった石川屋は未だ現存。63年の海外生活に終止符を打ちヨコハマに舞い戻った私は元町をぶらつく度に入ってみたい思いに駆られていたのです。機会は待つものではなく、作るものだと
シネマヴェーラ渋谷帰ってきた!新東宝のディープな世界より製作:新東宝監督:渡邊邦男脚本:三村伸太郎原作:長谷川伸撮影:友成達雄美術:梶由造音楽:松井八郎出演:島田正吾辰巳柳太郎河村憲一郎水原真知子宇治みさ子花柳小菊石山健二郎秋月正夫清水彰野村清一郎二木テルミ1955年11月22日公開旅鴉の彌太郎(島田正吾)は甲州街道の菲崎の宿で、女歌舞伎市川喜久之助(花岡菊子)一座の楽屋を覗き、気安い仲の扇昇(花柳小菊)から、土地の顔
時折り、このブログで紹介している経営雑誌「理念と経営」の11月号が届いた。その中でおもしろいインタビュー記事を見つけたので、紹介をしておきたい。宗教学者の山折哲雄先生のインタビュー記事である。山折先生はオン歳94歳になられたが、今もなお〝かくしゃく〟としておられる。かつては、国際日本文化研究センターの所長を務めておられた。その方が、「親鸞の行年を超え、過激になった昨今の私」などと語っておられる。楽しそうな記事だ。その記事でも、後半に差し掛かったあたりから
8月21日新入荷情報につき、現在の状況についてはこちらをご参照ください。⇒https://t.co/0w2iJ5yYS1?amp=1または、お電話にて御確認いただければ確実です。お手数をおかけいたしますが、宜しくお願いいたします。ニール・サイモン戯曲集Ⅰニール・サイモンヤケシミ少汚れ少傷み¥800ニール・サイモン戯曲集Ⅱ酒井洋子他訳ヤケシミ汚れ少傷み¥800演者の目市川猿之助ヤケシミ少汚れ少傷み¥2,000(旧版)ニール・サイモン戯曲集Ⅲ
劇団戸田を初めて見て2年ちょい。正直人数少ないんで舐めてました。芝居がスカタンやないかと。そんなことはなくちゃんとしてる。構成が見事や。再構築してる。人数たらんからばっさりカットとかない。話の辻褄合うように替えてる。当然ゲスト来ないとできない芝居あるが、長谷川伸原作者など、有名どころのいい芝居抑えてる。若葉劇団の芝居もあり、バラエティーに富んだ芝居の量と質。外れがないのは凄いで。舞踊ショーも人数少ないなりに工夫してバラエティー富むようにしてる。すす。丸のときに書いたが、ゆうたの
運、不運はそのときだけのもの、運がのちに不運ともなり、不運がのちに運のもとになることがある。長谷川伸
横浜ゲーテ座記念岩崎博物館1885(明治18)横浜居留地の外国人たちの発案でフランス人建築家サルダの設計によって建てられた「ゲーテ座」跡地に建つ岩崎ミュージアムに行ってきましたゲーテ座は1891年5月初めて外国人一座で「ハムレット」上演。坪内逍遥、北村透谷らが観劇。関東大震災(1923)で崩壊するまで長谷川伸、小山内薫、谷崎潤一郎、芥川龍之介、大佛次郎らが通ったそうですパンフレットには名前が無いけどこちらには「長谷川伸」の名がありました岩崎ミュージアムは岩崎学園横浜洋裁学校(現横浜
5月18日日曜日〜その4P557に、亡師・長谷川伸の原作「荒木又右衛門」をテレビでやったので、二時間余もかかって全部を観た…との感想が記されている。(写真)蔵書の朝日新聞社刊『長谷川伸全集』十六冊揃いの第四巻に「荒木又右衛門」がございます。
某日。大岡川沿い、黄金町辺りでマーケットをやる、はずだった日。いちんち雨。やったのかしら??夜、日の出町辺りへ行ってみるとーー咲いた咲いたサクラが咲いたお店テントも出とるやん。ちぇりり場もうちょっとはやけりゃ、テント開いてたかなあ。人おらんなー夜桜はこれで終わりかのう長谷川伸にサクラ降り積む(˙꒳˙)生きるとはーーーーほんわり今年は桜の見頃が難しいなー目いっぱい楽しむ時期は逃した気がするこれはこれでステキだけんどの寒いのでささっと帰りましたこれは透析の帰
『沓掛時次郎(くつかけときじろう)』は、1928年に『長谷川伸』が書き下ろした戯曲博徒の男が、行きがかりで殺害した男の妻子とともに旅をする物語です長谷川伸原作の股旅映画のうち『瞼の母(昭和37年)・『関の彌太ッペ(昭和38年)』『沓掛時次郎遊侠一匹(昭和41年)』の三作品は、いずれも甲乙つけがたい名作ですが私が一番好きなのが『沓掛時次郎』『沓掛時次郎』は沢田正二郎により新国劇の舞台で上演されたのが最初で、その後何度も映画化(8本)されています。沓掛時次郎を演じた映画
八ツ時の紅佳@向じま墨亭⭐︎一席目〜『梅若権現縁起』隅田川上流に梅若塚伝説で知られる「木母寺(もくぼじ)」というお寺さんがあります。毎年4月15日に梅若丸大念仏法要が行われていますが、今年は講談の時間が設けらて、神田紅佳師が口演する由。紅佳師は、寺の住職に取材し、一から本(梅若塚権現由来)を書き起こしたと言います。その初読みが一席目となりました。薄幸な母子を悼む心情をしんみりと、しかし平安時代の貴族の話なれば品良く…詩情豊かに語ってくれました。【梅若塚伝説とは
明治が産んだ『大衆文学作家』といえば『長谷川伸』がすぐに浮かびます。横浜市日ノ出町の土木請負業の家に生れながら父親の放蕩などで実家が没落以後色々な職業を経てその頃新聞のルビを読んでは漢字を覚え芝居評を新聞社に投稿それが縁で新聞社の雑用係として入社した騎砲兵第一連隊に入営・除隊後、横浜毎朝新報社に入社新聞記者時代に副業としてペンネームで戯曲など執筆弟子のひとりに時代劇作家の『池波正太郎』がいます。『長谷川伸』は時代劇を多く手がけているが最も得意としていたのが『股旅物』
日ノ出町まで歩いた時さ。交番をこえてーこんなとこにもぽつりと春節ヾ(*ΦωΦ)ノヒャッホゥこちらはーラーメン屋さんになっちゃってたー牡蠣塩ラーメンですってよ季節物っすかー??や!?大岡川にーーーこんなポイントが!(´・∀・`)ヘー歩いてみるもんねーこれは??中華なお獅子ちゃんやんそうだよペロリーーーンうっほっほー!!夜はステキそうねぇ日ノ出桟橋のとこやよ長谷川伸のとこで、町側にまがりますよ
長谷川伸(´Д`)。大正時代から昭和にかけて活躍した大衆文芸作家で、次々とヒット作を送り出して一時代を築いたことで知られ、弟子に池波正太郎らがいます。今回、「長谷川伸著ゆかりの地」と書かれた案内板を見つけたので、紹介します。長谷川伸著ゆかりの地案内板こちらがその案内板です。金沢の浅野川沿い、中島大橋の近くに立てられていました。長谷川伸自身は神奈川県生まれですが、著書の「日本敵討ち異相」第二話『山本孫三郎』は、江戸時代の天保四年(1833)から弘化三年(1846)の金沢藩
1月30日木曜日〜その7資料整理に勤しむ。(写真)昨年末、東京古書会館地下で開催された『第461回ぐろりや会古書目録』に出品されていた、浪曲名人梅中軒鴬童師匠が作家長谷川伸氏に宛てた、従軍出発報告ハガキ。還暦を迎えてからは資料収集を控えていますので、購入希望の申し込みを見送りました。
12月1日日曜日〜その21時半に眠る。3時20分、目が開く。ねじめびわ茶、のむヨーグルトプレーンで喉を潤す。うどんや一夜薬のどしょうが飴を舐めながら『夜明けのブランデー』を読む。P93〜96「時間について(一)」には、池波正太郎さんの亡師・長谷川伸の「荒木又右衛門」の新聞連載時の話が記されている。(写真)地下資料室にある『長谷川伸全集』第四巻に所収された「荒木又右衛門」。
明治座での十一月花形歌舞伎、昼の部の「一本刀土俵入」です。長谷川伸の人情劇で、3代目・猿之助と9代目・幸四郎の当たり役。中村屋でも代々大切にしています。まずは、全体の印象が決まる「取手の宿」。この芝居は、北関東の風情がたっぷり味わえます。我孫子屋の前にいる酌婦は、今まで7人の茂兵衛と6人のお蔦と共演してきた梅花。この梅ならぬ昆布茶のような味わい。相棒の國久も渋い。そこに喧嘩の大騒ぎ。市蔵と亀蔵が卒業気味の中、ちんぴらなら吉之丞か、いてうか(?)その、いてうが大あ
『長谷川伸シリーズ』第三話『雪の渡り鳥』テレビ映画トーキー55分カラー放映日昭和四十七年(1972年)十月十八日放送局NET系企画マキノ雅弘渡辺洋一翁長孝雄原作長谷川伸プロデュ―サー上月信二郡杉昭秋田亨小倉浩一郎田村嘉脚本さわさかえ音楽木下忠司出演杉良太郎(鯉名の銀平)江原真二郎(爪木の卯之吉)小栗一也(五兵衛)中山昭二(大鍋の島太郎)
『長谷川伸シリーズ』「人斬り伊太郎」テレビドラマトーキー60分カラー昭和四十七年(1972年)十一月二十九日放送放送局NET系企画マキノ雅弘俊藤浩滋翁長孝雄プロデューサー秋田亨小倉浩一郎畑利明脚本鈴木兵吾音楽木下忠司演奏スクリーン・ミュージック主題歌『旅鴉』唄五木ひろし出演丹波哲郎(伊太郎)鰐淵晴子(おふう伊太郎の母二役)川地民夫(与吉)松平純子(七三郎の妹)成瀬正孝堺左千夫(七三郎)深江章喜(桶熊)藤
長谷川伸が子供の頃、貧しさゆえに学校にも行けずタバコ屋の店番をしていると、チャキ(スリ)が煙草を買いに来て、長谷川伸の指をいじりまわし「いい指をしている」と言ったという。それが巾着切り(スリをはたらくこと)にもってこいの指だという意味であったということを後に知ったと、長谷川伸はその著「ある市井の徒」でいう。この自伝的随筆の奇妙さは、長谷川伸の幼少年期における不遇をこれでもかというほど開陳しておきながら、世間に対する恨み節めいた、陰性の湿っぽさを全く感じさせないことだ。その筆致は
『磯の源太抱寝の長脇差』映画無声オリジナル8巻断片1分現存白黒昭和七年(1932年)二月四日封切製作国大日本帝国製作会社嵐寛寿郎プロダクション配給新興キネマ原作長谷川伸『源太時雨』脚色山中貞雄撮影藤井春美配役磯の源太嵐寛寿郎伊佐和の勘太郎市川寿三郎お露松浦築枝七兵衛嵐橘右衛門吾平尾上紋也小田切定一郎頭山桂之介三島の弥吉片岡市太郎矢切の伝右衛門玉島愛造本田三郎太菊
7月13日土曜日〜その4原武史著『歴史のダイヤグラム〈2号車〉鉄路に刻まれた、この国のドラマ』を読む。P198、信越本線(現・しなの鉄道)の沓掛駅(現・中軽井沢)が出てくる。(写真)下車10分の長野県北佐久郡軽井沢町の長倉神社に、長谷川伸原作「沓掛時次郎」碑がございます。私は、S63年5月17日〜18日、軽井沢に滞在した折に見学しました。
友人と八尾の風の盆を見に行く約束をしています。数年前から行きたいねって毎年話していましたが、今年は叶いそうです。富山に行ったついでに下見してきました(笑)長谷川伸の碑がありました。この町がお好きだったのですね。「長谷川伸」知ってる人も少なくなってるのかなあと思いました。町の人に聞いたところ、この道に観客が二重三重になって歩くのもままならないことになるそうです。もちろん踊りがある町並みは歩行者天国で、駐車場はちょっと歩かないといけないとか。曳
(前回「中山道摺針峠」より続く)摺針峠を出て、中山道を番場宿に向かいます。番場宿は、中山道62番目の宿場町で、秋里籬島『木曾路名所圖會』によれば、磨針嶺をこえて坂路をあゆめば、程もなく番場の驛にいたる。此宿は山家なれば、農家あるは樵夫ありて、旅舎も麁なり。番場の集落に入っていくと、「番場史料館」。私は近代美術のことはよくわからないのですが、彫刻家泉亮之(すけゆき)の生家とのことでした。ところで、この番場宿の名所と言え
今のおまえが『自分は不運だ』とがっかりしたら、一生の負けで終わりになる。長谷川伸あなたが傘を選ぶときのポイントは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう股旅新八景(長谷川伸傑作選)Amazon(アマゾン)
4月中旬から再び4週連続で岐阜・柳ケ瀬に“プチ遠征”して、ロイヤル劇場の上映作を見ました。最初の2週は「萬屋錦之介人情時代劇特集」と銘打った1960年代の東映作品2本。その後の2週は「何度でも観たい!松竹映画傑作選」と題した70年代の松竹作品2本で、『砂の器』『八つ墓村』はいずれも監督・野村芳太郎、脚本・橋本忍です。企画タイトル「萬屋錦之介人情時代劇特集」ですが、できれば「中村錦之助」と表示していただきたかったかな。上映作の『瞼の母』と『沓掛時次郎遊侠一匹』はいずれも監督・加藤泰。3