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両国から錦糸町に移動しました。山門本堂本法寺日蓮宗に属する本法寺は、妙栄山と号します。本法寺は、文禄4年(1595)寿明院日慶上人が神田に土地を拝領して創建、慶安2年(1649)上野谷中へ、元禄2年(1689)当地へ移転したといいます。御首題最初の参拝時には、奥様しかいない為御首題NGでした。2ヶ月後にいただきました。本法寺には、狩野元信・伊藤宗印・長谷川一夫・三代目三遊亭圓歌の墓があります。
12月16日火曜日〜その4RESTAURANTsumileOSAKAピーカンナッツを摘みながら、松田美智子著『サムライ評伝三船敏郎』(H26年1月10日文藝春秋)を読む。P22では、三船さんが東宝ニューフェイス試験を受けた時の審査員の中に、長谷川一夫さんの名前が有る。(写真)菊水丸コレクションの長谷川一夫さんの宣材。
本日は香川京子の生誕94周年となります。それを記念して彼女の作品を紹介します。■香川京子1931年12月5日茨城県出身1949年新聞社主催のオーディション「ニューフェイス・ノミネーション」に合格し、新東宝に入社。1950年『窓から飛び出せ』でデビューする。1953年フリーになり、多くの巨匠たちの作品に出演。1965年『赤ひげ』に出演後、新聞記者だった夫の赴任先、米ニューヨークに同行し、3年ほど芸能活動を休止。帰国後はTVドラマや舞台への出演も増えた。『近松物語』(19
1951年大映監督佐伯幸三出演長谷川一夫水戸光子長谷川裕見子澤村国太郎東野英治郎時代劇全盛期のスター長谷川一夫主演の映画です長谷川一夫は正体を隠して下町の長屋に住んでいる旗本長谷川一夫が店で酒を飲んでいるところに、やけ酒を飲んで酔っ払っている女がいた女は浅草界隈の親分のところから逃げてきた女(水戸光子)だった・・・・このあと、浪人のふりをしている長谷川一夫が、女のためにも、親分が役人とつぶそうとしている下町の長屋のためにも大活躍ですぼくの
時代劇が大好きな舟木さん。その思いの出所は、興行師をしていた父上の関係で、映画館ではフリーパスで入れたことだそうだ。昭和20年代から30年代まで、映画界が全盛の時代。その後テレビの出現で、衰退していく映画界だが、邦画は新東宝も含めて六社。毎週のように新作が各映画社が2本製作されていた時期で、年間600本近くの映画が製作されていた事になる。洋画もアメリカ映画が中心ではなく、フランス映画、イタリア映画
「赤穂浪士」39年の1月、NHKで「赤穂浪士」が始まった。僕はそれに矢頭右衛門七で出演することになった。僕にとっては初めての時代劇である。推薦してくださったのは、作家の村上元三先生で、このテレビドラマの脚色者である。先生は僕が歌っているテレビ舞台をご覧になっていて、「舟木一夫という歌手は中々やるじゃないか、『赤穂浪士』に使って見たら」と演出の井上博先生に話されて、そこで初めて僕のチョンマゲを付けた姿が、初めてブラウン管に登場したという次第である。が、この『赤穂浪士』は大石良雄の長
楊宋資(華風)が担当する現場で仕事を始めることになった憲治(長谷川一夫)はみんなに歓迎される。そして紹介されたのは陳蘇延(藤田進)。兄を撃った男である。佐野(鳥羽陽之助)は懸命に働く陳の貢献を高く評価し、憲治も彼を受け入れる。そして乱射音。共産匪による襲撃だが、もうあわてる者はいない。*****共産党をおそれるおじ、李高福(高堂国典)に党からは離れて道路建設を支援してほしいと、月琴(汪洋)とともに言う芳梅(李香蘭)だが、おじは考えておくとしか言ってくれない。仕事帰りに芳梅と出くわした憲治
建設総暑では、共産匪による犠牲者が増えており、雨季における物資運搬の困難さもあって防共ルートの建設を中止することが望ましいという意見がある一方、治安は道路完成によってこそ維持できるという主張もある。第六区担当の楊宋資(華風)は中止すれば農民たちは共産党にさらに苦しめられることになると言い、殉職した杉山一郎のことを話し始めると感極まって言葉にならない。そして、大川博士(丸山定夫)は、一郎が道路建設と日支親善のことだけを考えていたと話し、また東亜新建設のために次男、憲治(長谷川一夫)を従事させてほし
楊宋資(華風)が担当する第六区を見学させてもらうことになった憲治。一方、芳梅は月琴と列車でおじのところへ向かう。おじの村では、測量段階で破壊しないと村民が「日本軍に心服」してしまうと八路軍が懸念する。*****第五区の測量作業は順調のようだったが、八路軍に扇動されているらしい村民からの承諾を得られない。銃を持たずに自ら説得に行く杉山。道路建設のために牧場の一部を譲ってほしいと地元の富豪、李高福(高堂国典)を説得しようとするが、杉山は通訳がでたらめなことにすぐ気づき、正しく通訳するように
長谷川一夫と李香蘭が主演した「白蘭の歌」「支那の夜」とともに、「大陸三部作」と呼ばれたりする最終作。映画製作に関する支援と協力について「中華民國建設總暑に對し茲に深甚なる謝意を表す」。*****新しい万里の長城を築くのだとの願いを同僚の佐野(鳥羽陽之助)に語る土木技師の杉山一郎(江川宇礼雄)。北京から西安までの新防共道路の建設に関する当局の方針が決まり、第一期工事着手について共産匪による妨害など、好条件は何もないと大川博士(丸山定夫)が話す。第五区を担当することになった杉山は万里の長城の
<第20回>――このお芝居について周りは私には出来ないって猛反対したんですが、橋蔵ちゃんが「僕が仕込むから」っておっしゃってくれたの。後でお話ししますが、私が橋蔵ちゃんの舞台の最後の相手役になってしまったんです。相手役に渡しを選んでいただいたのは、以前に私がフジテレビの「銭形平次」に出演した時の経緯があったからなんです。当時、私は六代目尾上菊五郎さんの大ファンで、銀座・和光の上の階のホールで菊五郎展が開かれた時は飛んで行ったほど凝っていたんです。橋蔵ちゃんはその菊五郎さんのお弟子さんな
大騒ぎのカフェにやってきた康吉(長谷川一夫)。乾杯を繰り返している徳雄(斎藤秀雄)が「何しに来たんだ?」。「帰れ。お前は何のために満州へ来たんだ?」「僕は兄さんのために満州へ来たんじゃないんだ」「馬鹿野郎!」。徳雄を殴る康吉。「お前はどうしてそうひねくれるんだ?」*****荒天の夜。康吉の宿舎にたどり着いた雪香(李香蘭)は再会をよろこぶが、部屋にいる京子(山根寿子)を見て「神さまの思し召し」という杏子(霧立のぼる)の言葉を思い出す。嵐の中へ出て行く雪香。何度も手紙を出したのに返事を
「前篇」と画面に出てくるものの、どこからが「後篇」なのかわからない。どうやら「総集編」らしいが、セリフが唐突だったりする場面がある。また、中国語の日本語字幕が白地に白字で読めなかったりもする。しかし、すでに「映画字幕字体」。程資文は共産主義者のはずだが、建設隊を襲撃するまでに中国正規軍の司令になっている。前篇と後篇のどこかに描かれているのかもしれないが、総集編では事情がわからない。そして、満洲映画協会に所属していた俳優の共産革命後の運命は?*****昭和十一年(康徳三年)の奉天。李雪香(
小十郎に襲いかかる奴を手で押し込むとバランスを崩して後方の井戸に見事に落下!その反動で滑車が動き上り切った桶の中から水!落ちた男を覗いた、奴の仲間二人に水が襲う!これは愉快だった。それにしても、この手の作品にたまに見られる井戸落ち。井戸に落ちた人はその後引き上げられるのか?また、井戸の水質は大丈夫なのだろうか?当時は、どうやってそれを調べていたのか?気になる…↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
女性が身代金として掛けられた50両それを完済した旨の覚書めちゃ達筆。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
長谷川一夫。この時43歳渋くてかっこいいオジサマ。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
今回鑑賞したのは、この作品。1958年に大映京都で製作、公開された「命を賭ける男」。主演は長谷川一夫さんで、市川雷蔵さんは旗本役で出演している。白井権八は、旗本の連中に喧嘩を売られたところを幡随院長兵衛に救われる。権八を気に入った長兵衛は自宅に迎え入れた。長兵衛の子分に連れられ吉原に出向いた権八は、初恋の相手に瓜二つの小柴と出会う。折悪しく、吉原に来ていた旗本が小柴を指名、争いごとになりそうになった時、長兵衛が登場、旗本の水野十郎左衛門と対峙する。その後、権八が起
note連載、宍戸大全さんのインタビュー第3回を更新しました!※会員登録なくとも購読可今回は京都におけるスタントマの誕生秘話です。宍戸さんは黎明期をいかにして切り拓いたのか――。長谷川一夫・発、伊藤大輔・経由、岡田茂・行!https://note.com/tkasuga1977/n/ncd07a23f6cb9「最初のスタントマン」はいかに誕生したのか?宍戸大全さんインタビュー#3|春日太一宍戸さんのインタビューの第3回です。スタントマンの草分け的存在である宍戸さんですが、スタ
ここ数年は舞台公演のない舟木さんですが、舟木一夫特別公演の座組と一人と言えば、長谷川一夫さんの娘さんの長谷川稀世さんです。稀世さんの娘さん、長谷川一夫さんの孫娘でもある、長谷川かずきさんも常連です。長谷川一夫さんと言えば、昭和の代表的な時代劇スターであり、舟木さんはデビューの翌年に、長谷川一夫さん主演のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」で大石内蔵助を演じ、舟木さんは浪士の一人、矢頭右衛門七を演じ、その縁から、お芝居のイロハも教わるようになります。その後、「銭形平次」の大川橋蔵さんからも時代
舟木一夫
・・・(カンヌ国際映画祭グランプリ受賞)やNHK大河「赤穂浪士」の大石内蔵助・役で知られる。国民栄誉賞を受賞した伏見出身の俳優は?「長谷川一夫」は、伏見の酒造家の子で、初代・中村雁治郎(成駒屋)の長男の部屋子として「林長丸」の芸名をもらった。昭和2年、松竹映画に移籍し、「林長二郎」と改名して出演した『稚児の剣法』が大ヒット、『お嬢吉三(キチサ)』『乱軍』との3作で時代劇映画のトップスターとなった。松竹から東宝に移籍して芸名を「長谷川一夫」に変え、更に大映移籍後、
長谷川一夫さん長谷川稀世さん長谷川かずきさん神田明神にて
『地獄門』1953年遠藤盛遠(文覚)と袈裟御前の話。関係者はこの三人。左から、強引な田舎武士の遠藤盛遠(演・長谷川一夫)、真ん中が御所の侍渡辺渡、右がその妻の袈裟御前(演・京マチ子)。平清盛の厳島詣の留守を狙って起された平康の乱で、焼討をうけた御所から、平康忠は上皇と御妹上西門院を救うため(移動させるため)身替りを立てて敵を欺くことにした。「誰か上西門院の身代わりになってなってくれる者はいないか」の言葉に、たった一人「私が」と志願したのが袈裟御前(↓右)。院の身替り
「支那の夜(上海の夜)」「支那の夜(上海の夜)」全編1940年(昭和15年)6月5日公開。長谷川一夫と満洲映画協会の看板スター・李香蘭との共演。当時の上海の風景が見れる貴重な映画。当年度日本映画第一のヒット。脚本:小国英雄監督:伏水修キャスト:長谷哲夫:長谷川一夫桂蘭:李香蘭山下仙吉:藤原鶏太(釜足)三浦とし子:服部富子張子仙:汐見洋山崎文之助:御橋公池田(船員):嵯峨善兵あらすじ:船員長谷哲夫(長谷川一夫)と山下仙吉(藤原鶏太)は
昭和の銀幕のスター市川雷蔵の映画デビュー70周年を記念した映画祭「市川雷蔵映画祭刹那のきらめき」。名古屋では伏見ミリオン座でセレクトされた16作品の上映ということになりましたが、私はスクリーン未見の3作品∔2本の作品を鑑賞しました。本日のブログ記事は、スクリーン未見の1957年の公開映画『源氏物語浮舟』。映像は正方形に近いスタンダードサイズのカラー作品で、監督は衣笠貞之助。セットや衣装もドラマのテンポも“王朝絵巻”風です。伏見ミリオン座(シニア会員1,200円)。『源氏物
5月24日土曜日〜その43時半に休む。6時15分、目が覚める。ねじめびわ茶、ヤスダヨーグルトで喉を潤す。GateauRuskGOUTERdeROIを摘みながら『ビギン・ザ・ビギン−日本ショウビジネス楽屋口−』を読む。P155では、戦時中に長谷川一夫と笠置シヅ子が青函連絡船に乗る筈が、笠置が遅刻をして一行は其の船を見送ったが、船は爆撃されて沈み、笠置シヅ子の遅刻で命拾いをしたという話が出てくる。(写真)菊水丸コレクションの長谷川一夫丈の宣材。
御所の東側にある、京都市歴史資料館です。「京歴的京都案内」と題し、所蔵品の一部が展示されています。入り口に、今も残る三条大橋の擬宝珠。落語の祖で誓願寺の住持だった、安楽庵策伝ゆかりの品。その説教と笑話をまとめた、「醒酔笑」です。続いて、魚市場の資料。観光客で大混雑の名所もいいけれど、こんな資料館もいい。明治時代の、魚問屋の引き札です。まさにアナログな、当時の資料が貴重。ここから、キネマの町らしい品の数々。
5月5日月曜日〜その6P104では、長谷川一夫が七十五歳で死去と書き留めておられる。(写真)菊水丸コレクションの長谷川一夫さんの宣材。
1965年公開の日本映画『炎上』を鑑賞しました。(※画像お借りしました※)70年近くも前のとんでもなく古い映画ですが三島由紀夫が実際に起こった【金閣寺放火事件】を題材にした小説「金閣寺」を映画化というのでこれは三島ファン←としてはどうしても見たくて鑑賞しました(笑)(※画像お借りしました※)ザクッとあらすじ昭和19年。京都の驟閣寺に父の遺書を携えてやってきた中学生の溝口吾市(市川雷蔵)は父の親友で驟閣寺の住職・田山道詮老師(中村鴈治郎)の好意で徒弟として住むことになる。(※画像お借り
1954(昭和29)年、黒澤明監督の映画『七人の侍』が公開された。東宝が製作・配給。主演は三船敏郎と志村喬。モノクロ、スタンダード・サイズ、207分。日本の戦国時代が舞台であり、貧しい農村で野武士の略奪に苦しむ農民たちは侍を雇って町を守ろうとする。かくして集められた七人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語。七人の侍[Blu-ray]Amazon(アマゾン)おすすめの邦画は?映画、劇場でもTVでもあまり観ませんね。新しいのは特に。古