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城を観る今回は...(撮影2019/03/05)長篠城〜解説板長篠城址〜長篠の戦いの長篠城ね。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,528円Amazon
青春18きっぷを利用して、名古屋09:31→JR東海道本線新快速・豊橋行→10:28豊橋10:42→JR飯田線・岡谷行→11:39長篠城、(1,980円)長篠城駅は無人駅。降りたのは私含め5名。なんと全員が駅から徒歩約8分の長篠城址史跡保存館に向かって歩いていきました。日本100名城、長篠城史跡保存館は210円。ベビーカーと共に入ってきた若旦那が奥さんに武田信玄がどーだ、長篠の合戦の鉄砲があーだ、と熱く大きな声で説明していました。長篠城址から出て外側から見ようと歩きました。途中、鳥居
こんばんは。さあて、今回はですね、作手6城のおさらいとして、前回制覇した塞の神城址を訪れた時に短時間で他5城も簡単に攻めて来たので、その時の話をしたいと思います。そもそも作手6城とはなんぞや?と、お思いでしょう…今では新城市に吸収合併されていますが、それまでは南設楽郡作手村と言う場所で、標高550メートルの高原地帯です。その土地に存在した小豪族(上州から流れ居着いたとの事らしいですが)で、主家は、今川、徳川などで、(武田家の三河侵攻により、一時期は武田家を主家とした)特に長篠の合戦後に奥平
「無名にして有名な武士」本書の主人公である鳥居強右衛門は、「はじめに」にそう題されるような人物です。無名なのは彼の生前の動向がほぼ不明で、当時は世の中に知られていなかったであろうと思われるため、有名なのは彼の死に際の行動が「武士の鑑」と評されるようになったため。つまり鳥居強右衛門は死後に圧倒的な知名度と名声を手にした人物の一人です。彼が死の間際に行った行動は「1575年の長篠の合戦前に、落城寸前の長篠城から援軍を求める使者として城を脱出し、徳川家康から援軍の確約を得たこと
10月26日、ラグビーワールドカップ準決勝第1試合で、ニュージーランドとイングランドが対戦した。ニュージーランドは世界ランキング1位、イングランドは同2位。ともに優勝候補同士の戦いであったが、ニュージーランドとイングランドの通算対戦成績では、ニュージーランドが33勝7敗1分けと、イングランドを圧倒していた。対戦当日、試合開始を前にしてニュージーランドのオールブラックスは、矢じりのような三角形の陣形を組み、恒例“ハカ”の踊りでイングランドを威圧する体制をとった。と、ここまではいつ
武田軍団は強かった???高校生の頃から、戦国ものの歴史小説をずいぶん読んできた。下剋上や手に汗握る駆け引きと戦の物語は本当に面白かった。長篠の合戦もその戦いのひとつであろう。ところが、さる先生によると、勇名を馳せた武田騎馬軍団も誇張されているとおっしゃるのである。最近は、長篠で迎え撃つ織田徳川連合軍の鉄砲三千挺の三段打ちは怪しい。せいぜい千挺程度の鉄砲衆が勝手に玉を込めて打ったらしい。それでも考えてみれば、1000挺とは圧巻だ。武田三代の栄華の幕を閉じさせるには十分な威力だ。
いよいよ旅行四日目。最終日です(*^▽^*)☆:。+:*・.。+;*・゜まず最初に行ったのは岡崎。徳川家康生誕の地です。こんなところにも葵の紋が。細かい演出が嬉しいですね♪敷地内に入るとまず左手にあるのがこちらの電話ボックス!う~~~ん、可愛い(笑)からくり時計が突然稼働(笑)00分と30分に動き出すようです。本多忠勝像。蜻蛉切りが雄々しいですね!そしてやっと見えてまいりました、岡崎城!!現在周りの建物の改修工事していて、なかなか良いアングルを探すのに苦労しました(
旅行三日目(*^▽^*)☆:。+:*・.。+;*・゜名古屋の朝と言えば小倉トースト!!と、目星をつけておいたお店に行ったのですが、開店時間を過ぎてもなぜか開いておらず。。。少し待ちましたが、定休日なのかと諦めてぐるぐると散策。。。意外と小倉トーストをおいているお店が無いことに驚きながら、その後の予定もあるので目の前にあったコメダ珈琲店へ。コメダさんは大好きなのですが、地元にも普通にあるのになぁ。。。なんて。。。(^^;いや、美味しかったんですけどね♪そしてホテルに戻る時に最初
・・『Zipangu』IsJapaneseBigPictureFirst.PleaseDon'tKorea❗️Truth・・真実は動き始めたTheXXXFiles・・・19th.FutureGeneration!真実と闘え・・・ZipanguIndependenceBanzai⁉️GoNow‼️NoTimes❗️NoPlace⁉️WeAreSumerJapanese・・BackTo『夢幻の天
★4年前の思い出今日は長篠の合戦の日!織田信長対武田勝頼。馬防柵と鉄砲隊で織田軍が圧勝。戦国最強武田軍団が敗北した日です。実は織田家は神主の家柄です。伊勢神宮への寄進も多いです。武田勝頼も諏訪神社の神主です。意外なことですが神主決戦となりました。最後、天目山に落ちる勝頼を陰ながら護衛したのは信長の軍隊でした。ライバルが野武士にやられてはいけないと思ったのでしょう。最後、武田の太鼓が鳴り、百回なった後、自刃しました。日本初の近代戦でした。火薬を用いるのを近代戦とい
おかみです連休の疲れが出てませんか〜?ゴールデンウィークが終わってから始めての週末です。うちは連休と言っても、2日間の連休だったので、あっと言う間に終わりましたそして、今年も行きましたよ長篠合戦のぼり祭り!すごい人!はじめはブルーシートに座って見てたけど、日差しが暑くて、日焼けしちゃいそうでも相変わらず、凄い迫力火薬の匂いも手伝って、迫力満点ですお昼の時間になると売店からいい匂いがしてきますここで食べる三河フランクがめっちゃ美味しかったです〜肉汁たっぷりでビール🍺飲みたく
長篠の合戦こちらもねぇ歴史を知る上で必要な部類だよねぇ
2019年前半、世界はあなたに大胆な開示を求めてきます。それはいったいなにか?あなたの心の本丸へと続く道、そのゲートを開くことと本丸の情報をさしだすことがまさに、”宇宙が求める岩戸開き”です。あなたの本丸にあるもの、それは=あなたの本質であり、本来の才能。そしてゲートを開くとは余計なオブラートをはずしていくことです。ただ、それをするために、かなり大掛かりな浄化の波があなたを包んで行くことになります。あなたの周りにある”余計なもの”、”notof
今日は寒かったですね。皆さまのお住まい、雪は大丈夫ですか?雪の心配をしながら東へ向かいました。帰途の新東名下り線、長篠設楽原サービスエリアに立ち寄りました。長篠…長篠…そう!長篠の合戦のあの長篠。戦国時代の武将達のグッズ売り場が充実。歴史好きの娘、テンション⤴️⤴️⤴️今は各サービスエリアがカラーを持ち、楽しいですね。
『甲陽軍鑑』によりますと、勝資は三〇〇騎を指揮する立場にあったようですが、その数は、譜代の家老衆の中で山県昌景(やまがたまさかげ)とともに二番目に位置しているといいます。その『甲陽軍鑑』が勝資を佞臣とする張本人です。剛勇一点張りの勝頼が勝資ら一部の佞臣の言だけを用いて武田を滅亡に導いたとするのが『甲陽軍鑑』の論調です。その象徴が、天正三年(1575)五月の長篠の合戦。織田・徳川連合軍の鉄砲隊が手ぐすね引く馬防柵へ、無謀な突撃を繰り返して大敗したといわれる合戦です。
見かけによらず知識人なトリ。さまざまな疑問に対して、これまでにもしばしば水際立った解決をもたらしてきた。例えば、今や日本人ならずとも、ワールドワイドに有名なまんが『ドラえもん』。その中にスネ夫というキャラクターが登場することは、周知の事実である。しかし、スネ夫って、ちょっと変な名前だと思わないか?ジャイアン剛田武、野比のび太、源しずかときて、(のび太も若干変だが)骨川スネ夫だけ突出して変な名前である。そもそもスネ夫のスネは、どんな漢字なのか?のび太は、明示されてないが、「暢太」もし
長篠城の近くの道の駅で、ママがお土産を職場と友人向けに大量に買う。とても、満足そう。そして、長篠城址史跡保存館に到着し、スタンプゲット。保存館には、パパだけが入り見学。いつものように、鉄砲やその備品が飾られていた。兜や背景には、有名な長篠の合戦の絵図が掲げられていた。この合戦は、織田と徳川軍と武田勝頼の戦いで、阿部龍太郎の本によれば、家康が,勝頼の凋落によって嫁と息子を自刃に追い込まれたのを恨み、練りに練った作戦をたて、信長の力を借りて勝ったと書いてあった。長篠城は、2つの川に
おそらく見たのは、これで4回目だと思うけど、今、BS朝日で再放送をしている「水曜どうでしょう試験に出る日本史」で、先週、長篠の合戦のキッカケにもなった、鳥居強右衛門の悲劇が放送され、その後、池波正太郎さん著作の、鳥居強右衛門の小説があることを知って、よし!買おう!と思ったけど、次の日には忘れ、でも「おにぎりあたためますか」を見てたら急に思い出し、古本屋から買ってきました。池波正太郎「炎の武士」以上、おいらでした炎の武士改版(角川
先日…このシリーズの'長篠の合戦'を借りて我が家で盛り上がり!今日は桶狭間の合戦を読んでいる息子(´∀`*)同じ趣味で盛り上がれるほど楽しいことはないよね。
一昨日、織田・徳川連合軍と武田軍が激突した長篠の合戦の戦死者を供養する「ひおんどり」がおこなわれました。この戦いでは織田軍の鉄砲隊が活躍し勝利したのはたのはご存知の通りですが、その鉄砲隊の鉄砲の弾を見たことのある方は少ないと思います。わたしも2か月前に初めて見たので、この機会にご紹介します。空気抵抗も考えない真ん丸な鉄砲玉、小さい時遊んだ銀玉鉄砲のようでイイですね。
お盆が終わりまた日常が始まりました。今年のお盆休みは連休の関係でちょっと長かったようです。さてお盆休みでも相変わらず犬の散歩です。そう、相変わらず大阪城にに行ったり、舞洲に行ったりです。夕方の舞洲の夕日です。お盆も相変わらず暑かったのですが、夕方の舞洲の時折吹く風が一瞬秋を感じさせてくれました。たこ焼き屋問題で揺れてる大阪城ですが、最近こんなパン屋のカフェーができてました。ちょっと長めの盆休み、変わりばえしない犬の散歩に飽きまして、自分一人またふらりと大阪を脱出しでしま
昨晩は長篠の合戦跡地、愛知県新城市に行ってきました武田軍と織田・徳川連合軍の戦いで、日本史の教科書では火縄銃の話で習うはずです目的はその戦いで亡くなった兵士の鎮魂祭である「火おんどり」のためです。戦いの後、村人は亡くなった兵士のために塚を築いて手厚く弔ったのですが、塚から蜂が大量発生し、それを亡霊だと考えた村人が松明を焚いて供養したのが始まりといわれています。毎年8月15日、400年絶やさず続けてきたそうですよ。↑長篠の合戦の屏風図。右下の赤い甲冑を来た兵士は志村又右衛門で志村けんさ
ツーリングの帰りに立ち寄った長篠の合戦の本陣跡新東名下り線長篠パーキングの横がそうみたいです。
初夏の日差しがじりじりと肌にさす中、「長篠の戦い」の地に行ってきました。ここを訪れるのは、今回が2回目。前回は馬防柵のあたりしか周っていなかったので、じっくり丹念に歩き検証したいと思って、改めて来ました。(のどかな田園広がる合戦地の裏水田に青空が映る)【長篠の戦い】天正3年(1575年)5月21日。奥三河の山間に築かれた長篠城を巡り、織田信長・徳川家康と、武田勝頼との間で行われた一大総力戦。まず最初に行きたいと思っていた合戦地の南東を流れる「豊川」の「広瀬の渡し」。
写真も文も多目だけど見てな〜写真だけでも見てな〜では、今日は長篠ののぼり祭りにやってきました。ご存知、長篠の合戦が行われた長篠城址がある場所です。この合戦が甲斐の名門武田氏が滅ぶ主な原因になりました。織田徳川連合の近代戦術(火縄銃の有効活用)が有名ですよね。とまぁ、歴史オタクはこのようにウンチクがうるさい。モテないんです。今まで隠していました。(男性にはモテる場合があります。)じゃ早速←前置き長かったろ!?鉄砲隊です。人生の先輩方が主力でしたが姿勢や所作が美しい!米沢市の
*3月25日付記事の続きです。R大学文学部史学科のぜんざい教授と教え子の院生・あんみつ君の歴史トーク、今回のテーマは武田勝頼です。本日は、長篠の合戦の虚実。・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚あんみつ「先生、要害・高天神城をも陥とした勝頼は、天正三年(1975)五月、三河の長篠城攻めにかかります。織田徳川連合軍を引きずり出し、決戦に打って出たいきさつは、近年、大きく研究が進みましたね」
R大学文学部史学科のぜんざい教授は、学食のスイーツメニューと、学生相手の歴史トークがなによりの楽しみ。今日も教え子の院生・あんみつ君と、新しいテーマの話題に興じているようですよ・・・。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆あんみつ「先生、こんにちは~。あっ、新作のボンブケーキ召し上がってるんですかぁ、ボクもそれを食べに来たんですよ」ぜんざい「おお、そうかい。カスタードクリームの苺ケーキなんだけど、甘
買ってみました。保護メガネ。さて、何に使うのか。目潰し。これが練習できないか、と考えています。危ないですかね・・・。危ないですよね。笑そもそもその用途として設計されないですからねー。まぁ次回やってみるべし!今日が最後となる武芸十八般の紹介。武芸十八般とは、武士が嗜むべき18種類の武芸を指す。中国から伝来した言葉だが、選ばれるべき18種類の武芸に、きちんとした決まりはない。古武道体術を学びたいと考えてから、この武芸十八般というものを知り、自ら
長篠城址の資料館を見たあとに、長篠の合戦の馬防柵を再現したところを見に行きました。長篠の合戦といえば、織田信長が武田の騎馬隊を破った馬防柵!ただ柵が並んでいるだけじゃないです。柵の向こうの味方が入ってくる入口もあり、攻め込みにくい土塁もあり、鉄砲を構えやすいように凹みも作ってありと、工夫がこらされています。「攻め込め~!」「退却~!」とか言いながら、ひー君と柵のまわりを走り回りつつも、(はたから見ると変な親子^^;)これが戦いの歴史を変えた馬防柵かぁ、と思うと感慨深いのでし
年末に熱海温泉に行って来ました。ホテルはリゾーピア熱海。本来は会員制らしいですが何とかもぐりこみました(笑)その夕食がこちら。前菜三種盛り。葱鮪汁。器がなかなかに素敵。しかも味もまた、あっさりして臭みの無いお出汁が最高!刺身。さすがに新鮮であります。縞鯵が特に美味い!!肉料理は軍鶏!バター鍋なんていうのもあり。お食事もちょうど良い量であります。デザートまで美味しくいただきました。このホテルについては、チェックインで待たされるなど、少々不満もあったのですが、夕食