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グラバー園には旧自由亭の横に草野丈吉像があります彼は出島オランダ総領事で西洋料理を習得し五代友厚の勧めで日本人初の西洋料理店良林亭(後の自由亭)を1863年に長崎で開き1881年には大阪中之島で自由亭ホテルを新築開業してます(その跡地には現在大阪市立東洋陶磁美術館)自家製オイルサーディンのサラダ榎茸のクリームスープカジキマグロ腹身の烏賊墨煮、大根コーヒー風味パンプディングとチョコアイス長崎市役所新庁舎(長崎市公会堂跡地)隣の松翁軒本店2階喫茶セヴィリヤミルクセー
上の画像は、長崎電気軌道の市民会館停留場であります。この市民会館停留場は、平成30年に「公会堂前」から名称変更されたものでありまして、停留場自体も上の画像2の桜町支線(A・Bホーム)、そして画像3の蛍茶屋支線(C・Dホーム)それぞれにホームが設けられておりましたが、いずれも改称へと至っております。そんな長崎市公会堂自体は平成27年に閉館しておりまして、あとは以下画像にもありますように「長崎市民会館」が蛍茶屋支線側のホームの向かいに設けられておりますので、まさに「市民会館」と
1983年。僕らが高校2年生の秋。長崎県高校演劇大会。場所は長崎市公会堂。僕たちが上演した劇は、「山椒魚だぞ!」今思えば、荒削りで情熱と勢いだけだったかもしれないけど、あの日、僕たち全員の思いは1つとなって、何か素晴らしいものが生まれた舞台だった。ラストの群衆シーンでは、キャストもスタッフも観客も審査員も一体となった感じがした。もしも、長崎東高校で演劇部に入っていなかったら…と想像すると恐ろしい。当時の僕はかなり屈折していて、そのままだと犯罪者になっていたかも。
11月11日と27日は、誕生祭ということでけいおん名曲ランキングをおくりします。これで3回目です。今から9年前の夏になりますが長崎市公会堂です。開館したのは、1962年からコンサートがあったりしてました。最近になりますが長崎市役所の場所が公会堂があったところに移転の計画があるそうで2015年に閉館して2017年に解体作業されました。反対側は、長崎市民会館中学3年の時にテニスの王子様21巻を読んでたことが思い出です。長崎電気軌道3000系バリアフ
4年前、平成26年の6月議会であったか、不肖私は、病床に伏しており議会に出る事が出来なかったが、公会堂解体を前提として、県庁跡地に代替施設を作る事を、市及び市議会は「不退転の決意」で望むとの約束をした様である。その後、9月議会の本会議一般質問で私が、「今日迄の市に於ける検討に於いては公会堂の代替施設は、現市庁舎跡地に平成34年(2022年)迄に整備する、との計画があるが、県庁跡地とのかねあいの中で、市民に対する複数提案であるが、間違いなく
①に続けて申し上げるなら、ブリックホールを建てる際、本島市長は、市に公会堂規模の施設がなぜ二つも必要か──?との市民の意見をかわす事も考えて、将来公会堂は必ずや老朽化して、取り壊す時機が来る!と、言ってブリックホール建設を合法化した。実はブリックホールは頭初の計画にはなく、あの土地を三菱機工から市が買った時には、バブル期であったが、高層のビジネスビルを建て、中央から有名企業を誘致して長崎を活性化させる事を意図したのである。バブル崩壊で
来春4月、田上市長が4期目を目指す市長選がある。この期になると地方紙は毎期末には必ず、この様な記事を特集する。私見であるが不肖私の意見を述べたい。公会堂廃止については、田上市長の判断は正しかった。8年前の選挙の際、公会堂跡地への市庁舎移設は明確になり、市が負担する経費についても無駄の発生しない、市民の公益に合致する計画として市民に示されたはずであった。遡って公会堂存廃検討協議会に於いても、市内有識者の意見聴取を行い、市民代表及び議会
かつての長崎市公会堂平成30年10月17日、長崎市役所に自治会施工工事の件で行った。その後、過日、田上市長が、公会堂代替ホールは県庁跡地にいかにもスムーズに、ごく近年中に建つが如く、県との話し合いがいかにも上手く行っている、とのコメントを数日前に発していたので、真偽のほどを確かめるべく、担当幹部と思われる人物を訪ねた。氏いわく、2022年には完成すると予測している。土地については県が長崎市に貸与するであろうと思っています。地
平成29年11月末日、長崎市公会堂跡地の現状を確認すべく現地におもむいた。埋設物調査については特段の事もなく終了したのであろう。埋め戻され砂利が敷きつめられて広場跡、公会堂の建物跡、等しく塀にて囲まれ、新市庁舎建設基礎工事をヒッソリと待っておる風情である。ある者は建物の存続を望み、ある者は解体を望み、それぞれに次の世代へ何かを伝えていこうとする。それぞれの議論に於いて、その中身に於いての深度には圧倒的に差があった。ただ何かある時期に於いて「後出しジャンケン」に
ベープっ!フマキラーたい、ちゃんぽんちゃん。「ブーベの恋人」を作曲したのは、カルロ・ルスティッケリですっ!名前の難しかばい。11/13が、命日ですっ!高尾小学校の5年生ん時、合奏コンクールに出たとさ。長崎市公会堂でありましたっ!おいたちゃ、「クワイ河マーチ」と「荒城の月」ば演奏したと。アルト笛担当でしたっ!そん時、よそん学校が、「ブーベの恋人」ば演奏したとさ。おませな選曲ですっ!こん曲の良さは、小学生には分からんて思う。半ズボン、坊ちゃん刈りでは
テレビCMで見て、気になっていたモスバーガーの期間限定バーガーご当地創作バーガーの「長崎トルコライス風バーガー」普段、あまりハンバーガーなんか食べないんだけど、これはちょっと食べたいと思っていました先日、機会があったのでモスバーガーに寄って食べましたトルコライス風なので、ハンバーグではなくて、カツが挟んでありました〜デミグラスソースがかかっていて、ナポリタンが上に載せてあってボリューム満点で美味しかったですよトルコライスとは別物だったけどね(笑)長崎で食べたトルコライスを思い
平成29年7月末、長崎市公会堂前にたつ。ほぼ地表部分は解体終了の如くである。市民会館、階段に立ち公会堂を望む。数日前迄は舞台とおぼしきあたりが、少しは残っていたが今は取り除かれた。ガレキ処理がなされている状況と思われる。公会堂前広場は、埋蔵物調査がなされているのであろうか、2m近くには、場所により掘り下げている模様である。価値のある埋蔵物は出たであろうか──。何はともあれ、50数年にわたる公会堂の歴史は終った。60年近く前、横綱
私も長崎市内の方も一度は行った。『長崎市公会堂』解体作業がすすみ、最後を迎えようとしているこの停留所はどうなるのだろう?この慣れ親しんだ場所はどうなるのだろう?また1つ憩いの場所が無くなりました。
二日に一度は、公会堂の前を通る。意識して通る事にしておる。50数年にわたり、立ち続けた威容がまさに終焉を迎えようとする時、鎧をつけた武士が、砂塵をあげて倒れこむ様な感じに。何故か不肖私、そのように受け止めるのである。数年後に20階建てのピカピカのガラスの塔が出来上がった時に、私など生きておるかどうかわからぬが、何年か前迄この地に古武士の如き、施設が建っていたなぁー、と思うかもしれぬ。その功に、及ばずながら敬意を表わすものである。
なんと全額寄付。小さな熊本城を組み建てて復旧支援「組み建て募金」がステキエキサイトニュースどんなプロジェクトとかというと、ダンボールでできた組み立て式の小さな熊本城「ダンボールキャッスル熊本城」を購入(¥2,000)することで、その売り上げが熊本.「時の記念日」に時計の歴史解説高知県南国市の中村時計博物館高知新聞時の記念日」の6月10日、高知県南国市後免町1丁目の中村時計博物館で、館長の中村昭弘さん(71)がアンティーク時計を分解しながら、5世紀にわたる機械...16
平成29年6月12日夕刻のTVにても各局報道された事であり、6月13日の地元紙に於いても報道された。いよいよ公会堂も解体最終段階を迎えたのである。つまり形なす外壁が壊されるのである。昭和37年以来、55年の時を経て、その姿がなくなるのである。多くの市民の思い出の部分で大きなウエイトを占めておるであろう長崎市公会堂。一昨々日であったか長崎付近は地震に揺れた。震源は橘湾。震度4であった。橘湾は活断層が輻輳して走ってる場所である。熊本に続いての地震発生も想定される。長
公会堂解体と同時並行で公会堂前広場(都市公園)の遺跡調査が行われている。どの様な進捗状況であるか、気になった。一周してみたが堀に囲まれ内部を見る事が出来ない。市道向かいの松翁軒ビル2F喫茶室セヴィリヤにあがった。失礼して同店窓から、調査中の広場の写真を数葉撮らせていただいた。公会堂に向かって右半分位2~3m位掘り込んでおった。何か、それらしき「シロモノ」が出ただろうか。後日、担当者に聞いてみようと思う。貴重品でも出たら、文化庁あた
平成29年3月31日浜町へ所用が有り出かけた。その折、中通りを通り中島川を渡り公会堂前へ出た。何となく公会堂の様子を見たかったのである。塀がめぐらされており、市民会館側に大きな現場事務所らしきものが建っておった。長大クレンが入り公会堂最上部あたりから何かを吊るしおろしていた。楽屋あたりに風穴が空いていたが搬出通路としたものだろうか。内部はおよそガランドーになっておると想定される。ある日イッキに、外装部を内側へ倒し込むのであろうと思う。
長崎市公会堂の解体工事予算が議会を通過して約3ヵ月。不肖私50数年の風雪に耐え、長崎市民の文化を支え、市民の楽しみと憩いの場としての重責を果たし終えた施設が、どういった「かたち」で終焉をおさめるのか、見届けたいと思い、折ある事に訪ね、広場に立つ。昨日、3月16日、解体の為の重機が2台敷地に入っておった。楽屋口の方にはトラックが停まり、人声が聞こえ、ホコリが陽光の中、入口の方から吹き出ておった。内部解体も相当に進んでおるようであり、公会堂裏側に
2015年の3月にはもう公会堂は廃止されていたんですね(´┐`)。。これ撮ったのは10月。。DOCOMOMOJapanの日本近代建築100選も、寄る年並みには勝てないか(´┐`)ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイイミガチガウデショ解体中止になったり再発動したりと。。でも結局は解体されちゃうんだろうなあ。。まだ解体されていない姿。。ストビューでは見えるけど、地図にすると公会堂の文字が消えています(´┐`)。。
平成29年2月27日長崎市議会に於いて、田上市長は答えた。つまり2月24日の県知事の答弁を受けて、3月中に県庁跡地に、公会堂代替ホールを建設する事についての結論が出なかった場合、長崎市に於いてはどうするのか──。という事についての質問なのである。県知事は決断が出せないと言ったのである。田上市長はそれを受けて「仕方がないので頭初の計画どおり、現長崎市庁舎の跡地に造る事で整備を進める。」と答弁したのであります。平成26年9月16日、不
平成29年2月18日、長崎新聞7面。私の紙面批評、元県職員SM氏による「公会堂と新市庁舎」なる記事が掲載された。個人の考えだから書くのは勝手。解釈も様々であろうから表現も色々かも知れない。だが待てよ!『新聞は公器である』と昔から言われておりますが、新聞に文章が載れば読者はそれを正として理解し認識するものではありませんか──。だから個人の紙面批評にあっても掲載する立場の者、もしくは責任者は、その内容には大きな責任を持たな
県庁跡地に公会堂を作らせてくれとの要望は、市議会でありまた長崎市の要望でもあったが──。私はどうにも納得が出来ない。基本的には現市庁舎跡に公会堂の代替施設を創るというのであるから、それ以上の事を言う必要もないのだろうけども、何人がどこの時点で言い出したものやら、あげくのハテには、市議会議長以下、県に確認をとりに行ったあげく、恥をかいて帰ってきた。何をやっておるのやら、県庁跡地の活用方針が具体化するのは遠い将来の事として考えるべきである。
平成28年11月30日、長崎市議会本会議に於いて、先に市が廃止しておる公会堂の解体中止と再使用の是非を問う住民投票条例案につき審議を行い賛成少数で否決した。賛成12名、反対27名。第一回の住民投票の議案審査の結果は賛成9名、反対30名であったから、賛成が3名増えた事となる。第一回目から、わずか80日余り経過した中で、これ程の重大案件の審査に態度を変化させる議員がいた事が不思議でならない。しかも自民党会派所属議員であるから驚く。近頃の会派の結束はどう
平成28年11月28日、長崎市議会環境経済委員会に於いて、長崎市公会堂に関する住民投票条例の審査がなされた。例により最初に市公会堂の存続活用を訴える市民団体代表の趣旨説明に続き質問、委員の意見、理事者の意見、それらに対する質疑等の後、採決となった模様であるが、1回目と大差なく8:1の結果で委員会は終了したようである。議会最終日、本会議に於いて最終の結果が出る訳であるが、委員長報告がくつがえる事もなく、住民投票条例案は否決される。そして、解体契約も認められると思う。
平成28年11月25日、長崎市議会11月定例会が開会した。当日、市は議会に対し直接請求による、住民投票条例案を提出した。あわせて、田上市長の「公会堂解体中止の条例案は認められない」とした、条例制定に反対の意見書を提出した。2回目の反対意見書であるが、既に公会堂を廃止し、今議会で解体契約案件を提出しようとする時、市長の考えが変わる訳もなく、至極当然の反対意見書提出である。新しい町づくりの為に第一歩となる、本案件の処理であるが、田上市長のMICE優先に舵を切ったつ
平成28年11月24日(木)、長崎新聞に1ページを使った意見広告が載った。いまこそ住民投票を!!戦後復興と国際文化都市のシンボル長崎市公会堂の存続と活用を求めます。長崎市公会堂をめぐる7つの問題点、として縷々、書いてある。そして、「まちづくりに期待する市民の声」として代表の方お三方がコメントを書いておられる。WELOVEKOKAIDO長崎のまちの未来は自分たちの手で決めたい。公会堂の未来活用を問う会、そして住所カッコをして「市議会すぐ横」との説明入り。
平成28年11月初めから約一ヵ月かけての公会堂内、備品整理が始まった。本年6月議会に於いて公会堂解体予算に関連しての備品整理費、産廃処理費約600万、美術品等処理取り扱い費、約940万円が認められたので、それを実行に移したまでの事であるが「公会堂の未来活用を問う会」の関係もしくは関連の市民団体の方々は余程に気に入らなかったらしい。住民投票条例を求めて直接請求をしようとしている最中にまさに市民の感情を逆なでする行為であるとオカンムリの様である。「長崎新聞」にて詳しく書いて
過日、公会堂存続活用を標榜する市民の会の方々は長崎市に対し、署名等を提出されたようであった。前回に少々上回る数のようであったが、選管等による審査、返却、提出、縦覧等の経過を経て、市長の意見をつけ議会へ提案という事になるのであろうが結果は見えている。絶対に「住民投票」は成立しない。いかに議会が多様の考え方を持った議員の集まりであろうとも、「市民の公益」というくくりで判断の結果を出すならば今日迄の議論の積み上げからして、今更「住民投票」の選択はない、と私は思う。先