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アートの極みシリーズ51"阪神戦逆転勝利記念!キングエンジ-による祝福!そして優勝祈願だぁ✊共に戦おう!!14日阪神戦3連発初戦を4-3逆転勝利おめでとう御座います🥂まさに手に汗握る死闘、ジャイアンツのチャンスが来るたびによっしゃあ!と思わず声が出てしまう名勝負でしたね!大城のソロホ-ムランや坂本の代打に目を奪われがちですが、今回は守備陣の頑張りが大きかった様に思いましたね!打撃では振るわなかったダルベックなんかよく守ってくれていましたよね!何が言いたいかというと全員の力が合わさって勝
(その5の続きより)展示のラストは、昨年11月21日の「お別れの会」の祭壇が大きく飾られていました。1時間ほどかけてゆっくりと展示を楽しみましたが、正直まだまだゆっくりと展示品を眺めたい気持ちもあるくらい、本当に素晴らしく充実した展示の数々でした。話によると、この「長嶋茂雄追悼展」は今後、日本全国の百貨店などでリレー形式で開催されるとのこと。関東圏で再び行われる際には、もう一度足を運ぼうと思っています。会場を出たところには、今回の追悼展の記念グッズの即売コーナーが出来て
(その4の続きより)(2001年ドーム最終戦を終えて胴上げされるミスター)左(2000年セリーグ優勝記念ボール直筆サイン入り)右(2000年日本シリーズ試合球直筆サイン入り)日本シリーズ球のほうには、王さんのサインも入っていました。(2001年ドーム最終戦後の勇退セレモニーでのミスター)第二次政権下のミスターは、メディアを賑わす名言を数多く残しました。この発言ひとつひとつが多くの国民にとって、希代の大スターを”身近な人”にしたのではないでしょうか。
(その3の続きより)(1987年解体目前の後楽園球場で名残を惜しむミスター)そして展示は第五幕、第二次政権時代のミスターへ。1988年生まれの私にとって、ここからがいよいよリアルタイムに知るミスターの姿です。初めてプロ野球を観に行ったのは、記憶にある限り1994年シーズンだと思います。「4番ファースト落合」時代の巨人軍でした。背番号3ももちろんですが、33もまた、この頃に巨人ファンになった私のような世代の人間には特別な番号です。(1994年の春季キャンプで
(その2の続きより)現役17年間の展示に続いての第三幕は、第一次政権時代のミスター。(1974年12月2外国人獲得のメドをつけドジャースタジアムのスタンドで来季構想に胸を膨らませる)翌1975年に巨人軍に在籍した外国人選手はD・ジョンソン選手のみですから、ここに書かれている”2外国人”のもう一人は誰なのでしょうか。気になるところです。(1976年、1977年胴上げや優勝監督インタビューを受けるミスター)(1976年、1977年のセリーグ優勝トロフィー)19
(その1の続きから)大学時代に続いては、巨人軍での現役時代の展示。こちらでも、これまで中々見たことのない貴重な展示が数多くありました。以下に、写真をいくつか載せておきます↓(1958年の開幕戦、4三振を喫して悔しそうな表情のミスター)(1958年セリーグ新人王トロフィー)(1965-1973年セリーグ9連覇トロフィー・優勝ペナント)(北陸遠征の途中、米原駅でスタンド蕎麦をすするミスター)(王さん、稲尾さん、野村克也さんとヨーロッパ旅行を楽しむミス
3月19日。祝日のこの日は、昼すぎから娘たちを連れて日本橋まで。30日までここ日本橋高島屋にて行われた「長嶋茂雄追悼展」を観に行って来ました。入場料は1,200円。前売り券をコンビニ発券で買うと1,000円とのことでしたが、このデザインのチケットが手に入ることを考えたら、当日券を購入して正解でした。入場すると、まずは1994年の日本一パレードのミスターがお出迎え。この写真、縦長サイズの写真はよく見かけますが、沿道のファンも沢山写り込んだ横長サイズの写真を見たのは初
東京日本語高島屋長嶋茂雄追悼展に行ってきました。
まだまだ寒いですね。今日3月14日土曜日は巨人軍長野久義選手の引退試合ですね。長野選手とテレビ東京が7コラボ!?新チャンネルチャンネル登録よろしくお願いします!2026年3月14日(土)巨人長野選手の引退試合とテレビ東京が7コラボ!?#長野久義#巨人軍#テレビ東京#背番号7#7チャンネル#チャンネル登録よろしくお願いしますYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.co
【キミは長島を見たか(岩川隆:1982.10.15集英社文庫)】まずこのタイトルを見てあったりめぇよ!❝オレは長島を見たぞ❞と言えることが嬉しい。長島が生まれた印旛沼のご実家を訪れたこともある。もう時効だから言うが、たまたま佐倉へ出張の仕事があった。えっ、佐倉???、、、長島の生誕地、、、ヤッター、、心の高ぶりを抑えることができなったことを思い出す。長島が生まれ育った実家がある。よ~し、行こう‼頭の中はどうすれば仕事に支障なく行けるか??その
続編をお届けします(文末に前回記事へのリンクを貼っています)。言葉好きの私として、阿刀田高さんの「ことばの博物館」(文春文庫)から、さらに4つの言葉をご紹介したくなりました。どうぞ最後まで、お気楽にお付き合いください。★カンガルーとネクタイ★カンガルーは、ご存知、オーストラリア固有のユニークで可愛い動物です。著者は、まず比較的よく知られた説を紹介しています。船で世界周遊をしていたクック探検隊が、オーストラリアに上陸した時、隊員の一人が珍しい動物を見つけ、「あれはなにか?」と原住民に尋
今年もまた、このダンボール箱が届く季節になりました。そう、ジャイアンツのファンクラブ「CLUBGIANTS」の2025年度入会記念特典品の到着です。私自身のファンクラブは2003年以来、今年で24年目。昨年からは長女もジュニア会員に入会しましたが、ジュニア会員は割とすぐに元が取れる(オープン戦や公式戦の招待枠、イベントへの参加など)ことが分かったため、今年からは次女もジュニア会員に入会して”三人体制”となりました。今回届いたのは、一番早く申し込んだ長女の分。選べるグッズか
新年早々、ちょっと珍品のサインを手に入れることが出来ました。それがこちら↓このサインを見ただけでどなたか分かるという方は、30代以上のプロ野球ファンではないでしょうか。こちら、ラジオ日本に所属し野球記者をしていた「岩田暁美さん」という方のサイン。一介の野球記者であり、要するに”一般人”である彼女は、ある人の横にいつもついて回っていることで、広く世間に知られることとなりました。その人というが、言わずと知れたミスター。1994年から「長嶋番」として試合前後の長
(その1)の記事で載せきれなかった写真が何枚かあったので、こちらでご紹介。今回の追悼展示では2個のサインボールも展示されていました。1個目は2000年の優勝記念ロゴボールへのサイン。コレクター的には、どうしてもサインが薄くなっているのが気になってしまいます。ぜひ、これ以上薄くならないように温湿度を調整して保管をしてほしいところです。それにしても、このジャビットのロゴが非常に懐かしいです。当時私は小学6年生の12歳、有楽町のそごうの日本一セールに行き、このロゴが入ったジ
私も亦長島茂雄の引退セレモニー(昭和49年10月14日録画放映)を観て、涙した中の一人である。広島カープファンの親父も、我が母も亦、涙を浮かべていた。日本中が涙して、引退を惜しんだのである。長島茂雄『感動のホームラン』昭和43年(1968年)9月18日、阪神タイガース戦のこと、阪神の投手バッキーが、『王』に危険球を投げた。この事が発端で、巨人の荒川コーチがマウンドに駆け寄る。これに、バッキーが応戦してパンチを撃つ。(この時のパンチが原因で指を骨折、投
昭和37年(1962年)3月巨人・東映のオープン戦東映の新人、『尾崎行雄』の、初々しい姿が印象的であった。この試合で、ホームランを打ったのが『長島』であった。TV観戦をしていた私、ここから、長島ファンになったのである。8歳(=当年とって)の時である。昭和38年(1963年)大阪に引越した。驚いたことは、テレビのチャンネル数の多いこと。そして、プロ野球の中継で巨人戦が週5日もあったことである。長島ファンの私、全てのテレビ中継を、かじりついて観ていた。
12月12日は、午後から大手町へ。読売新聞本社ビル3階「よみうりギャラリー」で開催された、【長嶋茂雄追悼展示】を観覧してきました。開催はこの日(12日)までだったので、ギリギリ間に合って良かったです。最終日ということもあり、ギャラリーには沢山のファンが集まっていました。ギャラリー入口では、長嶋さんの等身大パネルがお出迎え。このポーズは1971年、2,000本安打を放った際のものですね。(新人王トロフィー)展示されていたのは実使用アイテムや写真、そして
(その1の続きより)(その2)では、今回の遠征の目的地であった【長嶋茂雄写真展…記憶から未来へ。】の様子を書かせてもらいたいと思います。会場となったのは、佐倉市立美術館の3階展示室。4つに分かれた展示室には、100枚ほどの写真や長嶋さんが実際に着用されたユニフォームなどが展示されていました。中でも多くのスペースを割いて展示されていたのが、幼少期から高校までの写真。”佐倉時代のミスター”に触れることが出来るのは、この写真展ならではであったように思います。ちなみに私が会場
12月5日は、仕事を半ドンにして午後からちょっと遠征。昨夏以来となる、千葉県佐倉市に行って来ました。佐倉市といえば、言わずと知れた長嶋茂雄監督の生まれ故郷。長嶋信者にとっては聖地ともいうべき場所です。これまで佐倉を訪問した際の目的地は「長嶋茂雄記念岩名球場」ばかりだったので、球場と反対側である京成佐倉駅の北側を散策するのは今回が初めてでした。静かな住宅地の中にある急こう配の坂道を上がった先にあるのが、佐倉の総鎮守である麻賀多神社。平安時代に編纂された延喜式神名帳
(その3の続きより)献花台での献花を終えると、帰りのコンコースにも多くの展示品が展示されていました。こちらは2001年のホームユニフォーム。背ネームなしの、この年専用のものです。やっぱり、アラフォー世代にはこのデサント製のユニフォームが一番しっくりきます。また、巨人が9連覇を達成した1973年の日本シリーズ制覇のペナントや現役時代や日本代表監督時代のユニフォームも展示され、どの展示ボックスにも、取り囲むようにファンが集まっていました。このほか、長嶋監督の母校であ
(その2の続きより)関係者の部への参列を終えてから一度仕事に行き、終業後に再びドームへ。中学生の頃から一緒にジャイアンツを応援している友人と、一般献花に参加してきました。一般献花の部では、関係者の部の招待状を所有していると三塁側の優先ゲートから入場することが出来ました。私がドームを訪れたのは、一般献花の部の終了まで1時間を切った午後6時すぎ。ですが、この時間でも非常に多くのファンが次々にドームの入場口に向かっていきます。ゲートには長蛇の列が出来ていたので、優先ゲートか
(その1の続きより)お三方のお別れの言葉に続いては、各界のVIPからのビデオメッセージの紹介。一人目は、高市早苗内閣総理大臣。(以下、高市総理の追悼メッセージ・全文)内閣総理大臣の高市早苗です。本日のお別れの会にあたりまして、一言ごあいさつ申し上げます。長嶋茂雄さん、ありがとうございました。長嶋さんが今を生きる人々にもたらした計り知れない影響、後世に残された数えきれない功績、心から感謝の念と敬意をささげたいと思います。闘志むき出しのプレーからは勇気を、何事にも前向きに取り
11月21日、金曜日。この日は仕事を休んで、東京ドームで行われた「ミスタージャイアンツ長嶋茂雄お別れの会」に参列してきました。この日の東京地方は朝から、雲一つない秋晴れの快晴。長嶋監督ならきっと「スカッパレ」と評したであろう、そんな一日でした。私がドームに着いたのは午前7時過ぎでしたが、すでにドーム周辺には沢山のファンの姿が。野球の試合がある訳でもない、大物アーティストのライブが行われる訳でもないドーム、しかも一般献花までは6時間近くある中ですでにこれだけの人を集めるところ
12月12日金曜日〜その4少し眠って…(写真)フェア新刊書評「原武史‐日本政治思想史/天皇制と鉄道が交差する新たな思想史」雑文家平山周吉(R7年6月号新潮社波)、「ダークネス刊行記念対談ミロは孤独を恐れない」桐野夏生×小川哲(R7年8月号新潮社波)、「春日太一の木曜邦画劇場第638回"ジェネリック勝新"と侮るな!最後に強敵菅原文太が待っている!!」(R7年7月3日号週刊文春)、戦後80年「雑誌を後ろから読んだ頃」南陀楼綾繁(R7年8月号図書)、「長島茂雄追悼グラビア
5回のチャンスを潰し、6回オモテへ。巨人は3番手投手にじょう(?)を出してきた。9番長谷川がヒット。1番ふくろが打ち取られたが、2番こがあが!きたー!勝ち越しツーラン!さらに3番松永も!連続ホームラン!!(4-1)奇跡!勝ち越しだ!ここで3点リードはデカい!これは勝ったか?いや、この裏を抑えないと…。投手交代。かなり悩む。星野は論外。いとあつは“背信”の印象…。…となると?しろじしかいないか?頼んだ🙏巨人は1番柴田からだ。2番高田も内野フライ。3番王だ。
諦めず、日を改めて、V(巨人OB)に挑む。初回に長島(みすたあ)に打たれ、大量失点💦…そのまま負けた。次は、今度は初回に王に打たれ、最終3回に追い付きかけたが負けた💧初回の長島からの連打で1失点。それを返せず、敗戦。また…。惜しい💦今度は、延長までもつれたが、王(きんぐ)にホームランを喰らった😅瞬く間に6連敗💧だが、このチームの傾向(V)が分かってきたぞ。ポイントはクリーンナップ…特に長島(みすたあ)だ。やはり、かなり打つ。初回に長島に打たれてからの失点が多いのは、4番の
長嶋茂雄さんの追悼試合王貞治さん松井秀喜さんらが始球式|NHK【NHK】プロ野球、巨人で選手や監督として国民的人気を博し、ことし6月に亡くなった長嶋茂雄さんの追悼試合が16日、東京ドームで行わ…www3.nhk.or.jp役者は揃っていたけれど演出悪くて感情移入できなかったなあ。この辺り矢張りMLBに学ぶべき点多し。完封負けはご愛嬌。おしまい。
(3)の続きより…佐倉駅からの帰り、鈍行列車に乗って一つ隣の京成臼井駅でも途中下車しました。ここ臼井こそが、長嶋監督の生まれた本当の故郷です。駅前のロータリーには「長嶋茂雄さんのふるさと」の標柱が一番目立つところに建てられていました。こちらは駅前にある商業施設・レイクピア。こちらの4階には、佐倉市出身の両雄、雷電為右衛門と長嶋監督を模したねぶたが飾られています。そしてこちらにも、記帳台が設置されていました。近くで見ると、なかなかの迫力のある佇まいです。
(2)の続きより…展示室には、写真以外にもさまざまな貴重なアイテムが展示されていました。こちらは長嶋監督の母校である佐倉一高(現佐倉高校)から贈られた野球部のチーム帽。この他にもサイン入りのユニフォームやサイン色紙、(平成29年に行われたイースタン公式戦に出場した監督・選手のサインも飾られていました)サイン入りバットなども展示されています。平成25年7月、佐倉市民栄誉賞表彰式の際にオープンカーで球場を一周する長嶋監督。少し前の記事でも書きましたが、この日
(1)の続きより…展示室には現役や監督時代以降の写真だけでなく、幼少期~学生時代の写真も多数飾られていました。さすがは、生まれ故郷にある展示室といった感じです。(臼井小学校時代のクラスでの集合写真)(臼井二町組合立中学校時代のクラスでの集合写真)(巨人軍入団後、節分の豆まきで地元の人々に担がれる)(巨人軍入団直後、地元・佐倉の街を歩く。周りには追っかけの少年たちが多数)(立教大学時代、野球部の仲間と)(昭和46年ファン感謝デー