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長尾弘先生のご著書より→前記事「東京・沖縄講演のお土産話①」の続き「長尾先生とは深いご縁を頂いております」と演壇で話しておられるのを、私は大きい柱のかげに隠れて聞いていました。すると、演壇から「私はこの正法を広め伝えなくてはならないという使命をいまだに果たしていません、この私をどうかお許し下さい」と言われます。こんなに偉い先生が私のような者に言われるので、どうしていいか分かりません。一生懸命お詫びして下さるので、私は光を送ってお祈りしていました。最後に私の時間をちょっと頂いて
長尾弘先生のご著書より沖縄での講演会は1時間半頂き、夕飯後8時半から皆様の治療をさせていただきました。私が行くということが次々広まりまして、研修会参加の方以外にどんどん押しかけてこられました。研修会場のホテルは那覇空港から約3時間半のところにあり、沖縄の北端に当たっています。車で2時間半から3時間半もかけて、多くの方が詰めかけて下さいました。1人ずつ用紙に名前を書いていただき、「誰々さん」「誰々さん」と次々に、約180名ほどの方の治療を夜12時過ぎまでかかってさせていただきまし
長尾先生のご著書より神様は人間の想像を絶する不思議なことを現わして下さいます。1時間半を講演に、あと半時間を質疑応答の時間に頂きました。160人ほどお見えいただきましたから、どんどん質問を頂くのですね。その質問の内容は、みな自分の身体の悪いことばかりです。やれ私は胃が痛いのです、私は胃潰瘍です、私は目が悪いのです、私は肝臓が悪い...本当はそんなものは正法の学びの質疑応答の中には入らないのですけれど、初めての場所ですし、お一人お一人にお答えしていました。「胃潰瘍で、もう切らなくて
長尾弘先生のご著書より→前記事「具体的にどのように修行すればよいか②」の続き高橋信次先生のご存命中のことです。和歌山で或る学校の校長先生が自分の過ちに気付くと、もう恐ろしくなって何とかこのいやらしい自分から逃れたいと強く思って、和歌山城の近くから和歌山港へ単車に乗って一生懸命逃げたところ、港に着くと、「あなたが地球の果てまで逃げても逃がしません」と、自分の良心が言ったそうです。宇宙の果てまで逃げても、監視されているこの良心は、和歌山城から港まで逃げたとしても、そんなもの逃しては下さい
長尾弘先生のご著書より→前記事「具体的にどのように修行すればよいか①」の続き無神論者とか、又或る種の宗教の中には、先祖様の仏壇、神棚をみな燃やしてしまったり、そんなものは不要といって小便をかけたりするのもあります。もちろん、そういう形あるものは真の神とは違いますが、しかしたとえそういうことをしても、真の神様は一切罰をお当てになりません。その証拠に、いくらお日様の悪口を言いましても、「それではお前にはもう光をやらない」とは言われません。光を消してしまわれたら、忽ちに真っ暗になり生物は
長尾弘先生のご著書よりこの勉強の場所も、他力の場所ではありません。私などに頼っていないで、各自が自分の心に目覚めて、善き行ないをもっていただきましたら、その時神の御業(みわざ)はどなたの上にも現われます。他の方に頼り、救われる側に立ってはいけません。自ら救う、救わせてほしいという想念・行為・言葉が揃った時、私達は神の御子として、或いは仏の御子として、肉体をもちながら求めることなく与えられるのです。「私のような者にはできないだろう」とは決して思わないように、日々の生活でまず『家庭の
長尾弘先生のご著書より全てがそうだともいえませんが、病気というのは、心の不調和が集まり集まって、肉体の上に形として現われたものです。現象化した私達の肉体を支配している支配者とは、それは私達の『心』です。心は肉体の目で見ることはできません。しかし、今日お話会がある、では寄せていただこうかと皆様は心に決定を下されたはずです。そして、肉体がそれに従ってこの場所に集われました。もし、「あぁ、私はもう止めておきます」と、心に決めますと、この場所に肉体は絶対に来ません。心はそのように、
長尾弘先生のご著書より先日F市で質問の時間をいただきました時、或る50代の男の方が手を挙げられました。「どうぞ」と言いますと、「質問は無いのですけど、先生にお礼を申し上げたいのです。私はぎっくり腰で今日はタクシーに乗ってこの会場まで来て、人の手を借りてやっと部屋まで来たのですが、今は全然何ともありません。お話を聞かせてもらっている間に腰痛が治り、何ともなくなりました」と言って、前で体操をしておられるのです。すると、肩の痛かった方が何人も、「そういえば、私も何ともありません。治った
長尾弘先生のご著書より→前記事「死を約束して生まれる③」の続き「死を宣告された方に死ぬ話をしまして、誠に申し訳ないことでした。しかしこれは避けることのできない現実です。私はあなたを助けることはできません。人の命は神様が持っていらっしゃいますから、人間にはどうすることもできません。病気を治すのは医者ではなくて、神様がその人の持っている寿命のところまで持っていかれただけのことで、医者はただ神の御業(みわざ)、自然治癒力のお手伝いをしているだけであり、人間のあずかり知らないことです。私にはあなた
長尾弘先生のご著書より→前記事「死を約束して生まれる②」の続き最終的に末期(まつご)が訪れますと、病院のベッドの鉄の手すりをグニャーと曲げてしまう方がよくあるそうですが、あの鉄のパイプを痛み苦しみの為に曲げてしまうのですね。また法にご縁がなかった頃、私の知った或る方で、乳癌の苦しみから自分の頭の毛を全部引き抜いた方がありました。又、畳の上で死ぬ時、その痛みに耐えかねて畳を掻きむしって、その中の藁を全部引き出すぐらいの激痛が襲う場合もあります。苦しみも色々と段階があります。私も恐らく
長尾弘先生のご著書より→前記事「死を約束をして生まれる①」の続き残酷なようですが、正しいほんとうの神理を伝えさせてもらいました。それはまず、この世に生を頂きました以上は、必ず死を約束してこの世に生まれているということです。いや、そんな約束はしたこたはないと思われるかも知れませんが、人は死を約束してこの世に生まれるのです。その証拠に人は全部死にます。永遠に生きる人は一人もありません。そしてめぐり会うことは、別れることを約束しています。親子であれ、夫婦であれ、友達であれ、親しい方であ
長尾弘先生のご著書より沖縄へ来てほしいと招いていただいた時、ホテルの部屋へ案内して下さった方が、早速「先生、これを見て下さい」と言って病状を書いたものを持ってこられました。58歳の男性の方です。その方が肺癌でもう2,3か月の命とお医者さんから宣告されているそうですが、ご本人が知ると生きる希望を失い、自殺する危険性があるから、絶対に秘密にしなさいというお医者さんの指導で、奥さんもそれを隠してご主人に分からないように努めておられたとのことです。ところが、福岡に癌専門のよい病院があるから、
長尾弘先生のご著書より→前記事「ご利益のある行為①」の続き善き行ないで信仰の証明をすれば良い、その時必ず神からその力を見せていただけます。なぜ見せていただくかというと、自らが"神の子"だからです。私達は自ら神の子、父なる神の思いを自らが行なった時、「私がしたいことをあなたが行なってくれた」と、神は私達を放っておくことはできません。その神は愛ゆえに姿を滅しておられます。だから、神はご自身を現わすことができないのです。その思いを子に現わしてもらったのですから、親は放っておく
~あなたの痛み・しつこいお疲れを癒すお手伝い~魂に触れるヒーリングSHIN-YU【神癒】で最高の笑顔に!SHIN-YU(神癒)とは?大阪府を拠点に日本各地+海外29ヶ国でご活躍された、ヒーラーの巨星・長尾弘(ながおひろむ)先生が考案されたヒーリングです。(2023年に長尾ヒーリングからSHIN-YUに改名)長尾先生は40代で悟りを開き「奇跡の人」「イエスキリストの再来」と言われるほど癒しのパワーが強く、多くの奇跡を起こされました。そして、人が幸せになる道を生涯かけて説かれました。こ
長尾弘先生のご著書より或る先生といろいろ話していますと、先生と私とは全く同じ体験をしていることが分かりました。ただ違いますのは、その先生はすばらしく、私はすばらしくないということです。私はただの凡夫です。皆さんと何ら変わりません。特殊な能力もありません。特に霊的能力はゼロで、見えない話せない聞こえないという凡夫の塊のような私です。一番後ろに座っていただいている別の先生はすばらしい霊能力者でいらっしゃいます。しかし、全くの凡夫の私がいろいろと不思議なことを見せてもらい、そして先生達
長尾弘先生のご著書より去年石川県へ行きましたあと、一晩家で寝て翌朝早く瀬戸内海の家島へ寄せてもらって、ここでも不思議なことがありました。家島に着きますと、出迎えに来てくれた方が、「今日で9日になるのですけど、海にはまった人の死体がどうしても上がってきません。漁師の方が出て探す一方、水上警察の船も出る、町中総出であらゆる捜索をしているけれど、死体が上がってこないのです。死体が上がらないから葬式も出せません。先生、この死体をどうか上げて下さい」と言われるのです。「そんな無茶な、私はそんな力はあ
長尾弘先生のご著書より→前記事「お金を上げても神様は喜ばれない①」の続きそしてこんなことがあるだろうかと思いますが、河内の国分でこのお話をした時のことです。固い蕾のチューリップを何十本か生けて下さっていましたが、みな首を曲げていた蕾が、その途端に立ち上がって、パーッと一斉に花が咲きました。ワァーとその場で開いたのです。2部屋向こうの鏡台の上に一輪ざしで生けてあったチューリップも一緒に開きました。見ておられた皆さんが喚声をあげて驚かれました。自然現象であったとしたら、蕾は必ず時間をお
長尾弘先生のご著書よりある方はT教を信仰されて亡くなりました。ものすごく素朴な信仰をされましてね。現在は違うそうですが、昔は「家も屋敷も上げてしまえ」と言って、みな上げてしまえという時代があったようです。その頃、その人は家も屋敷も田も畑もみな上げてしまったのです。その息子さんが、お父さんが亡くなった後、法にご縁があって、自分の意識を開いてあの世を見てこられるようになられたのです。その息子さんはT教団の子として分教会の中で貧しい貧しい生活をして成長されました。その息子さんが、「お父さ
長尾弘先生のご著書より→前記事「良心と自我②」の続き私達は神の分け御霊です。同じ家族の皆様も神の分け御霊です。では、お互いに尊敬し合い、キリスト教でいう神を賛美する如く、家族の中でお互いに褒め称え信頼し合う、そういう生活がもしできますと、そのお宅は"仏国土・ユートピア"です。キリスト教的に言いますと、"神の御国"です。それをまず家庭の中に築き上げることです。必ず幸せになれます。信頼し、すばらしいところを褒め称え、愛し合う幸せな家庭を私達は作っていきたいと思います。
皆さんこんにちは、MaryですYouTube配信いたしました!去年12月に開催いたしました「心と体の癒しの会」の横塚修身先生の講演会の様子ですテーマは「女性への感謝」このテーマ、するどいですね!女性に感謝をしていると、みるみる環境が良くなり、人生の流れが変わってきたそうです。その理由は、女性にはある力が備わっているからだそう・・・詳しく知りたい方、ぜひご視聴くださいほかの動画、チャンネル登録はこちらhttps://m.youtube.com/@iyashinokai758【
長尾弘先生のご著書より私達の心の中には、神の分け御霊である良心が与えられています。と同時にサタン(悪魔)の心もちゃんと与えられています。この悪魔とは自己保存と自我我欲です。これがどこから出てくるかというと、肉体の五官から出てくるのです。『良心(神なる心)』と『自我(悪魔なる心)』これが心の中で絶えず葛藤しています。そして勝ったほうへ、もしエゴが勝てばエゴの行動を起こし、良心が勝てば良心に沿った行いをとります。エゴが勝ち続けてエゴの生活をずっと続けますと、その人は必ず
長尾弘先生のご著書より→前記事「汝の敵を愛せよ①」の続きこの世に生きる人は、一人一人"魂の次元"が違います。次元の高い人は他の人に尽くそうとしますが、次元の低い人は人の世話になろうとします。そして、低いが故に人の恩を知りません。人の恩を裏切ります。高い人は自分の魂の段階が高い故に、低い人から裏切られても又、次の人に尽くすのです。そしてまた裏切られます。その時の高い方の思いは、たださせていただいているのであれば、裏切られようがどうしようが、腹は立ちません。魂の高い方が落ち
長尾弘先生のご著書より「汝の敵を愛せよ」とイエス様は言われます。なぜ敵を愛さなくてはいけないか。なぜ隣人を愛さなくてはいけないか。愛の定理とは、又愛とは何でしょうか『愛』とは自らを犠牲にして他を生かそうとする想念、行為です。そして、後悔しないことです。自分を捨ててでも相手を生かそう、幸せにしようというその思い、行いこそが愛です。人間の心には、白色、黄色、黒色のいかんを問わず、どの人種にも共通して持っている"思い"があります。それは「自分にとって都合のよい人はみ
長尾弘先生のご著書より自分の心を苦しめては絶対に幸せになれません。それは神のご意志に背くからです。少しでも安らぎ・喜び・感謝をすることです。すべての宗教は「感謝せよ」と言います。では、なぜ感謝しなくてはいけないのでしょうか。人間の心は一念三千といって、一瞬にして三千の方向に飛び回ります。その三千の方向に飛び回りましても、実は一つずつしか思っていないのです。二つを同時に思えないような構造に作られています。一つのことしか思えないようになっています。「いえ、私は二つのことが同時
長尾弘先生のご著書より人生とは人との出会いです。1人では人生は展開しません。そして、人との出会いの中で様々な出来事が起こります。都合の悪いことが起こると、腹が立ちます。都合の良いことであれば、心が安らぎます。しかし、この人生というのは、魂の修行をする場所ですから、都合の良いことばかりが起きないようにちゃんとつくられています。その時、私達がどのようにして都合の悪いことを喜びに変えてしまうか、或いは苦しみを苦しみとして自分の中にいれこんでしまうか、そのことによって、その人の人生、運命が
長尾弘先生のご著書より日々の生活の中で、私自身できておりませんし、難しいことは一切ようしません。しかしせめて腹を立てないようにしよう、愚痴を言わないようにしよう、人の悪口を言わないようにしようと、ここから始めました。これらは私の持っていた大きな欠点だったのです。それを少しでも少なくし、無くしていこうと日々努力いたしました。すばらしいお方は、幼い頃からそんな思いは持っておられません。私などはその塊でした。腹を立てると、もう見境(みさかい)なしに怒りました。私の顔を見て「あいつは怒っ
長尾弘先生のご著書より幸せになれないのは"心の曇り"によるのです。私達が知らず知らずに出している心の曇りによって、幸せの光を自ら遮断していたのですね。その曇りとは何か。これはいつも何回も申し上げています。怒り、妬み、憎しみ、謗り、人様の悪口、愚痴、恨み、取越苦労、不安、恐怖、己を守る為の嘘、盗み、貪欲このようなものが、本来は神と変わらぬ、神の分け御霊を頂いている私達の表面を包み、神様と私達とを遠く離していたのです。人間はどうしても自分本位になっていき、その時、人に尽くすこと
長尾弘先生のご著書より人々の為にといえば語弊があります。漢字で"為"と書き、人の為と書くと"偽"となってしまいますから、人の為ではない、我が為だと思って、人の為に尽くすことです。尽くさせていただくのですね。これは全部自分に返るのですから。今、この方の為と思ってします。その方が喜んでくれたら、その方から自分のほうに喜びが返ってきます。家庭の中では夫婦の間、親子の間で、或いは親しい方たちの間で尽くさせていただくのです。「そんなに人の為ばかりを言っていたら、このせちがらい
長尾弘先生のご著書より善悪の行為が自分に返ってくる場合、時間に関係があります。縁によって、つまりその相手との縁、或いは出来事の縁などの縁生(えんしょう)によります。二十日大根は種を播いて20日経過すればもう収穫が始まりますね。エンドウや野菜は3か月〜5か月ぐらい経てば収穫でにます。桃栗3年、柿8年といいます。檜は40年、50年しなければ伐採できません。そのように早く現われる場合と、長い時間経って播いた種が返ってくる場合と、いろいろあります。播いてしまった悪い種は、必ず成長して収穫
長尾弘先生のご著書より私達は自分自身の心を見つめ、内観或いは反省することなしには、自分の過ちに目覚めることができないのです。反省、内観は神の与え給うた大きな慈愛です。私も反省させていただくまでは、すべて自分が正しく、人が間違っていると思っていました。自分がどうであったか、果たして過ちを犯していなかったかと追求していきますと、もう、あるわあるわ、過ちの塊みたいなものです。よくまあ、こんな自分が今日まで生きさせてもらったことだ、皆さんの許し、神様の許し、そんな大きな愛の中に許してい