ブログ記事522件
薬師寺をぶらっと見てまわった後、唐招提寺へ。唐招提寺までは500メートル北進と書かれているので、まあ7〜8分で行けるかなと踏んでいるのに、旦那が途中で空腹を訴えたので食事することに。まあ、タイミング的に悪くないのでよかったかな。奈良漬が出ました。唐招提寺。『天平の甍』を思い出しますね。この白い花は?コデマリ?じゃあ、これは?↓観光のオバ様がたは、さっきのはコデマリ、これはオオデマリと豪語しあってらっしゃいましたが・・・・・・鑑真ゆかりの「瓊花(けいか)」の花だとそばに書い
なんか小中学校の時?いつか忘れたけど、ガンジーと鑑真に心を惹かれたことを思い出した。一時期尊敬する人は?みないな質問があった時に(プロフィール帳とかだったのかな?覚えてないんだけど)書いた気がする。どちらも苦境に屈せず暴力にも屈せず生きる姿に子どもながら惹かれたんだと思う!ガンジー改めて調べてみたらこんな言葉があった。「希望を失って落ち込んだ時、私は真実と愛によるやり方が歴史を通じて常に勝利してきたことを思い出す。さまざまな暴君、そして殺人者がいた。一時的には、彼らは全く無敵であるように
【日テレニュース:4/22(月)17:33配信】亜細亜大学の中国籍の教授が一時帰国後に連絡が取れなくなっていることについて、中国政府は「把握していない」と述べました。連絡が取れなくなっているのは、亜細亜大学・都市創造学部の范雲濤教授です。教授失踪「把握していない」中国-Yahoo!ニュース亜細亜大学の中国籍の教授が一時帰国後に連絡が取れなくなっていることについて、中国政府は「把握していない」と述べました。news.yahoo.co.jp【JBpress(吉村剛史):202
みなさん、こんばんは!おはようございます、こんにちは☀️今日も前回の投稿に引き続き「下野薬師寺(しもつけやくしじ)」をみなさんにご紹介したいと思います📓🖋️✳️下野薬師寺(しもつけやくしじ)✳️慶長年間(1596~1614年)の頃、薬師寺村は秋田藩佐竹家の飛び地でした。✳️鑑真大和上宝塔✳️佐竹家家老「渋江内膳政光」により、「薬師堂(本堂)」と「戒壇堂」が再建されました。✳️鑑真大和上ゆかりの木「瓊花(ケイカ)」✳️現在の「下野薬師寺」は国指定史跡の遺跡の中心に位置しています!
こんにちは。プリンセスハウス細見貴子です。桜もあっという間でしたね~。さて、これは先月行った奈良の写真です。初めて「唐招提寺」へ行ってみました。唐招提寺は、有名な鑑真にゆかりのあるお寺です。場所は、「西ノ京」から徒歩10分くらいでしょうか。有名な薬師寺の近くです。入口。ここも、人は少なかったです。国宝の金堂。本当に美しい建築でした。奈良時代のお寺っぽい造りです。
好きな相棒・名コンビといえば?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう✾鉢に刺された蜂?✾佐和田レクイエム梁系職!✾くらえ!ハニー鑑真ピュアビーム!2024年4月14日蜂よけが無かったので,蜂が蜂が飛んでいってくれて良かった蜂,多分,蜜蜂!周囲の家の人も気をつけて.鑑真和上伝唐大和上東征傳【電子書籍】[真人元開(撰)那連一郎(訳)]楽天市場660円${EVENT_LABEL_01_TEXT}鑑真和上唐大和上東征傳電子書籍魔人真撰楽天
中学校の歴史の教科書に記載されている重要人物を紹介します。第16回は「鑑真」です。☟詳細はこちら☟-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtube.com
2024年3月29日。昨晩から降っていた雨は、午後にはあがった。外に出る。もわっ。あったかい。歩いているうちに汗が出てきた。袖をまくった。「像めぐり」の17回目。白山通りから1~2本はずれた住宅街の細い道を北西へと行き、千石で借りていた「横山秀夫」を返し、そこから不忍通りに曲がって不忍の池まで歩いてゆく。不忍池は、晴れて人が出ていた。たくさんのボートが水面に浮かんでいる。不忍で鑑真頑固風を受けここに鑑真の像があることは、あまり知られていない。2022年、小池百
僕はトイプードルのペレ結婚相談所を運営しているご主人と散歩に行く時は、必ず神社に立ち寄ってみんなの良縁祈願のお参りをするのが日課だワンそんな僕が婚活に役立つ名言・格言を教えるよ今回は、奈良時代に5回の渡航失敗と失明を乗り越えて唐から来日し、仏教を広めたことで知られる鑑真の名言だワン「一を聞いて十を知るよりも、一を聞いて一を実行に移すべきである」。学ぶことは大切だけれど、行動にうつさなければ頭でっかちな人になってしまうかもしれないよね学んだことはまず実際にやっ
ブログを読んで頂き、ありがとうございます。今回は鑑真について、解説記事を作成してみたいと思います。よかったら、読んでみてください。序章:歴史を渡る壮大な旅日本の仏教において、鑑真の足跡は特別な章を形成しています。遠い中国から荒波を越えて日本へと仏教を伝えたこの偉大な僧侶の物語は、ただの伝説にとどまらず、彼の果敢な挑戦と不屈の精神を今に伝えています。しかし、鑑真にまつわる話には、まだ多くの人に知られていない興味深い事実があります。この記事では、その歴史的事実に基づいた鑑真の生涯を、ワクワク
何ともお恥ずかしい限りであるが「「大宰府」と「大宰府」とが違うことを初めて知った。九州を統治(外交を含む)する機関として設置された国の機関(役所)が「大宰府」であり、この機関のある場所・地域が「大宰府」である。鑑真和尚のルート探しをしていて、二つの漢字の使い分け
🌸戒律(教え)☆釈尊の定めた規則を遵守し悟りへと向かう⛳仏教における戒律の重要性☆仏教経典は、経蔵・律蔵・論蔵の三種、「三蔵」に分けられる☆経蔵は釈尊が説いた教えをまとめた経典*『法句経』『般若経』『維摩経』『法華経』『華厳経』など☆律蔵は仏道を学ぶ者が守るべき戒律を記した経典*『パーリ律』『十誦律』『四分律』『根本説一切有部律』など☆論蔵は経蔵・律蔵について後世の学者が注釈をほどこした経典*『中論』『百論』『十二門論』など☆律蔵を中心に仏教を研究しようとす
だいたい初めは同じ場所?の夢をよくみます。香港?台湾?みたいな所のマンションみたいなホテルのビュッフェみたいなやつで飯食うところは同じ、で、ここから違う夢なんねけど、今回はなんかおばちゃんに鑑真の説明してて、そこで、「ここに鑑真大和上が座ってたんですよー」言うて、木彫りで出来たゲームオブスローンに出てくる玉座みたいなん見せて、そこに座らせてもらうっていう…どゆことコレ!?夢は寝てる間に脳内の整理してるとか聞くけど、ジャンルの違う本をバラバラに本棚に詰め込んでる気がする
那須風土記の丘で古代に作られた「東山道」に関する展示物をみて驚き、その後、当時、官道として「直道」が作られたことを苅谷俊介さんに教えていただいた。山を削り、谷をうめて、とにかく真直ぐな道を作ったのだ。今朝、ふとNHKBSの画面に、中国「秦」の時代、時は紀元前
拙ブログで何回か取り上げた鑑真和尚の行路薩摩国・秋目(妻)浦(坊津中心部から北にある)から太宰府まで、どんな手段で、どこを通ってたどり着いたのか?『唐大和上東征伝』によると、鑑真が秋目浦に漂着したのは天平勝宝五年(753
鑑真-Wikipediaja.wikipedia.org754年の今日は鑑真が奈良に入洛した日です。律宗が日本に伝授された日でもあります。3月2日-Wikipediaja.wikipedia.orgお気に入りの小物ある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう昨日、レクで撮った写真。タカアシガニ。初めて触りました。少し緊張しました!
【鑑真】娘の中学受験が終わった。本当に、長くて短くて、結果も含め色々と書きたい事はある。だが今日語りたいのは、受験云々などではなく、“鑑真”のことである。娘の中学受験のお陰で、私はすっかり鑑真のファンになってしまったのだ。私の鑑真愛は、この、補足を書き足したテキストの1ページだけでも少しはお分かりいただけるかもしれない。当時、異国日本の若者二人の熱意に打たれたとはいえ、55歳ではるばる中国(唐)から、4万人もの自分の弟子を置いて、度重なる危険な航海をさらには失明しながらも仏教の戒律を教
こんにちは。素適な生き型再生のみうらきょうじです。前回お見せした『大』の文字書いてみましたか?書かれた方はどんな感想をお待ちでしょうか。ご感想等いただければ嬉しいです。さて、この『大』の書き主は誰?ということになります。答えは鑑真和上です。鑑真和上出典Wikipedia鑑真については歴史の授業で皆さんご周知のことだろうと思います。日本に仏教の戒律を教えるため5回、渡航に失敗し失明した後、6回目にして渡日し使命を果たした高僧です。この不屈の精神を持った
乗り換えながら唐招提寺着きました。駅からの道薬師寺もあるのですが、本日はゆっくり回るので、唐招提寺のみ伺います。凛として静かな佇まいであり、ここを学び舎として鑑真のもとに多くの僧侶が集ってきたのかと。和上の廟の前の台と香炉?は、中国福建省からのものですね何を並べているのかと思えば、下のような団扇になるのですねたくさん干してありました。唐招提寺からバスに乗り、お茶しに春日大社の方に行きます。この度は、あまり詰め込まずにのんびり見て回ります。
前川清さんの旅好きも録画してみる番組です今日は鹿児島の南さつまの坊主町秋目の旅でした今は住む人は少なくなっている様でしたがそれでも楽しめそうな町は前川さんも気に入っている様でした訪ねたときに楽しそうに話してくださって案内をされた60代のおじいさんが11歳の時ボンド映画に出演したとか丹波哲郎の話など話は尽きませんでしたボンドコーヒーが飲めたのでした鑑真が海を渡ってそこについた時には目は見えなかったのだそうですでもそこにだけある鑑真酒は美味しかったようでした
2月24日(土)第12回南さつま海道鑑真の道歩きに参加してきました。9時2分に久志地区公民館を出発して、13時26分に帰り着きました。久志・秋目コースの約20kmの距離を歩き帰ってくるコースの、参加者400名です。受付を済ませ、おもてなしをもらいます。(クッキー、飴、漬物、お茶)出発式に、市長さんが鑑真に扮んして挨拶してました。スタートで、市長さんが銅鑼を鳴らしました。玉川学園の施設がある関係で、命名された。沿道の見送りの方が、飴の
夕焼けだんだん…JR日暮里駅からスタートして根津神社へ歩いてみた見どころいっぱい、はじめて訪れた根津神社一足伸ばして、不忍池へ不忍池に鑑真なぜ?学生さんの作品なのかな僕の元気の源は、やはり歩むこと。なにかに縛られることなく、気ままに散策したい。ブラブラしていたけど、写真すら撮ってなかったから…コロナ禍を挟み、最近忘れかけてたかも。
24.02/18sun.07:25-19:25(西梅田発着)四国八十八ヵ所霊場巡拝2024年、閏年は逆打ちというバス巡拝の第2回明石海峡大橋から室津PAでひと休み大鳴門橋を渡り高松自動車道志度ICから北に、国道11号線を西香川県屋島を上って、駐車場から屋島寺東大門右折左折で本堂本尊十一面千手観世音菩薩に納経右に西向きに、大師堂本堂から南に、仁王門四天門本堂の右となりに、蓑山大明神四国狸の総大将「太三郎狸」は土地の氏神右に奥まって、熊野権現社大師堂の
「斉明天皇、筑紫西下の海の道熟田津の船出を中心に」(清原倫子、『海路第13号古代官道と道の文化)という興味深い論文を一気に読んだ。斉明天皇の西下とは、661年1月に、唐・新羅に滅ぼされた百済再興支援のため筑紫に向かったことをいう。鑑真が日本に漂着したのが753年で、それよりおよぞ百年前のこと。鑑真は斉明天皇西下とは逆に、瀬戸内海を難波まで向かっているが、当時の瀬戸内海の海路や知るてがかりとなる(私の当面の課題は、秋妻屋浦から太宰府までの鑑真の足取り)。論者は海洋考古学の成果など
数年ぶりに、白椿が咲いてくれた。以前のような大輪ではないものの、愛らしい。ただ、恥ずかしいのか、表からはみえにくい場所に咲いているのが残念。<花言葉は完全なる美しさ」「申し分のない魅力」「至上の愛らしさ」とのこと>でも、つぼみがまだたくさんあるので、ちゃんと前を向いてくれる花を写すことができそう。*昨日は久しぶりに長文のブログを、『鑑真行路について」と題して書いたのだが、なぜかアップす忘れ、かつ、消してしまった。そのため、昨日のブログはなし。「鑑真行路」は明日
「薬師寺」から徒歩約10分で「唐招提寺」に到着しました。唐の高僧「鑑真和上」は日本からの熱心な招きに応じましたが、当時の渡航はとても厳しく、5度失敗して盲目になり、6度目の渡航でようやく平城京に入り来朝されたそうです。鑑真和上が759年に創建されたのが「唐招提寺」で「世界遺産」に登録されています。金堂金堂(国宝)は、奈良時代の最大の建築物中に入ると左千手観音立像中央御本尊の盧舎那仏坐像右薬師如来立像(写真はお借りしました)いずれも国宝です。特に
これまで何回か取り上げだ備中藩士の山田方谷。残念ながら直接の出会いはなかったようだが、江戸の陽明学者・佐藤一斎に学んだのが薩摩の西郷隆盛。二人の間には陽明学、佐藤一斎があった。sarasoujuさんに刺激されて、また鑑真の行路に思いをよせ、そのため中村明蔵著『鑑真幻影』を開けたら、まず次の文章が目に飛び込んできた。「江戸時代の旅人も、坊津の眺望をほめている。備中(岡山県)の薬種商、古河古松軒(こしょうけん)は天明三年(1783年)西国各地を旅し、『西遊雑記』を著している
みなさまいつもありがとうございます。山口県柳井市カラダと心の自然治癒力を上げる純菜食カフェ『ワンネスの木』オーナーシェフの美友紀です。『自己紹介保存版』山口県柳井市カラダと心を整える純菜食カフェ『ワンネスの木』オーナーシェフ美友紀と申します(*^_^*)🌱@onenessnoki山口県柳井市…ameblo.jp『veganカフェメニューのご紹介』いつもありがとうございます。山口県柳井市カラダと心よろこぶ純菜食カフェ『ワンネスの木』オーナー
754年(天平勝宝5年12月20日)のきょうは鑑真が仏舎利を携え秋妻屋浦(現在の鹿児島県南さつま市坊津町秋目)に上陸した日です。なお、その時鑑真は失明していました。鑑真-Wikipediaja.wikipedia.org好きな料理教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
こんばんは由希絵です今回も奈良旅の続きで『光明皇后』と『鑑真』にゆかりのある奈良旅の場所をご紹介いたします光明皇后と対面したと記録に残っている『鑑真』が作った『唐招提寺』に行ってまいりました『薬師寺』から歩いて10分もかからないうちに着きました。以外と近かったです。とても静かな風情で、鑑真和上の思いが伝わってくるような不思議な感覚になりました。どうしてこのお寺に行きたかったというと、中宮寺の『半跏思惟像』と同様、私の住んでいる地域の近代美術館でかなり前ですが『鑑真和上展』が開催さ