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忍阪(おっさか)の里山は今回の奈良旅行で一番楽しみにしていたエリアです。😀4年前、大阪赴任が終わる直前に土砂降りの中、無理をして訪れました。でも大正解!直ぐに関東へ戻る事になり奈良は簡単に訪れる場所ではなくなりました。今回は幸運にも傘の出番は無かった。4年ぶりの段ノ塚古墳(舒明天皇陵)。風格のある佇まいは石垣の段築の効果か?特にこのアングル(↑)は気に入ってます。段ノ塚古墳が鎮座する忍阪は宇陀を経由して伊勢方面へ抜ける忍阪街道に沿った丘陵地にあたります。
11月17日(月)、『龍田古道』を歩きました。河内と大和を結ぶ『龍田古道』。飛鳥時代からの『龍田古道』には、いくつかのルートがあり、今回は、JR三郷駅から、大和川に沿って。「奈良と大阪の国境にある天然の関所『亀の瀬』。ここは、地すべりとの共生と闘いの歴史を刻む場所。」まずは、JR三郷駅。駅横に、能因法師の『嵐ふくみむろの山のもみぢ葉はたっ田の川の錦なりけり』磐瀬の杜。鏡王女の歌。関地蔵。天武天皇の時代の四大関所のひとつ、龍田の関跡。ただ、大和川を
舒明天皇の『押坂内陵』をあとにして、さらに山道に入り。『鏡王女万葉歌碑』。万葉学者の犬養孝揮毫。彼の著作で、『万葉集』の世界を、どのように歩けばよいか、教わりました。それは、文学・歴史の世界であり、実際の散策の世界でも。『秋山の樹の下隠り逝く水の吾れこそ益さめ御思ひよりは』(『万葉集』巻292)そして、そのお墓。案内板が倒れたままに。鉄柵の脇がないので、足を踏み入れようとすると、大きな蜂が。お墓の前に。さらに、山道に入り。大伴皇女は、『日本書紀』によると、欽明
10月10日(金)。近鉄奈良駅から大和西大寺駅を経由して、大和八木駅。そこからさらに、大和朝倉駅まで。およそ、60分あまり。その大和朝倉駅がスタート地点です。駅前の山は、『朝倉台』として大規模な造成がおこなわれ、家々の立ち並ぶ大きな住宅地となって。ただ、スーパーマーケット大好き人間としては、買い物、どうするのか、と。で、その造成のなかで、古墳群が破壊され、その一部を移設したのが、『古墳公園』。寂しい『公園』でした。忍坂街道に出て。『忍坂坐生根神社』。天平2(730)年の『大倭国正
とっても驚きの不思議なことが起こりました淡山神社へ星ひらきに行った翌日の昼下がりみやちゃんが窓越しに見た光景は。。何かひらひら降ってるよ窓を開けて確認するみやちゃん桜の花びらがふわふわ舞っているのです不可思議な出来事に思わずえぇ~雪ぃ〜ちょうちょ〜どこから来たんだろうー反対側の窓開けて辺りを見回しベランダ出て上を眺めるひろたん周りに桜の木もありません風もありません上の階から子供が撒いてもいませんなんか流星のように目の先上空の放射点から撒かれたような感じなのです
2月16日日曜日桜井市忍阪にある舒明天皇陵(段ノ塚古墳)外鎌山の尾根の先端に築かれています上がると舒明天皇押阪陵とあります葺石らしき大きな石が並んでいます日本初の八角墳ですがその形跡はわかりませんでした墳墓の柵外に三角に加工された石がありました八角墳に使われた石かと思ば震えます幕末に墳丘の一部が崩壊し村人が密かに内部をうかがったところ石棺が手前と奥に2つあったと伝わっています被葬者は舒明天皇と母親の田村皇子だと考えられています舒明天皇の妻斉明天皇や子の中大兄
王女(おうきみ)の恋歌辿り瀬音行く胸の高鳴り初恋に似て😸鏡王女さまの万葉恋歌を辿り、心地良い小径を行くうち、鏡王女さまの雰囲気が濃くなるに従い、込み上げて来る嬉しさは、どこか初恋のときめきに似て、胸を高鳴らせます。恋鏡思えば浮かぶ香我美にて初恋の君愛したあの日😸「恋鏡さま」とは、私が鏡王女さまを呼ぶ時のお名前です。我が故郷は「鏡野」とか「香我美」と言われる所で、鏡王女さまをせつなく妄想しておりますと、ふとした瞬間にせつなさ
せせらぎに葉擦れに鳥もさえずりて吾も言の葉姫へと詠い😸奈良県桜井市忍阪にあります「鏡女王忍坂墓」へと続く小径。せせらぎと風が木々の葉を奏でる音と、そして鳥のさえずりだけの風景、その日本の原風景を思わせる心地良い音の中、私も歌を詠みました。古き谷歩けば弾む我が心りんりんと行く川風遊び😸奥の谷、「鏡王女忍坂墓」への小径を詠んだ短歌です。小径に沿って流れるせせらぎは、まるで鈴虫などの鳴き声のように、心に染み入る音をたててい
樹(き)の下の瀬音辿りて恋辿り谷に風たち風に恋あり😸奥の谷、鏡女王忍坂墓に行く途中のせせらぎに、犬飼孝史が揮毫された鏡王女(鏡女王)の恋の万葉歌碑があります。鏡王女さまの歌です秋山の樹の下隠り逝く水の吾こそ益さめ御念よりは現代語訳秋山の木の下に隠れ流れて行く細い水の流れが、次第に水かさを増すように、私の貴方に対する思いは、貴方の私に対する思いよりもまさっているのです。まさにこの歌は、この場所の為にあるような
万葉の静けさ宿す奥の谷風音さえも歌に聞こえし😸「この国の未来にかけて、このまま残ってほしい」と、万葉学者、故・犬飼孝氏が訴え愛した奈良県桜井市忍阪(おっさか)の「奥の谷」。非蘇我系の忍坂王家とも言われる舒明天皇などの陵墓があり、「王家の谷」とも言われているらしい。そして日本最古の悲恋物語のヒロイン衣通姫(そとおりひめ)を祀る玉津島明神、川端康成が「ほのぼの温かな美少女」と評した、日本最古の「伝薬師三尊石仏」を安置する石
恋の道もみじハラハラ君に舞い年甲斐もなく恋絵馬納め😸奈良県の談山神社にあります恋神社は、藤原鎌足の妻で、額田王の姉であります鏡王女(かがみのおうきみ)を祀る神社です。その神社までの参道が「恋の道」と言われ、「むすびの磐座」をなで、恋絵馬を奉納すると、恋愛、結婚、さらには人間関係にご利益があるとされています。恋絵馬を笑いながらも我が手元覗き込む妻頬染め微笑😸恋絵馬を奉納しようと、私が絵馬に願い事を書いていると、興味なさそう
君心鏡に映せ恋神社山粧(よそお)いし中で祈りし😸奈良県の多武峰にある恋神社は、鏡王女(鏡女王かがみのおうきみ)を祀る縁結びの神社。どうか「君」の心を映し出して、私に見せてほしい。山が紅葉し粧う中で、私はただ、「鏡」王女さまに祈る。御堂筋銀杏黄葉と(いちょうもみじ)君映る鏡覗きて恋をさぐりて😸御堂筋で黄葉する銀杏と、通りのガラス窓に映る君。君の心の奥底が知りたくて、それとはなくガラスに映る君を覗き込む私。
アクセスありがとうございます興福寺が朝廷に強訴!大挙して都に!(大河『光る君へ』の話です)興福寺は奈良にありますがその起こりは7世紀後半に藤原鎌足が鏡王女(かがみのおおきみ)の勧めによって京都山科のどこかに建立した「山階寺(やましなでら)」今回は山階寺推定地の史跡とその近くのお店にあるチーズケーキのご紹介です赤レンガの建物は京都薬科大学ちなみに大学東側のこの道をまっすぐ北上すると「五条別れ」道標があります!※現行地図の「五条別れ」は上の石碑の場所!道標は別
大和川が見えてきたところで、ちょうど201系が通りかかり、手前を221系がすり抜けるかたちで離合。インフラがいっぱい写り込む状況でしたがこの日は河内堅上駅以来約2時間ぶりの再会だったのでとりあえず写真に収めます。その第3橋梁の手前に写っていたのが大正橋、大和川にはずっと下流の平野区と松原市の間に明治橋があるのを知っていたのでちょっと気になって調べて見たら奈良に明治・大正・昭和、大阪にも明治・大正がありました。残念ながら平成橋と令和橋は見つかりませんでした。第3大和
10月15日【秋山の】秋山の木(こ)の下隠(がく)り行く水の我(わ)れこそ益さめ御(み)思ひよりは鏡王女ーーーーー秋色に彩られた樹々が山肌を覆う季節たくさんの落ち葉の下に人知れず流れる水のように姿は見せずとも貴方がおもうよりももっとあなたをお慕いしていますこの歌は天智天皇が鏡王女に贈った歌に応えた相聞歌#和歌#秋山の#鏡王女
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆前回は久々の永井路子さんエッセイ『万葉恋歌』でしたが、今回は、万葉集の恋を漫画化した作品です!青沼裕貴/監修・解説=鉄野昌弘『ことのは!#万葉恋日和』表紙絵が素敵です。◆5つの恋物語を漫画で。解説も充実5つの恋物語の漫画(それぞれ本編とおまけ漫画)、解説とコラムで構成、最初に序として年号「令和」の出典となった大伴旅人の宴が導入漫画として入ります。癖のないシンプルな絵柄、現代っ子にも親しみやすいせりふ回し、初心者にもわか
今日は義母の入院している病院へ荷物持って行きました。帰りちょっと寄り道したよ。大和多武峰談山神社(やまととうのみねたんざんじんじゃ)⛩でした。おしまい
舒明天皇陵から右手の道を進みます。鏡王女万葉歌碑があります。少し進むと鏡王女墓鏡王女-Wikipedia藤原鎌足の正妻とされています。額田王の姉という説も。
この間、「落ち葉」話を書いたばかりですが(^^;)霜月も半ばを過ぎた今朝。そして、しっとりとしたこの季節。こんな万葉歌は、いかがでしょうか。万葉時代の王妃の想いにも、そっと触れていただけたらー秋山の木の下がくり行く水の吾こそまさめみ思よりは(鏡王女)秋山の降り積もった落ち葉の下を、ひっそりと流れるか細い清流。その水かさ(私の想い)が増したからといって、いったい誰がわかるというのでしょう。(きっと貴方様は、お気づきにはならないでしょうね。)それでも私は貴方
風をだに恋(こ)ふるは羨(と)もし風をだに来(こ)むとし待たば何か嘆かむ万葉集巻四相聞歌489~鏡王女(かがみのおほ(お)きみ)【題詞】鏡王女作歌一首【原文】風乎太尓戀流波乏之風小谷将来登時待者何香将嘆読み・・・かぜをだにこふるはともしかぜをだにこむとしまたばなにかなげかむ簡単現代語訳・・・風が吹いたことさえ、恋焦がれることが出来る
奈良県桜井市の赤坂天王山古墳の後は忍坂(おっさか)の舒明天皇稜に向かいました。朝から降り続く雨は弱まる気配がありません。舒明天皇稜は段ノ塚古墳とも呼ばれ我が国初の八角墳だと考えられています。一説によりますと舒明天皇は当初明日香村の小山田古墳に埋葬された後こちらへ改葬されたとも考えられています。父君の忍坂彦人大兄皇子が忍坂の出自であり母親も忍坂ゆかりの方だったのでしょう。今から150年程前墳丘から石室が露出した事があったそうでその際、二つの石棺が確認されたといい
前回の続きです。舒明天皇陵を後にして、目的の鏡王女の古墳に向かいます。まるで時が止まったかのような空間右端のこんもりとした部分が古墳です。古墳に近付くと『お姉さん…』と呼びかけられました…誰?舒明天皇陵から数分歩くと、左手にこじんまりとした小山が現れます。古墳までの道のりを、初めて買ったジンバルを使って撮影しました(^^)この門の奥が墓所周囲は静かで完全に人払いがされています。到着してすぐに鶯がひと鳴きしました。この空間では全てが揃ったような感覚が
今週には桜が満開になるとニュースで知って「そうだ。奈良と京都に行こう!」と、仙骨が反応したので、今日は日帰りで奈良と京都に行きました。すっきり晴れて気温もちょうどいい!目的の大和朝倉駅の桜ロード🌸自動車もほとんど通らないので、撮影しやすい!今回の目的は鏡王女の古墳です。こんなにのどかで静かな場所に、ひっそりと埋葬されています。ここは出雲ですか?というくらいに、古い日本の意識と情報が眠っている土地でした。帰り道で出会った猫しばし腹の探り合いです(笑)〆は伏見の白狐
2021年2月、源義経ゆかりのスポットめぐり、真照寺に行ってきましたと言いつつ、額田王ゆかりのお寺さんです鏡神社の神官鏡王の娘が額田王や鏡王女。鏡王は壬申の乱で大海人皇子側について戦死し、この真照寺に葬られたそうです。この他、道の駅竜王かがみの里から歩いて行ける範囲の色々スポットをご紹介。(ほとんどが看板のみですが…)もう少し足を伸ばすと、更に見所があるようですよ。因みに、牛若丸(後の源義経)が鞍馬から奥州に向かう途中に鏡の里宿に泊まった際に元服したそうで、これを元にしたのが謡曲「
2021年2月、源義経ゆかりのスポットめぐり、鏡神社に行ってきました御祭神は天日槍尊、配祀神は天津彦根命・天目一箇神。日本書紀にも記されている、新羅から製陶技術や渡来文化を伝えたのが天日槍をお祀りしています。出石神社でもお祀りしていたなぁ天日槍が新羅から持って来た神宝の日鏡をこの地に納めたことから、地名が「鏡」になったのだそうです。また、日本書紀にも「近江鏡の谷の陶人は即天日槍の従人なり」と記されているそうです!更に、額田王や鏡王女のゆかりの地でもあり、のち、近江源氏佐々木一族の鏡氏が
ご訪問ありがとうございます。額田王もいよいよ大詰め(青息吐息)_| ̄|○前回までで、額田王と鏡王女は敏達天皇四世王で①②③④敏達-彦人皇子-舒明兄弟-鏡王┬鏡王女└額田王舒明の兄弟の孫ではないかと推理しました。彦人大兄皇子の孫までは「古事記」にも載りませんし、(なんと軽王孝徳は皇極紀には系譜が載らないw)「日本書紀」には皇極天皇は淳中倉太珠敷=敏達天皇の曾孫
ご訪問ありがとうございます。題はけっこうロマンチックだったりするのですがwまずお父さん鏡王です。やっぱりロマンチックじゃないwこの人が宣化天皇の四世王で、猪名公(真人)を賜姓された威奈鏡公であり、斉明朝で「大紫」を授けられた猪名公高見と同一人物という説があります。しかし、それなら「孝徳紀」の白雉元年(650年)と壬申の乱(672年)を記した「天武紀上」のしめくくりに登場する高見が、「天武紀下」に鏡王として登場するのか不可解です。また、父親がすでに賜姓されているのにかかわらず、娘が姫王と
ご訪問ありがとうございます。今回は額田王を語るのに外せない女性・・・鏡王女と鏡姫王について考えてみます。ところで、鏡王女と鏡姫王という書き方をしましたが、この2人は同一人物だとも別人だともいう確証がありません。ですから、ここからは先学の説を踏まえながらの推理になります。そのせいで今回はかなり学術的な内容になりますが、ついてきていただけるとうれしいです。さて、鏡姫王は間違いなくカカミノオホキミですが・・・鏡王女は本当はカガミノオホキミノムスメと読むべきなのです。「日本書紀」には「
古代研究家の小川隆宏です。額田王の姉である鏡王女です。風をだに恋ふるは羨(と)もし風をだに来(こ)むとし待たば何か嘆(なげ)かむ鏡王女現代語訳「簾の動く音に愛しい人が来てくれたのかもと振り返ってみたら風が簾を動かしただけだった…」と嘆く額田王に対して、「そんなふうに愛しい人が来てくれたのかもと思えるだけでも貴女は幸せです。来てくれないと分かりきってる私には風が簾を動かしてもこころが揺れることすらないのですから…」すごく切ない和歌ですね。鏡王女から妹である額田王に心を移してしまった天智天
忍坂街道から東へ入ると、奥の谷と呼ばれる地があります。まさに、王家の谷と呼ぶに相応しい風景。鏡女王(生年不詳-683)は、額田王の姉、天智天皇の妃、中臣鎌足の正室。万葉集初期の歌人として知られています。鏡王女、鏡姫王とも記され、かがみのおおきみ、かがみのひめみこ等と読まれます。墓域南西端。桜井市忍阪字女塚。■拝所■石標鏡女王忍阪墓。忍阪墓[おっさかぼ]、押坂墓[おしさかぼ]、鏡皇女陵などと呼ばれています。■制札談山保存會は