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貴舩神社(大田区大森東3-9-19)(主祭神)高麗神(社格等)旧村社(旧東大森村の鎮守、明治18年に旧大森村総鎮守)(沿革等)創建年代不詳。伝承では、文永3年(1266)、鎌倉からの移住者田中大夫が、厳正寺創建法円上人と共に、田中家守護神の熊野権現と往古から鎮座する船玉明神(竜神)を合わせ祀ったのが当社の起源とする。天正18年(1590)に房州里見氏の侵攻により社殿を焼失するも村民が御神体を守り、江戸初期に社殿を再建し、熊野社を末社とした貴船神社の実質的な創建となった。文
浦守稲荷神社(大田区大森南3-27-8)(主祭神)宇迦之御魂命(社格等)ー(旧大森村前ノ浦の鎮守)(沿革等)創建年代不詳。伝承では元禄年間(1688-1704)に創建、宝暦年間(1751-1764)に前ノ浦の開拓に努力した伊藤権兵衛が社地・社殿整備に貢献したという。当地の鎮守であったが、明治になると都内からの参拝者も増加し、京浜間の信者による「弥栄弁天講」で賑わった。昭和20年の空襲により旧大森地域の大部分が焼失したが、当社の氏子区域(大森九丁目森ヶ崎)は戦災の影響も限ら
三輪厳島神社(大田区大森東4-35-3)(主祭神)大国主命、伊弉冉尊、市杵島姫命(社格等)ー(-)(沿革等)・創建年代不詳。伝承では、冶承四年(1180年)、源頼朝の挙兵に合流するため、源義経らが平泉から鎌倉に向かう途中の多摩川の渡しで、二百十日の南西風に流され大森袖ヶ浦沖に流された。船から見えた神社の森(小祠)に祈ると波風が平穏となり助かった。義経が里人に当社の神により武運が守られたと語り、これを契機に里人が森を開き社殿を修理したという。後に正月の水神祭に、義経が上陸し
堀之内三輪神社(大田区大森中3-17-3)鳥居(主祭神)大国主命、天照皇大神、高龗神、菅原道真(社格等)―(旧東大森村字堀ノ内の鎮守)(沿革等)創建年代不詳だが、寛永年間(1624-1644)、五穀豊穣(農業と漁業)と土地開拓の神として大国主命を祀り第六天社として創建したと伝わる。大正4年(1915)に古くから堀ノ内にあった貴船神社、天祖神社などを合祀して堀ノ内の総鎮守となった。昭和20年の空襲で社殿等を焼失。昭和27年再建、昭和61年に社殿等を新築。*大国主
大森八幡神社(大田区大森中3-3-8)(主祭神)品陀和気命(社格等)旧村社(旧北大森村、西大森村の鎮守社)(沿革等)創建年代不詳。建武年間(1334-1336)の創建と伝わる。往古、当地の住民は僅かで氏神の祭祀もなかったが、鎌倉時代を通じて徐々に人流が生まれ移住者も出るようになったため、関東(鎌倉幕府)に縁の深い八幡宮(鶴岡八幡宮か)を勧請した。後に大森村が分村した際に北大森村と西大森村の総鎮守となったという(大森區史)。昭和20年の空襲により社殿が焼失としたようだ(戦災
産土神社リサーチ現代護神符認定講師真友花です。先日、愛知県にて、お客様の産土神社や鎮守神社にご一緒させていただきました。予定していた産土神社と鎮守神社以外で、急遽参拝した神社の参道。美しい✨有名神社ではない。ガイドブックに載っていない。でもその方にとってはどこよりも味方になってくれる大切な神社。それが、産土神社、鎮守神社です。その御縁で私も美しい風景を見ることができ、神様にお会いし、お話しできる。神様が伝えたいことを直接お客様にお話しできる。とてもありがたいことです。あとど
貴菅神社(大田区大森西5-27-7)*正式名称「貴舩(船)神社」(主祭神)高寵神、菅原道真(社格等)ー(旧大森村小名谷戸宿(本宿)の鎮守)(沿革等)創建年代不詳。江戸期は貴船社。明治42年に、東海道を挟んで真向かいにあった菅原神社を合祀。昭和になると貴菅神社と俗称された。*新編武蔵風土記稿「東大森村・西大森村・北大森村」【貴船社】除地五畝二十九歩、村の南にあり、社は二間四方、東に向ふ。末社稲荷社、小祠。【天神社】除地一畝二十七歩、村の南海道の東側にあり、小祠な
縁切りと縁結び・産土神社鑑定×託宣で神さまと人のご縁の橋渡し『結人-むすびと-』凜花~Reincarnation~お問い合わせ先日のブログで、大雨や地震などの災害を通して、改めて皆さまにお伝えしたい「神さまからのご加護」についてのお話をさせていただきました。その中で、ぜひ知っていただきたい神さまとしてお名前を挙げたのが、産土神さまと、鎮守さま。どちらも、私たちがこの現実世界を生きていくうえで、とても大切な神さまですでも実は。「産土神さま
谷戸三輪神社(大田区大森西5-18-5)(主祭神)大国主命(社格等)ー(旧西大森村字谷戸の鎮守)(沿革等)江戸時代初期の創建という。伝承によれば、元は谷戸集落の外れの小祠であったが、相次ぐ自然災害をうけて、当時流行していた出雲信仰に鑑み、農業神として大黒様(大国主命)を勧請し第六天社として祀ったという。別当寺は北大森村密乗院。明治の神仏分離令により社号を三輪神社に改称。昭和20年の空襲により社殿焼失。昭和29年に再建。老朽化から昭和63年に社殿新築。令和の大改修を実施。
<お知らせ>・お支払日よりリサーチ結果のお届けまで、14日程度お時間をいただいております。ご了承の上、お申し込みをお願いいたします。産土神をご存じですか?あなただけをサポートしてくださる、土地神さまです。マンツーマンで、あなた専属。あなただけの開運を担当する神さまが産土神です。産土神と出会える神社をリサーチするのが産土神社リサーチです。産土神社リサーチでは基本的に・産土神社・生活の鎮守神社・仕事の鎮守神社(学生の方は学校の鎮守神社)の3つの神社をリ
大六天根岸神社(大田区大森北4-24-4)(主祭神)面足命・惶根命(沿革等)由緒不明。推測だが、江戸時代に第六天社として創建され、明治の神仏分離により、神仏習合色の濃い第六天から面足命・惶根命に祭神を変更し、さらに字名から根岸神社に改称したとみられる。旧社地は、旧ダイシン百貨店の東側で、六郷用水(多磨川分水)北堀及び水田に面していた。同村内の根岸神社とともに、農業水利に関して第六天を祭祀したものではなかろうか。昭和初期(9年という説がある)、耕地整理により現社地(旧不入斗村
大森諏訪神社(大田区大森西2-23-6)(主祭神)建御名方命(社格等)旧村社(旧大森村山谷の鎮守)*村社指定は昭和11年と遅い理由は不明(沿革等)創建年代不詳。伝承では江戸初期に大森海岸袖ヶ浦へ着岸した御神体を村民が祠に祀ったのが始まりだという。江戸時代には旧大森村山谷の鎮守。昭和20年に戦災で社殿焼失。仮復旧後、昭和32年に現社殿を建立。*新編武蔵風土記稿「東大森村・西大森村・北大森村」【諏訪社】除地二十歩、村の中央にあり、これも北大森村に属す。祭礼は年々九月二
縁切りと縁結び・産土神社鑑定×託宣で神さまと人のご縁の橋渡し『結人-むすびと-』凜花~Reincarnation~メニュー/お問い合わせ✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚人生をスムーズに!成功へ導く神さまのサポートもっと充実した日々が欲しい!本当はこう生きたい!なんとか理想に届きたい!そんな想いを抱えるあなたへ。あなたの人生を変える強力なサポートを得ませんか?
大森浅間神社(大田区大森西2-2-7)(主祭神)木花咲邪姫命(社格等)旧村社(旧大森村字沢田の鎮守)(沿革等)当社は、宝永噴火(1707)後に富士講が隆盛した享保年間(1716-1736)に、冨士山本宮浅間神社を勧請し創建したという。大正7年の耕地整理により現在の平和島駅の西側北6丁目に移転。昭和15年に、氏子の増加と道路拡張のため現社地に遷座。*富士信仰・8世紀末から噴火活動期に入り、朝廷は富士山鎮火のための祭祀を開始。さらに貞観大噴火(864-866)をうけて
縁切りと縁結び・産土神社鑑定×託宣で神さまと人のご縁の橋渡し『結人-むすびと-』凜花~Reincarnation~お問い合わせここ最近、大雨や地震などのニュースを目にする機会が続いています。突然の災害を前にすると、私たちは改めて、「当たり前の日常は、決して当たり前ではない」ということを思い知らされますねもちろん、災害への備えはとても大切です避難場所を確認しておくこと。防災用品を準備しておくこと。危険が迫ったときには、行政
大森神社(大田区大森北6-32-12)(主祭神)久久能智命(社格等)旧村社(旧大森村の字美原(三原)の鎮守)(沿革等)創建は天正年間(1573-92)と伝わる。ある時、金色に輝く像(風土記稿は「弥陀の立像」とする)が海岸に流れ着いた。漁業に従事していた村民は、怖れをなして何度かこれを沖に返したが三度も寄り来たので社を建てて祀ったという。この経緯から「寄来明神社」と呼称したと伝わる。明治になり大森神社と改称。昭和20年の東京大空襲により社殿を焼失。昭和38年に再建。*
磐井神社(大田区大森北2-20-8)江戸枚名所図会「鈴の森八幡宮」(主祭神)応神天皇、大己貴命、仲哀天皇、神功皇后、仲津姫大神(社格等)旧郷社(式内社、不入斗村の鎮守、「武蔵国八幡総社」の実質は不明)(沿革等)当社は『三代実録(901年)』に貞観元年(859)「武蔵国従五位下磐井神社列於官社」また『延喜式(927年)』神明帳に「荏原郡二座並小磐井神社」とある古社である。江戸時代の社伝では、貞観元年に「総社八幡宮」に定められたとする。永正年間(1504-21)に兵火で
生まれる前から、ずっと見守ってくれている神様―産土神(うぶすながみ)とは私たちは誰もが、生まれた瞬間から「この世に一人ぼっち」ではありません。それどころか、生まれる前から、そして死んだ後までも、ずっと見守り、支え続けてくださる神様がいると古来より伝えられています。その神様のことを、「産土神(うぶすながみ)」と呼びます。産土神とは、あなたが生まれた土地を守る土地神様のうち、特にあなた個人と深いご縁を結び、一生を通して守護してくださる神様のこと。言わば、「あなたの魂のふるさとの神様」で
新井宿春日神社(大田区中央1-14-1)(主祭神)天児屋根神、建御賀豆智神、伊波比主神(社格等)旧村社(旧新井宿村の一部の鎮守)(沿革等)古記録が失われており創建年代不詳。鎌倉時代末期(700年前)、当地に仮住まいした鎌倉幕府の残党が春日大社を勧請したのが始まりだと伝承がある。鹿島神宮と香取神宮の祭神が祀られている経緯の記載は見つからない。旧池上道(古代東海道)沿いの立地は江戸期よりも前の鎮座を想起させる。*新編武蔵風土記稿「新井宿村」【春日社】村の南の方池上道
おはようございます(*´ω`*)ノ))いつもいいねありがとうございます今日は鎮守神社へ参拝に。境内で、年配の方が何かを見つけていて、「これ、タマムシですよ」と私にも見せてくださいました。実物を見るのは初めて緑色にキラキラ輝いてほんとうに綺麗な昆虫でした✨そして、その方が笑顔で「タマムシを見たら、お金持ちになりますよ」と。そんな言葉を頂いた今日。偶然の出来事だけどなんだか嬉しくて良い一日になりそうな予感です。🪲✨
代六天根ヶ原神社(大田区山王3-15-23)(主祭神)面足命・惶根命(沿革等)由緒不明。推測だが、江戸時代に第六天社として創建され、明治の神仏分離により、神仏習合色の濃い第六天から面足命・惶根命に祭神を変更し、さらに字名から根ヶ原神社に改称したとみられる。当地は、農村地帯であり、近くに六郷用水(多磨川分水)北堀があり、同村内の根岸神社とともに、農業水利に関して第六天を祭祀したものではなかろうか。*新編武蔵風土記稿「新井宿村」【小名根河原】村の中央なり【多磨川分水】村
熊野神社(大田区山王3-43-11)(主祭神)伊邪那岐命、速玉男命(社格等)旧村社(不明)(沿革等)創建年代不明だが江戸時代以前に鎮座していたとみられる。江戸初期に当地領主(旗本)になった木原家が、元和年間(1615~1624年)、日光東照宮造営の大工棟梁を務めた際の余材で、当社の社殿を造営したという。寛永20年(1643)、木原義久が境内の南に築山し熊野新宮を勧請した現存しない。旧別当寺は善慶寺であり、現在でも善慶寺の境内に鳥居がある。*木原家・紀州勝浦の城主の家系
産土神社リサーチ現代護神符認定講師真友花です。「摂社末社も全部拝殿の前で参拝した方がよいのでしょうか。ちょっと鳥居をくぐるのが怖い神社があるのですが」と、お客様からご質問をいただきました。今日は、この件につきまして、加筆再掲載記事です。神社参拝の際には、摂社末社にも参拝しましょう!(詳しくはこちらの記事→☆)とお伝えしておりますが、無理には参拝しなくてもよい神社もあります。産土神社や鎮守神社の摂社末社でしたら、これからも何度も足を運びますから、一
八景天祖神社(大田区山王2-8-1)(主祭神)天照大御神(社格等)ー(旧新井宿村の一部の鎮守)(沿革等)創建年代不詳。江戸時代に地元名士の皆川家(狛犬の奉納者を参照)が神社創建のために土地を提供したといい、また樹齢約400年の「椎」のご神木があることから江戸時代の創建であろう。江戸時代の社名は「神明社」、旧別当寺は円能寺。*新編武蔵風土記稿「新井宿村」【神明社】八景坂のうへにあり。本社2間に9尺、山上にあり。昔はいまの社の所より背後の方小祠にあるところにありしと
大森山王日枝神社(大田区山王1-6-2)(主祭神)大山咋命・大己貴命(社格等)旧村社(旧新井宿村)(沿革等)創建年代不詳。当初は江戸時代の新井宿村の名主・酒井権左衛門の邸内社(邸宅は約10万㎡)にあったが、後に隣接の圓能寺が別当寺となりその管理下に入ったという。明治の神仏分離により独立し「日枝神社」に改称(この時、大己貴命を祭神に加えたか)。大正12年(1923)に社殿新築。昭和20年東京大空襲によって社殿焼失。昭和35年に再建。山王地区の名称の由来となった神社。
寺家(じけ)熊野神社(横浜市青葉区寺家町880)(主祭神)伊弉諾尊、伊弉冊尊、大日孁尊(社格等)旧村社(旧寺家村の鎮守?)(沿革等)創建年代不詳。江戸時代は別当の東円寺の寺領内にあった。慶應3年(1867)に本殿を再建。明治43年に山王社、金比羅社、伊勢神社、神明神社を合祀。大正14年に拝殿等を増築し社殿が完成。平成13年不審火により社殿全焼。翌年に再建。*創建に関しては、熊野本宮からの勧請又は師岡熊野神社の分社ともいわれる*東圓寺は王禅寺末寺で大正11年に王禅寺に
鐵神社(横浜市青葉区鉄町296)*くろがね神社(主祭神)伊弉諾尊、五十猛命、菅原道真公(社格等)旧村社(上・中・下鉄村の総鎮守)(沿革等)天文年間(1532-1555)の勧請といい、江戸時代は青木明神杉山明神合社と称した。明治になり鐵神社に改称。旧本殿は2殿(伊弉諾尊・五十猛尊)であったが、昭和4年改築時に一つにまとめられた。昭和38年に境内地の東北に私立桐蔭学園を建設するに伴い参道を拡張。昭和42年に現在の社殿を建立、昭和45年に天満宮を本殿に合祀。*新編武蔵風土記
早野子ノ神社(川崎市麻生区早野65)2026年2月参拝(主祭神)大己貴命、(相殿)倉稲魂命、木花咲耶姫命(社格等)旧村社(旧早野村の鎮守社)(沿革等)元禄16年(1703)、村民により創建されたという。享保19年(1734)再建。大正8年暴風雨により社殿大破、大正10年浅間社・稲荷社を合祀、昭和3年社殿改築。*社伝では、寛永4年(1627)の富士山噴火よる降砂を天災地変の前兆とみて村民が五穀豊穣を祈願して大已貴命を勧請したいう。しかし寛永4年(前後も含め)に富士
今日は、風が強い長崎でした最強開運日、鎮守神社は初詣を思わせる社務所行列でした私は、午後の仕事終わりに参拝のみ又気持ち新たにスタートです毎月国産ヘナに来店していただけます当サロンに来店される前は、髪のパサつきにとにかく悩まれていました毎月来店されるようになって5年以上髪はサラサラ艶々です前に白髪も集中されています半年に一度は全体にハイライトを入れて立体感と明るさを出していますヘナ毛も、パーマはかかるし、ブリーチもできます2度染めは明るめをしています今日もシャンプ
葛原神社(品川区荏原6-2-12)鳥居(大正4年建立)(主祭神)葛原親王(元は千葉氏の守護神妙見社)(社格等)ー(鏑木一族の守護神)(沿革等)当神社は、千葉氏の流れを汲む鏑木氏が当地に帰農し、千葉氏の守護神である妙見社として弘治2年(1556)創建したという。明治の神仏分離により、祭神を葛原親王(桓武天皇第三皇子)に変更、社名も改称。現在でも鏑木一族が祭祀しているようだ。*千葉氏・桓武平氏の流れを組む。後三年の役で戦功をあげた平忠兼が千葉氏の起源。源頼朝の下