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月始めに、鎮守神社へ三ヶ尻八幡神社雨でい浄められています午後は、埼玉県北本市道の駅桜国屋道の駅の裏手に期間限定ソフトクリームモネフィラ色美味しゅうございました。
江ヶ崎八幡神社(横浜市鶴見区江ヶ崎町13-31)(主祭神)応神天皇(社格等)旧村社(旧江ヶ崎村の鎮守)(沿革等)天正19年(1591年)、家康の江戸入府に際し、当地を知行地とされた荒川重世(長兵衛)が、当神社の社領を定めて社殿を修理したと伝わる。これを実質的な創建とみてよいか。当地は江戸時代を通じて旗本荒川氏の知行地であり、当神社は同氏を中心として維持されてきた。明治42年に、無格社大六天社(面足尊・惶根尊)を合祀。昭和3年に境内が新鶴見操車場に敷地として買収され当地
産土神(うぶすながみ)をご存じですか。たくさんの神さまの中であなたの人生の土台を、ずっと見守っている土地の神さまです。「開運のためにお願いする」というより、あなたがあなたのままで立っていけるように、足元を静かに支えてくれる存在。うまく説明できないけれど、•なぜかタイミングが合わない•がんばっているのに噛み合わない•方向は合っているはずなのに、進めないそんな時、上を変える前に“根っこ”が整うことで、流れが戻ることがあります。⸻産土神社リーディングでお伝えすることこ
産土神社リサーチ現代護神符認定講師真友花です。真友花メニューで一番人気は産土神社・鎮守神社リサーチ。多くの方からお申し込みいただいております。いつもありがとうございます。この中で、「神社」リサーチにプラスして守護の神仏パワーリサーチも含まれるコースもあるのですが、以前神社リサーチをお申し込みいただきましたお客様で、産土神社を知ってから、守護度も気になってきた。でも単品メニューはないし・・・リサーチしてもらえるのかしら?という方もいらっしゃいます。詳し
先日、月に一度お伺いしている鎮守神社の七郷神社様へ。この日はあいにくの曇り空。風も少し冷たくて、ちょっと肌寒いと感じるような空気でした。拝殿の前に立ち、今月も無事に過ごせたことへの感謝をお伝えしてきました神様と静かに向き合うこの時間は私にとって大切な心のメンテナンスのひとときです。境内では、八幡宮の神様、不動明王様(写真撮り忘れ)、お地蔵様に「いつもありがとうございます」とご挨拶させていただきました。境内の桜はほとんどが葉桜に。それでも、遅咲きの桜が名残惜しそうに
<お知らせ>・お支払日よりリサーチ結果のお届けまで、14日程度お時間をいただいております。ご了承の上、お申し込みをお願いいたします。産土神をご存じですか?あなただけをサポートしてくださる、土地神さまです。マンツーマンで、あなた専属。あなただけの開運を担当する神さまが産土神です。産土神と出会える神社をリサーチするのが産土神社リサーチです。産土神社リサーチでは基本的に・産土神社・生活の鎮守神社・仕事の鎮守神社(学生の方は学校の鎮守神社)の3つの神社をリ
塩浜神明神社(川崎市川崎区塩浜2-7-7)『江戸名所図会・川崎汐浜』(主祭神)天照皇大神(社格等)-(大師河原村塩浜地区の鎮守)(沿革等)大師河原村の塩田の開発に際し、その守護神として創建されたものとみられる。現在本殿の石製厨子に「延宝七年」(1679)の銘があり「新田鎮守」と記されているので当社の勧請はこの年と考えられている。*新編武蔵風土記稿「大師河原村」【神明社】村の中央にあり、本社九尺四方東に向へり、拝殿二間に三間村民の持末社【天神社】社地にあり
日ノ出厳島神社(出来野弁天社)(川崎市川崎区日ノ出2-7-7)(主祭神)市杵島比売神(社格等)ー(稲荷新田字出来野耕地等の新田の守護神)(沿革等)創建年代等不詳。稲荷新田の開発(1625年着工、1697年検地)後、池上家が所領とした南東部において、新田の風水害からの加護を祈念して17世紀後半に勧請・創建されたという。本来は「出来野弁財天」という。後に海苔養殖の守護神としても崇められた。関東大震災(1923年)により社殿が倒壊、1928年に再建。*新編武蔵風土記
殿町水神社(川崎市川崎区殿町2-1-20)石鳥居(1928年)(主祭神)天津罔象神(あまつみずはのめのかみ。水神、灌漑用水の神)(社格等)旧村社(稲荷新田の灌漑用水の守護神のようだ)*なお、稲田新田・川中島・大師河原の各村の総鎮守は大師稲荷である。(沿革等)創建年代不詳。大師河原の海辺の寄洲に開発された「稲荷新田」(1626年~1697年検地まで「大師河原新田」と呼称)の守護の神社として創建したとみられる。江戸幕府から慶安元年(1648)に朱印地3石を受領。なお、
大師稲荷神社(川崎市川崎区中瀬3-5-12)鳥居(平成6年再建。旧鳥居は関東大震災で半壊)(主祭神)大歳神(穀物神)(相殿)大宜都姫神(「大いなる食物の神」の意)・屋船豊請姫神(稲の神)(社格等)旧村社(稲荷新田村、川中之島村、大師河原村の総鎮守)(沿革等)創建年代不詳。平間寺(川崎大師)の朱印地である当地(多摩川低地)に十一面観音立像(大歳神)を本尊として創建されたという。1559年に小田原北条氏の領地となる。場所柄、新田開発に御利益があるとして大師地区新田の総
産土神社リサーチ現代護神符認定講師真友花です。産土神社や鎮守神社への参拝のご報告、たくさんいただいております。リサーチのご縁をいただきました皆様、及び、産土・鎮守の大神様、ありがとうございます。近年、パワースポットや御朱印ブームもあり、神社参拝する方が増えています。せっかく神社参拝するならば、まずは、一番の開運神社である産土神社に参拝しましょう。人には誰にでも、人生を一生見守り、人生での活躍や魂の成長をバックアップしてくれる産土の大神様がいらっしゃいます。ご
中島八幡神社(川崎市川崎区中島2-15-1)(主祭神)誉田別命(社格等)旧村社(旧中島村の鎮守)(沿革等)創建年代不詳。かつて保存されていた二十余枚の棟札に「元和二年(1616)社殿修復」の記録があったことや天海僧正の文書に遍照寺が八幡大菩薩(当社)の別当であると記されていることから、創建は江戸初期以前となろう。江戸時代にはわずか13戸(風土記稿時点で38戸)の小集落であったが、有力寺院の遍照寺が別当寺であったことや村民の固い結束により当神社は維持されてきた。昭和20
大島八幡神社(川崎市川崎区大島3-4-8)(主祭神)誉田別命(相殿)伊弉諾命・伊弉冉命*旧村内に祭神とすべき神社はない。当村民が氏子の稲毛神社からの勧請か。(社格等)ー(大島村の鎮守)(沿革等)創建年代等不明(別当真観寺が火災に遭い記録一切焼失のため)。川崎空襲により本殿をはじめ全ての建造物を焼失。しかし大島地区の氏子の崇敬は厚く順調に復興した。*新編武蔵風土記稿「大島村」【八幡社】村の東の端にあり、勧請の年歴詳ならず。神体は秘し置は見ことを許さず、覆屋あ
日枝大神社(川崎市川崎区小田2ー14ー7)社号標(明治100年を記念して1969年に建立)(主祭神)大山咋命(社格等)旧村社(小田村、下新田村、菅沢村の鎮守)(沿革等)別当寺円能院に伝わっていた当神社縁起(1659年成立)によれば、天暦2年(948)に日吉大社から勧請・創建(風土記稿)。江戸時代の呼称は山王権現・比叡宮。神仏分離によりに日枝大神社に改称。社地は古くは小田村の西隅にあったが後に現在(村中央)に移ったという。明治42年、村内の浅間神社、杉山神社、神明社、
すっかり夜に。なんか夜に家にいることが変な感じだʅ(◞‿◟)ʃ普段ならもうすぐ勤務開始実際は一時間以上前には始めているけど。先程作った煮魚案外美味しく頂きましたよ\(//∇//)\アルコール風味は若干あるけど煮切ってあるから大丈夫。もっと残念なことがある数日前に貰った友人作タケノコの煮物が痛んでダメになっていた。冷蔵庫にすぐ入れておいたんだけど...タケノコは痛みが早い申し訳ない。なんだよ休みだっていうのに滅入るなぁ...もぅ(__).。o○
新田神社(川崎市川崎区渡田2-14-8)神社より猫(主祭神)新田義貞公(社格等)旧村社(渡田村の鎮守)(沿革等)越前国で討死した新田義貞の形見(剣・鏡・陣羽織)をその家臣であった亘新左衛門源早勝が領地の当地に持ち帰り、里人がこれらを埋納して当神社を創建したという。家康入府の後、武士名士の信仰厚く、多くの祭田が寄進されという。明治末年に村内の神明社(太神宮)、姥ヶ崎弁才天社(旧地鋼管通三丁目)、亘新左衛門源早勝を祀っていた御霊社を合祀した。社殿等は空襲により焼失、
稲毛神社(川崎市川崎区宮本町7-7)江戸名所図会「河崎山王社」・御神木は現存(空襲で被災)、社殿は空襲で焼失・再建、この石鳥居は地震倒壊(主祭神)武甕槌神(相殿)経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神(社格等)旧郷社(川崎宿および河崎七ヶ村の総鎮守)(沿革等)伝説を除いても、最初に武甕槌神を祀り、平安末期に日吉大社(滋賀県)の分霊を河崎村に勧請した(後に上丸子へ遷座(上丸子日枝神社の由緒))と見られる。『長弁私案抄』(1404年)に「武州河崎郷山王社」へ大般
感謝してます♪高千穂峰登山!の予定急遽変更登山の格好して神社参拝!(笑)最初は霧島神宮の下にある鎮守神社若宮神社参拝そして。。初めてかも霧雨の中の霧島神宮なかなかいい感じ^^雨に降られた事ないからとても新鮮でした!次に霧島東神社へ霧島東神社から見た、御池はどこでしょう?登山行けなかった面々(笑)体力ありあまり中(笑)ポーズとってます!で、神社拝殿階段前ですらポーズ(笑)ドヤ顔のMちゃんなんか綺麗!金色に見えた^^黄緑ちゃうよ??私達が着いた
こんにちは(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”15日詣りはいつもの産土神社の大神神社と鎮守神社の布勢神社へまずは、布勢神社お稲荷様と葉桜お次は、大神神社珍しい?花が咲いていたので雨が降るの中の参拝心が洗われるようでした今日もありがとうございます
女躰神社(川崎市幸区幸町1-994)(主祭神)伊邪那岐命・伊邪那美命(相殿)誉田別命、天照皇大神、建御名方大神(社格等)旧村社(南河原村の鎮守)(沿革等)創建年代不明。永禄年間(1558-70)に当地(旧南河原村)の開墾に入った六郷(旧八幡塚村)の農民が村の守護神として創祀したという。また、多摩川の洪水を鎮めるために命を賭した女性の霊を祀ったという由緒がある。*新編武蔵風土記稿「南河原村」【女體権現社】村の東南の方にあり、本社六尺に七尺、覆屋二間に一丈、拝殿二
小向八幡大神(川崎市幸区小向西町3丁目28)(主祭神)応神天皇(社格等)―(小向村の実質的な鎮守か)(沿革等)創建年代不詳。寛文7年(1667)銘の棟札があったという。小向村の成り立ちからすればこの頃の創建というのは無理がない。*新編武蔵風土記稿「小向村」【八幡宮】村の西北にあり、社の上に覆屋あり二間に三間半、勧請の年歴は傳へず、寛文七年の棟札もあれど、此時新に建立ありしとも云傳へず、例祭は毎年九月十九日、千巻陁羅尼を讀経す、村内妙光寺持(立地等)小向は
戸手神明神社(川崎市幸区戸手本町2-395)(主祭神)伊邪那岐命・伊邪那美命春日神・八幡神(相殿)(社格等)―(旧戸手村の鎮守)(沿革等)創建年代等不詳。社殿は老朽化により大正12年に新築したが、川崎大空襲により焼失。昭和36年に造営、平成11年に現社殿(鉄筋コンクリ造り)を新築。*新編武蔵風土記稿「戸手村」【神明社】字西の原にあり、社地には松杉の古樹繁茂せり。社二間四方春日八幡の二坐を相殿とす。前に木の鳥居あり。村内鎮守にて例祭年々8月16日、南河原村宝蔵院持なり。
古川神明神社(川崎市幸区古川町63)(主祭神)伊邪那岐命・伊邪那美命宇迦之御魂神(相殿)(社格等)―(古川村の鎮守か)(沿革等)創建年代等不詳。風土記稿にある「相殿」「木鳥居」は現在でも同様の姿を伝えている。風土記稿は、当地旧家は北条氏政の庶子と母親が戦乱を逃れて土着化したことに始まるという。。江戸初期に開拓がはじまり、当村の鎮守として祀られたのであろうか。*新編武蔵風土記稿「古川村」【神明社】字鶴見田にあり、稲荷を相殿とす、前に木鳥居あり、例祭年々九月十九日
塚越御嶽神社(川崎市幸区塚越1-64)(主祭神)日本武尊(社格等)ー(塚越村の鎮守)(沿革等)創建年代不詳。江戸後期(風土記稿)には御嶽社と称していた。境内横に寛政期の手水舎が残る。また別当であった東明寺は徳川家康が小杉西明寺に対して名付けたいう。当神社拝殿が小高い基壇上に建てられており、現在は14段の石段(風土記稿は20段)がある。この基壇を造営するため近くの塚越古墳の盛土を使用したと伝わる。*新編武蔵風土記稿「塚越村」【塚越村】塚越村は其名の起る處を按に、
椎木稲荷神社(川崎市幸区小倉5-3-47)(主祭神)宇迦之御魂大神(社格等)―(元々は当地の開拓民の守護神)(沿革等)祭祀を始めた斉木家が由緒書きを承継していたが戦時中の空襲で焼失。戦後、歴史ある当社が邸内社として埋もれていくことを懸念し、氏子7氏により1972年に境内・社殿を整備、由緒等を整理の上、1974年宗教法人設立。創建年代は関係文献等から江代初期に伏見稲荷大社から勧請したものだという。(立地等)旧小倉村は、大半が夢見ヶ崎(下末吉台地の残丘)の間の海
創建737年弘明寺観音参拝して参りました。その前に鎮守神社⛩️若松八幡宮さまにも参拝へ。いつも見守ってくださる身代わり地蔵さま🌸とても優しい気持ちになります。手拭いなどで自分の悪いところをなぜて、その後にお地蔵さまをさすると悪いところを無くしてくれるそうなのです。そしてこの直ぐ横にある石が気になりました。こちらもきっと何かしらの貴重な石だと感じます。帰りは焼き鳥や和菓子を商店街で買って帰り、直会しました✨✨✨色々美味しそうで悩ましい商店街です。桜も今年は長く見られました。
産土神社鑑定士九星氣学鑑定士天命覚醒カウンセラーの本宮麻貴です。【職場の鎮守神社を参拝しました!】いつもお仕事のことでは、守護と後押しをいただいております。本当に感謝しかないです。🌟産土神社🌟自宅の鎮守神社🌟職場の鎮守神社🌟学校の鎮守神社🌟受験校の鎮守神社🌟病院の鎮守神社(長期入院の場合)の鑑定ができます。お仕事のことは、やはり職場の鎮守神社でお話しされると良いです。学校に通っている方は、やはり学校の鎮守神社に行かれると良いです。受験校の鎮守神社も鑑定させていただ
こんにちは(*ˊᵕˋ*)二十四節気清明朝からお礼参りにまずは鎮守神社の布勢神社桜が咲きとても神社が華やか1箇所寄り道をした場所でカラスの羽なのかな大きな羽を見つけました。そして産土神社の大神神社へ鳥の羽?ダウン?もう暖かいのでダウンじゃないはず↑これに気を取られて境内の写真は撮り忘れてます。ポカポカ陽気の岡山です。
砧三峯神社(世田谷区砧4-6-1)(主祭神)伊弉諾尊・伊弉册尊(三峰神社から勧請)(社格等)ー(-)*当地区の鎮守は長らく大蔵氷川神社が鎮守であったが、戦後に当神社を氏神とした。(沿革等)江戸中期以降、各地で「三峯講」が流行。当地域も三峰講が行われその小祠があったようだ。当地域は「大蔵村山野」と呼ばれ人口も少なく鎮守社を設置する力はなく、また「講」は「氏神」ではないので、当地域の鎮守は遠い本村の大蔵氷川神社であった。しかし、戦後になり、「砧」が新しい町として成立。
小倉杉山大神(川崎市幸区小倉1-4-6)(主祭神)五十猛命、天照大神(社格)ー(小倉村の総鎮守)(沿革)創建年代不詳。当地周辺は大化改新の頃には開拓された土地であり当社鎮座もその頃に遡るとも伝わる。小田原北条氏家臣で小机城主笠原氏による崇敬、江戸時代は領主旗本松下氏の崇敬を受けたが、当神社は村民により維持されてきた。*新編武蔵風土記稿「小倉村」【杉山社】村の東北の端にあり、本社に覆屋あり、前に石の鳥居あり、本地不動二尺許の立像なり、村の總鎮守なり、無量院持*近年