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神奈川県にある国宝建造物は2つ。1つが長谷の鎌倉大仏、そして、もう1つが円覚寺の舎利殿。通常は非公開ですが、年に数回、年始・GW・秋の宝物風入の際に特別公開されます。*2024GW公開期間:5/3〜5/5そんな特別拝観と新緑の円覚寺の風景を送ります。◆円覚寺◆(国指定史跡)総門*拝観料¥500石段を上り、新緑萌える境内へ。山門(神奈川県指定重要文化財)青空の下、緑に包まれる禅の空間。仏殿<由緒>臨済宗円覚寺派大本山瑞鹿山円覚寺創建
4月の鎌倉詣。鎌倉駅西口から今小路をゆきます。鶴岡八幡宮の参道である若宮大路と並行した街道で、今ではリノベ店舗が連なっています。店舗も疎らになると、その先に山門が見えてきます。◆寿福寺◆(国指定史跡)山門その美しい参道で知られる名刹です。石畳が織り成す美。静かに揺らぐ木立の枝葉。苔に覆われた水路。それらが訪れる者を静かに招き入れます。静寂な春の昼下がり、心を鎮めてお参り。<由緒>臨済宗建長寺派亀谷山寿福寺創建
鎌倉三十三観音霊場第二十四番札所寿福寺寿福寺神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7山号:亀谷山宗派:臨済宗建長寺派寺格:鎌倉五山第三位本尊:釈迦如来創建:正治2年(1200年)開山:栄西開基:北条政子正式名:亀谷山寿福金剛禅寺寿福寺は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。正式には亀谷山寿福金剛禅寺と号する。鎌倉五山第三位の寺院である。本尊は釈迦如来、開基は北条政子、開山は栄西である。鎌倉三十三観音霊場の第二十四番。鎌倉
🐲辰2024🐉057🐲2023年10月08日(日)『2023年秋相模の御朱印巡り』スタートは鎌倉五山第二位鎌倉時代後期北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された円覚寺を参拝御朱印を拝受しました鎌倉臨済宗大本山円覚寺前回の参拝blogです🐀『子2020-寺015/鎌倉臨済宗大本山円覚寺(神奈川県鎌倉市)』丑20210072020年11月03日(祝火)『2020年秋鎌倉の御朱印巡り』鎌倉五山第二位鎌倉時代後期北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された円
明け方小雨が降った蒸し暑い曇天の朝は雑草一寸むしって外周りの掃き掃除軽め昼食を・樹‘でアイスコーヒー&ピザトーストで済ませクーラー業者待ち結局15時半頃到着2時間弱の工事で何とか設置完了これで今夏の熱帯夜は2Fの寝室でもどうにか凌げるだろう金と手間は掛かったが相続してから苦節12年エアーベッドとサヨナラありがたヤ!ありがたヤ!工事終了が17時半頃仕方無いが今回は稲村ヶ崎温泉パス久々裏駅迄20分散歩西口駅前K烈庵‘にてカツを喰らう鎌倉五山定食&季
先日昼間ポッカリ時間が空いたので急きょ鎌倉へ行ってきました10年くらい前まではしょっちゅう鎌倉に行ってましたが今は年に1〜2回しか行かれません今回は北鎌倉へ行きました。滞在時間3時間まずは鎌倉五山第一位の古刹建長寺へ何年ぶりだろうこれオカメザクラっていうのかなとっても綺麗ソメイヨシノはまだ開花前なので今回桜は見られないと思ったけど少しでも見られてよかったこの「方丈」から見る庭池がとっても素敵ですそうそう建長寺の奥の竹藪に「虫塚」というのがありまし
鎌倉歴史文化交流館の企画展、「異国襲来文永の役750年東アジアと鎌倉の中世」を見に行く前の散策。源義朝の邸宅跡に建てられた寿福寺。その裏手の墓地には、かなり古い中世横穴墓“ヤグラ”の中に、多くの五輪塔が建っている。↓その中には…↑北条政子の墓や…↓↑源実朝の墓も。↓源実朝に関しては、鶴岡八幡宮で頼家の息子・公暁に襲撃され首を持ち去られてしまい、公暁が討たれた先で首だけが埋葬されたそうなので、“胴塚”と考えるべきか。源実朝(コレクション日本歌人選)[
鎌倉歴史文化交流館の特別展「異国襲来文永の役750年東アジアと鎌倉の中世」を見に行く前の散策。八坂神社の隣、寿福寺。実はここ、源頼朝の父・義朝が家を構えていた事の有る場所。↑なので、堀+橋から門までは直線にはなっていない、城郭の“丸馬出し”の様な入口の形状が、武士の館の名残なのかも。↓門から奥へと続く参道の直線が美しい。↓門を潜る。↓かつての、鎌倉五山壽福寺派大本山。現在は、建長寺派に吸収合併。正式名称は、亀谷山(きこくざん)壽福金剛禅寺(じゅふくこんごうぜん
鎌倉三十三観音霊場第九番札所浄妙寺浄妙寺神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31山号:稲荷山宗派:臨済宗建長寺派寺格:鎌倉五山第五位本尊:釈迦如来創建:文治4年(1188年)開山:退耕行勇開基:足利義兼正式名:稲荷山浄妙広利禅寺浄妙寺は、神奈川県鎌倉市浄明寺にある臨済宗建長寺派の仏教寺院。正式には稲荷山浄妙広利禅寺と号する。本尊は釈迦如来。開基は足利義兼、開山は退耕行勇。鎌倉五山の第五位。鎌倉三十三観音第九番。足利義兼による文治4年(
鎌倉五山第五位の浄妙寺へ行ってきました。臨済宗寺院の格式を決める五山制度は、鎌倉幕府執権の北条氏が中国に倣って始めましたが、室町時代に入ると足利将軍家が任命するのが慣例となった制度です。梅、咲いてましたね。黄色い花は、山茱萸です。飛行機が並走して飛んで行くのが見えましたよ。椿アセビお茶席カフェ・喜泉庵の梅の木。鳥の鳴き声がする方に目をやると、メジロがいましたよ。すばしこくて、上手に撮れま
InKamakura-city,alotoffamousSamurailivedthere.Theyconstructedsometemplesforthem.TherearethefivegreatRinzaitemplesofKamakurathatarecalled,“Kamakura-Gozan”Itissofamoussightseeingspotandweusuallygowalkaroundth
先日、鎌倉に出掛けました着いてまずはブランチ小町通りにある老舗の喫茶店イワタコーヒーでホットケーキを結構ボリュームがあると聞いたので半分こフルーツサンドも半分こ🍓(結果、結構食べている説笑)食後はバスに乗って鎌倉五山のひとつである浄妙寺に。門を潜った時に空気が変わる感覚があって手入れの行き届いた境内お寺や神社は境内の空気が澄んでいて気持ちもスッと澄んでいくように感じます
鎌倉にある浄妙寺です。稲荷山浄妙広利禅寺という臨済宗建長寺派の寺。治承4年(1180年)、河内源氏義国流で下野国足利に土着した足利義兼は、源頼朝の挙兵を聞くと参じ、治承5年、頼朝の御台所北条政子の同母妹・北条時子と結婚。北条氏による他氏排斥の中、足利氏は代々北条氏から正室を娶り生き延びました。文治4年(1188年)、義兼は鎌倉の居館西隣に退耕行勇を開山としてこの寺を創建。当初は極楽寺という真言宗の寺でした。月峰了然が住職を務めた時期に臨済宗に改宗。鎌倉時代末期、足利貞氏がこの寺を
令和5年10/29(日)、鎌倉で60年に1度開催されるという、円覚寺洪鐘弁天大祭(おおがねまつり)に。御囃子が建長寺前を出て、小袋谷交差点を折り返してから円覚寺に到着するまでの時間を使って、早めの昼食を。踏切前の、“鎌倉五山”で、けんちんうどんセットを。↓店内のテーブルには、懐かしいヤツが有ったので…↓100円を投入!↑直径15m程のカプセルの中には、御神籤。中吉!↓因みに、この↓パンフレットの行程表によると、御囃子のトラックは小袋谷交差点まで行くのかと思いきや、
鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りの続きです北鎌倉の円覚寺→円応寺の次は、円応寺から直ぐそばの建長寺へ〜建長寺境内案内図全然見えないね🤣建長寺寺号標と天下門総門現在の総門は、江戸時代天明3年(1783年)京都の般舟三昧院で建立されたものを、昭和15年に移築総門の案内板山門江戸時代安永4年(1775年)再建山門の案内板仏殿本尊の地蔵菩薩を安置現在の建物は4代目で、芝増上寺にあった徳川秀忠の正室お江の方の霊屋を建長寺が譲り受けました建長寺臨済宗建長寺派寺院の建長寺は
鎌倉にある浄智寺です。金宝山浄智寺という臨済宗円覚寺派の寺。弘安4年(1281年)、北条師時が大休正念を開山として創建。このとき師時は7歳であるため、実際は母や伯父北条時宗によるものとされます。北条師時(1275~1311)は鎌倉幕府10代執権。北条宗政の長男。母は北条政村女。弘安4年、父が没。父の同母兄である鎌倉幕府8代執権・北条時宗の庇護を受けます。弘安7年、時宗も没し、その子貞時が13歳で9代執権就任。貞時には兄弟がいなかったため従弟の師時は重用され、貞時の娘と結婚。永仁元年
鎌倉にある円覚寺です。瑞鹿山円覚興聖禅寺といい、臨済宗円覚寺派大本山。弘安元年(1278年)、鎌倉幕府8代執権北条時宗が帰依していた南宋からの渡来僧で建長寺開山の蘭渓道隆が入寂。時宗は代わりの僧を招くべく建長寺僧2人を南宋に派遣、招きに応じた無学祖元が来日。無学祖元は建長寺5世となるとともに、弘安5年、時宗が元寇戦没者慰霊のため創建したこの寺の開山となりました。創建から長らく十方住持制をとり諸宗兼学であったため、臨済宗僧だけでなく曹洞宗僧が住職を務めることもありました。戦国時代に衰退
行こうと思えば、、、いつでも行けるんだけどなかなか、行けない店いつか行ってみたい店そんな、地元のお店がいくつかあるそのうちのひとつ、に、ようやく行けた鎌倉、浄妙寺石窯ガーデンテラス15年くらい前、だったか友達と、今度行こう!ってのが実現しなくてその後、旦那さんを誘ったけど行かない断られ、、、娘とは、、、予約をしなきゃいけないようなお店は、基本、行かないので行けず今回、ようやくお友達からのお誘い、で、実現予約も、お友達が、取ってくれたお店は、浄妙寺の境
鎌倉にある建長寺です。巨福山建長興國禪寺といい、臨済宗建長寺派大本山。寛元4年(1246年)、南宋の僧蘭渓道隆は日本に禅を広めるため商船に乗って来日。泉涌寺の月翁智鏡を頼って泉涌寺来迎院に滞在した後、鎌倉寿福寺に移ります。一方、宝治元年(1247年)、宝治合戦で有力御家人三浦泰村を滅ぼした鎌倉幕府5代執権北条時頼は、鎌倉武士の心の拠り所とするため禅を奨励。同年、永平寺にいた曹洞宗開祖・道元を鎌倉に呼び参禅。鎌倉に寺を建てることを提案するも、道元はこれを断り永平寺に帰山。蘭渓道隆が鎌倉に
鎌倉にある寿福寺です。亀谷山寿福金剛禅寺という臨済宗の寺。背後の源氏山は、河内源氏累代の鎌倉館があった場所。この地には源義朝の居館があり、伊豆で挙兵し鎌倉入りした源頼朝は当初ここに入ります。現地は深い谷に面した山の斜面にあって不便であったため、頼朝は新たに大倉御所を築いて移りました。正治元年(1199年)、源頼朝没。正治2年、頼朝の未亡人北条政子が栄西を開山としてこの寺を創建。当時は七堂伽藍を備えた大寺であったといいます。中世の火災により規模縮小。現在の堂宇は近世以降のもの。鎌倉
おはようございます~Moss_Fieldの苔活ブログの時間がやってきました🙋9月入って2日目、今日も暑い朝で始まりました。それでは暑さに負けずに今日も一日、Enjoyyourday!今朝は鎌倉五山第二位のお寺円覚寺での苔活の様子をご紹介します。五山の第一に数えられるのは建長寺ですが、苔活を楽しむには円覚寺に軍配があがると考えています。※苔の名前は私の勝手な推測です🙇シノブゴケのように見えました🍃足元に目を向けるとこんな世界が広がっていました🍃☜このボ
※こちらの記事は、令和2年11月28日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は断続的に続いている「平成28年鎌倉(かまくら)旅行シリーズ」の第8弾で、「円覚寺(えんがくじ)」について記事の初回となります。【今までの記事】・鎌倉ですごい神社を見つけた!(甘縄神明神社)・平成28年の小町通り(1)―光輝くシラス丼と極上のクレープ・平成28年の小町通り(2)―垂涎の腸詰と宝石のようなマカロン・平成28年の小町通(3)―原点回帰したい人のためのおしゃれ団子・鶴岡八幡宮を味わう(1)
今回の旅行で一番やりたかったのは鎌倉五山をめぐる旅です。円覚寺寿福寺建長寺浄智寺浄明寺鎌倉五山として有名なこの5つを1日でめぐってきました。京都や奈良とは雰囲気が違って素朴ですが力強い感じもあって、やっぱり鎌倉だから武士の人たちのためのお寺なのかなと思うこと多かったです。武士の方々のお墓とかもありましたしね。で、鎌倉って住宅街の中にもこじゃれたカフェとか休憩するところたくさんあるんですよねお寺の中にもお抹茶処と
【参拝日】2023年8月26日【御朱印】
2023卯0972023年04月02日(日)『2023年御朱印巡りと桜パトロールin鎌倉』建長寺を参拝ランチをしたあとは鎌倉駅まで歩きます🚶途中鎌倉五山第三位寿福寺を参拝しました静寂な雰囲気です中門に着きました🚶こちらからお参りします手を合わせます緑に囲まれたお寺さんです寿福寺を参拝したあとは鎌倉駅に向かいます🚶【つづく】
こんにちは❗️8月18日(金曜日)今日も暑い日になりました☀️今日は一服の涼を求めて鎌倉の六浦道にある浄妙寺さんに行ってきました。鎌倉五山、五位の寺各を持つ臨済宗建長寺派の古刹です。山門から本堂の眺め。文治四年(1188)に足利義兼により創建されたそうです。先ずは本堂を参拝。そして、茶堂「喜泉庵」に…喜泉庵。天正年間(1500年代)僧が一堂に茶を喫した所でした。今の建物は平成三年に復興されたとの事。水琴窟で有名な御堂です。こちらで抹茶を頂く事が出来ます。(・∀・)っ旦ぼ~っ
2023卯0952023年04月02日(日)『2023年御朱印巡りと桜パトロールin鎌倉』最初は鎌倉五山第一位わが国最初の禅寺建長寺を参拝御朱印帳を購入御朱印九種を拝受しました大本山巨福山建長寺前回の参拝blogです『戌60完;大本山巨福山建長寺(神奈川県鎌倉市)』戌3692018年12月01日(土)『晩秋鎌倉の見仏記』ふたたび北鎌倉エリアへ来ました鎌倉五山第一位わが国最初の禅寺建長寺を参拝御朱印四種を拝受しました【大本…ameblo.jp約4年4ヶ月ぶりの参拝
遠路鎌倉に来て頂いたSったんさん、早朝の八幡さん以外、どこをご案内差し上げようかと迷ったのですが・・・もし、モーレツに暑かったら鎌倉を引き上げて横浜でプラネタリウムと北仲ノットの46階にご案内しようかと思っていました。(最近の暑さは半端ないので・・・)この日は暑かったですが、なんとか半日くらいの観光なら大丈夫そうな感じだったので、報国寺と浄妙寺をご案内しました。っと言っても、往復はバスを利用。気候が良ければ、杉本観音と一条恵観山荘も!というところですが、オバサン達は用心して程ほどの観光にして
2023年7月15日観光円覚寺から約1km、徒歩で約20分で建長寺へ到着。途中の歩道は狭く、人一人がやっと通れる程で歩きにくい。この日は暑かったけど、涼しい風があったので助かった。鎌倉五山第一位。なんて書いたけど、初めて知った。臨済宗のお寺の格付け。円覚寺は第二位。五山とは、中国の南宋の皇帝・寧宗(ねいそう)が定めた寺院の格付け制度で、五山官寺制度との事。五山官寺制度は、インドの五精舎が起源。祇園精舎