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水堀佐賀城は、江戸時代を通じて「沈み城」と称されるほど、強固な水堀と土塁に守られた要塞でした。現在は、北東部の堀は埋め立てられています。堀の内側は、本丸のほかに、二の丸、三の丸があったそうです。鍋島直正の相関図直正の祖父の治重から相関関係を辿ると、政略結婚のオンパレード。親族に公卿(久世、中院)、徳川家、毛利家、島津家、伊達家、松平家、細川家、池田家。凄すぎますね。その反面、佐賀藩の財産は潤沢ではなかったこともあるとは思いますが、直正は質実剛健だったそうで
JR佐賀駅まえには佐賀藩主の名君である鍋島直正像があります。佐賀駅周辺は整備されましたね。佐賀城近くの駐車場は無料でした。ここにも、鍋島直正像があります。鯱の門です。1836年に再建された当時のままだそうです。天守台佐賀城はもとは天守閣があったそうですが、1726年に焼失したそうです。天守閣があれば、観光名所としては格が上がったのでしょうが、佐賀の自治体は本丸の復元に力を入れています。本丸に入りました。施設名は佐賀城本丸歴史館です。無料です。佐
佐嘉神社佐嘉神社にお参りに。御利益は、文武両道、大願成就、家内安全です。佐嘉神社の御祭神は、佐賀の名君である鍋島直正と鍋島直大です。佐賀は元々「佐嘉」が正式な漢字でした。「嘉」は「良い」「めでたい」など縁起の良い字です。明治の廃藩置県に伴い、明治政府は「佐賀」に変更しました。書きやすい表記にしたかったのでしょう。佐嘉神社は、昭和8年に建立されているものの、鍋島直正公への敬意も込めて「佐嘉」を使用しています。境内の入口に飾られている「佐賀の七賢人」の
語ることが許されない封じられた日本史保江邦夫【著】【2】前回のブログ記事は以下の通りです。語ることが許されない封じられた日本史保江邦夫【著】【1】アメーバブログ記事より語ることが許されない封じられた日本史保江邦夫【著】【1】アメーバブログ記事『語ることが許されない封じられた日本史保江邦夫【著】【1】』語ることが許されない封じられた日本史保江邦夫【著】【1】引き続き、保江邦夫氏の書籍を読むこととしました。今回は秘められた日本史のお話となります。信じるか信
おはようございます、たけちです。2026年・令和8年2月28日土曜日みなさん、いかがお過ごしになりますか?あっという間に2月は逃げて行ってしまいましたねそして、天気予報曰く今年もくそ暑いとのこととりあえず、去り行く冬を惜しみつつ、瞬く間に過ぎるであろう春を見逃さないようにしたいですね。さて、今日は佐賀県の100名城のひとつ佐賀城について紹介します。『2026年城はじめ中編』おはようございます、たけちです。2026年・令和8年2月23年月曜日天皇誕生日みなさ
おはようございます、たけちです。2026年・令和8年2月22日ぞろ目の日曜日皆さん、いかがお過ごしになりますか?3連休中日たけちは、先週に引き続き実家の北九州でゴロゴロしています。午前中は先週のリマインドで北九州マラソンのコースを一部走ってみようと思います。地元だとこういう楽しみ方もできるんですよね😉さて、今日から新シリーズ2026年城はじめです。『2025年城納め』おはようございます、たけちです。2025年・令和7年12月27日土曜日みなさん、いかがお過ごし
2日目2城目は龍造寺氏居城の村中城を拡張整備して完成した佐賀城です。整備担当は重臣鍋島直茂・勝茂でのちの佐賀藩藩祖と初代藩主です門を潜る前に幕末屈指の名君と言われた鍋島直正氏像を拝見鯱の門から攻城。アップは無いですが佐賀の乱の弾痕ありカノン砲。幕末旧幕府軍を追い込んだ大砲なんかな矢穴と刻印がコラボ一部木造復元された本丸御殿で中は歴史館になってます。西門。長く続く石垣。35万石にしてはくねくね枡形が少ないですがこれだけ長い石垣見るのも悪くない高さ9mの天守台。ここに四重五階の天
佐賀市で夕食を頂いた串カツ劇場ですが福岡着~串カツ劇場|個人旅行マニアLA移住への秘めた野望佐賀駅高架下のサガハツと言う所にあります。かみさんが行きたかったDiPuntoもここにあります。サガハツ|佐賀駅高架下何かお洒落です。かみさんが「何でうちの街にはこう言う所がないの?」と文句を言います。何ででしょうね?店に入れず待ってる人もいます。寒いのにお気の毒です。こちらは佐賀福岡長崎特産品の自販機コーナーです。インスタもあるので気になる方は参照下さい。YO
佐賀城跡に来ました。今回の旅で訪れた4つ目のお城です🏯10代藩主鍋島直正の像。それにしてもいいお天気でした☀️ここも広い公園になっています。お城自体🏯はないけれど、本丸御殿が復元されています。鯱の門佐賀城本丸歴史館となっている本丸御殿の入口↓すごく広かったです。武士に扮したボランティアの人がいろいろ説明してくれました👍️バーチャル写真が撮れるスポットがあっておもしろくて、いろいろ撮りました(笑)鍋島直正さん✨️お侍ちゃんに変身♥️武士と姫👸鍋島家の家系図天守台
予期せぬ佐賀出張が舞い込んできました翌日休暇で佐賀巡り!と勇みましたが、会議がなんとか会議はリモートでやり過ごし、佐賀城周辺巡って来ました現存の門。鯱鉾が印象的!と思ったらその通り、鯱の門とのこと。左を見れば、鍋島直正公の像。広々とした中にそそり立っている感じでした。右を見れば天守台。佐賀平野の広さが感じられます。では、門を入って本丸へ。本丸には御殿が復元されていて・・・長くなるので別記事で
伯母の1周忌も恙無く終わり、墓参りしたり、施設にある別の伯母の面会に行ったり、実家の後片付けやゴミ出ししたり、夏にシルバーさんに頼んだ後に伸びた樹木の剪定や草むしりをしたり、ご近所に挨拶したり、班長に外灯費を支払ったり、と、家を維持するのは大変。しかも、ベランダや塀に不具合が見つかり工務店を呼んだりしてそんな中、開催中の「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」に時間を捻出して行くことにした。Day4に行ったが、前日は飛ばなかったらしいので、ラッキーだった。後で見学した鍋島
友人と地元の観光会社企画の日帰りバスツアーに参加。車内に乗り込むとサークル仲間の一人もご夫婦で参加されていて「あらら、こんにちは!」って感じで出発!佐賀県と言えば玄界灘側の唐津・呼子は頻繁に行ってるけど(ほぼイカ目当て)、佐賀市内の観光は初めてで知らない事ばかり・・・幕末の名君の一人と言われる佐賀藩の鍋島直正が執った「質素倹約」が、昭和の高視聴率ドラマ「おしん」の「佐賀人はケチだと思われて嫁の来てがなくなる」という騒動につながったのかなぁ~なんて思ってみたり・・・参加者は高齢者が多
佐賀2日目はこちらへ佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館佐賀駅から30分程バスに乗り海岸の近くへ海軍所跡(遺跡)は整備中でしたきっときれいな歴史公園になるんでしょうね軍艦の修理をしたドックが元の形がよくわかるように残っているそうです流石に世界遺産(明治日本の産業革命遺産製鉄・製鋼、造船、石炭産業)の一つである三重津海軍所跡!歴史館は見応えがありました昨日の本丸歴史館と同じ内容もあったけれど、特に船のことが詳しく展示されていました鍋島直正さんは本当に時代の先端を行く藩主だったん
『黒鉄の志士たち植松三十里』『かちがらす幕末を読みきった男植松三十里』まだまだ続くよ「植松三十里」ですこちらは幕末の佐賀藩主、鍋島直正のお話先見の明がある、時代を読める、物事の本質が…ameblo.jp『かちがらす幕末を読みきった男植松三十里』まだまだ続くよ「植松三十里」ですこちらは幕末の佐賀藩主、鍋島直正のお話先見の明がある、時代を読める、物事の本質がわかるそういう人だったんだね伊豆韮山の反射路を…ameblo.jpこれらを読んで佐賀に行きたいなと思いましてもう、たっぷりと幕末
先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば
『かちがらす幕末を読みきった男植松三十里』まだまだ続くよ「植松三十里」ですこちらは幕末の佐賀藩主、鍋島直正のお話先見の明がある、時代を読める、物事の本質がわかるそういう人だったんだね伊豆韮山の反射路を…ameblo.jp先日,佐賀藩主,鍋島直正のことを読んだが、植松さんはこの本を書く数年前に、直正の命令で反射炉作りに携わった志士達の話を書いていたこれは歴史的事実もさることながら鉄のこと、製鉄のこと、反射路のこと、かなり詳しく調べなきゃ書けない内容だなあちこち取材に行かれたんだろう作家
まだまだ続くよ「植松三十里」ですこちらは幕末の佐賀藩主、鍋島直正のお話先見の明がある、時代を読める、物事の本質がわかるそういう人だったんだね伊豆韮山の反射路を作った江川さんのお話,その他、いろいろな幕末の物語には佐賀藩のことがよく話題になっていたが、深く知ろうともしてこなかった今回、初めて、ほー!幕末の佐賀藩とはこういう考えでこう動いていたんだということがよくわかったえっと別府温泉行った時に佐賀県にも寄らなきゃだねぇ植松三十里さんの本を読むたびに旅行するところが増えちゃうよ(笑)
佐賀市にいきました佐賀はとっても暑かったせっかく行ったので佐賀城本丸歴史館を見学しました薩長土肥で知られるように明治維新で活躍し、日本の近代化に貢献した人々がたくさん輩出された土地柄です葉隠武士の精神が息づいている街でもありますこの歴史館は江戸後期のものを忠実に復元したそうです見学は無料でしたなんと太っ腹!とっても見応えがありましたうれしいことに、中学時代夢中になって読んだ「次郎物語」作者の下村湖人のことを何十年か
2022年5月5日の佐賀市散策の続き。「佐嘉神社・松原神社」の続き。佐嘉神社・松原神社(その1)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12854765724.html『佐嘉神社・松原神社(その1)~佐賀市水ケ江の神社』2022年5月5日の佐賀市散策の続き。「宗龍寺」をお参りした後は、「佐嘉神社」「松原神社」に向かいました。宗龍寺のレポ『宗龍寺~佐賀市水ケ江の寺院』…ameblo.jp境内を進むと、奉納された酒
最近、はまって観ているこちらのシリーズ。前の加来耕三先生のシリーズの方が楽しかったし、「敗北」というタイトルに無理矢理合わせていて違和感を感じる回もありますが、前シリーズで扱わなった歴史上の人物もあり、楽しいです。今回は、私が大好きな維新の元勲、佐賀の七賢人、江藤新平です。明治維新の元勲、「江藤新平卿」の銅像。幕末の尊王討幕運動と明治維新に至る過程は、薩摩藩・長州藩・土佐藩の志士と公家によって成功したと思われがちですが、幕末最強の軍事力を誇ったのは
「超特典きっぷで行く福岡・佐賀」の記事の続きです。佐賀城本丸歴史館の次に向かったのは佐嘉(さが)神社。歴史館から神社までは徒歩15分弱です。御祭神は鍋島直正・直大。創建は昭和8(1933)年で、比較的新しい神社です。京都だと明治28(1895)年創建の平安神宮が近い年数ですね。こちらにもアームストロング砲(復元)の展示がありました。椎の実形砲弾。社殿は改修工事中でした。佐嘉酒造の「窓乃梅」の酒樽。佐嘉酒造は創業元禄元年(1688年)の酒造メーカー。酒蔵の横に咲いていた白梅が
佐賀城本丸歴史館。昨日の記事からの続きです。こちらに訪れた日は偶然、佐賀藩祖鍋島直茂の亡くなった日でした。北廊下。建物の北側にある畳敷き廊下です。長さは45メートル。本丸御殿のなかで一番長い廊下です。中央の欄間を橋に、廊下を川に見立てています。外御書院(大広間)広さは320畳。お世継ぎのお披露目など、藩の公式行事が行われていました。直正書「先憂後楽(せんゆうこうらく)」直正43歳の作。「先憂後楽」とは……国を思う者は人に先立って天下のことを憂えて、安楽を後に得る、という意
語り部アロマが紡ぐ「やまと語り三十一」聞いていかれませんか。幕府が国を鎖して150年の間に海外の形勢がすっかり変わりました。まずオランダが盛んになり、一時は世界の貿易を独占するのではないかと思われるほどでしたが、あまりに利益をむさぼって各地の人々から嫌われ、かつ自国の海軍が振るわないため次第に衰えてしまいました。これに代わって栄えたのがイギリスであります。イギリスは東山天皇の皇紀2367年(西暦1707年)に大ブリテン国が成立し、勢に乗じてインドの侵略を進めました。また北アメリカ
前回からの続きです。佐賀城本丸歴史館。鍋島直正が天保9(1838)年に再建した本丸御殿を復元したもので、日本最大級の木造建築です。鬼瓦には鍋島家の家紋の銀杏紋が施されています。この銀杏紋、後日掲載予定の記事にも出てきますので、覚えておいてくださいね。懸魚(げぎょ=屋根の破風板部分の妻飾り)は梅鉢・蕪・三花蕪の3種類が使用されています。これはおそらく三花蕪(みつばな蕪)懸魚だと思います。御玄関。本丸御殿の正面出入口です。日付ボードには、産業革命を担った蒸気機関車や蒸気船などを描いて
福岡・佐賀ひとり旅の記録です。まずは佐賀城本丸歴史館に向かいました。かつて鍋島氏の居城であった佐賀城。歴史館では幕末の佐賀藩の知識を深めることができます。佐賀城鯱の門及び続櫓。屋根の両端に鯱(しゃち)が載っていることから鯱の門と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。鍋島直正の像。鯱の門のすぐそばにあります。鯱の門をくぐった先には「24ポンドカノン砲」という大砲(複製)がありました。幕末にアメリカから輸入され、渋谷の旧鍋島邸に置かれていたものの複製品です。直正は日本で最初の鉄
お昼からは佐賀駅から歩いて行ける佐賀城本丸歴史館へ。吉野ヶ里公園駅と佐賀駅間は普通電車で12分ほど、運賃は340円なので、近いです。佐賀駅から佐賀城までは3キロほどです。佐賀駅前にはこんな像が立っていて↓城へ向かう大通り沿いにはたくさんの像があり、歴史ある町である事が分かります。佐賀城本丸歴史館へ↓鯱(シャチ)の門から入ります。鯱はどこに?後から写真を探すと、後ろ向きに写っていました、、、。↓本当は左右に2匹います↓(文化遺産オンラインから画像をお借りしました。)この鯱の門は江戸時代
皆様こんにちは(^-^*)続きです。佐賀県庁にお邪魔した後近くにある佐賀城公園と本丸歴史館にお邪魔しました。鍋島直正公門資料館は凄く広くて所々に詳しく解りやすく説明してくださるスタッフさんがいます。札幌市の建設に着手「北海道開拓の父」と呼ばれる島義勇北海道開拓の父が佐賀の賢人だったとは…凄く勉強になりましたよ~「2年後の大河ドラマを是非観て下さい」と仰っていたので観ます(^-^)ココは駐車場も入場も全て無料です。さすが佐賀県♪佐賀県の方々(
佐賀城は佐賀市の中心に位置し、佐賀神社の南側に隣接している。鍋島直正の像が象徴的で歴史館の周りには鍋島直正が開発したカノン砲やアームストロング砲が配置されている。平安時代末期に藤原季喜が龍造寺村の領主になって土着し、慶長期に鍋島氏が佐賀城を普請した。1569年、大友宗麟は大軍を投じて進攻するが、窮地に追い込まれた龍造寺軍の鍋島信正(後の鍋島直茂)は、夜襲により今山の陣で大友軍の総大将の大友親貞を討ち取った。直茂の城改修計画が実現したのは江戸幕府政権下で正当に佐賀藩主として認められた後の1602
2025年3月に読んだ本は、8冊でした!良い感じで読書出来た一か月でした。3月の読書メーター読んだ本の数:8読んだページ数:1762ナイス数:31このプリン、いま食べるか?ガマンするか?一生役立つ時間の法則の感想時間を考えることは人生を考えること。人生は「4つの時間」でできています。幸福の時間、投資の時間、役割の時間、浪費の時間。自分なりの選択基準を決める7つの視点は、1)後悔しないかどうか、2)体験価値が高いかどうか、3)体と心の声に従っているか、4)幸福度が高いかど
≪短歌≫知られざる人たちありし激動の幕末遠き令和を生きるtamamusi先日から、久しぶりにyoutubeの百田尚樹の新版・日本国紀を見返して、改めて感動1830年、鍋島直正(佐賀藩)は15歳の若さで藩主に。破綻していた藩の財政の立て直しに着手。農村の復興のため農民の小作料の支払いの免除、出自にかかわらず有能なものを登用、などなど。西洋の最新式アームストロング砲を日本人だけの手で完成。日本で初めての実用蒸気船「凌風丸」の建造に成