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3月29日30日と一泊二日の富山旅。1日目は北陸新幹線かがやきに乗り東京駅から富山駅まで🚄家を出る時は、春の嵐のような雨風も長野に着く頃には青空に。富山はすっかり晴れて歓迎してくれてるのかな🐉☁️富山駅近くでレンタカーを借りに行くのに、踏み切りを渡るんだけど、路面電車の踏み切りって横断歩道みたい🚃🚥🚙レンタカーで向かった先は高岡市です。旅の目的の一つは、主人が錫製のぐい呑みが欲しいって高岡は鋳物工場が多く、その歴史は加賀藩主前田利長が慶長16年に、今の金谷町に7人の鋳物師を招き、鋳
あなたがたは神をだれになぞらえ、神をどんな似姿に似せようとするのか。鋳物師は鋳像を鋳て造り、金細工人はそれに金をかぶせ、銀の鎖を作る。貧しい者は、奉納物として朽ちない木を選び、巧みな細工人を探して、動かない彫像を据える。あなたがたは知らないのか。聞いていないのか。初めから、告げられていなかったのか。悟っていなかったのか。地の基のことを。 ̄ ̄あなたがたは目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方はその万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって
今日は同門の先生から頼まれて、お茶のお手伝い。先日、ブラタモリにも出た若手鋳物師さんの講演の後、小学生たちにお抹茶を点てる体験をしてもらう、というものなのですが、ドレスコードは和装。8月のお着物と言えば、絽?紗?単衣の小紋とかじゃダメ?あっ、そうだ。一度だけ結婚式で着た紗の色無地があったはず!そして、夏帯も1本だけ作り帯にしてあるはず。一度、家元に夏物を着て行ったとき、自分で結んで、出かける前から汗だくになっちゃったからね。とはいえ、紗の着物はバリバリ。例えていうなら武士
(金屋子神社)◆玉鋼(けら)の杜~金屋子縁起と炎の伝承~14かなり間が開いてしまいましたが、このテーマ記事はまだ続いております。前回の記事までで「金屋子神」の正体を探るのが一通り終了。仕切り直してまた新たなお題へと進みます。体調復帰から参拝活動に重点を戻したため、少し間を開けさせて頂きました。今後は無理のない程度に、ボチボチと進めていきます。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事1…金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)2…金屋子神の信仰圏3
ご訪問ありがとうございます今日(11月8日)は京都伏見お火焚き祭り(おひたきまつり)です伏見お火焚き祭りは稲荷神社の例大祭で「鞴祭り」(ふいごまつり)とも呼ばれています各地で行われるお火焚き祭りの中でも有名なのが伏見稲荷の祭りです稲荷神社は鍛治(かじ)の守護神として知られ鍛治屋さんや鋳物師(いものし)さん等火を扱う職業の方の信仰を集めています元々お火焚きは江戸時代から京都を中心に行われた神事で社の前で神楽を奏で、供物を供え火を焚いて祭ります参拝者は普段の罪や穢れ(けが
こんばんは!スプラウト阪神の岡本です!今日もよろしくお願いいたします。毎日0時ごろに『漢字クイズ』をこのブログで開催します。スプラウト阪神が『婚活サポート』において一番大切にしていることは『言葉の総量を増やすこと』です。カウンセラーと会員さんの間でもそうですし、会員さん同士の交際やお見合いにおいても『言葉の総量』を最重要項目と考えています。(今までのブログでもことあるごとに『言葉の総量の重要性』を訴えています。)理由はシンプル。『
「文化のみち」の散策を終え、「下街道」歩きに戻ります。赤線が「下街道」です。青線が実際に歩いた道です。国道41号線と「下街道」が交わるところ、南東角に「尾張藩鋳物師頭・水野太郎左衛門宅跡」の立て札があります。「鍋屋」という鍋・釜など調理道具を売る、そのまんまの屋号のお店があります。このあたりの地名が「鍋屋町」と名付けられた由縁となります。創業永禄2年(1559)、水野太郎左衛門の末裔で、現在で15代目という歴史あるお店です。永禄5年(1562)水野家は、織田
廣國神社河内国丹比郡大阪府堺市美原区大保248(境内東側にP有り)■旧社格村社■祭神廣國押武金日命[合祀]保食神猿田彦命大国主命誉田別命天照大御神天児屋根命市杵島姫命金山彦命須佐之男命菅原道真公石凝姥命鍋宮大明神第26代安閑天皇(廣國押武金日命)をご祭神とする社。鎮座地は美原区「大保(だいほ)」、境内は国道309号線に接しています。◎安閑天皇は継体天皇の後を受け在66歳の高齢にて即位、在位わずか4年の天皇。主な事蹟は「屯倉」の大量設置くらい。継体天皇崩
こんばんはアナウンサーの毎田です🐶今日、明日と県立高校の入試ですね!中学3年のみなさん!!!!!寒いですが寒さに負けずにこれまでの力発揮してきてください!!🔥応援しています📣高岡時空舞台先日ブログで『高岡時空舞台』について紹介したのを覚えていますでしょうか?👀高岡市/歴史都市・文化創造都市高岡の魅力を
おはようございます<imgalt="ニコニコ"class="emoji"height="16"loading="eager"role="presentation"src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif"style="aspect-ratio:16/16;"width="16"><imgalt="ニコニコ"class="emoj
予定の社を回り終えましたので、駐車場に戻ります。ん?あれ何だ?こんもりの下に赤いもんが見えますよ。これ、行かなあかんやつ。やっぱりね。企業の敷地内のためフェンス越しですけど。うまく撮れる角度がないな。大抵こういうフェンスのラインって防犯カメラあるので、映りまくりだと思います。御神木らしき樹木も大きいです。龍神(巳さん)かな?警備員でも門にいたら入っていいか聞くんやねど、受付まで行って聞く勇気はなかったです。ちなみにこのあたりの地名は鋳物師(いもじ)と言います。鋳物師とは鉄
石床神社(いわどこじんじゃ)大和国平群郡奈良県生駒郡平群町越木塚734(20~30mほど南側にP有、アクセス道はやや狭小で通行注意)■延喜式神名帳平群石床神社大の比定社■旧社格村社■祭神剣刃石床別命(ケンジンイワトコワケノミコト)「竜田川」沿いに南北に細長く広がる「平群谷(へぐりだに)」の、西岸丘陵地に鎮座する社。◎巨大陰石を御神体とする旧社地から大正時代に消渇神社(元素箋嗚神社)境内に遷座しました。こちらでは拝殿奥におそらく陽石とおぼしき磐座が座しています。◎旧
ご訪問ありがとうございます今日(2021年11月8日)は伏見御火焚祭り(ふしみおひたきまつり)です伏見御火焚祭りは伏見稲荷神社の例大祭で鞴(ふいご)祭りとも呼ばれています稲荷神社は鍛冶(かじ)の守護神として知られ特に鍛冶屋さん、鋳物師(いものし)さん等火を扱う職業の方の信仰を集めています御火焚祭りとは、松薪(まつたきぎ)を井桁(いげた)に積んで、真ん中に笹をたてて「神楽」(かぐら)や「祝詞」(のりと)をあげて笹に火を点け、燃え上がったところへお神酒を注いで爆竹を鳴らすとい
『古今著聞集』「巻第十六」(興言利口)に「中間法師山伏鋳物師同宿し山伏偽りて遊女を侵し後朝争論の事」という話がある。天王寺から京へ上ろうとしていた中間法師が、途中、山伏と鋳物師と道連れになり、今津(頭注に、兵庫県西宮市の今津か、とあるが、有名な難読地名、放出の東の鶴見区今津の方が地理的には考えやすい。)あたりで遊女が主をしている宿に泊まった。みんなが寝静まったところで、山伏がむっくと起き上がり、髪の毛を束ね始め、やがて爆睡中の鋳物師のゑぼしを拝借し、遊女
『宇治拾遺物語』に「隋求陀羅尼(ずゐぐだらに)額に籠むる法師の事」と題した話がある。斧を背負い、ほら貝を腰にぶら下げ、錫杖をついた物々しいいでたちの山伏が侍の詰所に現れる。侍が「あなたは」とたずねると、「日ごろ白山で修行をしていますが、吉野の金峰山で、二千日修行をしているうちに、食事代がなくなってしまったので、御寄進をいたたきたく参りました。」という。よくみると、山伏の額のまゆの間に二寸ばかりの傷がある。「その傷はどうしました。」と侍が尋ね
播但線京口駅へ、たどり着いた。。空爆の碑旧町名記念碑城東地区旧町界地図旧鋳物師町跡(・・;)無人w。。さ、ここから帰ろw。。🏯来た。。京口から1駅w。終点・姫路に到着。あ、お腹へった。。笑
はじめに職業は、その時代を映す鏡のようなものです。その時代に合った新しい仕事が生まれ、時代の流れとともに変化していきます。たとえば、明治時代(1868~1912年)には、開国によって欧米の進んだ技術や文化が入ってきて、政府が「殖産興業」という産業をさかんにする政策を進めました。これにともない、官営の製糸工場、炭鉱、造船所などがつくられ、工場の労働者、技術者、事務員など、それまでになかったさまざまな仕事が生まれました。つづく大正時代(1912~1926年)には、事業を営む「実業家」とよばれ
今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は、1059話からなる仏教説話が、「今ハ昔」という書き出しで始まることに由来する通称である。作者不詳、平安時代末期の十二世紀初頭に成立し、インド、中国日本の三国に分けて説話が記載されている。内容は仏教関係の話が中心だが、まったく仏教に関係のない話も少なからず含まれる。今回紹介するのは、「愛宕寺の鐘」の話です。今は昔。小野の篁(タカムラ)という人が、愛宕寺を造りました。鋳物師に寺の鐘を造らせることになりました。鋳物師が言うには、
「養国寺」の東隣り(新宿区舟町)にある「西迎寺(浄土宗)」です。延徳2年(1490)創建の「西光院」を前身とする由。三浦氏一族だった「西迎法師」が、江戸城紅葉山にて太田道灌を供養するために創建したらしい。山門を入ると、露座の「阿弥陀如来像」が出迎えてくれます。元禄7年(1694)に伏見勘七郎為智という旗本が亡父の供養に建立したと伝わります。像高237cm,台座の高さも135cmの堂々とした坐像です。立派な「梵鐘」です。此れも、伏見
3352局目:朝日野【あさひの】郵便局(滋賀県東近江市鋳物師町845-3)46038近江鉄道・朝日野駅から約800m。勉強の甲斐あって…近江鉄道の駅名標のハングル表記が読めるようになったから嬉しかったりする(^^)途中で見つけた四つ葉のクローバーの群生🍀滋賀県発祥の飛び出し坊やと朝日野郵便局☆四つ葉のクローバー群生していた近くにある竹田神社の鳥居⛩鳥居のずっと奥に見える森が竹田神社。朝日野駅のホームから竹田神社の神奈備を見る。〈御祭神〉●天津彦根命(アマツヒコネノミコト
昨日のブログの続きです大阪工業大学さんでの用事を済ませた後・・・帰り道で見つけた枚方市立『旧田中家鋳物民俗資料館』に立ち寄りました(入館料は無料)江戸時代、枚方で鋳物工場を営まれておられた田中家の当時の工場・主屋・昔の生活用品など貴重な骨董品が展示されています敷地内には近くの田口山遺跡で発掘された弥生時代の竪穴式住居の復元住居も建ってました茅葺きの屋根が素晴らしい目がしっかり詰まった屋根です外気温はかな
7月2日金曜日~その12チョコベビーを摘まむ。(写真)CDアルバム『河内鋳物師物語』河内家菊水丸(H22年社団法人日本鋳造工学会)を再生。10月20日にスタジオマックスにてレコーディング。★外題・177★小品・80★まくら唄・21★ご当地音頭・4★河内音頭以外の歌・26★甚句・2★カラオケ・25★カバー・5
『仏教とキリスト教』-お釈迦様の誕生日について●ひろさちや✪なにか物がこわれたようなとき、あるいは物を造りそこなったとき、「お釈迦になった---」と言います。『広辞苑』(第二版)には、「御釈迦--つくりそこなうこと。つくりそこなった物。役に立たない物。不良品」とあります。お釈迦様に失礼な話ではありませんか・・・・。それにしても、なぜ、「お釈迦」というのでしょうか?「そりゃあ、お釈迦様が亡くなったからだよ」と説明してくれる人がいますが、それならキリストも孔子もソクラテスも亡
【可部の金毘羅大権現鉄燈籠(かなどうろう)】200余年前に鋳造された大きな燈籠です。高さは313cm、基礎周囲は565cmある。広島市の重要文化財となっています全体の調和がとれ細部の技巧も優れている文化5年(1808年)可部町の鋳物師三宅惣左衛門により鋳造された…【船入堀】燈籠の立つこの場所は「船入堀」と呼ばれる川船の発着場でした。鉄燈籠には毎晩灯がともされ、地元の人々からは「船神さん」として崇拝されていたそうです▽当時の船入堀の様子(説明板の写真より)…
恒例の朔日詣でに行ってきました。5月1日土曜日コロナ禍で、色々と言われてますが人出は思ったより多いのか?参拝だけなら三密にはなりませんけど?神馬の本殿参拝。御神楽の舞台宇治橋の欄干擬宝珠の作者は、松阪近住の鋳物師さん連休ですが、三密を避けて考えなが過ごしております^o^
お寺には『喚鐘(かんしょう)』という梵鐘を小さくした釣鐘がございます🔔浄土宗では法要や式を始める合図として主に鳴らす仏具です😊嘉永2年の喚鐘地元へ戻る!当山では太平洋戦争中に、金属類回収令により当時の喚鐘が没収され、現存する喚鐘は戦後の昭和36年に作られたものとなります。戦時中に没収された喚鐘は嘉永2年(1849年)、今から170年余り前に作られたものでした。しかし…令和に入り、オークションで出品されていたことが判明買い戻すことができたのです✨この喚鐘は当山34世岳譽上人の時代
大阪府堺市の神社広国神社(ひろくにじんじゃ)主祭神は廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)で、これは第27代安閑天皇(あんかんてんのう)の御名で、これが神社の名前になっています。由緒廣國神社を今でも蔵王さん(蔵王権現さん)と呼ばれることがあります。廣國押武金日命をおまつりした神社は全国に100社以上有りますが、当神社と同じように、蔵王権現様と深い関係が有ります。理由としては、江戸初期の学者林羅山の著した『本朝神社考』の、吉野山の金峯神社の項に「世伝金峯山権
『今昔物語集』巻第三十一「愛宕寺鐘語第十九」は小野篁が愛宕寺を造った。鋳物師が「此ノ鐘ヲバ、搥ク人モ無クテ、十二時ニ鳴サムト為ル也。」と言って、出来た鐘を三年間、土の中に埋めて置いて、三年ちょうどに掘り出せばそうなっていると言って去る。三年目になって、住職が待ちきれず、少し早く掘ってしまう。すると普通の鐘で、自動的になることはなかったという話である。私は以前『宝物集』の鐘についても同じことを考察したが、土の中に埋めておくと何故、鐘は不思議な力を持つようになるのか。陰陽五行説の五行相生のうち