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今日の「八戸育ちの八戸っこかわむら」のブログです。。。。。昨日は八戸市庁へ書類を貰いに行って久しぶりに元の同業者にばったり会った。。。。。飲食業はいくらかよくなったか、めげずにがんばれと言った。。。。その帰りに庁舎の道路の向かいにある南部会館の八戸城角御殿表門(はちのへじょうすみごてんおもてもん)に寄ってきました。。。。この御門は八戸城下の名残をとどめる唯一の物ですが、全国的にも珍しい大規模な棟門で、太い4本の柱を大きな冠木でつなぎ合わせ、束
バスに壊された掲示板を撤去して、新しい掲示板を設置するのに立ち会いました。軒の角辺りにぶつけて下の方から変形してました。軽トラに乗せられて、さよならです。続いて、新しい掲示板を設置しました。脚を生コンで固めて、明日以降に屋根を設置、内部照明、ガラス扉を取り付けて完成予定です。元と同じ銅板瓦葺きです。これで、工事費200万円です。
No.56一色邸(世田谷区):制作2016年5月、銅板18㎝×24㎝一色邸は、小田急小田原線の経堂駅から北西方向に徒歩約9分の住宅街に、昭和7(1932)年に建てられた。最寄りに恵泉女学園中学・高等学校がある。平成27(2015)年11月に取り壊されることとなり、筆者は、世田谷区教育委員会の依頼を受けて記録保存のための調査を行った。本作品は、この木造2階建て住宅の西側の眺めである。中央に切妻屋根を架け
築地場外市場で寄り道したあと向かうのは、築地本願寺へ来たとき垣間見た、とても気になるエリアです。たしかこの辺では、と通りを曲がると…あ、さっそくあった長屋のような昔サイズの二階家がズラリと並んでいます。やったねくすんだ家並みに一ヶ所だけカラフルな場所がものすごくアジアの香りがタンドールという看板で調べて観たらアジアンダイニング、カレー中心にアジア各国の料理が食べられるとか。なるなる…この家並みにすっかり溶け込んでいるのが不思議です。その家並みが途切れた所で何となく曲がっ
前回の続き「ひつじのショーンファームガーデン」教会のようなローザンハウスのすぐそばにおしゃれなカフェもありました。園内にはおしゃれなレストランに、お洒落な雰囲気でのバーベキューなどなど、ほんと素敵なところばかり。ここだけで1日楽しめるんじゃないかと思います。今回、私はおしゃれな飲食?はしませんでしたが、最後に念願かなってとっておきのお店で遅めのお昼を食べたので、それもまた記事にしますね。さて、こちら真正面に見えるのは牧場主の家手前右側がひつじたちの小屋です
自宅神棚にお酒をお供えしてお参り後、やはりお酒を準備して氏神様の尾浜八幡神社へ!お1日からの花手水を片付けました。12月は半月もちましたよ銅板葺替工事も順調に進んでおります上の方の緑青の屋根が、元々は輝いている銅なんですよね…酸化ってある意味すごいな大変化〜宮司さまお手描きの絵馬も完成です!まだ掲示前のレアな状態ですご本殿の完成は来年の4月29日を予定しているそうです。そして、今回『お稚児行列』を計画されているそう↓かわいいですね〜画像はウェブからお借りしました!町内を練り
外削ぎの千木鰹木は2本?妻入り本殿明治39年建造三間社流造銅板葺素木造拝殿は昭和38年その前に狛犬はおられましたいないと書きましたが機雷に気を取られて見落としました狛犬おられないはずないですね失礼仕りました
扁額足場を取り外しました。灯籠の木部も造り替えました。注連縄も掛けて完成です。
屋根下地。銅板葺きです。扁額も取り付けました。額字は宮司さんが書いた字を写して彫りました。
礎石の上に鳥居を組み立てていきます。
現在の洞春寺本堂は、江戸時代に焼失して再建されたものですが、山門は国清寺創建当時のものと思われる面影が残っていて、材料の一部に江戸時代の後補のものが見られますが、構造手法は雄健で、特に彫刻のない大きな板蟇又は当時の禅風山門の特色をよくあらわしている。山門のすぐ右側にある碑に〝この門を入れば涼風おのづから〟と書かれた句碑がありました。読んだ森永杉洞は、佐賀県伊万里市の円通寺の師家で、明治34年生、15歳で得度して禅門に入ったそうです。杉洞は山口の風物人情をこよなく愛した事が、本堂前の“京に
くもおじいじゃ!”雲洞庵の土踏んだか”が有名じゃ。その歴史が書かれているので、よーく読んでみなっしぇい。「雲洞庵の土踏んだか」の由来については、案内板によると「永享元年(西暦1429年)関東管領家より10万石の格式をいただき、赤門を建立、本堂までの石畳の下に法華経を一石一字づつ刻み敷きつめたことから、昔1年に1度赤門が開かれた時お参りすると御利益があると云われ善男善女が有難さに随喜して言い合ったのだと云われている。」とあります。境内には歴史的建築物が多く、特に雲洞庵本堂
その石橋を渡って奥に進むと、「茶釜塚」がありました。\(^o^)/とても立派な建物がありました。(^o^)『春風楼』という建物のようです。ビュースポットみたいですよ。\(^o^)/萩藩10代目藩主毛利斉熙(なりひろ)は社頭に五重の塔の建立を思い立ち、文政5(1822)年、地鎮供養の祈祷を行ったが、諸事情で中止になった。明治の初め、五重の塔の建築を断念し、楼閣様式のお篭り堂に変更して春風楼が完成した。眺め最高ですね。\(^o^)/結婚式なんかも行われるようですよ。(^o^)作曲家、鈴
住吉大社神門巡り【5~12/12】②以前から住吉大社の『神門幸福門』が好きで、お寺さまの山門みたいで、凄く親しみがあります。機会を作り今後も神門を記録できたらと思います。【1】幸壽門江戸/1615~1661木造、銅板葺、間口4.6m1棟登録有形文化財(建造物)本宮域の正面中央にある切妻造銅板葺の四脚門。組物は実肘木付の三斗、妻飾は虹梁蟇股、破風に梅鉢懸魚を吊る。門扉の上は冠木と棟木の間に虹梁を入れ、その下に蟇股、上に大瓶束を備えた独特の構成とするなど、本宮域の表構
住吉大社神門【4/12】以前から住吉大社の『神門幸福門』が好きで、お寺さまの山門みたいで、凄く親しみがあります。少しずつ記録に上げていきたいと思います。【1】幸壽門江戸/1615~1661木造、銅板葺、間口4.6m1棟登録有形文化財(建造物)本宮域の正面中央にある切妻造銅板葺の四脚門。組物は実肘木付の三斗、妻飾は虹梁蟇股、破風に梅鉢懸魚を吊る。門扉の上は冠木と棟木の間に虹梁を入れ、その下に蟇股、上に大瓶束を備えた独特の構成とするなど、本宮域の表構えとしての格式を
「つつじが岡公園」のつつじを堪能した後、最初の計画では、「城沼」の対岸に渡るつもりはなかったのですが、なんか対岸にも観光できる場所がありそうなので、舟に乗ることにしました。渡船乗り場対岸に渡る舟と、遊覧船、ボートに乗れます。対岸へは200円でした。何名かの方がいっしょに乗り込みました。2分くらいで対岸に到着です。対岸にはお寺が建っています。善長寺
只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。今回は、第27弾の「高島城」(長野県諏訪市)の「櫓門」です。「高島城冠木門」(木造復興又は模擬)木造「高島城冠木門」(「内堀」越しに見る)武士でありながら「諏訪神社」の最高位の神官であった「諏訪家」が当地を長年治め「茶臼山城」の領主を務めてきましたが、「武田信玄」は「諏訪家」を滅ぼしそこに「郡代」を置きます。「武田家」滅亡後には、諏訪一族の「諏訪頼水
今日の「八戸育ちの八戸っこかわむら」のブログです。。。。。昨日は八戸市庁へ書類を貰いに行って久しぶりに元の同業者にばったり会った。。。。。最近テレビで見てると、飲食業は厳しそうだが、がんばれと言った。。。。その帰りに庁舎の道路の向かいにある南部会館の八戸城角御殿表門(はちのへじょうすみごてんおもてもん)に寄ってきました。この御門は八戸城下の名残をとどめる唯一の物ですが、全国的にも珍しい大規模な棟門で、太い4本の柱を大きな冠木でつなぎ合わせ、束と板蟇股とで
おはようございます。西麻布に鎮座の神道大教院。現在授与所を建築していますが昨日足場が撤去されました。いよいよ完成が近づいていきました。
ようこそお立ち寄り下さいましたありがとうございます*\(^o^)/*諏訪大社上社前宮に初詣しました二之鳥居をくぐると内御玉殿が有ります内御玉殿にはかつて諏訪大明神の御神宝が収納されていました屋根葺替えが終わっていました^^ちょうど内御玉殿の前で職場の同僚とバッタリ会いました^^彼とは本宮でバッタリ会ったことも有ります以前の職場でも一緒で儂より5年後に転職したバリバリの技術者です^^現在ではすっかり諏訪大社さんを崇敬しています!内御玉殿かつて収納されていた御神宝
おはようございます。西麻布の朝は曇天。なんだかスッキリしない天気です。神道大教の授与所建設。いよいよ皆様に御奉納戴いた銅板を屋根に葺き始めました。19日には上棟祭。完成が楽しみです。
西麻布鎮座の神道大教では現在授与所の建築工事を行っています。いよいよ屋根の工事が始まりました。皆様に御奉納戴いた銅板を葺いて貰います。段々と完成に近づいてきましたね。
衣笠から移転してきて1週間になろうとしていますご予約をたくさんいただいていて、あまり外に出ることはできないのですが、それでも少し店を出て歩いてみると、上町はとても面白い街だと感じますお体の調子が悪い方はご無理なさらず、バスをご利用いただき、車窓から街並みを眺めてみて下さいなんと言っても一番の魅力は、古い建物がたくさんあることではないでしょうか?実はマニアの方にとってはかなり有名な場所らしいのですが、アーケードがあるので気がつかずに通り過ぎてしまう方も多いかもしれませんので、少し写真を載せ
おはようございます。東京の今朝は晴。少し肌寒い朝ですね。授与所の屋根は皆様に御奉納戴いた銅板葺にするのですがその屋根の部分が大分出来上がってきました。銅板葺は間もなく始まります。
県指定有形文化財旧長崎税関三池税関支署(きゅうながさきぜいかんみいけぜいかんししょ)福岡県大牟田市新港町旧長崎税関三池税関支署は、三池港開港と同時に1908年(明治41年)に開庁、1965年(昭和40年)3月まで税関として57年間使用されました。木造平家建て、面積124.40㎡、入母屋造角屋付き。屋根は桟瓦葺で一部銅板葺としています。窓は上下に開き、下見板張の外壁で、受付窓口もカウンターが残るなど当時の様子がうかがえます。税関という行政機能・役割をもった建物が、荷役を集積する港
独鈷山〔とっこざん〕の北の山麓に位置し、その古さを物語る大きく深い森につつまれた神社が前山の塩野神社です。神社の前には太鼓橋がかかっていますが、その下には独鈷山の清らかな湧き水が滝となって流れ、それがやがて本流の産川と合流して塩田平を潤〔うるお〕しています。塩野神社はかつては独鈷山の山頂辺くの鷲岩という巨岩に祀〔まつ〕ってありました。後に人里近いこの場所に遙拝所〔ようはいじょ〕としての御門屋〔みかどや〕が建てられ、その後本殿もこの地に移されたといわれています。塩野神社は水の神様であるといわ
六甲山を後にしてあのえべっさんの日に開門神事で福男決める有名な神社前はよく通るけど、初めて立ち寄ってみました。ネット情報↓↓↓西宮神社は福の神として崇敬されているえびす様をおまつりする神社の総本社です。三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造の本殿。江戸時代寛文三年(一六六三)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、昭和二十年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和三十六年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、ほぼ元通りに復興され、今は銅屋根も古色を帯び、え
香港警察に8/10に香港国家安全維持法に違反した疑いなどで逮捕された民主活動家の周庭さんらが、今日8/12未明に保釈されたとのこと。ひとまずホッとはしたが、戦前の日本にも治安維持法があったし、近年もそれに通じるのではと懸念される法律が成立しているし、他所事ではない。戦前ならさしずめ2×4住宅なんぞは、敵性建築として特高警察に摘発されたかも!さて、8/9「板金屋さんの手仕事~ガルバリウム鋼板葺・・・」の稿で、ウチの下屋の一部や庇をガルバリウム鋼板で葺いたことについて書きま