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◆火吹く人たちの神~17今回を以て、第一部のうちの第一章「銅を吹く人」を終えます。まだそこかい!ツッコミが入りそうですが。これほどの中身の濃い書になると、一字一句追って吟味しつつ読み進めることで、初めて諒解されることも多々ありまして…。このような独りよがりな記事ですが、お付き合い頂ける方がおられましたらさいわいです。過去記事一覧を作成しました!↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人
古代銅山を学ぶ日本最古の銅山跡、長登銅山の歴史を学べるイベントに参加して来ました。大人も子どもも、とっても楽しかった!場所、長登銅山のHPとか載ってますHPに銅山についてもあります。『鉱山遺跡見学ツアー受付中』鉱山遺跡見学ツアー募集中山口県美祢市の長登銅山文化交流館が、通常は非公開となっている鉱山の見学ツアーの募集をされていました!しかも専門員のガイドツアー連絡をし…ameblo.jp学芸員さんや長登銅山銅山文化交流館のスタッフさん達のガイドのもと、普段は歩かない山道を進みながら長登
◆火吹く人たちの神~1111回目の記事となりました。そして早くも過去記事一覧を作成しました!↓↓↓↓↓~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事一覧『◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神』◆【過去記事一覧】火吹く人たちの神谷川健一氏の渾身の作!今もなお多くの古代史・民俗学研究者等のバイブルであり続ける不朽の名作!この書をテキストに、発行後のめざ…ameblo.jp~*~*~*~*~*~*~*~*~*~第一部青銅の神々第一章銅を吹く人■イフク、イフキ、イオキの
前回に続き、同じく栃木県日光市足尾町上間藤前回の「廃踏切」から少し北上した所です発電所跡を見られる展望台があります「詳細の案内については道路反対側にあります」だそうなので、まずはその案内を見に行きましょう!道路反対側の案内板要約します(一部引用)「古河市兵衛(フルカワイチベエ)さんという、足尾銅山を経営していた人」が、それまで銅山の動力源だった「薪や木炭」に代わるものとして「水力発電」にふみきり、1890年12月、ここ上間藤に「原動所(水力発電所)」を完成させた。この水力発電は日
豊前通用形態:角形丸穴銭分類:記念銭/空想(創作)銭サイズ:縦46mm、横32mm、厚さ3.5mm量目:45.7g材質:銅お宝度:◎◎◎作銭度:上見た目、銅山至寳を彷彿とする角形丸穴銭の豊前通用です豊前というのは、九州北東部福岡と大分にまたがった地域の旧国名で周辺は筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後といった具合に地方銭の銭銘には、事欠かない地域ですね裏面を見ると、昭和四十六春第四回九州古泉會と
岡山県西部に広がる吉備高原の一画に、古い町並みが1.5kmにわたって続いている。昭和52年(1977)、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された高梁市吹屋〈ふきや〉地区だ。この町並みを歩いていて、ひときわ印象的なのは赤い屋根瓦と弁柄格子〈べんがらこうし〉だろう。この吹屋を特色づける赤い屋根瓦は、釉薬〈ゆうやく〉をかけた石州〈せきしゅう〉瓦で、江戸時代後期に石見(島根県西部)の瓦師が塩田村(現高梁市宇治町)に窯を開いて焼き始めたことから塩田瓦とも呼ばれている。施釉した塩田瓦は凍害に強く、寒
吹屋から北西へ4km、坂本川を見下ろす小高い丘の上にあるのが国の登録有形文化財、西江家住宅である。西江家は戦国時代にこの地に住み着いた地侍で、江戸時代に帰農して天領7か村を束ねる庄屋となった。宝暦11年(1762)に本山銅山を開坑したが、ここから産出する硫化鉄鉱をもとに弁柄〈べんがら〉の二次原料となる緑礬〈ろうは〉の製造に成功、以来その生産によって莫大な財をなした。さて、西江家住宅の見所は、何と言ってもその屋敷構えの見事さだろう。まず目を引くのは入母屋造〈いりもやづくり〉の屋根に鯱〈しゃち
盛岡銅山百文通用形態:楕円形穴あき銭分類:御当地銭/試作銭サイズ:縦47mm、横32mm、厚さ2.5mm量目:20.8g材質:銅お宝度:◎◎◎作銭度:上盛岡銅山廿文通用形態:楕円形穴あき銭分類:御当地銭/創作銭サイズ:縦35mm、横24mm、厚さ2.5mm量目:13.1g材質:銅お宝度:◎◎◎◎作銭度:下盛岡藩は、陸奥国北部、現在の岩手県中部を地盤に青森県
2023年6月17日津和野ぶらり旅、雄滝・雌滝に続いて堀庭園に行ってきました以下、受付の方に伺ったことを一生懸命、思い出しながら書いているので、記憶違いがあるかも…。その際はご容赦を。銅山年寄役を世襲し、天領差配家として歴史を繋いできた堀氏。奥出雲のたたらのお家(多分、田部家)の次に、長者番付に載ったこともあるほどの資産家だそうです。ただ、残念ながら、享保18年の火事で古い記録を失ってしまったのだそうです。元々は福井の方にいた吉見氏の部下で、鎌倉時代に津和野に来たのだそうです。吉見氏
能勢電鉄日生中央駅NISSEITYUOU🔴総合版(💯点満点)2024年3月現在①交通利便性3点②治安10点交番⭕️③買い物環境8点④飲食店2点⑤子育て環境8点⑥公共施設4点⑦観光スポット2点⑧家賃価格など9点⑨商店街・SC4点⑩防災10点消防署🔺合計60点🔴一人暮らし男性版合計55点※一人暮らし男性版は交通利便性と飲食店重視🔴一人暮らし女性版合計63点※
前回まで、間藤駅周辺の足尾銅山施設の写真をアップしてきましたが、その間藤駅から二つ手前の通洞駅にある足尾銅山観光を見学してきました。江戸時代から昭和まで、およそ400年の歴史をもつ足尾銅山の坑道内を見学できます。渡良瀬川のすぐそばなので川の流れる音が聞こえてきます。トロッコに乗って通洞坑から坑内へと入ります。ワクワク。。。通洞坑というのは、足尾鉱山にあった3つの入り口のひとつ。残り2つの入り口、本山坑は、前々回記事で取り上げた古河橋から西に
金刀比羅宮に参拝したあとは、愛媛県へと向かいます次に訪れたのは新居浜市にあるマイントピア別子こちらは道の駅でもありますが、別子銅山の歴史を学べるテーマパークにもなっています。まずは腹ごしらえ、ということで中のレストランで遅めの昼食を頂きます日替わりのランチを注文1100円とリーズナブルながらボリュームもあり美味しかったですいざ、鉱山観光へ鉱山観光列車に約5分乗り、観光坑道へと向かいます。車内の音声ガイドは水樹奈々さんです。(水樹さんは新居浜市のご出身だった
マイントピア別子・前回の続きです。『観光トロッコに乗って行く産業遺産「別子銅山」』この間の三連休にまた子どもたちとお出掛けしてきました。おとなり愛媛県新居浜市にある、「マイントピア別子」です。天気もよかったので遠出しようということで…。まあ…ameblo.jp駅を降りて坑道へ入ります。親切に中の様子がイラストで描かれています。いやーこれはワクワクしますね。(2回目)当たり前ですが坑道の中は暗いです。息子はちょっと怖がっていました。江戸時代から銅がとられていたようで、「江戸ゾーン」
中国企業が大株主「中米最大の銅山」が操業停止利益配分をめぐってパナマ政府と合意できず中国企業が大株主「中米最大の銅山」が操業停止中央アメリカ最大の銅山であるパナマのコブレ銅山の運営会社に対して、パナマ政府が操業停止を命じたことがわかった。親会社であるカナダの資源開発会社ファースト・クァンタム・ミネラルズ(FQM)が2022年12月16…toyokeizai.net
きっかけは三つほど。今年は春からずっと日本の鉱山や鉱山の歴史、製鉄の歴史、そして時々世界の鉱山の歴史を(^^;)折を見ては検索しておりました。専門家でもないし文献にそう詳しいワケではないので、気になった人たちや言葉を検索すると、何故か鉱山や製鉄・たたらに行き着いたと言うだけですが。ご興味ない方には全くちんぷんかんぷんだと思いますが、学校で習った古代史や、戦国時代の見え方がガラリと変わったので、少しずつ書いていこうと思います前置きとして、きっかけになった三つの事と
今日は津田沼徒然草NEXT第6号の仕上げに注力です。さて、本日のテーマは、準鉱山局の羽前/永松の丸一型日付印です。JAPEX2022の日フィラの大量エンタの中から出てきました。この局については以前ブログに書いたことがあります。⇒10月のいずみの例会での収穫(その5)~羽前/永松の丸一型日付印|津田沼徒然草のブログ(ameblo.jp)綺麗な単片を市川郵趣会の前の会長の故冨樫氏から譲って頂いて、準鉱山局で有ることを知りました。そして今回入手したエンタイアはそれを示す絶
11/10に「山下城」から下山し、車を置いていた「川西市郷土館」へ戻り、「郷土館」へ入館をしました。この「郷土館」の建物は、江戸時代に近くの「多田銅山」から採れた銅鉱を精錬する「旧平安(ひらやす)家住宅」(国登録有形文化財)の主屋、離れ、蔵です。私は長年「川西市」のお隣の「池田市」に住んでいましたが、この「東谷」の「山下」が製錬町であったことを初めて知りました。パンフレットより「川西市郷土館」のパンフ採掘は平安時代後半から能勢の地域で始まったそうですが、最盛期は安土桃山
土曜日は、旧城原小学校にて南大嶺保育園さんのわくわくオータムデーにお邪魔しましたとても可愛く飾り付けされてました〜発表会が終わった後わくわくコーナーとしてバルーンアート教室をさせていただきました〜ねずみのクラッカーや剣など皆さん上手に作られました!焼き芋とポン菓子いただきました〜ポン菓子は娘ちゃんにあげて喜んで食べました〜焼き芋すごく美味しかったです!ご馳走様でした〜!日曜日は日本最古の国営銅山跡長登銅山跡の銅山まつりにお伺いしてキッチンカーのお手伝いに行きました
尾小屋鉱山の本物の坑道を見学できる尾小屋マインロード。なんたってリアルの坑道ですからね臨場感満点、遊園地のアトラクションなんかとは説得力が違います。中には当時の様子を再現したジオラマがポツポツ。実際の作業風景をまるで目の前で見るかのように見物できます。そこにあるのは危険で過酷な肉体労働の連続。鉱山労働はまさに命懸けの作業でした!詳しくは→尾小屋マインロード
かつての尾小屋鉱山の様子を伝える尾小屋鉱山資料館。館内は鉱石のサンプルを大量に展示。ぶっちゃけ、「コレ尾小屋鉱山と全然関係ねーじゃん」ってのも結構混じってんですが、問題ナシ。美しいんです、スゴイんです!もう見てるだけでうっとり♪そこにあるのは地球の何千何万年の営みの結晶。目もくらむ神々しさです!詳しくは→尾小屋鉱山資料館
凱旋門すっぽり、チリ北部の謎の大穴どんどん広がり1週間で倍に…南米チリの北部にある銅山の近くに巨大な穴が出現し、広がっている。直径が1週間で2倍に広がって50メートル以上になり、深さも200メートル以上で、フランスの凱旋門がすっぽり入る大きさだという。7日にロイター通信が報じた。同通信によると、穴は7月下旬に出現した。原因はわかっておらず、銅山を運営するカナダの企業が究明を続けているという。チリ当局は銅山のすべての作業の中止を命じており、地元市長は銅山の作業で周辺の土地が不安定化
十二ヶ滝から遊泉寺銅山跡のシャガの様子を見に、結構咲いてます。遊歩道もきれいに整備されました。かつてはこの辺は町になっていたようです。シャガはアヤメ科の多年草で最近は多く見かけるようになりました。(撮影5月2日)
3年前に栃木県足尾へ訪れたときの写真。もしかしたら前にアップしているかもしれない。昭和感がすごい。銅山ならでは、しかも消え入りそうな文字の、しっとりとダジャレがグッとくる...。
三重県熊野市南西部の紀和地区(旧紀和町)には、東洋一の鉱山がありました。1200年以上前の奈良時代から採掘が行われていたといいます。近代にはいっての「紀州鉱山」は、昭和9年に始まったとのこと。昭和14年建設当時の選鉱処理量は、1日1000トンとも2000トンとも。24時間操業の不夜城です。しかし、昭和53年閉山。その跡地があると聞いて、一度見たくてここまで来たのでした。跡地の見える麓まではクルマ可能というので、行ってみました。予想通り、今はそこに何もありません。あるのは、選鉱プラ
終着駅の間藤駅からもうチョイ先にあるテレ東の番組「能町みね子のニッポン駅歩き」で紹介された足尾銅山「本山製錬所跡」に来ました本山製錬所は足尾銅山最大の製錬所だったそうです足尾銅山本山製錬所は足尾銅山の閉山と共に昭和62年その役目を終えました足尾銅山は軍艦島などと一緒で廃墟の町です世界遺産にしてもおかしくないと思いますけどね
今日は10時半頃急に散歩へ行こうって事になり芦屋銅山までお散歩海っペタを延々と歩きモーゼの十戒の海割りのように私が歩くとフナムシがザザザと道を開けるほどウジャウジャちょっとGを想像してしまうやっと銅山のパワースポット(?)に到着海から見た全体像✳️画像はお借りしました先週までこんな所があるとは知らず姪達が来た時に「銅山へ行ってみたい」と言うのを聞いてそれどこ(゜゜;)(。。;)歩いて行けるならと軽い調子で行くことにしたら結構歩きました往復ウロウロ
『貯鉱庫跡』に着きました。\(^o^)/大正8年(1918)に端出場に選鉱場が完成したことにともないつくられた銅鉱石の貯蔵施設。そびえ立つコンクリート製の貯鉱庫は、高さ約15m、幅約35mの巨大なものです。第四通洞を経由して運び出された鉱石は、ダンピングカーに積み込まれ、貯鉱庫の上から落として貯めるようにされていました。貯鉱庫より運び出された鉱石は、隣接した場所にあった破砕場に送られ、砕かれた後、選鉱場へ送られていました。さあ、インクライン跡の階段で駐車場まで戻ります。(*^^
ペルーの世界最大級銅山の中国企業、約3000人解雇先住民デモで操業停止長期化https://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2022/06/3000-15.php