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石見大森は銀山で栄えた町で、15年前に訪問しているが、その時は町並みを通り過ぎていたので、今回はゆっくりと散策した。一番北に代官所跡があり、商家の熊谷家や武家の河島家が公開されているが、それ以外にも多くの古い建物が現存していて、江戸時代のままかと見紛う町並みを楽しめる。
おはようございます今日は電動自転車に乗って銀山坑道ガイド歴20年の足立さんに付いて昔の人たちの凄さに圧倒される一日30掘進30cmありがとうございました昼から帰路しまなみ海道21時無事帰宅楽しかったねぇ
名称:タプコプ?関連地名:タッコ川アイヌ語名:tapkop?標高:86m2万5千分の1地形図:銀山5万分の1地形図:仁木緯度:43.0347経度:140.750これは自転車で走っていて偶然見つけたのですが、仁木町の銀山にタッコ川という余市川支流の小川がありました。タッコと紛らわしいアイヌ語地名にタップがあります。タッコの場合は、tapkop,つまり「たんこぶ山」が詰まったものですが、タップの場合は、tap,つまり「曲がった流れ」が詰ったものも含まれるため(例;美唄
今日は風が強く寒い一日になりました。梅まつりがあちらこちらでやってますが、行きませんでした…今年は60年に一度の丙午の年らしい…白馬伝説のある多度大社に行って来ました…多度大社(三重県)に伝わる「白馬伝説」は、約1500年前から神の乗り物である白馬(神馬)が、人々の日々の願いを神様へ届け、幸せを運んでくるという伝承です。多度山を神の鎮まる地とし、神馬が幸福を運ぶメッセンジャーと信じられ、現在も境内では白馬「錦山(きんざん)」が参拝者を迎えています。毎年5月に上げ馬神事が行われる。左の白
1月末に楽天モバイルから3度目の5000ポイントが入っていたもの、最初に蒸気機関車の切符(しおり)を購入させていただいたのです。「さよなら蒸気機関車・撮影会1970.8.30」秋田鉄道管理局奥羽本線・陣場ー碇ヶ関間(矢立峠無煙化)450ポイント裏面です。この日はC61が牽く客車、そして前三重連のD51が3本走ったのですね。今では夢のようです。大切にしておられた記念のしおり、これからも大切にさせていただければと思っています。今回も復活した時に撮ったC62の3号
銀山で採れた銀をトロッコで市川まで運び飾磨港まで流れ着き船で江戸まで輸送していたそうです。住宅街と線路が共存していました。
昨年秋から、時間ができたらダラダラ観ている「ローン・レンジャー」第9話も面白かった。銀山の所有権をめぐるお話。銀を求めて何十年も掘ったが銀脈にありつけない男たちと、やって来て数日で銀脈を掘り当てた男たちとの間でトラブルが起きます。独占欲が巻き起こす悲しい事件。西部開拓時代はよくあったことなのでしょうね。今回の銀山事件もローンレンジャーとトントのゴールデンコンビ(そこは金なのか)が解決します。解決後は愛馬を駆り、いつもの「ハイヨー!シルバー!」で去って行きます。今回の「シルバー!」
石見銀山遺跡とその文化的景観銀山街道(龍源寺間歩へ続く道)の入口付近に位置し、鉱山関係者や商人などが集まる宿場町・商業地として発展しました。厳島神社(宮)が近くにあり、その「前」であることから「宮ノ前」と名付けられました。銀山から得られた莫大な富と、それを支えた人々の力、そして土地のエネルギーが宿ると言われ、訪れる人に活力を与えるとされます。16世紀末から17世紀初頭の建物跡が発掘され、特に24基もの炉が集中する工房跡が見つかり、高度な精錬技術が用いられていたことが分かります。鉱山本体
石見銀山遺跡とその文化的景観石見銀山が江戸幕府の直轄領(天領)となった後、銀山とその周辺150余村を支配するため、代官が駐在する役所として設置されました。銀山柵内から大森地区へ移転後、代官所の中心施設として機能し、1800年の大火後に再建された建物が現在も残っています。「石見銀山」を支えた鉱山経営の中心地で、パワースポットとしての側面も持ち、特に歴史のエネルギーを感じる場所とされています。現在「石見銀山資料館(いも代官ミュージアム)」として、採掘工具、古文書、鉱石、銀山を飢饉から救った「
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日本の遺構100選巡り60ヶ所目は多田銀銅山跡ですよぉ由実さん神戸ライブに合わせて兵庫県の城&遺構を巡る2日間の旅。。締めは鉱山跡巡りへ開山の時代は旧く奈良時代まで遡り東大寺建立時にココの銅が提供されたそうな駐車場から銅山跡までの道すがらある意味鉱山以上に興味深い廃墟へ立ち寄り青木間歩を経由しまして鉱山跡へ潜入してまいりまーす※ちなみに入洞無料ここ2~3年で数多の鉱山跡巡りましたがコチラ多田銀銅山跡について感想はただ一言『短っ( ̄▽ ̄)』
今回は吉野橋を中心に話したいと想う。前回の再掲なのだが、吉野橋からの下流側を見たもの↓一方、これ↓は上流側を見たもの。神通第1ダムの堰堤が見える。これもなかなか美しいが、🟢の点を記したが、あそこにかつて籠の渡しがあったと言う。上流に向かって神通川の左側は旧加賀藩領でここにつながる山が吉野の銀山があった。右側が富山藩領となり片掛銀山があった。籠の渡しはそこを繋ぐものだったのだろう。第1ダムの建設の際、籠の渡しの跡を遺してくれたこと、北陸電力には感謝したい。吉野橋をの傍らにこんな看板があ
2007年にアジアで初めて世界遺産に登録された石見銀山へ鉱山へ向かう町並みも文化的景観として遺産登録されており、観光客の車は入れず徒歩か自転車かカートしか移動手段なし。レンタサイクルもカートも予約いっぱいで歩くしかないけど片道45分悩んだけど結果、歩きました行けるところまではバスで降りたバス停がトトロの世界観のような素敵なバス停でした景観を楽しみながら途中、雨が降ってきながらなんやかんやとウォーキングレッスン兼ねて石見銀山へ到着中へ入るとひんやり天井も結構低くて恐る
山形県の銀山温泉へ行ってみたこの橋からが温泉街の始まりあの良く見かける宿が達並んだ光景は直線にして200mくらいだろうか?案外短かった宿はどれもレトロでおしゃれ宿郡を通り抜けて突き当たりまで行くと山の中を歩く散歩道になるその山の中を20分くらい歩くと延沢銀鉱洞という国指定された銀山遺跡がある入ってみると中には大きな空間が現れたもっと大きな洞窟かと思いきやえらく小さかった•••銀山の由来なんだろう
【合戦解説】門司城の戦い[後編]大友vs毛利〜北豊前での大敗を受け大友義鎮はある決断をする〜<毛利㉗>ウクライナワインのECサイトはこちらAnna'sUkrainianWineShop株式会社アンナは、ウクライナ産の高品質ワインにこだわるインポーターです。shop.annavinos.co.jp札幌販売イベントの様子
しろがねの葉千早茜あらすじウメの孤独と銀山での出会い戦国時代末期、飢饉と徴用により貧しさにあえいでいた一家は夜逃げを試みますが、追っ手に追われ、幼い少女のウメは両親と生き別れてしまいます。一人山をさまよっていたウメは、鉱脈のありかを示すとされるシダの葉(しろがねの葉)を手に、石見銀山の坑道(間歩)に入り込みます。そこでウメは、稀代の山師・喜兵衛(きへえ)に拾われます。夜目が利くという特別な能力を持っていたウメは、喜兵衛の弟子(手子/雑用係)として可愛がられ、男たちと同じように坑道に
紅葉が進んでいるかと思って、仕事の帰り道、少し遠回りしました。まだ早かったですね。以前にも来た”軽井沢銀山跡”です。山の中にレンガ造りの28Mの煙突。何回見ても不思議です。ナゼ、こんなとこに”銀”があること分かったのか?何かがあったんでしょうね。ちなみに、すぐ脇には、”郵便局跡”なんてものが!かなりの人が働いていたんでしょうね。ちなみに、近くには、”墓碑”もあります。事故なんかで亡くなられた人もいたんでしょう。前回来た
明日は藤沢行く‼️って、先週から意気込んでたんですが…雨………小降りのチュルチュルな感じだったら雨でも走ろうと思ってたんですけどね~こりゃゲロマディだことんでどうしようか菅生も雨土砂降りだな藤沢のゲロマディと菅生のゲロマディなら藤沢の方が良いんだけど…んで銀山うーん雨でもこれは銀山温泉の天気の事。行くのは銀山温泉の隣の山の山頂どういうわけか峠では土砂降りなのにコース着くと何故か晴れてる。とか言う訳ワカメなコースまだ希望はあるなんで、ヤップランドなんかはどうかと曇
【合戦解説】門司城の戦い[前編]大友vs毛利〜銀山を諦めた元就は大友との全面戦争に舵を切る〜<毛利㉖>ウクライナワインのECサイトはこちらAnna'sUkrainianWineShop株式会社アンナは、ウクライナ産の高品質ワインにこだわるインポーターです。shop.annavinos.co.jp
9/24~27に道内を周遊。以下、その時の記録。~~~~~~札幌→倶知安(ひとめぐり号)倶知安→ニセコ(バス)札幌から乗継してニセコへ。貸切列車ひとめぐり号で札幌発着で道内を周遊するクラブツーリズムのツアーに参加。キハ261ラベンダー編成だった。・札幌(13:16発)発車後程無く昼食として駅弁の石狩鮭めしが出た。・小樽(13:54着/14:15発)ホームで潮太鼓を演奏してた。クリアファイルと絵葉書を貰えた。14:09着の列
2025年-令和7年9月23日スタート最寄り駅は日生中央駅、集合場所は駅前、本日のマップ、天森神社、れんが橋、金山モニュメント、銀山モニュメントらせん階段、悠久の館、金山彦神社、青木間歩、たまごパック誕生の地、猪名川町総合公園、戻って来ました駅前がゴール、約12kmで165分、参加者は785名でした。日生中央駅より帰ります。
柳津町の軽井沢ってとこに、会津藩の金蔵ともいわれた銀山跡があります。銀が暴落するまでは、かなりの採掘量があったようです。そのため会津藩の隠れた財源となっていたようです。たぶん、地元人も知ってる人は少ないと思います。実際に私も、数年前に知りました。会津松平藩は、一説によれば、裕福な方の藩だったようです。それを裏付ける事実ですね。ふと思うのは、銀を、どうやって鶴ヶ城まで運んだのか?と言うこと。鶴ヶ城までは、山を越えるだけでも、大変なことだと思います。
久喜地区を東へ進みました石見瓦の民家が青い空に映えています県道6号線まで戻るとそこにあったのは久喜八幡宮すぐ隣に久喜林間学舎学習センターのようですここから東の方向へ大林地区へ向かいました久喜地区と並んで栄えたところですしばらく行くとここにも山神社がありました手前の公民館の横に山神社へ上がる道がありましたここからは初期の採掘である露頭堀り跡がみられます(風穴間歩)開発が進むにつれて、鉱脈に沿って地中を掘
道の駅で邑南町に銀山があるとわかりました石見銀山(大森銀山・大田市)は知ってますが邑南町にあるとは知らなかった!さっそく行ってみました広島県境に近い邑南町久喜・大林・岩屋地区には銀と鉛を産出する「久喜銀山」があったのです発見は鎌倉時代初期にさかのぼると伝わり本格的に銀山開発が始まったのは16世紀中頃毛利元就によるといわれています最盛期は戦国時代で江戸時代は天領として大森代官所の支配を受け17世紀前半まで栄えました明治21年(1888)鉱業権を
広島市安佐南区武田山銀山城跡の麓銀山門前通りにおいてTOMOSFES2025が盛大に行われた。イオンモール広島祇園の前面通りから、始まり大通りに夜店が立ち並ぶこの街に住み、働き、生活する人達のキヲクに残る風景を創り出すというコンセプトそして、杉田ベーカリー店駐車場に設けられたステージに、ゲストが招かれライブが始まる。2025年8月30日16時より21時までの予定
暑い日が続いてますね😵ほんとバテバテですよね😅涼みに生野銀山にいきました😊遠出で、ちょっと腰痛でしたがなんとかいけました😅銀山の中は15度で寒いくらい😆外の気温差にびっくり‼️いろいろ勉強になりました‼️昔の時代はノミで鉱脈をさぐって掘っておられたのですねたくさんの方々が頑張ってこられたんだなぁと感謝ですね🌸お土産です🌼スンスンは娘達が大好きなので❤️可愛い❤️可愛い娘達❤️いつもありがとう😊今日がいい1日になりますように✨今日もよろしくね
月曜日に銀山行ってきました❗️❗️って、今更ねw月曜日に日曜日の記事を書いて後でアップしまーすとか言ったクセに忘れてました🙃んで!月曜はウチのクルマでは無く、乗せていってもらいました。日曜と月曜合わせての2days流石に疲れる❗️そして毎回眺めてるこの下界の景色日曜よりくっきりしてる!と、まぁそんなことを言いながら走り…あっという間に終了帰ってきて洗車して来週(もう今週w)用のゼッケンプレートに変えて…エアクリ外して…洗わず放置して…wんで、終わりウェアは砂埃の
もう昨日の事になっちゃいましたが💦行ってきました銀山とまぁ、日曜日銀山は大体毎週同じようなメンツw変わり映えしないなぁと、まぁ着いてまずは雑談wそして走る今回ニューウェアでは無く2年くらい前に買ってたケッコー高いウェア。勿体ない❗️って言って合計て片手に収まる程しか着てませんwで、着ないのはそれはそれで勿体ないので着てみる❗️が、普段安物だったり貰い物お古ウェアしか着ていない人間にはお尻の部分がグリップしすぎる🤣んで、すげー調子が悪いまず前に移動したと思ってもウェアご引っ
動画はこちらから↓↓https://youtu.be/RZEJC4rduUU先日、原付バイクでお出かけした時の状況を動画にまとめてみました。広島を出発して、島根県の「断魚渓」に寄り絶景を堪能してからの、石見銀山までになります。後編は後日アップします後編では、石見銀山の中と戦国時代の毛利氏の隠し銀山にも行ってますのでよろしければ、こちらもご覧ください。当日は最高気温が37度を超える暑い日でしたので、銀山の中は涼しかろうと思い出かけたのですが、これがあと
山形県尾花沢市にある延沢城…交通の便が良いとは言えない立地ですが、ここは昔延沢銀山があり、非常に栄えた地でした。その名残はフォトスポットとしても有名な「銀山温泉」に残っており、かつては銀山の採掘で栄えた地に設けられた湯治場だったのがその由来です。そして銀山を守る役割を担ったのが、この地にある延沢城でした。更に戦国期以前、ここは東西南北を通じて、東北各地へ行く街道が交差する要衝。そのためか、この延沢城極めて技巧的な構造をしており、なんと桝形虎口まで備えています。素晴らしいことにその遺構は良