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※2025年10月20日訪問※本丸から天守台へと向かう途中には【鉄門】と呼ばれる門が建てられていました天守台から本丸へと降りて行く途中、非常に細い通路になっている部分に鉄門は建てられていたようです✨鉄門は、本丸から天守台にあがる小さな門で、鉄板を打ち付けた扉が二重に配置されていたとのこと大正4年6月に老朽化のため崩落したと伝えられています鉄門跡に向かう通路は、遺跡保護の観点からなのか、木製の階段や通路が整備されていました✨本丸側から天守台に登る通路になっているので、本丸側には【↑天守
春になると、河津桜やソメイヨシノなどの様々な種類の桜を見ることができる大垣公園。寒桜は、早咲きの桜です。寒緋桜(カンヒザクラ)。これもソメイヨシノより早咲きの桜です。タイワン桜ともいいます。大垣公園の東側にそびえ立つ城は大垣城です。河津桜とのコラボレーションが真っ青な空に映えます。大垣城は、別名「巨鹿城(きょろくじょう)」とか「塵城」と呼ばれていて、1535年に宮川安定が創建したと言われています。大垣城は、水門側の流れを外堀に利用して四層四階建ての総ぬりごめ様式の城として注目さ
※2025年10月18日訪問※続いて【鉄門跡】を見て行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼鉄門は当時、槻門を通っていた藩主及び家老などを除く、武士などの登城口として使用されていました。向かって右側の石垣と階段は、後に復元されたものですが、左側の石垣と階段は往時のものがそのまま残っています。左側の石垣は、槻門と同様に「小倉戦争」の際に火熱を受けて赤く変化しています。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲◆豊前国・小倉城西ノ口門跡◆に続く
大垣城3回目の登城となる大垣城を攻略します前回は2016年12月15日で7年ぶりの攻略となります。当時からすでに御城印(登城記念証)があったので、御城印のはしりだったと思います。『大垣城・続日本100名城』大垣城スタンプが始まっていなかったので、二回目の登城です続日本100名城43城目です。まずは表写真用です。この角度からの写真が気に入ってます何とも…ameblo.jp2023年9月14日21:37それではスタート本日、9月14日なのでまさに
※2023年8月6日訪問※本丸南広場から、天守に向かって北上して歩いて行くと【鉄門】と書かれた案内板が設置されています✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼鉄門は、文字通り扉や柱など門の一部に鉄製の部材を使っていた門であったと考えられます。本丸への正面出入口として重要な門であり、天守門と同様に門の上部に櫓を有する櫓門でした。江戸時代前半の絵図には門の内側に桝形(四角形)の虎口(進攻してきた敵を前後左右から攻撃できるようにした空間)が描かれ、高い防御機能を持っていたことがうかがえます。
城を観る今回は...(撮影2018/04/21)大垣城〜鉄門跡〜あぁなるほど。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村クルマで行く山城さんぽ100(CARTOPMOOK)1,500円Amazon
高知城の続きは詰門から。見えてきました右が二の丸の石垣、左が本丸の石垣。上側は来城した家臣の詰所にもなってる通路。下側では塩を貯蔵してたそうです鉄門跡。広い広い三の丸。三の丸には水路跡と、長宗我部元親の時代に作られた石垣を見ることができますここは藩主が暮らす二の丸御殿があったという二の丸。天守がいい感じで見えますこのあとは詰門を通って本丸へ行きます。つづく。
天守閣を出ましたよ。天守閣の礎石が展示されてますね。「【天守閣の礎石.】天守閣は昭和20年6月の戦災で焼失し、昭和41年に元の位置に鉄筋コンクリートで再建されたため礎石のみをここに移し、元の通りに配置している。」(案内板より)こちらの門は六十一雁木上門。「【六十一雁木上門】本段から川手に通じる門で、前方の石段がもとは61段あったことからこう呼ばれたらしい。」(案内板より)。「【岡山城】栄華の夢を現にして雲井に映ゆる天守閣月見櫓よ石垣よ鶴が羽ばた
城を観る今回は...(撮影2015/10/14)篠山城〜鉄門跡〜いざッ参らんッヽ(´o`;なんちてにほんブログ村古写真で蘇る日本の名城II西国編(楽学ブックス―文学歴史)1,620円Amazon