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★2025年ゴールデンウィーク今年は飛び石ながら4月26日(土)から5月6日(火)まで長い人は11日連休ということになりますが、皆さんは如何お過ごしですか??海外に行ってくるという人もいれば、近場だけで済ませるという人、はたまたGWも仕事が入っていて大して休めないなんて人もいるかもですね。筆者の場合は基本暦通りの飛び石のため、GWといえどもあまりゆっくりできない感があります。モノの整理を進めたいところですが、こうしていつもの時間の掛かるスタンスでアメブロ記事を作ったりしていると全く整理も
2年ほど前から本格的入手HOゲージの手を出し始めたわけですが、ブラスキットなど作っているとやはり古のエッチング板も興味が出てしまうわけで、ちまちま集めていました手持ちのエッチング板で一番作りやすそうなホヌ30を製作していくことにしました。2枚持っていたりするので、腕が上がったらもう1両増備する予定ですHNの刻印は製作者名でしょうか?リューターで穴を開けてから糸鋸使って窓枠を切り抜いていきました、潤滑剤の存在を知らなかったためにこの時点で刃を4本ほど折っていますミシン油を導入したら嘘み
日曜日は衣浦臨海鉄道の炭カル列車の動画撮影に出かけました。他に来週の貨車研究レポート執筆、9500型テンダの工作といろいろ手を出し、まとまったネタがないので、伸びてしまっているKK〇の報告を再開します。若いTNさんの900形。鉄道模型社のエッチング板が素材です。この機関車も非常に美しく、よく見ると部品一個一個がきっちり美しいのです。特にピカピカのドームが目を引きました。これを見ると鉄道模型社のエッチング板を買って作ってみたくなります。これも若いIOさんの古典編成・・・というより、新橋~横浜の
井門さんのブログを拝見したら、三田会の記念写真が載ってましたね。さて私はどの人でしょう?(知っていてもコメントに書かないでね)今回は三田会参加の方の作品をご紹介します。SZ師匠の13㎜ゲージ小田急キハ。御殿場線非電化当時の乗り入れキハですね。蒸気中心のSZ師匠には意外な作品ですが、気動車、電車もハイクオリティーで製作されます。元ネタは遺品の分配品とのこと。これも遺品が元のEF16です。出来栄えも美しく、調子よく走っていました。もちろん、蒸気もあります。ドーム・ボイラ・動輪はパーツ利用、キ
前回掲載した松本謙一さんのインタビューで、氏がハンドビルドの逸品として、グレートノーザンのL-2を紹介していました。こちらに松本さんからお借りした写真が掲載してあります。こちらはBrasstrains.comからお借りしたものです。似たようなロコに、天賞堂が製品化したL-1がありますが、使用範囲を広げるべく、軽くしたのがL-2だそうです。模型は鉄道模型社の武真一氏によるもので、複数のインポーターに提供されたそうですが、実は小生、PFMが1957年に販売したものを持っているのです。
鉄道模型社のモハ50&クハ65。パンタを載せ窓ガラスの塩ビ板を入れ完成しました。塩ビ板は車体側のL形に曲がった真鍮板に挟み固定します。なので車体から浮いてしまうのですが極力鉄道模型社オリジナルを保ちたく。同様に塩ビ板も汚れを落とし再利用。やはり編成にするとグッときます。パンタグラフは実車のように黒く塗ると実感的ですが敢えてメッキのままで昔の鉄道模型感を演出。幌の無い連結面。基本的に昔は1両独立。動力はモーターが不調でしたが軸受に注油。慣らし運転をしてスムーズに動くようになりました。ロ
レストア中のモハ50&クハ65。昨日黄色を吹き一晩置きマスキング。茶色と屋根のジャーマングレーを吹きました。黄色と茶色のツートン!これは1960年まで採用されていた西武鉄道の旧塗装です。元々1940年幻の東京オリンピックに合わせ当時の鉄道省が東京の国電に採用すべく試験塗装したものがベースと思われます。戦後急増した乗客に対応すべく西武鉄道は国鉄から戦災で焼失、破損、故障した電車を大量購入。併せて鉄道省時代にモハ50&クハ65の製造を手掛けた退職者を呼び寄せ復旧にあたります。恐らくその
帰宅後早速白サフを吹きました。白サフを吹くとディテールがハッキリ浮かび上がります。今回のレストアにあたり留意したのは木製の客用ドア。製造時から戦後、遅くとも1950年代半ば頃までに国鉄では軽合金or鋼製プレスドアに交換されたはず。その理由は敗戦後の混雑で木製ドアが破損する事故が多発。中央線東中野で走行中の車両でドアが破損、乗客が川に転落死亡する大事故に。しかも混乱からハッキリとした死者数が判らないと言う...なので木製ドアとなるとプロトタイプと時代が絞られます。乾燥させ巻き込んだ埃を削
鉄道模型社のモハ50とクハ65。昨夜プライマーを吹き乾燥中です。因みに剥離にはアサヒペンの「強力塗料はがし液」プライマーは「メタルプライマー非鉄金属用下塗り」を使っています。いずれも地方のホームセンターで手に入り易いもの。さて鉄道模型社のモハ50、メーカー完成品を1両だけ持ってます。完品が手元にあればレストアの目安になります。残念ながら1両だけしか手に入らす、相方として小高のペーパーキットを組みました。現在はパンタを載せず代用クハとして使っています。この2両と組み4連にするのも
古い小型蒸機のジャンクを手に入れました。軸配置は0-6-0、Cタンク。小さいながらも纏まったスタイルで何処かの地方私鉄にありそうな機関車です。パワトラ並みの価格でしたがちゃんと走ります。コールバンカー上の曲線がチャーミング。つぼみ模型店か何処かの入門用自由型機関車かと思ったのですが実車が存在し1904年(明治37年)国有化前の日本鉄道(東北本線)が6両製造した1040形であることが判りました。画像はwikiより。また検索したらヤフオクに同じ模型らしき画像を発見。1970年鉄道模型社
「爺の鉄道模型」8352023年3月21日今日は、VR(VirtualRailway・仮想鉄道)FERが開業して62周年です。記念のカードを作りました。上の写真は62因みでC62。カードの線画は1978年にロットリングで描いたものです。
某運転会で、他社さんの作品を見せていただきました。まず、MZさんの作品、アスファルト専用タンク車タキ9200形。ワールド工芸キットを組まれたとのことですが、NでもHO並み以上のレベル。(いやもうNのレベルアップで、HOとの比較なんぞ、意味が無いような今日この頃)私が1/80で作っても、この作品ほどの繊細さ、美しさは実現できないような。辛うじて、昭和50年台後期に写真を撮影しています。火を吐くタンク車として威容を誇っていました。Nのハイレベルさを語る作品をもう一つ。若手TJさんの作品C51形
またまた久々の更新になります・・・。最近仕事帰りに某所のポポンデッタに行くと、古いHOゲージが多数、それもお安く売りに出ていました!このように棚一杯に古いHOゲージが・・・!それも箱付きで!!店員さんによると、元所有者が亡くなったとかで、家族の方がボソッと売りに来られたそうです。事情がどうあれ、これは見過ごすわけにはいきませんから、すぐに漁ります!が、残念なことに、箱と中身がメチャクチャな物がかなりあり・・・。😅確認したところ、大体全体の7割くらいは、箱と中身が合っていませ
最近再開したHOゲージコレクションより。なつかしの鉄道模型社キハ25(旧国鉄の後期型)かなり古いモデルでドロップ製?の床下機器やちょい違うクリームの塗色など突っ込みどころはありますが手すりはプレスではなく別パーツ、出入口ドアの足元の明かり窓が抜けているのが泣かせます。とりあえず運転席窓のHゴム、客席窓の枠を塗装で表現したいところです。先日ぶらっと入った近鉄八尾リノアスのソバ屋の席より。スマホでパチリ。最後まで
先週末、四日市で鉄道写真を撮ってから寺田町へ毎月恒例の食事会もちろん人数は限定、消毒、検温を徹底して、ひとり鍋でおかわりは鍋を交換して新しいのを持ってきてくれます。もう御神酒を飲んだら神さん怒りはるで!と言いましたら今年にかぎり、年末詣でもOKと言う事らしいです。自分も30日にお墓参りから枚岡神社へ年末詣でに行ってきました。ひれ酒大好き!サイコー!ビンゴゲームはトリプルリーチまで行ったものの24系寝台の3両セットでした
「キハ20の整備(中)」から続き最後は光り物の整備です。ヘッドライトは電球色LEDの根元がライトケースへ収まるように削り、テールランプは特殊形状の赤色LEDを細く削り、2mm厚のスペーサーへ差し込みました。CRDを接続して点灯テスト。室内灯はテープ基板にチップLEDを半田付け。これも点灯テストを行いました。所定の場所へ取り付けて配線を行いました。床板~車体間はこれまでの作例同様、汎用基板にKATOの集電板を半田付けした接点を設け、コードのわ
「キハ20の整備(上)」から続き車体が一段落ついたところで足回りへ。台車は1両にメーカー違いが混在していることが気になるので、ピーポーようかん改に履かせていたエンドウのDT22を転用し、統一しました。入手時に付いていた台車はピーポーようかん改へ履かせました。上はメーカー不明(鉄道模型社製と思われますが刻印なし)、下はカツミ製で、質感や細部の表現に差異が見られます。モーターはポンバシにて100円で売られていたものですが、近年入手できなくなり、今回のこれが最後の1個です。
50年物と思われる鉄道模型社製のキハ20の整備が完了しましたので、その様子をお目にかけたいと思います。今回の個体をヤフオクで入手したのは4年前のことで、塗装があちこち剥げ全体的にくたびれていました。台車は前後で違うメーカーの物が付いており、床下機器も欠品していました。あまり見えませんが、モーターはなぜかマブチRE-140もしくはRE-260と思われるものが付いていました。入手後に塗装を剥がしたもののそこでストップ、仕事が多忙ゆえ放置していましたが、職場が休業・外出自粛となった今こ
出漁する漁船(1962)5年経っても日本型Nの車両は少なかった日本型Nゲージメーカーへの期待・関水金属(幻のメーカーじゃないよ、でも当時はその危機感はあった)1970年になっても、Nゲージ日本型のメーカーは、関水金属1社だった。1社でも良かったのだが、日本型車両の発売が少ない。C50とオハ31系客車は、既に店頭から姿を消していて、入手不可能であった。103系も在庫不足で編成が組めなかった。(信じられないと思うが)ブルートレイン20系の発売が67年に始まったが、なんと3形式を出した