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日本ブログ村に参加していますよろしければクリックお願いしますにほんブログ村九州車中泊旅29日目-3_天草コレジヨ館、大江天主堂道の駅宮地岳かかしの里から移動してきました天草コレジヨ館13時50分着14時30分発天草コレジヨの開校や天草本の出版など、16世紀以降に河浦の地に伝えられた南蛮文化の資料を多数展示してあります天草コレジヨとは1581年、イエズス会のアジア巡察師アレッサンドロ=ヴァリニャーノは日本人司祭養成のため、府内(現大分市)に神学校コレジヨを配置しま
現新上五島町出身の大工で棟梁でいらした建築家の【鉄川与助】さんこの方の生き方の紐をといていくと、凄い方なのだなぁ・・と思います。もともと、大工さんのご家庭に生まれていますが、外国人の神父さんから教会の建築法を教えられ、その後、数多くの教会を五島列島だけではなく、九州のいたる所に建てています福江島にある『堂崎天主堂』もその1つ長崎県指定有形文化財に指定され、現在は堂崎天主堂キリシタン資料館として活用されています赤レンガの素晴らしい教会です。詢子。https://youtu.be/8
新上五島町出身の【鉄川与助さん】五島列島にある数々の教会の設計施工をされた方です。どの教会も同じ設計のものはなく、繊細且つ大胆であり教会によっては「ギョッ!」とするような建築方法だったりします。その内の一つ、新上五島町にある「頭ヶ島天主堂」(かしらがしまてんしゅどう)『世界文化遺産』「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録されていますこの天主堂がある近くの石を切り出し船で運び、綿密な設計により組み立てられた石造りの天主堂です石にはいまだに当時書かれた数字などがそのまま残っ
悲しくてもいいそれは優しさに知るきっかけで、愛に還る過程だから。。。私の中にある悲しいと集合的無意識が何度も浮上した、教会シリーズ今回はラスト♪乙女峠マリア聖堂→津和野カトリック教会→平戸ザビエル記念聖堂→国宝大浦天主堂→大江教会の続き世界文化遺産天草の﨑津集落内にある、﨑津教会(さきつきょうかい)村の人が気さくな方ばかりで集落の方が一丸となって教会を守っている感じが一番しました。「どこから来たん?」て、何度も聞かれ「倉敷
今回は、この辺りに知り合いも用事もないので、今まで行った事の無かった浦上天主堂です(正式名称:カトリック浦上教会)天主堂とは、教会堂と同じ意味です。キリスト教用語がなかった頃、中国語から引用。↑原爆で壊れた石像の一部や聖母子像です。↑なぜ狛犬まさか教会とも融合…!?もはや宗教的な意味合いを持たない、「入り口の置物」!?口に穴が開いているから、池などの吐水口の装飾!?それとも近所のお寺や神社から原爆で飛ばされた物!?↑ライオンはライオンでちゃんといますし…。↑ファサードには
新上五島で訪れた教会「青砂ヶ浦天主堂」明治11年頃は小さな集会所だった場所を大崎神父が外国から原書を取り寄せ設計施工1910年に建立された教会守護聖人は聖ミカエル鉄川与助の手による内部は撮影出来ないのでサイトから借り物アーチの天井が美しく優美頭ヶ島天主堂同じく鉄川与助の手になる石造の教会守護聖人は聖ヨゼフ迫害が終わり島に戻った信者たちが自ら切り出した砂岩を積み上げ造った教会石造りは全国でも珍しいそうここも鉄川与助の設計・施工キリシタン拷問に用いられた岩が展示
9月2日、五島列島にやってきて4日目。世界遺産である頭ヶ島天主堂を見学した後、坂本龍馬ゆかりの広場へ。なぜ五島列島に坂本龍馬この像が合掌する先の海で,、龍馬が購入した帆船、ワイル・ウエフ号が暴風雨の為遭難。鎮魂の想いを込め、龍馬が合掌する像が建てられたそうで。龍馬がこの地に来たのではなさそう。次はまたまた教会へ。鯛の浦教会左奥は上五島布教の中心であった旧鯛の浦教会。お昼ご飯は五島うどんにしました。これまでもホテルの朝食バイキングなどで食べてました
中通島での宿泊先はここマルゲリータいうホテル。もともとは国民宿舎だったそうです。数年前リノベーションしてリゾートホテルとして生まれ変わりました。客室東西どちらサイドでも窓から海が見えます。こちらはレストラン、空と海の十字路です。夕食朝食は全てこちらで。イタリアンレストランですが、和食もあります。イタリアンはもちろん、和食は五島の”島ごはん”というコースでしたが、大変美味しかったです。さて、ホテルに泊まって翌日、9月2日は午前10時に世界遺産
五島列島に着いて3日目の朝、9月1日。その日は朝から激しい雨が降り続いていました。コテージから食事をするレストラン迄傘をさして行きました。食事が済んで、また傘をさしてコテージに戻る時、足のスネに激しい刺すような痛みを感じました。左足を見ると、足首の少し上に黒と黄色の縞々の虫がとまってるとっさに払いのけました。その虫は逃げていきましたが、とまっていた箇所は少し出血。ハチならこんなことにはならない、でも身体の色からしてハチ?と思い、コテージに戻ってスマホで調べるとどうやらアブ。
崎津は小さな町である。羊角湾の中ほどにあり、背後からせり出してくる山が、家並みを海へ落としてしまいそうになるほどに平地が少ない・・・・。その狭く深い水面が、濃すぎるほどの青さでもって、町の色彩の無秩序さを力強く浄化しているといっていい。『街道をゆく島原・天草の諸道』司馬遼太郎教会堂だけでなく、その信仰を育んだ(隠した)集落や自然を合わせて、初めて世界遺産として認定されたことに世界遺産選定者・ICOMOSの見識を感じます。又三郎が魅かれるのもまた、教会堂とそれを包む風景だからです。
志摩・波切を描き続けて65年大王美術ギャラリーで鈴木田俊二さんの絵画展伊勢志摩経済新聞SeaandWave」は1975(昭和50)年沖縄国際海洋博覧会「海を描く現代絵画コンクール」で入選し、その後皇太子・皇太子妃殿下(現上皇・上皇后陛下)にご説明...「足は生えてこなかった」補償法求める空襲被災者の思い47NEWS1945年7月16日、米軍の投下した爆弾の破片に左脚の膝から下を奪われた。6歳になったばかりだった。トカゲのしっぽのようには、足は生えてこなかった。「戦争
2017年8月11日の筑前町・大刀洗町散策レポの続き。「坂本神社」をお参りした後は、今度こそ、「カトリック今村教会」に向かいました。坂本神社のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12444901906.htmlhttps://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42278484.htmlちなみに、この「坂本神社」は福岡県にありますが、新元号「令和」で話題となった「梅花の宴」が取り行われた大伴旅人の屋敷跡とされる「
(続き)その日は、蛤浜という海岸近くの宿に泊まった。宿のご主人はこの島の生まれで、大阪で働いた後戻ってきたのだという。ヘルパーをしている女性は関東の出身で、旅行で訪れたこの島が気に入って住むことにしたのだという。「美しい自然があって、教会があって、島のあちこちを訪れるたびに違う表情を見せてくれます。旅をしていると不思議なことが起こることがありますが、この島ではそれが多いような気がします…」翌日、有川の観光協会で電動アシストの自転車を借り、頭ヶ島教会に行った。教会のあ
「聖地巡礼ですか?」この島にやって来た理由について、宿やお店などでこんな質問をされた。「サイレントマジョリティー」とか、「不協和音」とか、「!?」と思うような題名の歌を歌っているグループがあることは知っていたけれど、この島出身のメンバーがいて最近写真集が出版され、それで、その撮影地をめぐる人たちが増えているらしい。僕はといえば、最近暖かくなってきたので西海のどこかの島に渡ってみようととりあえずフェリー乗り場まで行って、ほぼ当てずっぽうに行先を決めたに過ぎないのだが。中通島。五島列島を
江上天主堂(エガミテンシュドウ)てくてく、登っていくと日本における教会建築の父・鉄川与助(てつかわよすけ)による設計で、クリーム色の外壁や水色の窓枠がかわいらしい教会。内部は、大工さんの技がキラリと光る。江上は1881年、西彼杵郡などより移住した4家族が洗礼を受け、教会がはじまった。1918年、50戸あまりの信徒が共同として地引網で資金をつくり、現教会を建てた。手描きの木目の柱や手描きされた花の絵の窓ガラスに、信徒の苦労の結晶を見ることができる。世界文化遺産「長崎と天草地方の
コタツの誘惑に負ける季節到来・・・久しぶりのアップとなりました(^^ゞ11月某日、福岡県の太刀洗町をお散歩♪太刀洗町には旧日本軍太刀洗飛行場がありました。その地に建てられたと言う太刀洗平和記念館へ行ってきました。知覧特攻平和会館は多くの人が知っていると思いますが、実は、知覧は太刀洗陸軍飛行学校の分校だったそうです。知覧から特攻隊として飛び立った飛行兵たちの多くは、太刀洗で訓練を受けていたそうです。太刀洗平和記念館は撮影禁止なので写真はありませんが、平和
平戸島を渡る手前で、田平天主堂に立ち寄る。正式名称はカトリック田平教会と呼ばれるこの教会は、赤煉瓦造りで美しい外観に装われている。駐車場は山手の方にあるが、平戸瀬戸を見下ろす方向が正面になる(写真)。田平天主堂の建物は、九州各地の教会を手掛けた棟梁の鉄川与助によって大正7年(1918)に建設されている。煉瓦はイギリス積みで交互に色の異なる煉瓦が積まれている。この教会は、豊臣秀吉の命により、慶長元年(1597)2月5日、長崎の地で磔に処された26人のカトリック信者「日本二十六聖人」に捧げ
さて、昨日のことを書くのだが、今日は雨。まだ降っている。降っている。皆さん、こっちに来てください、とは言えないので、パソコン・スマホのある場所で、晴れていたら、それまで。なにがそれまでだか、書いている自分もわからない。書きながら、あれ、この言い方すると、落ちがつながらないぞ、と。いいんです。そこで打ち切りましょう。って、自分にも無駄話をしていないで、時を稼ごう。天気予報で午後には雨が止むって、止まないというだけのことで。雷が多くて、どうのこうのという無駄
大浦天主堂へ向かう途中に不思議な建物がありました。祈りの丘絵本美術館。予備知識なく通りかかったので寄りませんでしたが、童話館さんの絵本美術館だったようです。大浦天主堂が見えてきました。幕末の元治2年(1865年)に完成した建物で、日本に現存する最古の教会だそうです。明治8年の大改修で今の形になったそうなのですが、藤森先生の「建築探偵神出鬼没」の中では、当初の建物が建築の専門家から見て、他に類のない、とっても不思議な形をしていたことが説明されていて、興味深く読みま
平和公園の丘の上から見える、浦上天主堂です。歩ける距離なので、丘を降り、浦上天主堂の丘へ向かいました。横から見ると、かなり奥行きがあるのが分ります。浦上という地域は、キリスト教を信仰してきた人々の長い歴史があるエリアです。現在の聖堂の手前に、古いレンガの壁が残っています。明治21年にここに東洋一と言われる壮大な教会の建築に着手したものの、日清・日露戦争による物価の上昇で何度も中断し、大正3年になってやっと完成したそうです大正14年には、長崎の教会を色
遠藤周作は「沈黙」の他にもキリスト教を題材にした作品を多く残している。沈黙はその中でも最も過酷な弾圧の様子を描いた作品であるが、過酷な弾圧を受けた場所は多くあり、中でもウルトラ級の地域がある。長崎市内、路面電車で行ける所にある「浦上」である。江戸時代は禁教だったし、ばれたら死を意味することくらい分かっていたから公にはキリシタンゼロと言うことになっていた。ローマではよもやあの大弾圧をくぐり抜け、信仰を守ったものはないと考えられていた。天主堂を建てても外国人向けで、日本人信徒が
福岡県三井郡大刀洗町にある1913年(大正2年)に建てられた煉瓦造りの双塔ロマネスク様式です。隠れキリシタンの教会天主堂を数多く手がけた天才、鉄川与助の最大にして最高傑作とも言われています。美しい建物です。世界遺産の候補からははずれているのが残念なのです。長崎などのキリシタンとは繋がりを持たずに独自で信仰の火を灯し続けたかららしいですが…もう少し研究が進んでいけば追加認定もあるかも知れません。内部は撮影禁止なので、参考資料より。リブ・ヴォート式の美しい曲線美、フラ