ブログ記事414件
1996年の鈴鹿1000kmにスポット参戦したフロムエーポルシェGT1。フロムエーとはいっても、ノバは関わってないハズ。確かアメリカのチームとジョイント?しての参戦でしたね。でも、これがノバからの参戦だったら…その後に空力魔改造をされてJGTCに出ていたかも?そうしたら、こいつとバチバチのバトルが見られたかもしれないですが、今も昔もクソなことでおなじみのGTAが「重い重ぉ~い足かせ」を付けさせてつまらなくさせるんでしょうね。いま見ると、ショートテール版のウイング幅が狭くて、ただでさえか
1984年の鈴鹿1000kmにだけ参戦した「TOP・RACINGプレリュード」。初代プレリュードをベースに、おそらくグループ2もしくはTS(特殊ツーリングカー)規定で製作されたマシンですね。※エントラントであるTOP・RACINGについては過去に記事で書いているので、ご興味のある方はご一読いただけるといいかな?と。相原英喜/富増保/岸元伸好のトリオでの参戦で、予選はダントツのビリ()頑張って頑張って3分3秒030と、世界のナベアツならアホになりそうなタイムを計上したレーシン
僕が初めて見に行ったのが、1984年の鈴鹿1000km。そこで走っていたのがTE71カローラのグループ5でした。※画像はイメージです(何故これを選んだよ?)「憧れのスーパーシルエットが目の前を走ってる!」と、喜んだものです。でも…なにかおかしい。※重ね重ね、この画像はイメージです。当時走っていたのは香港のオーナーに売却されたマシンです(同じくトムス製)。僕「カローラはアフターファイアを吹かないね。」スーパーシルエットの魅力のひとつである、アフターファイアを期待していた僕。カローラも
1984年の鈴鹿1000kmで走っていた、初代プレリュード。エントリー名は「TOP・RACINGプレリュード」なんですが、ちょいと調べてみました。そもそも、このトップレーシングというのは鈴鹿サーキット南コース方面(地図を見て「わかる人」はわかると思います)に存在した貸しガレージのようですね。※この広告は1981年当時のものです。現在はホンダロジスティクスの倉庫になっているようです。「貸しガレージ」とはいうものの、自社でFJ1600のマシンを製作(画像一番下側)していたそうで。富士でい
39年前の今日、8月26日に父親に鈴鹿1000kmへ連れてってもらったのが、僕のサーキット初体験でした。今とはまた違ったジリジリと焼けるような暑さだったのを鮮明に覚えています。そしてクソみたいに強かったアドバンポルシェ962C。この時は「ダブル高橋」組だったような気がする。ディケンズはよそにいたような?そして「ホンモノだ!」って思った、トムス84C。案外うるさくなくて、速くもなかったw逆にうるさかったのがコレwそれとカラーリングが違うけど、このカローラもうるさかったw1984年です
なんだかんだでネタにされるピアッツァのグループ5。エンジンはターボなんか付いてません!おまけにキャブへと戻す、時代逆行スタイルwまあ、瞬間的な速さよりも「トータルの完成度」が重要視される耐久レースですのでね。そして、ネタ車だと思われがちですけど真夏の鈴鹿1000kmで11位完走をしてるので、わりとバカにできないやつw時代としてはもうちょい後になるけど、いすゞ自動車は持ち前のディーゼルエンジン技術を進化すべくアスカのディーゼルターボを使い、速度記録などに挑戦することに。その結果、見事に
うん、確実に言えるのは「やかましいツーリングカー」フェチってことやねwガボガボ言ってるだけのキャブではなく、インジェクションで直管wやかましいったら、ありゃしないw香港のチームに売却されたのち、鈴鹿1000kmを走ったBMW320iとか…北米IMSA帰りのトラストセリカとか。「ビャ~ン!」ってうるさいのがたまらんのです。思えばグループAもGT-Rなんか無視して、M3やレビンVSシビックばっか見てたなぁ。
製品サイトの説明(お知らせや製品情報から掲載)伊太利屋カラーの1993年鈴鹿1000kmレース優勝車を再現!ボディのパーツカラーはホワイト。アンテナ用ステンレス棒、窓の塗り分けシールが付属します。Bardの説明(試験運用中ですが回答が適切であれば掲載)ハセガワの伊太利屋ニッサンR92CP“1993年鈴鹿1000kmレースウィナー”は、1/24スケールのプラスチックモデルです。1993年の鈴鹿1000kmレースで優勝した、伊太利屋カラーのニッサンR92CPを再現して
さて、今回取り上げるのはRS(レーシングスポーツ)です。筑波ではRJ(ロータリージュニア)と呼ばれてロータリーエンジン搭載車だけでしたね。うん、それはRGだね?一方、鈴鹿ではSJ(スポーツカージュニア)と呼ばれてロータリー以外も使えたために、トヨタの3S-Gを使うチームも出てきて猛威を振るいました。ん?そのSJではないのよ?わろてくれるの、あなただけよ(このくだり好きねぇ?)。さて、そんなRS。見た目どおり、フォーミュラカー風のシャーシにGC風カウルをかぶせたもの。Cカーほどグ
以前記事にしたAE86。実はC/SGCではなくJSS参戦車だった、というオチでしたな。それよりも時間を遡ると、こんな仕様だったようです。グループA用のストラットにキャブ化と、NA1600みたいな改造内容。で、ドライブしていたのが高木正己選手。名前は「正己」だったり「政巳」だったり、表記もまちまちなのでようわかりません。実は1981年のスーパーカートチャンピオンからステップアップし、トムスのマシンを中心にドライブ。そして、その息子さんが高木虎之助選手なんですよね。1984年の鈴鹿100
「え?ミラージュ?これカウンタックじゃん!バッカでぇ!」とか思ったでしょ?これがカウンタックだよ。バカなのはお前の方だよ!いや、確かにコレはミラージュなんですけどねwランエボの4G63が載ってます。うん、それはベルギーのブルージュだね。ちょっと黙っといてもらえるかな?閑話休題wまあ、いうてもカウンタックのレプリカなんですけどね。この「RGSミラージュ」ってのは。そもそもイギリスのGT選手権に出るために1台のみ製作された(!)もの。確かエンジンはなぜかシボレーコルベット用のLS1(5
皆さんこんばんは。皆さんのお住まいの地域は昨日の雪はどうでしたか?あ、セルモでございます。セルモの住む静岡市内は雪は山沿いだけで都市部は結局雨でしたね、、、静岡で降るのは東部の御殿場とか富士宮当たりですかね?なかなか静岡市内で降るとなれば相当の事ですからかなりの大事になりますな、、、(汗)さて今週は仕事が遅番だったので日が経ってしまいましたが、今回もやります。え、何が?そうです。今年日産のスポーツカーの新型フェアレディZが発売され、国内モータースポーツでお馴染みSUPERGTに
FIAGT選手権の1戦として開催された’98年ポッカ鈴鹿1000㌔だが、JGTCのプライベートチームも少数ながら参戦してくれた。ワークス系チームも参戦して欲しかったところだ。総合22位:土屋圭市/谷川達也/マッシミリアーノ・アンジェレッリ組/iDC大塚家具サードスープラJGTCに参戦していたサードが第3ドライバーにM・アンジェレッリ選手を加えて参戦。土屋圭市選手ドリキンさんが参戦してくれるだけでも大盛り上がりだ。ピットウォークでお会いできる楽しみ、走りを観る楽しみ-
'98年FIAGT選手権鈴鹿1000㌔GT1だけではなくGT2クラスにも元F1ドライバーが走っていた。近年のスーパーGT戦になってからの鈴鹿1000㌔では元F1ドライバーが一人参戦するだけで大注目だった(バトン選手は例外)事を考えれば、なんと贅沢だったのだろう。しかも、お会いできるピットウォークも人が少なくてのんびりと各ピットを回ることができた。GT2優勝:O・ベレッタ/P・ラミー/D・デュプイ組/チーム・カレオ・ヴァイパーGTS-Rペドロ・ラミー選手F1ロータス、ミ
FIAGT選手権の1戦として海外チーム中心のエントリーとなった1998年ポッカ鈴鹿1000キロ。ル・マン24時間にも出場していたチームが大挙してやってきた。現在のWEC富士のようなものだ。スタート海外チームは元F1ドライバーも多く、またDTM/ITC鈴鹿で走った選手もいて豪華なメンバーだった。冠スポンサーポッカのコスチュームを着た鈴鹿サーキットクィーン♡2位:クラウス・ルドヴィック/リカルド・ゾンダ組/メルセデスCLK-LM一般も参加できたメルセデス・ドライバ
GT1マシン中心としたFIAGT選手権の1戦として開催された1998年ポッカ鈴鹿1000kmレース。四輪の真夏の祭典として8月末開催が恒例だった。ル・マン24時間レースを走った海外チームが多数来日して豪華なレースだった。マクラーレンF1GTRの登場を機に'96年から鈴鹿1000㌔を観戦に行くようになっていた。コンパクトデジカメも持って行き、雑感等はそちらで撮影した。GPスクエアにはル・マンだけで国内レースでは走っていなかったニッサンとトヨタのGT1マシンが展示され
時は1981年、夏の鈴鹿1000km。レースを席巻したのはクレマーk3でした。前年のル・マンにクレマーwithTETSUとして出場、後にクラッシュしてクレマーへの修理がてらK3へとバージョンアップされてきた個体ですね。この鈴鹿1000kmには、もう一台ポルシェ935が出場していました。アメリカのインタースコープチームから出場したマシンです。実はこれ、レース後にホイールメーカーでもあるスピードスターレーシングに売却される予定だったんです。「空輸するんなら、ついでに現地のレースで結果を出して
1999年のF1日本GPを最後にモータースポーツ観戦から足を洗っていた。ミハエル・シューマッハ選手の引退&鈴鹿サーキットでのF1開催が最後になる2006年。大阪に転居していたこともあり「近鉄で行けるから」と、7年ぶりに鈴鹿サーキットに足を運んだ(詳しくはまた別の機会に)。一緒にレース観戦していた友人の勧めもあり、翌2007年の鈴鹿1000㌔・土曜日予選に行くことにした。土曜日だけだと観戦チケットが安いからだ。真の目的は併催される『スーパーカー・スーパーカー』だった。当時はコ
週末はS-GTRd.3鈴鹿大会です。この時期の鈴鹿と言えば、鈴鹿1000kmですが、それはもう、世界一暑いサーキットなんじゃね的に、それはそれはとても暑苦しいのです。それゆえ、熱中症には要注意なわけですが、週末の天気予報を見ると雨がらみになるかもしれません。気象庁
1997年ポッカ鈴鹿1000㌔は参加車両もドライバーも有名どころ目白押しだった。ピットウォークでサインを頂いたり(サイン会では無かった)、ナイトラン観たりと❝夏のバカンス❞っぽくて楽しかった。トークショーやブースでの特別なイベントは無かったが一日満喫できた気がする。当時はイベント無くても楽しむ方法を編み出していたのかも。4位:J.J.レート/スティーブ・ソパー組/マクラーレンF1GTRJ.J.選手も好きなドライバーの一人。F1日本GPの際にサインを頂いたり、ITC鈴鹿、
1997年の鈴鹿1000㌔ではちょっと前に活躍した懐かしいカラーリングのマシンも復活した。「夏のモータースポーツ祭り」っぽい特別感があって良かった。9位:関谷正徳/土屋圭市/中谷明彦組/LARKマクラーレンF1GTR前年(1996年)のJGTCにチーム郷が参戦したLARKマクラーレンF1GTR。同じカラーがロングテールでも復活。’97年のル・マン24時間に参戦。鈴鹿1000㌔には「マクラーレンF1GTRならこの人!」関谷正徳選手を加えたメンバーで臨んだ。ル・マン1戦のみ
7位:ベルント・シュナイダー/鈴木亜久里/アレクサンダー・ヴルツ組/メルセデスベンツCLKGTRシュナイダー選手は選手権ポイント獲得のためか優勝した10号車とかけもちWエントリー。亜久里選手はITC鈴鹿に続いて鈴鹿1000㌔でもメルセデスのドライバーに抜擢された。忌まわしきF1ザクスピード以来のB・シュナイダー選手と鈴木亜久里選手がチームメイトとして走行した。HIGHSPEED1/43ミニカーメルセデスCLKGTR#12このミニカーを見つけた時は嬉しかったなぁ
2017年のポッカ鈴鹿1000㌔はマクラーレン勢はもちろんのこと、ポルシェとメルセデスのワークスチームも参戦し、さながらル・マン24時間レースのGT1対決を観るようでもあった。これだけのメンツがそろうのだから観戦に行きたくなるというもの。ル・マンに出場していたトヨタと日産が参戦しないのは残念だったが。5位:ハンス・J・スタック/ティエリー・ブーツェン/ボブ・ウォレック組/ポルシェ911GT1Evo前年に911GT1を発表し’97年のワークスチームは❝涙目❞のエボを使用した。
1997年のポッカ鈴鹿1000㌔はFIAGT選手権の1戦として開催された。ル・マン24時間レースを走ったチームが参戦しているので見応えがあった。スチール一眼レフカメラ+300ミリ望遠と自分の相性が良く、この頃が一番写真が上手く撮れていた気がする。F1と鈴鹿1000㌔は36枚撮りフィルムを10本近く持って行った。それでも今の一般的なデジタルカメラのようにバシャバシャ連写で撮れる訳でもないので❝一撃必中❞現像してみるまで結果が分からなかった。’90年代頭に現像フィルムをTV画面で
前年観戦して❝夏のバカンス❞っぽくて楽しかったので、1997年もポッカ鈴鹿1000㌔観戦に出かけた。ただ、土曜日は仕事が外せなかったので金曜日の晩に一旦静岡に帰り、土曜日の晩に再び鈴鹿に向かったのだった。決勝後はゆっくりしたので仮眠してから帰ったので、家に到着したのは明るくなってからというハードな行程だった。それでも行きたかったのだ。’97年、98年の鈴鹿1000㌔はFIAGT選手権の1戦として開催。メルセデス、マクラーレン、ポルシェのGT1マシンと、消滅して行き場を求めたDTM
暑いですね…連日30度超えくらいの気温が続いていて溶けそうです(笑)6月に入り、私の職場にも子どもたちの声が戻ってきました!それは嬉しいことなのですが…、とにかく暑い(-ω-)/感染予防としてマスク+フェイスシールドで指導を行っているので汗がすごく…エアコンも入ってないのでやばいですこれからエアコンを入れるとしても、換気が必要とのことで…今年の夏は乗り切れるだろうかと心配です((+_+))でもでも!同じ暑さでも…いや、たぶんこっちの方が厳しい暑さなのに!何故か楽しめちゃ
みなさまこんにちは☆昨日は2012年の鈴鹿1000㌔のフォーメーションラップの動画を載せましたが、今日はその続き!スタート直後の様子です(´-`*)フォーメーションラップのSC先導のゆっくりとした感じではなく、スタート直後なのでスピードが上がりちょっと荒々しい…しかもマシン同士の間隔が狭いままコーナーに入ってくるので、レース中のバトルとはまた違う圧迫感まずはGT500クラスからD'stationかな?緑と白のマシンは…珍しいカラーリングで期間も短かったと思うので
初めて観戦に行った1996年鈴鹿1000㌔。海外勢の参戦で、全日本GT選手兼では観られないマシンも多くてそこがまた良いところだった。「初めて観戦シリーズ」で触りだけチョコっと掲載するつもりだったのに、鈴鹿1000㌔だけで4回もかかってしまった。車種が多かったり好きなチームが参戦していると掲載したくなる写真も多くなってしまうな~。28位:バルボリン・ディアブロ/和田孝夫/福山英朗/L・モッキア組リタイア:コンラート・ポルシェ911GT2Evo/R・ニアン/井上隆智穂/F・コン
皆さんこんにちは。けんたけです。そういえば、最近Jスポーツさんで「全日本GT選手権・スープラリバイバル」として昔のGTを放送していますね。今日も私も楽しんで観ておりました(笑)さて、今日はミニカーレビューではなく、全日本GT選手権で走っていた車について取り上げたいと思います。今日取り上げるのは、チーム・テイクワンの「綜警マクラーレン・GTR」です。[1]って書いていますが、ミニカーが手に入った頃に[2]として、ヒトツヤマレーシングのマクラーレンについて書こうかなと思います。いつになるか
1996年の鈴鹿1000㌔はBPRGTシリーズの1戦としてマクラーレンやフェラーリをはじめとする海外勢が参戦してきた。それと同時に前年には見られなかった日本チームも多数参加したのも魅力だった。。特に応援するチーム国光が、この年のル・マン24時間と同様、レイブリック・カラーで臨む事になったので「それは是非とも観ておきたい」と思ったのだ。当時、国内のJGTCではアドバンカラーで、レイブリック・カラーは❝特別❞だったのだ。鈴鹿サーキットクィーンのお姉さん❤チーム国光レイブリ