ブログ記事13件
阿波洲神社(西東京市新町2-7-24)(主祭神)少名彦名命(淡嶋神社の主祭神又は農耕神として祀られる)高望王(桓武平氏の祖・上総介として関東で実権掌握・土地開発の神として祀る)*淡嶋神とは何か→紀伊国の加太浦の淡島明神を総社とする明神だがその本体について議論あり→神仏分離により現代では②を採用する神社が主流。江戸時代は③④⑤が有名。①伊邪那岐・伊邪那美の子(記紀による2番目の子「淡島」。不具で流される)②少彦名神(加太淡嶋神社の主
2021年1月下旬の休日。仕事も兼ねて、小金井・国分寺方面に出かけましたので、その途中、いつもの歴史散策をして来ました。この日のスタートは、西武新宿線花小金井駅から。南口を出て、駅前広場をパチリ。前職時代、社会人になりたての頃、花小金井駅にはよく来ていたんですよね、仕事で…だから懐かしい!でも、その頃は、改札は北側にしかなかったんですが…南口ができたんですね…汗駅前広場のすぐ傍に緑道があって、田無方面に進んで行きます。一つ目の通りに出
【概要】近場の道を開拓しました。今回は。。。鈴木街道東京街道を走りました。近場を50km強走りました。鈴木街道は別経路もあるらしいので、また今後走っていきたいですね😀。【データ】■STRAVA■走行データ走行距離54.98km獲得標高239m移動時間02:34:35経過時間03:25:14平均速度ネット21.3km/hグロス16.1km/h【コース】■凡例《道》道路名〈交〉交差点■全区間走破道路青:鈴木街道黄:東京街道■全体
朝、いつもより早めに家を出て…お花を撮ってから筋力アップ教室に向かいました鈴木街道沿いにある“大門橋緑道”ボランティアの方が花のお世話をしています水は流れていませんが、鈴木用水路脇です。オルレアホワイトレースと薔薇カクテルこんもりと咲いているビオラ筋力アップ教室のギャラリー芬さんの近くのお宅のプランター色とりどりの“アスター”ギャラリー芬さんのプランターの“メキシコマンネングサ”小さな小さな星のようで好きなお花のひとつですiPadやiPhon
ラジオ体操が始まる前にそらとお散歩に出るのも随分久し振り。手術をして直ぐの時期は仕事に向う前の暗い裡から軽いお散歩を済ませていましたが、平日は専らこくらげ夫人がお散歩に行くようになりました。けれども、家の中で飼うようになって食事も進まなくなり、痩せるに連れお散歩も億劫になったそら。おむつの交換も手間が掛かるので、こくらげ夫人がお庭に戻し、食事の回数も増やしたところ、今年になって漸く筋力も回復。毛並みも伸びて来たところ。お彼岸も過ぎて明るくなるのが早くなったこの頃は、随分早くから目を覚
東京都小笠原村の元日の日の出は午前5時27分頃。この時季は北海道札幌市・石川県金沢市・大阪府大阪市の日の出がほぼ同じ時刻で午前7時6分頃。この3都市を結んだ直線と直角の南東側に向って地球が回っているようです。普段より重くて分厚い元日の朝刊を配るバイクが夜中の1時過ぎから走り回っていました。我が家の日の出の頃の気温は−3℃でした。普段の休日との相違点はまだ外が暗いうちからポールを組み立てて玄関脇に国旗を立てたこと位のもので、取り立てて何か違うことをする訳でもない元日。朝の早いうちに用事
今日も鈴木街道を歩いて長澤園へ。「かおり」という品種を買ってみました。豊水より大きく、ちと高め(^_^;)。お味はどうでしょうかね(^^)。ちなみに、豊水は残り少ないようですよ。
阿波洲(あわしま)神社から、鈴木街道を東へ向かって歩いています。「ほうやし」のマンホールを発見。旧保谷市や旧田無市の痕跡を見つけるのも、西東京市探索の醍醐味です。西東京市が誕生して20年になりますが、このマンホールは彩色も綺麗に残っていますね。旧保谷市の痕跡と言えば、眼鏡で有名な光学機器メーカーの「HOYA」が筆頭でしょうか。旧保谷市が創業の地であり、現在も社名は存続しています。鈴木街道の起点まで来ました。こうして江戸時代の街道を辿っていると、300年前なんてそんなに昔じゃな
おおぞら公園から、鈴木街道を東へ向かって歩いています。進入禁止の標識が三つ並ぶ三差路。どちらに進んでも武蔵境通りへ出る一方通行ですが、右側の鈴木街道を進みます。鈴木街道は、貫井村(現小金井市)の名主であった鈴木利左衛門重広によって開発された鈴木新田へ向かう道です。重広は志半ばで他界してしまいますが、後を継いだ息子の鈴木利左衛門春昌によって、享保十七年(1732)に新田開発は成し遂げられました。お稲荷さん発見。祠も含めると、日本には数えきれないくらい「祈りの場」があります。それ
ハイ!Petitの福善です。花小金井南町せいぶ通りと鈴木街道の交差点。Cafe&Delihugのテイクアウト。このようなウィルスがまん延する前から、金曜日には、お助けママ・パパ・デリをしていました。良い着眼点だと感じたんです。とても感じが良いオーナーご夫婦で、美味しくて、納得の価格。なので安心しておりました。そして、昨今のこの有様。Cafe&Delihugは時間限定でテイクアウトのみの販売。外から、どんな感じかなと偵察。電話受付10:00~開始。11
大沼田用水(1)鈴木用水分水点~あけぼのパン工場付近大沼田用水は鈴木用水と同時期の1734年頃に作られた用水です以前、鈴木用水の際に紹介しましたが、小平団地東交差点の100mほど下流側に大沼田用水と鈴木用水の分水口があり、大沼田用水はここからスタートします大沼田用水は回田道の東側を北上しますが、直線区間が長く青梅街道の南側まで1キロ以上に渡り直線が続きます写真1大沼田用水(左)と鈴木用水(右)の分水口大沼田用水はここから長い直線に入ります、この先分水も多いた
田無新田用水(1)関野用水分水点~多摩湖自転車道路1770年ごろ、田無村でも特に飲み水に困窮していた地域のため、新たに関野用水から田無新田用水が分水されることとなりましたマイマップの水路図を見て気づかれた方もいると思いますが、田無市が40年ほど前に調べた聞き取り資料、「古老に聞いた田無用水」を元にレイヤー化したものになります聞き取りの詳しい内容はわかりませんが、水路図は聞き取り当時のご老人が昔見たもの、もしくは伝え聞いたものが入っていると思われ、年代としては80~150年ほど
石神井川(2)鈴木街道交差部~文化橋小金井公園の北側から田無方面へと流れる石神井川多摩湖自転車道との交差部は、馬の背と呼ばれる巨大な土手となっている送水管を石神井川の谷を通すためこのような形になった向台や南町付近は住宅街となっており、芝久保・向台の運動場など調整池の見られるかつては芝久保用水、田無新田用水などが接続され水田が拓かれていた昭和前期までの石神井川上流域は、今より小さく水量はわずかだったが湧水もあり綺麗な川だったという写真1めがね橋と馬の背正
鈴木用水(5)大門橋緑道手前~芝久保町境(北水路)前回紹介した南水路に続いて、今回は北水路の紹介をしたいと思います田無用水と交差後、鈴木用水北側を併走する北水路ですが、かつては鈴木町の飲用水路としての役割を終えたあとは、南水路同様に、石神井川に落とされていたようですしかし現在の水路は、残水を芝久保用水に繋げて流すために作られた水路が延長されています写真1ブルーベリー園手前の鈴木用水北水路大門橋緑道と名づけられた区間、比較的早くから緑道化されていた区間この数
ハイ!Petitの福善です。12月からリニューアルいたしました鍼灸あのん和療院のチラシ。しっかり、地域に配布して参ります。所在地は、新小金井街道と鈴木街道の交差点鈴木町一丁目の交差点のすぐ近くです。目印は、この立て看板。院長の渡辺早美さんは、三人のお子様を育てています。彼女の施術は、痛みを軽減するだけではなく、その痛みの原因を教えてくれます。そして、その痛みのを軽減する患者さんがご自身で出来る、日々のちょっとした運動も指導します。鍼灸治療は痛みを
真剣な店長は、凄くカッコいい#サインカフェベリーユー#サインカフェ#小平市#tokyo#kodaira#caffe#tokyo_cafe#小平カフェ#花小金井カフェ#花小金井くまさん@初澤弘文さん(@yoikumasun)がシェアした投稿-2018年May月10日pm9時46分PDT
GW中の或る日。多摩湖自転車道を歩いていたそらが石正園の苗圃が拡がるほうへ頻りに行きたがったので、自転車道を逸れて遠回りをすることにしました。植島植木、尾林造園、石正園・・・このほかにも多くの造園業者の苗圃が拡がる西東京市では、《植木のまち歩き》という事業を展開。植木のある風景を額縁のように切り取って鑑賞することの出来る案内看板《風景の窓》や特徴のある樹木などを紹介する《樹木プレート》が彼方此方に設置されていますが、上保谷新田地区では特に多く感じます。【植木のまち歩きをご
わかりやすい看板ですね車は左側走行人は右側歩行自転車も車と同じ左側走行だね〜折りたたみ自転車20インチシマノ社製6段変速ギア(AJ-08)フロントバスケットフロントライト/前後泥除け/ワイヤーロック錠/折り畳み自転車/MTB/小径車/PL保険(ブラック)