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モップス-EXIT(イグジット)(Liberty,1974)モップスMops-EXIT(イグジット)EXIT(Liberty,1974)'74年4月23日、東京中野サンプラザに於ける実況盤"モップスさよならコンサート"より発売・リバティ(東芝音楽工業)LibertyLTP-85014,1974年7月5日プロデュース:スズキ・ミキハルストリングス・アレンジ:星勝ヘッド・アレンジ:三幸太郎スペシャル・ゲスト:深町純(キーボード)全編曲:モップス
モップス-モップス1969~1973(リバティ,1973)モップスMops-モップス1969~1973(リバティ,1973):YouTubeモップス1969~1973FullAlbumTheMops-1969-1973(1973)作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有www.youtube.com発売・リバティ(東芝音楽工業)LibertyLTP-9076,1973年6月5日(A面)1.晴れ時々にわか雨(阿久悠作詞・星
朝から雨の東京。今日は、新宿まで行かなければならないのですが…。というより、この時間には新宿に来ています。爺さんばかり集まって昼食という名の飲み会。私を入れて4人ですが、みんな客だった人ばかり。いつもは3人で地元の町中華ですが、新たに参加者が増えるということで新宿まで。自分の性格がいけないのですが、それこそ10年以上経つのにいつまで経っても客は客という意識が抜けない。それなら、行かなければ良いのですが、わざわざ誘ってくれているのに…。面倒くさい男なのです。
モップス-モップスと16人の仲間(リバティ,1972)モップス-モップスと16人の仲間(リバティ,1972)発売・リバティ(東芝音楽工業),LTD-9059,1972年7月5日(A面)A1.たどりついたらいつも雨ふり(吉田拓郎作詞・作曲):YouTube-3:30モップスMOPS/たどりついたらいつも雨ふり(1972年)視聴No.47モップスMOPS/⑫たどりついたらいつも雨ふり(1972年7月5日発売/東芝リバティLTP-2695)作詞・作曲:吉田
モップス-雷舞(らいぶ)(Liberty,1971)モップスMops-雷舞(らいぶ)Live(Liberty,1971):YouTube雷舞(らいぶ)FullAlbumTheMopslive雷舞モップス雷舞liveat"NakanoshimaKokaido大阪中ノ島中央公会堂"Osaka,JapanJuly11,1971side11.00:00IWantToHoldYourHand抱きしめたい2.08:03Gimm
ザ・モップス-サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン(Victor,1968)ザ・モップスTheMops-サイケデリック・サウンド・イン・ジャパンPsychedelicSoundsinJapan(Victor,1968):TheMops-PsychedelicSoundsinJapan1968(fullalbum)Idonotownthecopyrighttothisrecording.Thisvideoisfor
モップスMops-御意見無用(Liberty,1971)モップスMops-御意見無用Iijanaika(Liberty,1971)TheMops=Iijanaika-1971-(FullAlbum)1)Lijanaika-3.552)TownWhereIWasBorn-9.023)GoodMorningGoodAfternoonGoodNight-1.544)NobodyCares-4.555)Gekko
ショーケン主演、山﨑努さん共演の"祭りばやしが聞こえる"をお願いします🚴♂️作品キャスト映像音楽.,.全て好きです✨(Nadjaさん)おはようございます(^○^)本日もヨロシクで〜す(^^)☁️☁️ジュリーとショーケンにはさまれたジュディ・オングかわゆす🥰それにしても丸山(美輪)明宏って“女優”なんだな…#昭和の雑誌pic.twitter.com/KEgtWizJwQ—uchuta(@uchuta_m)2024年4月3日先日資料庫から出てきたNHKエ
「GSブームの最中も、アイドル扱いされるほかの多くのグループとは一線を画し、実力派グループとして独自の存在感を示していたモップスが、ブーム終息後、原点に立ち返るべく、ロックのカバーとオリジナルでまとめあげたアルバム(70年6月発売)。メンバーは鈴木ヒロミツ(Vo)、星勝(G,Vo)、三幸太郎(B)、鈴木ミキハル(Dr)(前年の、村上薫(B)の脱退に伴い、三幸太郎がギターからベースに転向している)。和製エリック・バードン(アニマルズ)ともいわれた鈴木ヒ
3月14日が命日・忌日の有名人・著名人1632年(寛永9年1月24日)52歳薨去(?)徳川秀忠さん江戸幕府第2代征夷大将軍1883年満64歳没(気管支炎)カール・マルクスさん哲学者、思想家、経済学者、革命家1932年満77歳没(ピストル自殺)ジョージ・イーストマンさん発明家、コダック創業者ロールフィルムを発明1946年67歳没(癌)ヴェルナー・フォン・ブロンベルクさんドイツ陸軍元帥国防大臣(戦争大臣)1950年60歳没(?)吉本せいさん芸能プロモ
でも、何かが違う/鈴木ヒロミツ東芝EMI/エクスプレスETP-20200モップス解散後、ソロデビューシングル。TBS系『夜明けの刑事』主題歌。唯一のソロアルバム『永遠の輪廻』からのシングルカット。『永遠の輪廻』/鈴木ヒロミツ東芝EMI/エクスプレスETP-72205『でも、何かが違う』収録。
阿久悠が作詞家としてデビューしたのは1967年だが、誰の何て言う曲だったかはあまり知られていない。実は、グループ・サウンズの曲だった。それは...その曲は、モップス(鈴木ヒロミツがリードボーカル)の「朝まで待てない」だった。実は、鈴木ヒロミツが60歳で急逝した時、阿久悠は入院中で通夜も葬儀も行けずに終わり、悔いが残ったと言う。生前の鈴木は、デビュー曲を歌った誼(よしみ)で、阿久悠の10年毎の周年記念テレビ番組に呼んでもらって晴れやかに歌うことができると喜んでいたと言う。
こんばんわー❤割と暖かめの日でしたバスタオルも外干しで乾きました今日も数多あるブログの中からお立ち寄りの皆々様心から有難うございます❤廊下があったら走りたいって位のポンコツコメントをしてしまいました一時的に落ち込んでるshiba.teruです嘘つきでポンコツは公言してるからお相手も流してくれるでしょう(__*)反省中・・・アタシがクレカを余り使わない理由無駄遣いが多い時のクレカあるある【現実を生きるリカちゃん】#shortsyoutube.com多分こうなり
ザ・モップス-朝まで待てない(ビクター,1967)ザ・モップス-朝まで待てない(SingleA-Side,ビクター,1967.11.5)(作詞・阿久悠/作編曲・村井邦彦)-3:07:ザ・モップスTHEMOPS/朝まで待てないAsamadeMatenai(1967年)視聴No.50♪滝川高校1年の秋・・・ザ・モップスTHEMOPS/①朝まで待てないAsamadeMatenai(1967年11月5発売)作詞:阿久悠/作・編曲:村井邦彦yo
「お前、本気で商売考えてるだろ、おい。」「そりゃそうだよ。ポールがこのまま脱出したら、俺、このかご全部いただくぜ。」「声がでかいよ、ばか。」しばらくすると、俺たちは最後の警戒線にたどり着いた。緩やかな上り斜面。駐車場からの出口だ。外からまぶしい光が差し込んでいる。ポールにとって、シャバに出れるか出れないかの審判の坂道だ。しかし判定はあっけなかった。「クリーニングかい、これは。」スクラムを組んでいた警官の一人が、かごを指差して言った。めが
朝まで待てない/ブラインド・バードザ・モップスビクターVP-1モップスの記念すべきデビューシングル。これまでの小綺麗なグループサウンドとは一線を画す、いかにもサイケなイメージ。福田一郎はもうこの頃からハゲだったんだな。作詞/阿久悠作編曲/村井邦彦阿久悠の出世作でもある。日本初のサイケデリックサウンド。こっちの方がよりサイケデリックという気がするのだが。ファズが効いた不気味な感じがいいな。pleasekillme幸せなうちに
モービル石油CM『旅立ち』曲:「気楽にいこうよ」作詞、作曲:マイク真木ナレーション:加藤和彦縞々のTシャツを着ているのがTheMopsのリードボーカル:鈴木ヒロミツである。(グラサンの男は、あの藤竜也)彼は、その独特の存在感からタレントとしての活躍の方が有名かも知れない。しかし、本領を発揮すれば紛れもなくロッカーなのである。永久運動たどりついたらいつも雨ふり作詞、作曲:吉田拓郎しかし
判ってもらえないって寂しい事ですね。昔、因幡晃が「わかって下さい」なんて歌ってましたが、それも、判ってもらえない辛さを表している証拠です。三大ギタリストのジェフベックもインストアルバル「ブロウ・バイ・ブロウ」のど頭に「youknowwhatimean」(分かってくれるかい)を持ってきたのも、ジェフベックグループのメンバーやボガート&アピスに判ってもらえなかったからだと思うのです。で、タイトルなのですが「晩のおかずに」と尋ねられたら、ワタクシは即座に「
お気に入りのスナック菓子教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようポテトチップス、かっぱえびせん、サッポロポテトなど。【今日の誕生日】村岡花子さん(1893年~1968年10月25日)児童文学作家、評論家長山藍子さん(1941年)女優鈴木ヒロミツさん(1946年~2007年3月14日)俳優、歌手『ビーロボカブタック』(テレビ朝日系/1997年2月23日【1話】~1998年3月1日【52話】)小金井太郎役秋元順子さん(1947年)歌手住田裕子さん(1951年
1730年(享保15年5月7日)-本居宣長国学者(没1801年)1941年-長山藍子女優人生讃歌~渡る世間は鬼ばかり~天童よしみ·Song·2017open.spotify.com1946年-鈴木ヒロミツ歌手俳優(没2007年)朝まで待てないTheMops·Song·2014open.spotify.comヤットデタマン・ブギウギ・レディ鈴木ヒロミツ·Song·1998open.spotify.com1947年-秋元
◆気分で変わりますが基本はしょうゆ味◆とんこつ醤油も選びがち。●11時からエンゼルスの試合を中継してますが、投手戦で大谷さんヒットなしでエンゼルス負けました。●今日我が家の隣の外装工事が終わったとかで足場の解体が始まってます。喧しい音がしてます。●昨日、かまいたちのYouTubeでカレーを目隠しして5店舗当てる『利きカレー』をやってました。深夜に見てしまって今日のランチはCoCo壱番屋です。やんちゃに注文。半熟タマゴタルタルソース手仕込ささみカツカレー3
♪悲しきレイン・トレイン/チューリップ♪めだかの兄妹/わらべ♪ゴールド・フィンガー/シャーリー・バッシー♪しれとこ旅情/森繁久弥♪帰ってこいよ/松村和子♪津軽平野/吉幾三♪北上夜曲/多摩幸子とマヒナスターズ♪奥入瀬/山本譲二♪津軽海峡・冬景色/石川さゆり♪竜飛崎/よしだたくろう&かまやつひろし♪初恋の人/小川知子♪でも、何かが違う/鈴木ヒロミツ♪お別れ公衆電話/松山恵子♪愛の誓い/マックス・グレーガー
この歌は前にも載せたが、その時はライブ映像が見つからず、泣く泣くレコードバージョンを載せた。今回ライブ映像が見つかったので、嬉しくてたまらない。それまで、鈴木ヒロミツさんをカッコいいと思った事はなかった。だが歌っている時の鈴木ヒロミツさんはカッコいい!と思った。歌が上手な人ってカッコいい!「たどり着いたらいつも雨降り」モップスお借りしました。水たまりの世界は不思議な世界
長雨の夜に、、好きな曲聴きながらの雨の歌の梯子してて唐突ながら、、の、この言葉が!サイケ、、、音楽好きなあなたなら分かりますよね?サイケデリックの略称ね!psychedelicこのことば。産んだのが1960年代中頃!生みの親はグループサウンドって言われるジャンルの先駆者グループの一つザモップス!そのボーカルが!後に3枚目俳優として、名を売った鈴木ヒロミツこんな、青年の自我のやるせない素敵な歌歌ってま
朝まで待てない/ザ・モップス日本ビクターVP-11967年11月記念すべきモップスのデビューシングル。村井邦彦作曲&編曲、阿久悠作詞。1968年4月には1stアルバム、『サイケデリック・サウンド・インジャパン』をリリース。国産ロックの名曲のひとつ。ねちっこい、星勝のギターが印象的。B面の歌詞に『めくら』と放送禁止用語があるため、初めてのCDには未収録。(のちのCDには収録される)
ザ・モップスTHEMOPS/御意見無用いいじゃないか:TOCT-25109:ホイホイレコードヤフーショップ-通販-Yahoo!ショッピングstore.shopping.yahoo.co.jp3,500円商品を見る
御意見無用(いいじゃないか)/モップス東芝EMI/エクスプレスETP-17157これ、オリジナル盤じゃないね。月光仮面とカップリングされた再発盤。定価700円ってことは80年代の再発かね?しかもレーベルもエクスプレスだし。A面の『月光仮面』はヴァージョン違いが沢山ある。このシングルもオリジナルとは確か違ったんじゃなかったかな?全部で何種類あるんだろう?東芝移籍後『ロックンロール'70』に続く、71年のアルバム『御意見無用』の先行シングル。このバンド、ビクター時代はGS
「すずきひろみつの気楽に行こう」モップス気楽に行こうよ俺たちは仕事もなければ金もない寝るとこなくても心配するななんとかなるぜ世の中は気楽に行こう気楽に行こう鈴木ヒロミツさん、歌手の時代は全く存じ上げませんが、この曲は存じ上げています。また、俳優として、刑事ドラマに出ておられたのは、何となく記憶があります。モップスって人気があったバンドらしいですね。石橋正次さん、?さん、梅宮辰夫さん、?さん、坂上二郎さん、二郎さんのすぐ後ろにいるのが鈴木ヒロミツさん。
・斬り込み(1970年日本日活)日活のヤクザ映画です。若き日の渡哲也さんが主役。甘いマスクと険しい表情のギャップがたまらない!渡哲也を愛でるための映画と言い切ってもいいくらい、渡哲也さんがかっこいい~!最初の方は渡哲也さん話にほとんど出てこなくて、途中からいきなり出てくるのですが、出てきた瞬間、「おお!」と大輪の花が咲いたかのように画面がぱあっと華やぎます。これが「スター!」なんだ!!!ほかの役者さんと存在感、輝き方が全く違います。別格なんですね。
2004年営業車で日比谷通りを走っていて左折する時に徐行し左方向を目視あれ?この人は!左折後に車を駐車させ飛び降りてその人に駆け寄り「大ファンなんです!」と握手をしてもらった。そっけなかったけれどやはりカッコよかった。大友康平。さらに思い出したので最後に1986年世田谷へ営業で行き撮影所の近くを歩いていたら、当時人気の刑事ドラマ「誇りの報酬」の撮影をやっていたらしく主演と共演者に道端でバッタリ遭遇。メインの一人は無愛想でもう一人と共演者に握手してもらいました。