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ちょっと怖いところ鈴ヶ森刑場遺跡夜は不気味
玉木明(78)/ゴシップと醜聞-三面記事の研究-「MichelFoucault(57)、高橋お伝、花井お梅、『万朝報』、サッチー騒動」(初版・2001/3/21)(新書y026)714円-洋泉社205p深谷/
寄付と献金違いって何でしょう?10億もの寄付を募っている間違った重箱隅突きこんばんは30年近く前通勤していた街に出かけましたちょっとした買い物です比較的近いがゆえ足が遠のいていたので散歩がてら旧東海道と北上しながわ水族館のそばを通り鈴ヶ森刑場跡を横目に通称泪橋を渡り鮫洲試験場のそばまで40分弱途中で見かけた店舗は『(まだやっていたんだ)』『(閉めちゃったんだ)』『(変わっちゃったな)』時は移ろいですね
『しながわ水族館』を後にし、しながわ区民公園を出ますとすぐ右手に『鈴ヶ森刑場跡』が。日本橋方面に向かって第一京浜と旧東海道の分岐に当地があります。撮影場所:東京都品川区南大井DateTaken:February7,2025CanonEOS5DMarkⅣ,EF24-105mmf/4.0LISUSMISO:200,Tv:1/1250,Av:5.6撮影場所:東京都品川区南大井DateTaken:Febru
水族館をアトにして第一京浜に戻ったら、正面の歩道橋で反対側へと移動。眼下に見える緑地は、東京都史蹟の「鈴ヶ森刑場遺跡」。数多くのヒトタチがココで処刑されてて、慰霊碑的な石柱とかが立ち並んでて、カタワラにあるネット張りの井戸は、処刑された罪人の首を洗たとゆー「首洗いの井」。その奥には立札がフタツ掲げられてて、左手のは「磔台」、ココに立てた角柱にハリツケにされて刺殺されたり、右手の「火炎台」に立てた鉄
水元公園で18分休憩し3時30分に再スタートしました。公園内トイレに寄ってから江戸川土手に出て、下流に向けて走り始めます。ポニーランド先にある江戸川水門までの12km、単調で退屈する上に睡魔との闘いです(睡魔対策のガム・アタリメ・昆布は準備万端)。基本は土手上を走りますが、線路や道路と交差する所は土手下を進む事になります。もう連続走は辛くなっているので、200歩走って、少し歩き、また200歩走るの繰り返しで進みますが、何となくこのリズムが心地よい上に、頭の中で200を数える事で気が紛れます
同じ区に住んでいても、行ったことの無い場所がたくさん有ります。知ってるけど、改めて行ったことがない場所。先日の北品川宿から八ッ山もそう。車では通過してるけど改めて歩いたことが無い場所がたくさん有りました。妻のお墓から路地を抜けると品川の免許センターが有ります。『鮫洲運転免許試験場』免許の更新の度に行くのですが数年に1度なので。今は大きく綺麗に成りました。そこに行く手前に勝島運河が有ります。京浜運河から入った所の船だまり作業船や、警戒船、釣り船、屋形船等が係留されていま
7/7は酷暑の中、品川区で御朱印巡り!最初に向かったのは南大井にある鈴森山大経寺。こちらが御本堂です。大経寺の境内は鈴ヶ森刑場跡として都の史蹟に指定されています。石祠。実際の処刑に使われていた「火灸台」「磔台」こちらも実際に処刑で使われていたものがそのまま残っています。鯉塚。水難者供養塔。題目塔と石碑。鈴ヶ森遺跡記念碑。御首題。
いつもの散歩とは違うコースでかなり離れた場所にあるとある「いつ行っても必ず野良猫がいる場所」に行った。画像を見ればわかる通り、不法投棄が常習化してる大変治安が悪い場所で、世捨て人の方々が小屋を建てて暮らしてる場所。ここだけ木が鬱蒼と茂って、風水で言うところの陰の気が漂ってるような。ここに世捨て人の方々の飼い猫?だと思うけど野良猫が必ず3,4匹はうろついてる。遠いところにいたのでそれと日の光の関係でかなりピンボケ。今日も数年ぶりに見に行ったら、いた。かなり遠く離れた場所でじっとし
昔:南品川鮫洲海岸改印:安政4年(1857)2月🖼️広重ブルーが絵の三分の二を占めている。緑の部分は“篊(ひび)“と称って、これに付着した海苔を採集した。絵はおそらく今の鮫洲海岸から奥に品川を見たものであろう。尤も、広重得意の俯瞰図…今なら海の上空からドローンで撮ったような…である。絵は自由とも言えるが、風景画として実写が及ばない所や風情までを描き込んで…しかしそう思わせない点は流石であるし、絵の面白さだと思う。今:勝島運河j
東京都大田区にある鈴ヶ森刑場跡に立ち寄った。日蓮宗・大経寺さまの境内にある。当時のハリツケ台や火あぶり台などがのこされている。慶安4年(1651年)に設置され、明治4年(1871)に閉じたそうだ。刑場跡には「お題目」の記された供養塔が設えられていた。「受刑者之墓」もあった。しばらく見学をした後、塔と墓の前で手を合わせる。勤めさきの寺に戻ってから、さらに鈴ヶ森を調べてみた。(その時代の様子は……)大正元年出版の「通俗荏原風土記稿」には回想が記さ
和銅2年(709年)創建の神社ですが、訪れた時は人影が全くありませんでしたかつては天皇の命で勅使が遣わされた『勅祭社』の内の一社だったようです社殿社殿の屋根より、こちらを見下ろす龍神の迫力が凄いです稲荷社次に訪れたのは『鈴ヶ森刑場跡』ですこちらは何度か訪問させていただいている場所です初めて訪問した時と比べ、かなり感じの良い場所になりました♪首洗い井戸火炙り台八百屋お七を初め火炙りの処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺されました真ん中の穴に鉄柱を立て足元に薪を積み縛り付
”日光街道歩き”に続き・・・『東海道五十三次歩き』始めました「何も、この酷暑の真夏から始めなくても・・・」という声が聞こえてきそうですが、これも5年後に向けての準備のひとつなのです!※今回の東海道は、とりあえず日本橋から12番目の宿場『三島宿』までを目標に歩く予定です。前回の『品川宿』の品川寺からの、つづきです。2023.8.6.a.m.9:35京急線「立合川」駅近くの公園前に2010年に立てられた20歳の坂本龍馬像ペリーが黒船に乗
8月2日(水)☀34.0℃🌄4:49🌇18:45この日のお散歩は何度か登場している、東京モノレールの『昭和島』駅からのスタートです。「かつての海岸線」を追って、以前京浜急行線の『大森海岸』駅を目指して歩いた、あの日を補足する「旅」になります。思いのほか中身が詰まりすぎて、もはや「散歩」や「ウォーキング」という言葉ではとても足りません・・これは「旅」です。しかも「長旅」です。またも長文になります事をお詫びして
ビーフカツを求め全国各地を彷徨う超変人の超マニアックなブログです。今回はスピンオフ編。ビーフカツやその他の食べ物からは離れ、これまでの国内外の旅などで印象に残っているスポットなどをご紹介します。今日は東京都品川区南大井の『鈴ヶ森刑場跡』です。最寄駅は京浜急行『大森海岸』。駅から徒歩5分第一京浜(国道15号線)沿いにある江戸時代の処刑場の跡地です。鈴ヶ森刑場は小塚原(現、荒川区南千住)と並ぶ江戸の処刑場で1651(慶安4)年に開設されました。間口40間
ひとりTXWハーフ、東京都内に入りました(2022年12月17日に歩きました)。更に進むとあるのが鈴ヶ森刑場跡。江戸時代に罪人の刑を処した場所ですね。やはり何というか空気感が違う感じがしました。この日は日中通りましたが、TXW100の本番では真夜中に通ります。霊感とかほとんどない自分ですが、やはり真夜中に近く通るのは結構怖そうだなあ。さて、鈴ヶ森刑場
5月半ばまで続く花粉症。今年はまだそんなに辛くはないのですがそろそろ目の痒みが来ていたので千葉時代から通っている都内の病院へ夫の運転で向かい注射を打ってきました。さて、せっかくの都内なので・・・。ペリー来航時に江戸幕府が大急ぎで造った台場の内現在、第三台場のみ行けると知って昨年の4月に行ってみたものの東京オリンピック準備の為に入れなかったので今回訪れてみました。↓海にぽっかり浮かんでいる第三台場。↓公園入口に解説版がありました。↓更に持ち帰りOKの説明書き
さてと本日は、土曜日に行った『品川神社』の復路に寄った、巷ではとある分野で最強と言われる場所に寄ったお話。土曜日は本当に天気が良く『品川神社』を後にした時間も早かったので、ちょいと久々に寄ったのが此方の東京都史跡『鈴ヶ森刑場跡』。私的にはいつもは深夜にIQOSで一服するのが御約束の場所なのですが、この日はまだまだお天道様も頭上にあり。あまり撮ったことがないこの場所の俯瞰がこんな感じ・・・wikiによると当時の刑場の広さは縦74m✖️奥行き16.2mとかなり広大な敷地だったようですが、現在は
鈴ヶ森刑場跡へ。昔、日本史でならったような。八百屋のお七もここで処刑(火あぶり)されたのですね。
今朝起きたら、だいぶ腕の痛みがなくなりました。ご心配下さった皆さま、ありがとうございますさて先日の「ミニ史跡巡り」の続きです。浜川砲台跡から、徒歩で向かったのは…東京都指定旧跡鈴ヶ森遺跡鈴ヶ森遺跡は品川宿の南、東海道沿いに慶安四年(一六五一)に開設された御仕置場の跡です。大井村鈴ヶ森の刑場は、東海道に面し、規模は元禄八年(一六九五)実施の検地では間口四〇間、奥行き九間であったとされます。東海道(現在は第一京浜)の拡幅等により旧態を留めていません。大経寺は御
こんにちわ今日は晴れ☀️風強しポタには厳しい向かい風(>_<)まずは第一京浜から産業道路へ鈴ヶ森の刑場跡ここ怖いんだよね心霊スポット的な環八を左折正面には大師橋が見えてる羽田に到着大鳥居から多摩川サイへこの鳥居⛩撤去しようとしたら事故が起きるという都市伝説があるそうな穴守稲荷神社の祟りとかキョワイ!よくチャリダーが写真撮ってる今日も何人か集結してる釣り船首都高の橋脚補修?奥に霞んだ富士山🗻ちと見えづらい枯れススキランナーちらほら京急
ども。こんばんは。オレっち!です。先日、それほど混んでいない●●⇒2021/02/21『ちょっと吹き出しそうになったこと』『ちょっと吹き出しそうになったこと』お分かりいただけただろうか。すぐに分かるんだけど、一瞬草が生えそうになったというお話。ameblo.jpを紹介しましたが、今回は、東京都品川区のとある場所をご紹介します。・・・。お分かりいただけただろうか。この場所はかつて、処刑場のあった場所。ネット検索すると、心霊スポットだったり。午前4時前『混んでいません』。当
先日新幹線の大井基地から歩いて大森駅まで、歩いて抜けてきました。その途中通り抜けるは旧東海道です。品川宿の端から旧東海道を進みます。道筋がピンとしているのが昔の街道らしいのでしょうか。今は両側に住宅等が立ち並び、昔の風情はありません。旧街道と第一京浜国道が合流するあたりに、鈴ヶ森刑場跡があります。合掌昔は処刑された方の供養をする「大経寺」という御寺もあったそうですが、今はこの石碑のみが往時を忍ばせる遺跡となっています。そしていよいよ大田区へ。といっても大田区に入りすぐ、大森海岸
2020年2月2日、日曜日、晴れ。川崎ウオーキング協会の例会「街道シリーズ(1)東海道(1)」22kmに参加しています。東京駅丸の内南口を、9時46分に出発しました。日本橋まで、団体歩行で行き、東海道を、南へ。京橋、銀座、新橋、大門、田町と過ぎて、札の辻にチェックポイント。高輪大木戸跡から、泉岳寺付近を通って、品川駅前です。11時27分、約9km地点です。京急の高架に沿って南へ緩やかな坂を上ります。そして、第一京浜から左へ離れて、八つ山橋で、JR線を渡ります。山手線、京浜東北線
八百屋お七と言えば火炙りの刑に処された鈴ヶ森刑場。この刑場で10万人以上の罪人が処刑されたと言われているけれど、本当の意味での「罪人」以外で無慈悲に処刑された人もいたんだよね。処刑の方法は斬首。これは切られた首を洗ったという首洗いの井戸。磔。お七もここで処刑された火炙り。物見遊山にくる人も多いので苦言も。私も似たり寄ったりだなぁと思いながらしっかり拝んでは来ました。処刑された人々が成仏されてますように。鈴ヶ森刑場跡京急大森海岸駅から徒歩8分ぐらい
この場所へ行ったのは初めてでした。というか、この品川エリアにはめったに来ることがなく、北品川に入った途端、なんていうんですかね...空気がガラッとかわるんです。もちろん、海が近くにあるっていうのもあるんですけれど、確実にそういうんじゃなくて...。この日はまた、特にそう感じました。東京で生まれてずっとこなかったこの場所はじめて感じた空気行って良かったです。今度は昼間行こうっと(汗みてください
昨年の12月29日に大森海岸に行って来ました。出がけの道路で見かけたタクシー。てっぺんのライトが鏡餅に見えませんか?東京都指定旧跡「鈴ヶ森刑場址」に来ました。1651年開設。歌舞伎の演目でも知られる八百屋お七などが処刑されました。すぐ前に大経寺というお寺があったので、何処までお寺さんの敷地か分かりませんしながわ区民公園に行ってみました。子供達が元気に遊んでいましたよ!ジョギングをする方。人工胡ですが、残念ながら工事中でした。。。金網の隙間から。隙間から見ても、きれいな景色でした
2017年7月22日の旧東海道歴史散策の続き。「浜川橋(涙橋)」を渡り、「海運稲荷神社」「浜川神社」をお参りした後は、旧東海道を南下し、「鈴ヶ森刑場跡」に向かいました。浜川橋(涙橋)・海運稲荷神社・浜川神社のレポhttps://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42194415.htmlhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12417209063.html旧東海道を更に南下すると、右手にお寺が見えて来ます。こちらは「
第1日目は旧東海道、京急青物横丁駅から池上通りを大森方面に足を延ばし、品川区立品川歴史館に行ったので、今回は青物横丁駅を9時45分にスタートした。青物横丁駅から旧東海道を進む、二つ目の駅立会川駅の近くに坂本龍馬像が建っているのでそこに寄ってみた。立会川駅付近の龍馬像から800mほど歩いたところには鈴ヶ森刑場跡があった。旧東海道はここでいったん国道15号線になり、平和島口あたりから1kmほど旧東海道になり、また15号線になる。六郷土手を過ぎると広重の描いた川崎宿となっていく。