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今日も明日もありがとうございます!ご予約🈵満了となっております。本日もローズ&ローズクォーツのご予約をありがとうございます!タイ古式も人気のコースです!ハートのローズクォーツはお顔の眉毛と、眉毛の間第3の目のあたりに置きます胸と胸の間、ハートに愛のピンクとローズクォーツの光のエネルギーを♡本日のOSHOタロットで行動をして経験や体験なども大切です。古代エジプトやローマ時代から愛されているバラの香りあなたも絶世の美女クレオパトラに!期間限定すべての女性の内なる
先日、トップガンマーヴェリックの映画を観に行きました!本日のエジプトフェア(アロマロミロミセラピー120分Body&フェイシャル)ご予約のY様と「面白かったですねー♡」と話しに花が咲き♪かな~り前に、前編を観たので、忘れていることも多いと思い前日にアマゾンprimeでトップガンの前編を観ました!予習?復習?は大事でした。是非是非、映画館でご覧になってみて下さいね♡可憐なエジプトフェアあなたもご体験してみませんか?https://ameblo.jp/angela-t
連続して日常を紡いでいくとつい、自分の立場が何の後ろ楯も持たなく不安定な足場に立つ(日銭稼ぎ)にすぎないのを忘れてしまう。「マンボウ」以来街の空気感は重たい。日銭稼ぎはそんな期間でも仕事がある限り止まらない。フリーランスでも、個人事業主でもなく日銭稼ぎだ。いつも通りに来てくれる人に感謝しながら自身も不測の事態に巻き込まれるまでいつも通りを心がける。
しばらく前から今の店持って生活して3年と9ヵ月と言う中途半端な時期に「あぁ~一周回った、って言うか第1シーズン終了してたな~」って感じがする。開店○周年とか、何回目かのお正月とかホントは区切りでも何でもなくって便宜上言ってるだけで何だろう、良くも悪くも仕事してて心がサワサワしなくて安定していて良くも悪くも平穏な感じがしていてそれでも、もう第2クールも知らないうちに始まっているのだろう。きっと、プライベートもひっくるめたことも仕事に絡んでくるんでしょう?想像はつかないけどだ
さて、新年度の営業を始めるにあたってネットとか自分の業界の情報など仕入れてみても、相変わらず(奇跡の◯◯施術をあなたに教えます!)(ひと月で、不人気だったあなたのサロンが予約で満杯に!この秘密を教えます!)ついつい気になってしまうけど関わりあいにはならないがついつい自分も何かやらなくてはならないといけない気分だけは残る。考えてみたら昭和の時代は個人単位のお店は学歴もない人たちがただ生きていくために一生懸命働いてアイデアなんてなくてただ、ただ一生懸命働いてお店なり会社
今年も、残すところ4日となりました。今年も振り返えってもほとんどの時間、職場であるサロンで過ごして家には寝るだけの日々でしたがそれは、それは幸せでした。そう言い切れます。はい!なかなか理解してもらえませんが真面目に、僕はそれだけ今の仕事、今のお店が好きってことです。来年の末にも無事に今の状態を続けていくのだけが望みです。お客様にはとても感謝しかありません。来年は、このSNSの投稿は少なめになる予定です。空き時間があれば少しでも自分の身体のためにトレーニングするつ
最近、本当に毎日が早い。毎日、毎日足を揉んでいるがこの仕事初めたばかりの頃は揉みながら、「あれ?この足すごく揉みにくいな~」「あれ?こういう時どうすんだ?」とか、内心冷や汗かきながら仕事してて、そういった日々は毎日長くて長くてでしたが成り立ての頃は時間も体力もあったので勉強とかも、あ~したい、こ~したいとかあったけど最近は、ある意味機械的に揉んで淡々と同じ過程を繰り返し繰り返し、繰り返してそのなかで、感じる違和感だけを探る。体力は、消耗するので自分の身体を鍛えたりケ
今さら中途半端に、社会的にそつなく振る舞うよう努力するより暇があったら施術していたい。今さら中途半端に、世間様なみに余暇も充実してなくともよいから暇があったら店にいたい。今さら中途半端に、いわゆる切れ者の施術師でありたいとも思わないから新人みたいに、がむしゃらに揉んでたい。あと、どーでも良い。充実してる。自分的には
先日、ここのところハイペースでお越しになられてる、お客さんに初めて本意気モードで足を揉んだ。本意気って、その前に手を抜いてる訳ではなくそのお客さんが病気明けだったので本意気でやると受ける体力ないかな~って思ってやったのですがそれでも、本意気でなくてもメニューの1つとして足もみやってるところより、深く入ってます。僕、思うんですが今自分の足もみのベースになってるのって、けっこう大昔の中国の足もみなんですがほとんど裸足に近くて道も凸凹だった時代の人と、靴はいて自動車に乗っている現代人
この仕事をやるうえで人のモチベーションを⤴️あげる役割いわゆるモチベーターでなくてはならない。絶対条件ではないがかなり重要なことであるように思う。モチベーターであるためには、自分自身がモチベーション高く維持しないとならない。素の自分は自給自足型のタイプで自分自身の必要な分だけのモチベーションで補っているだけのタイプなので人にモチベーションを⤴️るモチベーターでいるにはテンションだいぶあげなくてはならないので毎朝10時開店なのだが3時間前から入って掃除洗濯すました後にルーティー
昨日、「お店のホームページ製作しませんか?」と、言うセールスをお断りしてお店出した当初はお店をどうPRしようか、アレコレ思案していたのですがまぁ~安定した経営のためにはまだまだ知名度不足なのですがもう、3年と半年過ぎてとにかく身体使う施術方法なので体力の底が見えてきて仮にPRにお金かけても体力がついてこれない可能性も考えながら今後営業を続けていかなくてならなぁ~と、考えているこの頃です。考えてみたら、釧路でも一昔前にはあちらこちらで広告うっていたところも、「最近見かけないな~」
70代で毎週通ってくれている男性がいる。まだ現役で働いている。おそらく、現役で働くために通ってきてくれてるようだ。(ようだ。)と、言うのも世間話はするが自分の話はあまりしないからだ。毎週ぼろぼろでくるが泣き言も言わない。人生=仕事ではない。きっとね。それでも、毎日毎日同じことを繰り返しそれを続けること出来れば死の直前まで繰り返すことこう言う人は、例え「病」で倒れても自主的にリハビリに辛抱強く打ち込むだろう。その姿は、響くんだ(生きる)ってことを上手く言語化出来ない人に
代替療法、療術の種類は世界中に人種·民族の数だけ存在します。ヒーリング系とか神様系とかも入れると無数に枝分かれしています。勿論、利用者が自分にあった施術を選べば良いのでしょうがたまに「どの施術が効くの?」って質問されることがありますが「針でも指圧でもカイロでも勿論足もみでも店構えてある程度混んでるところでいいんじゃない?」あくまでも確率の話で基本は自分にあったところ(サービスとか接客とかも今や含みますからね現実)僕のところは台湾式あしもみ深層部の筋肉を狙っと整体カッピン
人生は複雑だと思います。「複雑にしているのはあなた自身だ!」とシンプルさを強調する人の人生は意外と複雑だったりすることは多々あります。結果行き着いた結論ならそれで良いのでしょう。最近、思うのですが酸いも甘いも噛み分けたって言う境地は(すべてわかったうえで)決して本人の是では無くとも全体を、時間を、も加味したうえで何も語らず行動することがいわゆる(大人)何だろうな~と若者が若者らしい直情的な情熱を安心して発揮できる世の中にするには大人は大人の役割をすることも大切なことなの
お客さんの中には施術に関する質問で僕に「絶対◯◯」確証をとらせたがる人がいるけどまず絶対って言わないから。知らないことは知らないし出来んことは出来ないし2択しかなければYES51%NO49%ならYESを全力でやるがひっくり返る事柄もある。NOが51%になったら「間違いました❗」って認めてNOを全力でやる。その可能性はいろんなところであるから「絶対」って極力言わない。
たまにねもし?🌠超巨大隕石が後数日で地球に堕ちてくるってなって人類の50%の人が入れるシェルターがあるとしてオレはどうするかな~とか考えてみたりして。生き残ってもその後の壮絶さとか考えそうで最近、作られないけど昔のハリウッド映画の「タワーリング・インフェルノ」とか「ポセイドンアドベンチャー」とかまあ、あれは単純に生き残ることひたすら考えなくてはならないがそれでも人によっては行動が異なるわけでそれでも、子供心に思ったの「あぁ僕は主人公タイプの人間ではないな」まぁ悪役でもな
青年時代までは、笑ってしまうほど些細なことで悩んだものだがそれは、自分の考えかたに自信が持てないがゆえなのだが初老と呼ばれる年齢になってしまうと、さすがに「あれも前にあった」「それは経験した」で悩むと言うことがほぼほぼなくなった。それはそれで自然なのだが今度は逆に「これはそうに違いない!」「ホラ!言った通りだろ!」こう、なってきたら当然、違う考えの人たちも数多く存在するのだ。年齢を重ねてくると怖いのは考え方が固まってくることいわゆる「頑固」になってしまうこと。できる範囲で
うちの店に来てたお婆さんで膝が悪いのだが「同じ歳のご近所の奥さんはピンピンしているのに、何で私は?」と、言う、人との比較がちょくちょく出てきて耐えきれず「歳と性別が同じだけで、その奥さん影で健康のための努力してたかも知れないじゃないですか。」と、言ってしまう。ある程度年輩の人のぼやきに正論で言い負かしても無駄なのはわかってはいるがついつい言ってしまう。何だろう、商売的には「そうだね~でも、頑張ってちょっとでも良くしょうね!」って優しく言いながら揉めば良いのはわかっているけど結局、
少しとゆうか、気にしてたお客さんから久しぶりに予約の電話を貰う。基本的に施術は生活習慣に起因することが多いので僕は凄く喋る施術師だ。理由は話を聞きたいためと強めの施術を受け入れて貰うため。それでも、ほとんどのお客さんとプライベートの付き合いは皆無に近い。(例外はあるけど、それは其なりの流れが自然とできるので逆らわない)人様の身体にガッツリ密着する仕事はどこかで強固な線引きをしないと神経がもたないのでいやいや、僕は子供の頃からあまり長時間は人と、いられないのでもう性分で理由な
そもそも誰も最初は、こんなにも長い話しになるなんて思ってもみなかったよな。そもそも、いっかいの労働者にテレビやネットで分かりやすく解説されても細菌感染症学なんてわかる訳なく(そもそも仮説なんでしょ)時間がすべてを解決するってはどの視点の話しでこの長くなってしまった物語が突然、あっけなく終ることも…いつか、「大変だったね」と話せる日まで
「あぁ!ぜひともお願いいたします‼️」「まぁ~それぐらいなら良いか」「絶対、いやだ❗」同じことでも、百人いたら百人反応は違います。僕の施術でも、わざわざ遠方から来てくれる人もいれば、身近な人にも拒否されたりもします。ん~~ん、明日ワクチン摂取です。( ̄- ̄)なんだか、複雑な気持ちですがとりあえずとっとと、済ませたいです。
最近、自分で頑固になってきたのを自覚する。ばりばり接客業なので「しまった💧」と、自らの発言とかからの、お客さんの反応で思うことがある。もちろん、人はそれなりに(自分は正しい❗)と、思ってなくては厳しい世の中やってはいけないが、歳をとってくると、引いても良い場面、少し我慢すれば良い場面でも「我をとおす」初老の年齢のここでもう1つステージをあげるためには「自分は特に正しくなくてもよし!」と、思ってこれはおのずと「他人を許す」ことにイライラしないで暮らせることになるんだろうな~コ
かれこれ1年と半年以上注意信号喚起の点滅しているニュースの中で「最悪の事態」を想定している「だから、注意したのに‼️」「そうなると思っていた!」「外国では、こうしている」そもそも「最悪の事態」ってなんだっけ?そうそう、死人を最小限にしてできるだけ経済活動も社会生活も潤滑に回すように努力するんだっけ?俺の今の生活に具体的にどんな影響でたっっけ?「最悪の事態」ってそうそう「人の命が1番大事」たまに現状整理してアタマに念押ししなくてはなんだかたまに酸素とか足りなく
昔、実家の鉄筋家で仕事してた時主に土木工事が多かったのでたまに「自分の今作ってるもの何に使うだろう?」と、ベテランの職人さんに聞いてみたら「よく、わからん図面どおりに作ってるだけだ」と言われてベテランになるとそんなこと気にしてられないんだ思った。今、凄く仕事が楽しいのは何から何まで自分で決めて自分で納得してたった1人のお客さんをお迎えからお見送りまで出来るから。結局、結果として1人になってしまったけど、それでも、スモールワールドでも自己完結出来ることお金や成功より
世の中を、社会にしても、もっと小さなコミュニティにしても、家族にしても信じてもらいたい人と、信じたい人といてその頃合いで心地良かったりギスギスしたりする。僕は何かを100%信じるとかは出来ない人です。それは、それで良いのですがそんな僕からしたら理解しがたいタイプは何でも信じると言うか自分のほうから信じたい❗方向に向かって行ってそして、「自分が信じているから、あなたも❗」ってガンガン行く人が何やら理解出来なくて悪気がないだけインフルエンサーとしての影響力もあるのだ
オリンピックがあって凄く暑い☀️日が続いたと思ったら急に気温が下がってニュースでは、コロナが爆発的に増加して、内地で記録的な豪雨の被害がでてて。う~~~~んう~~~~ん何か自分もしなくては、いけないのではないかと?何となく気持ちにもなるこの頃だけど自分にしても体力的にはギリギリでやっているので何時も通りに何時も以上に丁寧に日常の仕事と生活を続けてその上で(やるべき事)が(やるべき時)が来たら流れに任せて取り組みそして、ひたすら日常を続けよう。混乱している状況で
往々にして(物)とか(道具)を大切に扱う人は「手入れ」とか「取説」を良く読んだり「メンテ」とかする、ものだ。こだわりのない人は「お金」で任せてしまう。人の肉体は信心にかける自分が言うのもなんだが「肉体は神に借りている魂の入れ物」「借り物」だから大事に使わなくてはいけない。この「借り物」は、使わなくては使えなくなる。使い過ぎても当然、壊れる。使う(頃合い)を、知るには失敗しながら自分で可能な限りギリギリを探るこれは肉体の所有者のあなたしか、正確にわかりようが
誰の人生も映画や小説のようにエピローグがあり、各章にわかれてエピソードを経てプロローグで終わります。誰もの人生に予定になかかった「コロナ禍編」が挿入されたでしょう。どのタイミングで「どこ」と「どこ」の章の間に入ってしまったかその人の人生と言う名の小説じたいに与えてしまうかもしれません。それでも、小説は最後の章に向かって人生は進んで行きます。もしかしたらコロナは失くならないかも知れないけど「コロナ禍」はいつかは終わるでしょう。ハッピーエンディングに向かって考えます?「どう
職人好きだと言う、職人気質のお客さんがうちの店に来る、別のお客さんに偶然あって、そのお客さんの仕事を絶賛してた。仕事の規模によるが極めて少人数で経営するお店の場合大手企業の経営思考に、セミナーとかに走るのは「終わりの始まり」のように感じている。あくまで、それは「大人数の従業員を抱えていくためのスキル」で大人数の強み=少人数の弱みそんな気がする。「人生に無駄な時間はない」のは、青年期かすべて済んだ老年期の人生全般の振り返りの言葉で「今」は、無駄と言うか時間は貴重なのだ。
世間ではコロナ禍の中、4連休霧フェス、暑い日が続いてそして五輪開幕僕は相変わらず、お店開けて清掃して終わった訳でお客さんをまったり待ってる訳でう~~~ん、ここのところ世間の空気みたいのが、何だか良くわからなくなってきて何しろ毎日人にあって、けっこう話ししているけど、長くても2時間以上同じ人といることないがない生活なので、これだけ世間の動きが慌ただしいと何となく自分の店の外では不穏な空気が流れているような気配だけ感じるけど、自分なりに把握しきれてないのが最近です。簡単に言うと胸がザワ