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わずか四半世紀の生涯年の違いで、17世紀から18世紀初頭にかけて生きた、当時の日本とイギリスを代表する哲学者がいます(生涯年の重なりを下の図に示しています)。新井白石とジョン・ロックです。新井白石(左)とジョン・ロック(右)の肖像画【画像出展:WikipediaFile:AraiHakuseki.jpg(新井白石)、File:JohnLocke.jpg(ジョン・ロック)】新井白石は、生まれの身分は恵まれていませんが、ほぼ独力で朱子学(南宋朱熹によって構築された新しい形
日本史上初の財政赤字対策は、通貨を大発行してそれを幕府財政の歳入の財源とする、いわば財政のトリックを行うことでした。現代の日本に当てはめれば、日銀が根拠のない通貨、円、を大発行して、それで政府の発行する赤字国債を買ってそれを財政の歳入財源とするという手口とまったく同じ意味をもっているものです。現代日本では、それにさらに日本銀行と市中銀行が連携して赤字国債を銀行金庫に退蔵するというもう一つのトリックが働いているので、直ちには大インフレにはなっていませんが(しかしそれは2020年代初頭にばれる
今日から、新しい連載『官僚は300年赤字財政を続けている』を開始します。日本で官僚と呼ぶにふさわしい人たちが初めて生まれたのは、徳川幕府第3代将軍、家光の頃であったろうと思われます。と言うのは、家光の乳母であり、その後大奥をつくりそれを指揮して大きな権力を得ることになった春日局〈かすがのつぼね;1579-1643年〉が芝居見物に江戸市中に出たあと、浮かれて門限に遅れたところ、それが幕府の定めた職務規定に違反するとして、江戸城の門外で一晩足止めを食ったという逸話が庶民の間で噂されたと伝えれて