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家紋額を作る工程と小道具類金箔貼り(箔押し)家紋の部分に金箔を貼る箔押しの工程です。薄く箔のりを付けたガラス上に純金箔を貼り付けます。箔は数ミクロンという超薄いため、複数回貼り付けていくのです。箔貼り工程がうまくいかないと全てがやり直しという緊張した作業でもあるのです。この工程迄うまくこなすことができればホッとして、気持ち的にはすごく楽になる瞬間です。
家紋額を作る工程と小道具類研削工具と銅製型板定規ガラス上にエナメル塗料で描いた家紋の形状は、細部の個所は塗料がはみ出ていたり、原画通りにはなっていないため、その部分を修正する必要があるのです。そのとき、原画寸法はいろんな半径を持っている流線形をしていることから、それに応じた型板が求められるのです。すねわち、原画に沿った型板を選び研削工具を用いて余分な塗料を削り取るのです。研削工具はヤスリを加工して作り、型板定規は銅板を切り取って作った手づくりです。
家紋額を作る工程と小道具類原画と副木作りたい家紋の原画を下に敷き、その上にガラスを置いてきれいに汚れを取り除きます。それから絵筆やコンパスなどを使って家紋部分を残して黒色塗料で埋めていきます。この図柄は剣酢漿草紋(けんかたばみもん)ですが、原画の黒色部分が実際に金箔を貼る個所なので、そこは塗らない訳です。このときに手が触れないように副木を使います。これも自分で考案・製作した小物類のひとつです。
家紋額を作る工程と小道具類筆類と腕あてはじめはものを描く筆ですね。これは家紋原画を模写する場合に用います。一番ひだり側が細い面相筆で、みぎに行くほど太い筆になります。また、右下の写真は図を描く際に、手がガラスに触れないように支える腕あての副木です。
天皇家の紋は十六葉八重菊紋と五七の桐紋鎌倉時代に後鳥羽上皇が菊紋をよく用い、後の天皇もそれを継承していきました。とくに、他の武家たちも使用を憚(はばか)ったため、皇族専用の紋章となりました。十六葉八重菊紋五三の桐紋五七の桐紋
これまで箔飾画(金箔画)と漢詩創作の二本立てで情報発信してきましたが、このたび両者を一本化してより中身の濃い有益な記事をお伝えしたいと思っています。それに伴い、これまで工房知古呂としてブログを書いてきましたが、ブログの統合に伴い名称を知古庵と改めることにしました。どうか、よろしくお願いします。
葛飾北斎の浮世絵富嶽三十六景「山下白雨」葛飾北斎は江戸時代後期に活躍した画家で「葛飾北斎伝」によると、嘉永二(1849)年四月十八日浅草の借り長屋で、九十年の生涯に別れを告げるときに次の言葉を残しています。「天我をして十年の命を長ふせしめば、(しばらく絶句した後)、天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」北斎は生涯に渡って一か所に落ち着くことなく、九十三回も引っ越しを繰り返しととされています。また、雅号についても執着することなく三十以上もころころと変
一般に「おちょぼさん」とよばれ親しまれている千代保稲荷神社へ参拝しました。普段の日に行っても多くの人々でにぎわっていて、いろいろなものを見て買い物をするのも楽しいものですね。お参りする神社の神紋(神社の紋章)は宝珠紋でした。これに願いをかけると何事もかなえられるという霊妙不可思議な宝珠ととされています。宝尽くしの文様の中の宝珠を紋章としたもので、宝船絵にもよく描かれているのです。祈ればあらゆることが可能となる竜宮城の龍が守っている珠とされています。
仏画には銀箔貼りも合う薬師十二神将の一人である迷企羅大将
家紋制作の金箔貼り工程金泥による裏止め工程日本の各家には先祖から伝承された家紋があります。家紋の種類は植物、動物、器材、天文、文字、文様など様々な分野から採用され、時代とともに枝分かれしたこともあり、非常に多くを数えています。家紋の図書には5000、7000種類の掲載がありますが、それでも載っていない紋があり、そのことを考慮すれとおそらく15000から20000種類に至ると思われます。
目結紋(めゆいもん)とは染め模様の鹿の子絞りの文様を図案化したもので、宇多源氏佐々木氏族など近江源氏の使用が有名です。また、この家紋は四ツ目紋とも称し、滋賀県の沙沙貴神社では山門の提灯に描かれています。ちょうど、いまは「なんじゃもんじゃの木」に真っ白の花がいっぱい咲いてて、たくさんの人が見学に訪れています。写真の目結紋は平四ツ目ともいいますが、それを45度傾けて角を下にして立てたものを、隅立て四ツ目と呼んでいるのです。
日本の紋章の起源は平安時代といわれています。公家が宮廷に行く際に用いた牛車などの輿や、正装した衣服などに用いた文様が徐々に紋章と化していったと考えられています。やがてそれらの紋章は時の権力者と密接に結びつき、次第に権威を帯びていくことになるのです。神社・仏閣なども神格化・威厳の象徴としてあがめられていきました。それぞれの紋章は世襲により受け継がれ、やがて独立して家紋に移行したと思われます。今日まで千数百年の長きにわたって継承された家紋文化に、我々はもっと関心を持つべきでは
「丸に酢漿草」紋かたばみの葉を形どった家紋で、植物をモデルにした紋の中では桐紋に次いで最も流行したといわれています。酢漿草は片喰とも書きますが、春にきれいな黄色い小花をつける丈夫な雑草です。摘んでも摘んでも絶えることなく芽生えてくる強い植物であることから、家門が永遠に続くことを願い武家の間でも多く用いられたものです。葉の間に剣が入る「剣酢漿草」紋もよく用いられました。三つの葉片が基本の形ですが、さまざまに変化していく過程も興味あるものです。
「丸に違い矢」紋今日では家制度の多くが崩壊し、夫婦単位の生活様式が普通になり、同時に家紋に対する関心も極端に薄れてきました。しかし、考えてみれば千年以上にわたり脈々と受け継がれてきた伝統ある家紋が、そう簡単に潰えていいはずがありません。各家に名字があるのと同じように家紋が受け継がれていることは、日本の優れた文化ではないかと思うのです。このたび、「名字・家紋大辞典」という書籍が発刊され、新聞やテレビで宣伝されています。かなり関心が高まっていると思われます
我が家の家紋はなんだろう?自分の家の家紋は何だろうと永久不考えた方も大勢おられることと思います。私の家は「丸に違い鷹の羽」紋ですが、気付いたのは中学生の頃だったと記憶しています。友達との間で何かの時に話題になり、それぞれ家に帰って親に聞くことにしたのです。我が家の親父は今の長野県安曇野市出身でした。そういえば後年親父の実家の墓参りに行ったとき、墓石に「違い鷹の羽」が彫られていたのを思い出しました。昭和40年代後半から純金箔による家紋研究を始めるとともに「箔飾美術研究会」
巴紋の呼び方が異なる巴は中国の象形文字象形文字である蛇・虫より転化した文字で、転じて水の渦巻きを模した当て字でもあります。正倉院御物にも現れているとされています。なお、渦巻方向によって右・左の呼称が異なる場合があるのです。家紋のうち呼び方が異なるものもあります。顕著なものでは巴紋があります。勾玉(まがたま)のような形をした巴紋は、大きな円が尾を引いたように流れています。その尾が流れる方向にて右・左の呼び方が変わるのです。私が所有している書籍でも同じ方向に流れている巴
木瓜紋とは窠紋とも言われています。窠とはひばりなどの鳥の巣に、卵を置いた形に相似していることから、窠の字が用いられたとされています。この紋が胡瓜の断面に似ているため、その形を表したという説もありますが誤りとされてiされてるのです。木瓜は、簾の冒額(みすのもっこう)に付けられた文様の当て字から使われてたものです。図の「石持地抜き五瓜に唐花」は白い部分が抜かれたもので、家紋作りでの金箔等は鉛筆で描かれた個所に貼っていくのです。
家紋を再現する場合は、まず作成するデザインを決めて作図する必要があります。今回手持ちの資料の中から昭和47年に作図した亀甲紋に関する作図が出てきました。トレーシングペーパーに鉛筆でデッサンしたものです。この紋は「丸に三つ盛亀甲に花角」紋ですが、花のところが菱形で「丸に三つ盛亀甲に花菱」紋と呼ばれているものもあるのです。両者の相違はあまり厳格で無い場合も見受けられ、同じように対応していることも多くあります。亀甲紋というのは、平安末期から鎌倉初期に流行した服飾の亀の文様から
花角久留守紋久留守紋のいろいろ久留守(クルス)紋は別名十字架紋ともいわれ、キリスト教と深い関わりがあります。クルスを久留守子と記している書籍もあります。久しぶりに昔の時代劇をBS放送で見ました。昭和の名優・市川雷蔵主演の大映の映画で「眠狂四郎・魔性剣」という標題のものでした。その狂四郎の着物の紋がクルス紋なのです。調べたらクルス紋のうち花角久留守紋という家紋でした。これに似た家紋に丸に十字紋がありますが、九州の名家である島津家が古くから用い
分銅紋分銅桜五つ捻じ分銅秤(はかり)などで物の重さをはかる錘(おもり)を分銅(ふんどう)といいます。これも単体の分銅を重ねたり形を変えたりしていろいろな図案化がされているのです。商家に多く見られますが、武家で用いているとこともあります。
丸に十文字大一大万大吉日本の紋章・文字・図符編十字紋文字紋はいずれも縁起・吉兆・信仰・戦勝などの意味を文字に表したもので、それを家紋にしたものです。九州の島津家の家紋はよく知られているところです。数字では一、八、十などのものが用いられ、降魔招福を祈念したものを形象化したものです。大一大万大吉紋文字紋で有名なものは、関ヶ原の戦いでの西軍を指揮した石田三成が肩衣に用いた「大一大万大吉」ですね。いずれも吉兆の文字を家紋にしたものです。
左三つ巴丸に二つ引中輪に唐木瓜武田菱日本の紋章・文様編巴紋巴は中国の象形文字象形文字である蛇・虫より転化した文字で、転じて水の渦巻きを模した当て字でもあります。正倉院御物にも現れているとされています。なお、渦巻方向によって右・左の呼称が異なる場合があることをお断りしておきます。引両紋引き両は軍陣用の幕から転化したものです。それぞれの武将が陣幕で識別する印でもあったのです。一つ引きから三つ引きまでの文様で様々な君合
丸に違い矢えびら兜源氏車分銅日本の紋章・器財編矢紋勇壮な武勇を表すもの。しかし、全体は細長いため一部の矢羽根などをデザイン化しています。兜紋鎌倉期から戦国期の兜をモチーフにしたもので、戦場の武勇を表現したものです。車紋平安時代の貴族が用いた牛車の車輪を描いたもの。御所車、源氏車とも称されます。分銅紋分銅は計量器の・天秤の錘で銅で作られています。法馬ともいわれています。紋章はみる人の気持ちを
鳥居紋丸に井桁紋七隅井桁に三つ巴紋築造物編構造物には千木紋、鳥居紋、庵紋、格子紋、井桁紋などがあります。シンプルな家紋はそのカタチが美しい!美しいカタチは心の琴線に響く!
丸に揚羽蝶丸に違い鷹の羽動物」紋は植物紋に比べるとその種類は半数以下になります。それでも多くの種類があり、馬紋、鹿紋、兎紋、鶴紋、鷹紋、雀紋、蝶紋……とかなり上げられます。動物そのものを家紋にしたものもあるのです。例えば鷹の羽紋のように鷹そのものよりも羽根の形状をデザイン化したものが圧倒的に多いのです。羽根を並べたり、重ねたり、その重ね方に変化を付けたりと多岐にわたるのです。さらに鶴丸や蝶のように細部まで非常に繊細な描写をしたものもあり、家紋
丸に変わり三階菱三つ巴菱四つ菱に一の字石持ち地抜き武田菱八つ丁字菱組み合い菱菱紋の変わり紋を示しました。菱紋に限らず多くの家紋は、このようにいろいろな変化技があって枝分かれしていったのですね。複雑で変化に富んだデザインは見ていても華やかで楽しいのですが、家紋を制作する場合は頭を抱えることが多いですね。それは細かい部分のデザイン化、筆運び、箔貼り、修正などすべてに慎重さが不可欠となるからです。菱紋のほんの
「丸に四方剣花菱」紋これからご依頼を受けた金箔家紋を作りたいと思います。これまで金箔などを使って数百を超える家紋を作ってきましたが、今回の家紋は初めて作る紋章です。「丸に四方剣花菱」という家紋です。菱の文様を四等分し、それを四弁の花に見立てた想像上の花の文様なのです。唐花から分化したと推定され、唐花菱と呼ばれています。また、もともと菱紋はやや横長の形であることから、縦横比が同じ今回のような紋は四方花菱とも呼ばれています。縦横同じということで花角
金箔をガラスに貼る工程の前後に、デザインを筆で描く作業も入ってきます。筆で絵柄等を描く場合には、指や手のひらがガラスに触れてはいけません。触れるとその部分が曇り、作品が台無しになってしまいます。したがって、写真に示すような小さな作業台的な副木というものを準備するのです。幅が20~30mm、長さ300mm程度の薄板の両端に足を付けたようなものです。これがあれば手をその上に載せて、画指すに触れずに絵を描くことができるのです。簡単ですから誰にでも直ぐ作れます。
金箔や銀箔といった箔類は大変薄いもので、取り扱いには細心の注意が必要です。特に金箔は極薄で0.0001ミリメートル、すなわち1万分の1ミリメートルという薄さです。取り扱いには風などは厳禁で、夏場のエアコンの風も大敵です。また、静電気も影響があるため金属のピンセットなどもよくありません。竹箸が最も金箔を扱うには適していると思います。薄い箔をつかむ竹箸は市販のものより、自作する方が弾力性などの点でも優れていると思います。写真の竹箸は自作品です。さらに、薄手の手袋も必要です。実際は親