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2025年8月18日長崎・佐賀の街道対馬巡り(8)長崎・佐賀の街道全体図(1)街道地図は下記クリック長崎・佐賀の街道として10筋あげた。長崎街道(UP済)長崎街道塩田道多良街道竹崎街道平戸街道時津街道島原街道対馬巡り壱岐巡り五島列島巡り参考、九州の街道(全体図)街道地図は下記クリック九州の街道-Googleマイマップ九州の街道www.google.com今回は、長崎・佐賀の街道対馬巡り(8)街道地図は下記
歴史小説作家・司馬遼太郎の「街道をゆく」と「坂の上の雲」を読んで、いつかは訪れてみたいと思っていた壱岐・対馬へ、3/22~4/7の17日間で車中泊しながら一人旅をしてきました。1日目は、岡山県の自宅から山口県まで移動して、道の駅「きららあじす」で車中泊2日目は、九州に入り、博多港から対馬行きフェリーに乗船3日目は、対馬・厳原中心部を観光して対馬グリーンパークで車中泊4日目は、対馬・中央部の古墳、神社、遣唐使・日露戦争の史跡を見学して対馬グリーンパークで連泊5日目は、対馬・続日本10
100名城及び続100名城巡りのファイナルはなかなか訪問することが難しいことでお馴染みの長崎県対馬市の金田城ですこの冬一番の寒波に見舞われる中新大阪から博多の新幹線は奇跡的に遅れ20分更に博多からのジェットフォイルも何とか運航していただいて無事に訪問となりました金田城は戦国時代の城郭ではなく朝鮮式山城、いわゆる古代山城白村江の戦いで敗れた倭が大宰府守備の為ここ対馬に最前線の城を築造したのが金田城です登山口に至る山道は狭小そのものレンタカーで行く自信なく観光タクシーにて
こんにちは、philosophiaです国境の島、対馬の続編です。続100名城の古代山城<金田城>を攻城した後は対馬唯一の天然温泉♨に入りたかったので<対馬グランドホテル>さんへまずは、下城メシです。館内にあるレストラン<漁火>さんで<穴子天ぷら定食>を頂きます。穴子の天ぷらに対馬の藻塩をかけると、さらに旨味が引き立つそうでさっそく、大ぶりの穴子に!オーシャンビューの景色もご馳走です(^^♪
こんにちは、philosophiaです国境の島、対馬の続編です。前回の続100名城の古代山城<金田城>の後編です。<二ノ城戸>と<一ノ城戸>へ向かいますここからは、黒瀬湾に向かって下りです!<二ノ城戸>さらに下ります<一ノ城戸>丸石と板状の石が絶妙に組み合わせられています!谷筋側には排水口も設えてあり先人の知恵を感じます(^^♪海岸降口へ向かいます黒瀬
こんにちは、philosophiaです国境の島、対馬の続編です。江戸時代の対馬藩お船江跡と元寇古戦場の後は続100名城の古代山城<金田城>へ金田城は、浅茅湾に突き出した城山(標高276メートル)に築かれています。663年白村江の戦いで大敗を喫した大和朝廷が、唐・新羅の来襲を恐れ国境の最前線である対馬には金田城を築き、防人(さきもり)を置きます。<城山入口>登山ルートを確認します途中の登山ルートは、幅員も狭く離合場所も少ないので
白嶽下山後、レンタカー屋さんお勧めの穴子を食べにいきました。対馬の名物料理だそうです。対岸の釜山も穴子料理が名物ですが、日本と韓国では味付けが大きく変わりますね。穴子定食でお腹を満たした後、金田城(かねたのき)跡のある城山(標高272.8m)に登りました。金田城は田川郡福智町ではなく、663年の白村江敗戦後、唐・新羅の侵攻に備えて対馬に築かれた古代山城(朝鮮式山城)です。(現地解説板より)史跡金田城跡国特別史跡昭和57年3月23日指定西暦660年(斉明6
前回10/25の白嶽登山に続いて10/26に金田城跡に登りました。城跡と言う事で大したこと無いと思ってましたが、標高276mだと言う事を後で知りました。結局汗だくになったので白嶽登山と同じように半袖半ズボンで登ったら良かったと後悔しましたw。登山後に別のルートが有ったので中腹の休憩所に合流する道だと勘違いして下山しました。しかし、このコースは山を周回するトレッキングコースだった為海岸部に降りてからさらに登山すると言う予想外の展開になりました。1時間そこそこで下山るつもりが2
上見坂公園特別史跡金田城跡白村江の戦い日本最古級の城跡姫神山砲台跡車を降りてから500m以上山に入るらしい。諦め😮💨よって、ネットから拝借今日の走行距離:120km宿泊費&雑費:10277円
日曜日今日は中部の豊玉へ距離は35㌔時間は45分位。今日も神社から和多都美神社対馬では有名な神社。聖地とも呼ばれてるみたいです。理由は...こちらでも幸先詣(ー人ー)|||~~~来年も良いことありますヨ〰ニこちらの神社は鳥居⛩が海の中に建てられいます。更に奥には大鳥居⛩がありますが残念ながら台風10号の影響で倒壊クラウドファンディングで支援を募ってるそうです。早く復活するといいなー本殿裏には遊歩道が。指定文化財になってます。人が少ないとゆっくり歩けますね
こんばんは☆彡過去旅リバイバル前ブログから転写して(少カスタム有)残したい旅記録2シリーズ目は「対馬」長崎県の離島韓国のすぐそばであります。過去にご覧になって頂いたお友達にはm(__)m恐縮ですが今少しお付合い下さい。2011年7月訪問の記録です。古い写真ゆえお写真の解像度が悪いのと写真が小さいですがこればっかりは仕方ありません。今回は-観光編-です。♪韓国にあなたー一番近い島~♪>古、大汗...そ
前日、島での宿泊は結婚式場も備えた大型リゾートホテル。目の前には海が広がって最高のロケーション、まさにリゾート。しかし、宿泊客は5,6組という有様。以前は外国人観光客も多かったと思いますが、経営、大丈夫かなぁ。。。ホテルの夕食・朝食は味も量も見栄えも十分、温泉も程よい湯加減で、どちらも登山の疲れを癒すには十分すぎました。さて、3日目の朝は窓の外に広がる海から昇る眩しい朝陽でスタート!朝食後、急いで登山へ出発。と言うのも、夜半から強風が吹き荒れて始発の飛行機が欠航。午後の
こんにちは。ラーメン屋さんの後のスナックでの3次会が眠気とともに体に堪えます。それでも皆んな元気です!7時からの朝食にほぼ全員集い、一心不乱に和定食を頬張ります。7:45にマイクロバスのお迎えが来、ガイドさんとともに国の特別史跡・金田城跡へと向かいます。登山口までの道中、ガイドさんが対馬の歴史についてお話くださいました。文永の役、弘安の役、朝鮮出兵、対馬沖海戦の裏にある史実などなど。登山口から山頂までは約1時間の道程。道中も興味深い話を沢山お聞きすることが出来、万葉集からは防人
2座目城山登山⛰金田城跡侮ることなかれ!かなりキツイ💦
一昨日、昨日とFOP修行でした。大きいトピックスはありませんが、唯一、ポーたまのポーク抜きオーダーしましたので、壱岐対馬掲載後、結果をご報告いたします。TwetterのTLには当日ツイートしてしまいましたが(^^;対馬観光1日目(下島①)から続きます。4/25豆酘崎、美女塚の次は下対馬の西側を北上。昔からの石屋根の倉庫こんなに長くて平たい石、どうやって切り出したんでしょうね。それにこの重さ、屋根を支える柱も大変です。次に、元寇の戦場となった小茂田浜にある小茂田浜
対馬シーカヤックフェスタ2017に参加!8:00美津島行政サービスセンターで受付を済ませてから出艇する黒瀬まではバスで!このバスと数代のバンで移動。開会式の後に分かりやすい技術指導があった。ノリのいい海上保安庁のあいさつ(^^)この後、みんなでエイエイオー(笑)キレイなカヤックが用意されていたのにはビックリ!地元のケーブルテレビのインタビューに答える俺を見て笑うテツさん。
この城跡は1300年前のものです。白江の戦いに敗れた後に、作られたお城です。岡山県にも鬼の城跡がありますが、こちらも白江の戦いの後に作られています。山城はこんな山にあります。細い道を1.8kmほど行くと登山道入口に到着します。上まで1時間ほどだそうですが、時間がありません。撤退です。
金田城の出入り口・鋸割岩の海底を探検「波涛三千里の海中(わたなか)」に浮かぶ対馬は朝鮮半島と指呼の間にあり、古来より人、物、文化などが行き交いました。また、危急の際には国防の最前線の宿命を背負っています。島に防人が派遣されたのも、外敵の侵入を許さないという国の威信と強い決意を内外に示したのではないでしょうか。現在も島には陸・海・空の自衛隊が駐屯し守りに就いています。朝鮮半島に対峙する対馬西岸は波浪に浸食された断崖が続きます。ただ、中央部は海岸線
防人が屯して監視した岩屋対馬市美津島町箕形に「防人の岩屋」があります。同町洲藻から箕形に通じる県道が山道を抜けると平地になり浅茅湾が見えます。そこは小川が合流し、三叉路になっています。東に延びる道路を進むと、防人が駐屯した国指定特別史跡「金田城跡」に着きます。岩屋は金田城跡の入り口に当たります。民有地です。岩屋は県道から約50㍍ほど上った山腹で西に向いており、かなりの広さがあります。大人が立って歩けるほどですが、奥は低くなっています。