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寺山城(岡山市北区御津矢原)『虎倉物語』によれば、永禄11(1568)年に宇喜多直家が玉松城攻めに際して「矢原の寺に御陣所」を敷いたと伝えられる。(※岡山県中世城館跡総合調査報告書第1冊備前編より)南西帯曲輪帯曲輪状の南五郭南四郭土塁囲みの南東四郭南東四郭の北東土塁南東五郭南東六郭自然地形の南東七郭南東三郭の石垣南東三郭南二郭主郭主郭北東下段帯曲輪状の北東二郭寺山城遠望軌跡ログ旧御津郡御津町の城
今年の初城廻は備前・金川城から。九州・豊前のドローン使い堀切凡夫さんが来られるとのことで、但馬に行きたかったのですが雪とか心配だったので天候の心配の少なそうなこちらにしました。9時の待ち合わせ30分前についてなじみのファミマにて休息と思っていたら改装閉店中…をい!金川は三度目の訪問でしたが、やはり皆で回るのは楽しい。昼、金川駅前の「そば作」行きたかったが閉まっていた。サンガニチだからしゃあないか。徳倉も三度め、四日ぶりw12年前に来た時の自分の記帳を見つけました。この城
10/30(水)~31(木)にかけて、JR西日本の「サイコロきっぷ」で目が出た「津山・岡山」でお城巡りをする旅に出かけました。二日目(10/31)の1城目(通算4城目)「金川(かながわ)城」(岡山県岡山市北区御津)から下城して駐車させていただいていた「御津(みつ)郷土歴史資料館」を見学しました。「御津町」は、2005年(平成17年)に、平成の大合併により「岡山市」に編入合併した町で、その中心地である「金川」は、古くは「津山」往来と「備中高梁」へ向かう往来の中心地で「宿場町」であったそ
10/30(水)~31(木)にかけて、JR西日本の「サイコロきっぷ」で目が出た「津山・岡山」でお城巡りをする旅に出かけました。岡山に宿泊してレンタカーを借りる時間までの間、ホテルを早目に出て駅まで散策しながら歩きました。駅構内を通り9時に「ガッツレンタカー」で手続きを済ませ、9時10分にスタートすることができました。二日目(10/31)の1城目(通算4城目)登城予定の「金川(かながわ)城」(岡山県市岡山北区御津)へ向かいました。岡山市内とは言うもののかなり北方向の山中に向かって走り
昨日と本日(10/30~31)にかけて、JR西日本の「さいころ切符」で目が出た「津山・岡山」でお城巡りをしています。2日目の本日(10/31)は、宿泊していたホテルを8時半頃出て、駅西口にある「ガッツレンタカー」で車を借りて出発です。本日1城目は「金川城」(岡山県岡山市北区御津金川)です。郷土資料館に車を置かせていただき、「妙覚寺」脇の登城口から比高差180mを上りました。途中「道林寺丸」跡では石垣が見られました。そこから暫く上って行くと「本丸」跡に到着。「道林寺丸」跡の石積み
「城めぐり」のアプリで「続・岡山城宇喜田家二代とその妻」というイベントに参加してきました岡山城沼城乙子城足守陣屋備中高松城金川城明禅寺城白石城常山城砥石城の10城が対象になっていました最初に「金川城跡」にいっていたのですが「岡山県岡山市北区御津金川」にあります👇下の酒蔵でパネルでどんなお城なのか紹介してくれていました。かながわSAKAGURA「かながわSAKAGURA」の情報は「岡山観光WEB」で。造り酒屋として江戸時代に創業した旧家武藤酒造場を改修した施
地域限定城めぐり第二十八弾「続・新岡山城宇喜多家二代とその妻」が、本日ついに始まりました!!開始からまだ18時間しか経っていないというのに、既に20名以上の方が全制覇達成を成し遂げており、そのスピードに驚嘆しているところです。ありがとうございます。既報の通り、今年は“続”ということで昨年に引き続いての企画であり、特別な仕様となっています。すなわち、昨年と重複するスポットを制覇している人は“既に制覇済み”の状態からスタートします(メインの岡山城を除く)。仕様詳細はこちらの記事をご
あけましておめでとうございます。昨年も殆ど、更新してませんでしたが、読んで頂けて本当に有難うございます。本年も昨年同様、ボチボチ…怠慢更新となる予定ですが何卒、生ぬるい目で、読んで頂ければ幸いです。さて、昨年の終わりですが、4年振りに元amebloのブロガーの友人と城巡りをしてまいりました。今回の行先は、岡山は備前。所謂、現在の岡山県の南東部に当たる場所です。知っとるちゅうねんという言葉が飛び交いそうですが実はこの備前、コロナ禍前から行きたかったエリアなのです。
攻城日:2022年10月8日三連休の初日、土曜日に岡山県の山城を攻めてきました♪前日まで仕事で滞在しており、せっかくの機会なので自腹で延泊して楽しんできました(*´艸`)まぁまだ山城シーズンにはだいぶ早いですし、当日こそ晴れたものの前日には長時間雨も降っており...更に言うと、荷物を増やしたくないため、靴は...↑これで山登ってきたぜww↑前日までスーツ着て仕事していた時にも履いていたビジネスシューズww既に履き潰した感のあるヤツなので、靴底はツルツル、滑っても1ミリたりとも
【日本の城】臥龍山金川城(玉松城)岡山県岡山市金川備前松田氏の居城。松田氏は、相模国出身。戦国時代に宇喜多直家により落城。三條西實隆により玉松城と命名備前松田氏、金川城址武家家伝_備前松田氏■家紋、系図、戦国武将、武将、赤松円心、赤松満祐、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、北条早雲、島津義弘、島津義久、島津家久、毛利元就、毛利一族、島津一族、大友一族を紹介。尼子氏、大内氏、陶氏などの動向も探っていますwww2.harimaya.com
岡山県岡山市北区御津金川にあります。車は郷土資料館、北区役所支所、妙覚寺の駐車場をお借りしましょう。登山口から40分ほどで主郭につきます。少し階段も急でしんどい登山になるでしょう。熊の遭遇は問題ないでしょう。整備され見学しやすくなっております。遠景桝形空間堀切堀切名物巨大井戸。ブラジルまで繋がってそう
備前国は御津の金川城に来ちょります。アワヨクバ戸倉虎倉にもと思いましたが…む~り〜ここすら終わらん。トリミングも滅茶苦茶やし。さて、わたくしここは2013年1月以来2度目の訪問なのですが、石垣を使用した主郭〜二ノ丸の北側に「北の丸」という広大な区画があるのですが…東側数十mにわたって重機で削られたようになっています。9年前はこんなふうではなかったとおもいますココは市指定史跡のハズで、岡山県の悉皆調査本には、堀切と段曲輪が北東尾根がある由書かれています。調査も現説もナシにこんな
お城ファンミーティング『諸説あり』今回は昨日始まった冬季五輪に因んで金銀銅というお題でした。昨夏にも有ったので今回が2回目。前回未発表だった私は、皆さんがいろいろと捻ってくる中、単純に名称に金銀銅の付いた城をご紹介。そうはいっても「銅」の付く城は無いため、堂木山砦(滋賀県長浜市余呉町中之郷)堂谷山城(福井県町若狭町三方・気山)生野城(兵庫県朝来市生野)※銀山山手銀山城(広島県福山市)山手町)金川城(岡山市北区御津)金山城(岐阜県可児市兼山)を紹
2022.1.4.約6年ぶりに、松田氏の居城《金川城跡》へ行って来ました備前では、天神山城と並んで最大級の規模を誇る中世山城であり「西備前一の堅城」と謳われたという松田氏は備前国西部を領し、備前守護大名赤松氏や守護代浦上氏と対峙していました戦国時代初期(室町時代中期)文明年間(1469年-1486年)、応仁の乱の混乱期に松田元成は富山城より本拠を金川城に移し、城を改修し連郭式の山城が整った。登城口は、2ヶ所一つは、御津町郷土歴史資料館、妙覚寺の脇からで、コチラからの登城がオス
岡山市の北の方にある金川は「かながわ」と読みます。現地にも「かながわ」とひらがなで書いた看板をちらほら見かけるのですが、関東人の私なんぞは「かながわ」というとどうしても「神奈川」を思い浮かべてしまうんですよね。そんな東国人はきっと私だけではないはず。声を大にして言います。岡山市の「金川」は「かながわ」と読みます!金川にある金川城は別名を玉松城とも言います。戦国時代には浦上氏と並び立つほどの勢力を保った松田氏の居城でしたが、松田氏は浦上氏もろもと宇喜多氏に押し潰されてしまいました。事実上最後の当
備前・金川城〔後編〕天守の井戸からのつづきです。まいります。大手登城口の案内板。この(後編)では北の丸を攻略し、踵を返し本丸を通過して二の丸を制覇したらグネグネの大手道登城道で53号線へ退城します。デカデカ天守の井戸がありましたが、北の丸へ行くまでには白水の井戸があります。3段の段郭の最下層にポカリと開いた、恐怖の蟻地獄白水の井戸ぶきみ~近江・鎌掛城のように存在感が恐るべしこちらには柵がないので恐る恐る近づいてみる。しっかりと石組みされてる。
岡山県岡山市北区御津金川備前・金川城(かながわじょう)別名:玉松城金川城は備前西部を支配した実質的な守護代・松田元成(不受不施派を熱心に信奉)の居城です。松田氏中興の祖としても知られる元成が文明12年(1480)に富山城(とみやまじょう)から居城を移すと、城を整備し守護の赤松氏から自立します。以降、元成の子・元勝、元盛、元輝と続くが、備前東部の天神山城主の浦上宗景と勢力を争い、永禄11年7月(1568)に元輝の舅でもある宗景の被官・宇喜多直家によって攻められ落城すると、13代2
【1月18日(土)】3城目は、備前・松田氏の本拠、御津・金川城です。岡山市北区役所御津支部北の城山(臥龍山とも、標高221m/比高185m)の山頂を本丸に、南東の尾根に二の丸、出丸、南西の尾根に道林寺丸、堀切を挟んで北の尾根に北の丸を配し、さらにその北側を二重堀切と竪堀で防御した連郭式の山城です。築城年代は不明ですが、松田氏12代2百数十年の居城であったと伝わります。永禄11年(1568)7月、宇喜多直家の攻撃により落城、松田元輝・元賢親子は討死しています。その後、宇喜多氏、小早川氏、
旧、御津町、現在は岡山市北区。金川城、別名『玉松城』磨けば光りますよ~思わず来訪ノートに書き込みました。「発掘してください。若狭国吉城以上のものが出ると思います。」