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宮城県丸森町にある火縄銃に特化した私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』が入る屋敷には座敷童子が棲んでいる。座敷童は、古い大きな家に棲み5、6歳くらいの子供の姿をしていることが多い。悪戯好きで小さな足跡を残したり,人間の子供と一緒に遊んだりすることもある可愛らしい妖怪だ。また座敷童子を見た者には,幸運が訪れ家に富をもたらすとも言われている。『金山城伊達・相馬鉄砲館』メイン展示室昨年10月中旬の鉄砲館。視線を感じるのは二階の窓の左側。私がこの屋敷の一部を私設博物館として三年前の
宮城県丸森町は,宮城県南にもかかわらずとても寒いところだ。それを知ったのは,この町に『金山城伊達・相馬鉄砲館』という火縄銃に特化した私設博物館を開設したあとのことでした。現在展示中の大名家の鉄砲丸森町は冬日が,年平均で97.5日もあるのです。冬日とは最低気温が0℃未満になった日をいいます。そんな丸森町にも,やっと花咲く春がやって来ました。当館の裏にある武家屋敷の椿です。近所の紅梅は一か月以上咲き続けています。金山城下のこの桜は3月27日に開花しました。
去年の3月29日,宮城県丸森町にある私設博物館の『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,女性だけ編成した鉄砲隊を旗揚げさせるべく行動していた。悪いことに当日は朝から砂降りになっていた。雨に濡れ隊員たちが風邪を引いたら大変なことになってしまう。隊員の半分は子育て真っ最中のなのだ。外は土砂降り,雨を気遣う隊員の皆さん雨はお昼を過ぎても止む気配がなかった。ところが,1時半近くになったら,雨が止みだし薄日が差して一気に青空が広がった。まるで青空とお天道様が繰り広げる奇蹟を見ているような思いだった。奇
『金山城伊達・相馬鉄砲館』のある宮城県丸森町の午前11時の気温は18度。風はあるもののポカポカ陽気だったから,外にいてもセーターを羽織っただけで過ごせた。近所の紅梅も今を盛りに咲き誇っている。『金山城伊達・相馬鉄砲館』もう完全に春だ。今年は春が来るのが早い。何かいいことがありそうな予感がする。三寒四温の候だからいずれまた寒さがぶり返すのだろうけれど,こういう暖かなうちに屋外の整備を行った。まず手始めに三週間ぶりに看板のガラス磨きをした。この看板は,鉄砲館のある金山の建築屋さんが無償で
私設博物館の『金山城伊達・相馬鉄砲館』がある宮城県丸森町の正午の気温は6度しかなかったが,メイン展示室前の中庭は風も吹き込まず,日光浴にはうってつけの穏かな日和だった。冬だというのに表門の三本のサザンカの樹にはミツバチが群れ飛び,そばに寄るとムゥ~という羽音が聞こえる。気持の良いお天気に浮かれて,展示室前に椅子や工具を持ち出してTOUDOU砲兵工廠を店開きした。自分で尾栓を抜いた二挺の十匁火縄銃を分解して,安全に空砲演武を行えるよう最終整備を完了させた。これなら叩
私設博物館「金山城伊達・相馬鉄砲館」がある宮城県丸森町は,伊達政宗の初陣の地としても知られている。政宗が初陣で布陣した矢ノ目館という小城は,阿武隈川の右岸に広がる田園地帯の小斎地区にある。宮城県丸森町の小斎地区丸森町の人達は,小斎地区の米が日本一美味しいとよく言う。あまりに美味しいため伊達政宗公にも献上されたともウワサする。これらは,いわゆるお国自慢の類かというと,そうでもない。私は米だけは贅沢しており,小斎で収穫される「つやひめ」というお米が,日本で一番美味しいと思
宮城県丸森町にある火縄銃に特化した私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,創設以来ボランティアの方々に支えられてきた。ボランティアの語源は,ローマ時代の義勇兵まで溯る。義勇兵とは,金銭的見返りを求めず自発的に戦闘に参加した人達のことである。当館は開館してまだ三年にならないが,すでに無料講演会を2回,「お茶会」などの無料施設開放を6回催している。このイベントを支えてくれたのが,下の写真のボランティアの皆さんだ。このボランティアの方々は,地元の役にたちたいとの志に燃え,無償で当館のイベントを手
米沢藩霞流砲術の小口径の鉄砲と口径24ミリの20匁大筒を並べて撮影してみた。それが下の写真である。こうやってみると20匁大筒がかなり大きく見えるから面白い。米沢藩霞流砲術の各種火縄銃金山城伊達・相馬鉄砲館所蔵大筒の定義は時代や砲術流派で様々だ。戦国時代は100匁以上を大筒とよんでいたようである。これが江戸時代になる30匁から50匁筒以上のものを大筒と呼んでいた。また関流砲術では50匁筒以上を大筒と呼んでいる。流派不詳の100匁大筒金山城伊達・相馬鉄砲館寄託現在,学
宮城県丸森町にある金山城伊達・相馬鉄砲館が立ち上げた仙台藩丸森鉄砲隊は,1月19日に伊達政宗公の御霊が眠る瑞鳳殿に全員で参拝し立隊の報告をさせていただきました。当日は、公益財団法人瑞鳳殿様の御厚意により瑞鳳殿の裏山の特別な駐車場を使用させていただいたので,出陣準備を迅速に行うことができました。公益財団法人瑞鳳殿様,ありがとうございました。瑞鳳殿の裏山で出陣準備完了ズーンズズズーンみんないい顔をしているでしょ瑞鳳殿へ出陣!
火縄銃に特化した私設博物館の金山城伊達・相馬鉄砲館は、令和6年3月29日に女性だけで編成した仙台藩丸森鉄砲隊を立ち上げました。仙台藩丸森鉄砲隊は,鉄砲装束も整い11月30日には射撃の型の練習も終了したことから,1月19日に伊達政宗公の御霊が眠る瑞鳳殿に全員で参拝し,立隊の報告をさせていただく事になりました。瑞鳳殿写真引用公益財団法人瑞鳳殿ホームページ当日は、公益財団法人瑞鳳殿様の御厚意により瑞鳳殿本殿を御開帳いただけるとのことで,貞山様へ焼香を捧げ鉄
宮城県丸森町にある火縄銃に特化した私設博物の『金山城伊達・相馬鉄砲館』には,多くの支援者がいる。平成4年の火縄銃射撃の全日本チャンピオン(正確には全日本前装銃射撃競技選手権大会総合優勝者)のH多さんもその一人である。火縄銃射撃の全日本チャンピオンのH多さん分かりやすくするため全日本チャンピオンと書きましたが,正しくは総合優勝者です。本写真の撮影は,一昨年3月10日の古式大会日です。写真は試合前の『未装薬状態』H多さんは,博物館の日や文化の日に当館が行う施設無料開放イベント
今年の抱負を宣言しよう!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう謹賀新年令和7年元旦午前5時20分の鉄砲館表門令和7年元朝参りは敷地内の西宮神社へ新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願い申し上げます。日本国第二国歌【愛国行進曲】令和7年1月1日金山城伊達・相馬鉄砲館長
公式ハッシュタグ令和6年12月31日骨董品ランキング2位公式ハッシュタグ令和7年1月2日骨董品ランキング2位年若の友人で火縄銃研究者のサミュエルワイアットビーチ君が,来年5月に金山城伊達・相馬鉄砲館にやって来るという。サミュエル君は,今その準備に没頭しているらしい。丸森町でタタラ製鉄の講義を聞くサミュエル君左から丸森鉄砲隊のゼバ副隊長,中央がサミュエルワイアットビーチ君その右が,火縄銃界の大立者,御存じ熊本県葦北鉄砲隊の平江
今年1番がんばったことは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう年末年始休暇のお知らせ金山城伊達・相馬鉄砲館では下記の期間を年末年始の休業とさせていただきます。見学の皆様につきましてはご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。記令和6年12月28日~令和7年1月8日までなお上記の期間中でも館長は,研究のため在館しています。電話でご相談いただければ,開館可能な場合もあります。金山城伊達・相馬鉄砲館館長
令和6年の思い出といえば,まずはテレビ取材のことが頭に浮かぶ。宮城県丸森町にある私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,今年もテレビ取材が2回入った。これで当館開設以来2年間で合計4回もテレビ取材が入ったとになる。こんなにテレビ取材が入っているのに,当館の客足が伸びないのは残念な限りだ。今年1回目のテレビ取材は,3月29日に金山神社で行った仙台藩丸森鉄砲隊の旗揚げの取材だった。当日は朝から土砂降りで,雨はお昼を過ぎても止む気配がない。外は土砂降り,雨を気遣う隊員の皆さんところ
私がしばらくフェイスブックを利用しなかったら,年若の友人で火縄銃研究者のサミュエルワイアットビーチ君がアメブロに登録して記事を投稿してくれました。その記事を読んだら,ひさしぶりに心のこもったクリスマスプレゼントをいただいたような気になり,私はとても幸せな気持ちになりました。多くの皆さんに日米の火縄銃研究者の交流をお伝えしたいと思い,彼のブログ記事『私の初めてのブログ-Myfirstblog.』をリブログします。彼は昨年,私の私設博物館である金山城伊達・相馬鉄砲館が
宮城県丸森町にある火縄銃に特化した私設博物館の『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,現在三門の大砲を展示している。当館で展示中の三門の大砲写真の一番下が,水戸藩の早乙女砲。真中がポルトガル海軍の艦載砲。一番上は,フランス軍のもの推定される青銅砲である。この青銅砲は,尾張藩家老の旧宅解体で出てきた品物だという。青銅砲の前方部分にフルール・ド・リスの紋章があるから,幕末当時の外交関係を勘案するとフランス軍の大砲と推定している。青銅砲にあるフルール・ド・リスの紋章私はこの砲身に砲架と車
公式ハッシュタグ令和6年11月28日骨董品ランキング2位火縄銃に特化した私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』がある宮城県丸森町は,金曜日の晩から土曜日の明け方まで大風が吹いていた。この風で当館のシダレモミジの葉が散ってしまい丸裸になるのではないかと心配したが,何とか持ちこたえてくれたのでひと安心した。当館のシダレモミジ昨日の日曜日は,当館で「もみじの茶会」が予定されていたからだ。肝心のモミジが丸裸では,お茶会は様にはならぬ。大風にメゲず,きれいに紅葉した姿を見せてくれたので,
昨日,宮城県丸森町にある金山城伊達・相馬鉄砲館で仙台藩丸森鉄砲隊の勉強会が行われた。勉強会には9人の参加者があり,11月24日に当館が開催する「もみじを見る会」の最終ミーティグを行った。「もみじを見る会」の会議を躍らせたお姉様方この「もみじを見る会」は文化の日の協賛事業として入館料を無料として施設を全面開放しておこないます。「もみじを見る会」では,当館が立ち上げた女性鉄砲隊の正式軍装が整いましたのでご披露いたします。昨年11月24日の当館もみじの紅葉当日は相馬市のケ
『金山城伊達・相馬鉄砲館』は,宮城県丸森町に所在する火縄銃に特化した私設博物館である。このたび,日本銃砲史学会のホームページに当館の活動が紹介された。最近,当館は来館者の減少に頭を痛めていたところであり,史学会のホームページによる今回の広報は,正直とてもうれしかった。例えるなら,彼方の山の上にひるがえった援軍の旗を見た思いであった。当館の訪問記事をお書きくださった史学会の紫藤広報委員に心から感謝する。ありがとうございました。金山城伊達・相馬鉄砲館訪問記|日本銃砲史学会金
公式ハッシュタグ令和6年11月14日骨董品ランキング1位昨日は日曜日だったこともあり,金山城伊達・相馬鉄砲館は大忙しだった。茨城県や新潟県,岐阜県から金山城を訪れたついでに当館に立ち寄った見学者が4人あったし,台湾からのお客さんが8人もあった。そのほか,銃砲史学会の広報委員のSさんも友人と一緒に訪れてくれた。同じ研究者が当館を気にかけて頂いていることを知ると,とても励みになる。「おぉ~同志よ!」という気分だ。銃砲史学会の広報委員のSさんSさんは,私のオッショサンの知り
火縄銃に特化した私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』のある宮城県丸森町は,山がやっと紅葉してきました。金山城下の日差しも秋色です。金山城下の武家屋敷当館は,文化の日の協賛事業として11月24日に当館施設を無料開放することにしました。合わせて「もみじを見る会」を催します。昨年11月24日の当館の紅葉状況「もみじを見る会」では,仙台藩丸森鉄砲隊の正式軍装が整いましたので,ご披露させていただきます。また横笛演奏などのアトラクションも御用意しています。当日はケーキ店「クラム
房総半島に棲む山伏の長光院殿は,中島流砲術八段で射撃の名手である。長光院殿は日本で初めて火縄銃を用いたクレー射撃大会で,20発中,17発を命中させた。その成功率は,なんと85パーセントに達する。長光院殿とは,そういう御方だ。火縄銃でクレー射撃中の長光院殿昨日,丸森鉄砲隊の記事を読んだ長光院殿から素晴らしいコメントをいただいたので紹介したい。丸森鉄砲隊のみなさんは,長光院殿のコメントを読み参考にしてください。さあ、衣装は整った。小道具も備えた。意気は盛ん。あとは鉄砲
火縄銃は,火薬の点火に火縄を用いる。火縄に火を点けるとゆっくり燃え続け,1日の戦闘では,鉄砲一丁あたり4mくらいの長さが必要となる。赤色のロープ状のものが火縄宝暦6年(1756年)、仙台城二丸兵具庫には、主力の4匁玉火縄銃だけでも6435挺が所蔵されていたし,この外に家中諸士が、3匁玉及び4匁玉筒を2万2208丁所持していたと「仙台藩秘録」は記録している。四万丁以上の銃砲を所持する仙台藩にとっては,火薬や弾丸の外に火縄を大量に確保する必要があった。大量の火縄銃を装備したとしても火
昔々,あるところにキツネさんが住んでいました。キツネさんは,仙台藩領の南端の丸森宿で『金山城伊達・相馬鉄砲館』という鉄砲の見世物小屋を営んでいます。キツネさんの見世物小屋建物は借りものです。写真に写っている当館の大型看板は,地元の篤志家からの寄付です。このように当館は多くの方々の善意に支えられています。キツネさんの見世物小屋は,11月4日に白石城で無料講演会を行うことになりました。その講演会には東北の女性鉄砲隊や女性銃士の皆さんが20名もゲスト出演します。皆さん,清楚
公式ハッシュタグ令和6年10月3日骨董品ランキング1位昔々,あるところにキツネさんが住んでいました。キツネさんは,仙台藩領の最南端の丸森町で『金山城伊達・相馬鉄砲館』という鉄砲の見世物小屋を営んでいます。キツネさんの見世物小屋の展示品土浦関流と米沢霞流の鉄砲キツネさんの見世物小屋は,11月4日に白石城で無料講演会を行うことになりました。その講演会には東北の女性鉄砲隊や女性銃士など20名もゲスト出演します。皆さん,清楚で素敵な方々ですから華やかで楽しい講演会になる
私設博物館「金山城伊達・相馬鉄砲館」がある宮城県丸森町は伊達政宗の初陣の地としても知られている。およそ10年に渡って伊達家は相馬氏との丸森の争奪戦を繰り返し,伊達政宗は初陣に矢ノ目館(丸森町小斎)に布陣した。矢ノ目館がある小斎地区は,阿武隈川の右岸に広がる田園地帯にある。丸森町の人達は,小斎地区の米が日本一おいしいとよく言う。あまりに美味しいため伊達政宗公にも献上されたともウワサする。これらは,いわゆるお国自慢の類かというと,そうでもない。宮城県丸森町の小斎地区私は米だ
🎌祝🎌金山城伊達・相馬鉄砲館🎌開館二周年🎌令和四年9月17日,宮城県丸森町に火縄銃に特化した私設博物館『金山城伊達・相馬鉄砲館』は本日で開館二周年を迎えました。これもひとえに私どもを支えて下さった支援者さんやブロ友さんのお力のおかげです。本当にありがとうございました。令和4年の開館式での館長挨拶開館一年を過ぎた令和5年9月30日には『鉄砲伝来480周年記念日本の火縄銃フォーラムin丸森』と銘打ち,火縄銃演武団体や火縄銃研究者らが一堂に会する意見交換会を宮城県
公式ハッシュタグ令和6年8月1日骨董品ランキング1位この鉄砲の作者は、九代目国友藤兵衛重恭、号は一貫斎といい、近江国友村の鉄砲鍛冶で発明家です。当館所蔵の国友一貫斉の鉄砲金山城伊達・相馬鉄砲館所蔵金山城伊達・相馬鉄砲館所蔵一貫斉は鉄砲鍛冶として活躍しただけでなく、日本で最初の実用空気銃を製作しましたが、その性能はオランダ製の数十倍の威力があったといいます。また日本で初めて反射望遠鏡を製作し、太陽の黒点を一年間に及んで観察した記録が残っています。そのレンズは今でも曇
公式ハッシュタグ令和6年7月22日骨董品ランキング3位🎌祝🎌ブログ開設六周年🎌🎌皆さんの応援で,夢がかないました。🎌<m(__)m>ありがと様です。平成30年7月20日に開設したこのブログは、今日でなんとか六周年を迎えることができました。今から五年前,福島県浜通りに火縄銃の博物館を開設しようとしましたが,地元地方自治体の理解が得られず断念せざるをえませんでした。いたしかたなく,火縄銃のバーチャル博物館を作ろうとして始めたのが,このブログでした。それから丸六