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2024年3月11日(月)【季語】無季津波のあとに老女生きてあり死なぬ金子兜太(かねこ・とうた)1919〜2018年。俳人。昨年の3月11日の句→毒死列島『毒死列島〜石牟礼道子』2023年3月11日(土)【季語】無季毒死列島身悶えしつつ野辺の花石牟礼道子(いしむれ・みちこ)1927〜2018年。作家、詩人。昨年の3月11日の句→椿…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
偕楽園、県立歴史館から北へ向かって30分ほど歩いたところにあります。保和苑のご案内(公園緑地課)-水戸市ホームページ(mito.lg.jp)水戸光圀公が愛したという庭園。お寺の境内とつながっています。入ってすぐのところに金子兜太の句碑がありました。「白梅や老子無心の旅に住む」現在の水戸一高に通っていた金子氏が作った句だそうです。和風の庭園を過ぎると谷に下りて行く道がありました。斜面にはたくさんのアジサイが植えられています。保和苑はアジサイの
戦後、金子兜太は、いわゆる「社会性俳句」或いは「前衛俳句」の旗手として近代俳句の改革に取り組んだ。そのために兜太が唱導したのが「造型」の詩法であった。これは、正岡子規の写生や高浜虚子の季題諷詠、そして中村草田男の抽象に至る近代俳句の詩法の大前提である主客(作者・対象)二元論を超克する新しい詩法として位置付けられる。つまり、そこでは、自明の理としての主客という二項対立的な固定観念が解体され、客体(対象)のみならず主体(作者)をも対象化する「創る自分」という高次の主体が措定される。そうすることによ
文化文政時代を知って行くためには的確な概説本も必要だが、原史料も読み込みたい。ただし、古文書そのものを読解する力などないから、当時の原文が採録された今時の本ということなる。概説本としては青木美智男の『日本文化の原型』に続き、同じ小学館による日本の歴史シリーズ中の一冊で同じ著者による『近代の予兆』を古本で注文した。原史料ということになると、いちおう青木美智男の『小林一茶』は、史料の断片読みではある。近々、届くはずの金子兜太の『小林一茶』も同じである。なお、『小林一茶全集』が2万数
小学館『日本の歴史』シリーズの別巻『日本文化の原型』で大いに学ばせていただいた延長で、同じ著者による本書を昨夕、一気に読んだ。文化文政時代というのは正確には1804~1830年で、今からざっと200年前である。一茶の生年は1763年、没年は1827年。私は1959年生まれなので、一茶もまた200年前の人である。200年前といえばおよそ5世代前くらいの人たちだろうか。そんなに大昔でもない。私のひいひいひいじいさん、ばあさんたちが一茶と同じ時代の空気を吸っていたのだ(笑)。そんな感覚で
勉強のため、いくつかの句会に入っているので、全部出席するなら、月に5回!の句会があるが、なかなか全部に出席することはできない。(一緒に俳句を始めた友人は全てに出席している)。今日は、できるだけ出席したいと思っている、金子兜太系の句会。明日が私の誕生日なので、誕生にちなんで1句作った。「大寒に吾産みし母百一歳」なんと、同じく大寒に生まれた方がいて、その方も誕生の句を作っていた。💙3時半に終わり、その後、別の句会に出ている友人宅に集合。この集まりが楽しくて
『江戸川柳辞典』(浜田義一郎編/東京堂出版)より選句やくざめに秩父の路銀みなにされドラ息子にお金をせびられた結果、秩父の三十四所観音巡礼に行くための路銀がなくなってしまったよ。Asaresultofmydelinquentsonbeggingmeformoney,InolongerhadthemoneytotraveltoChichibu's34Kannonpilgrimage.ネット検索すると、秩父34番札所・水潜寺には、次の石
「猫のためいき鵜の寝言17音の内と外」正木ゆう子著春秋社2017年10月17日発行読了私は晩年の趣味として公民館で俳句教室を教えている「初心者向け俳句教室」に参加して10年近く楽しんだ10年近く参加して仲間と吟行に行くのは楽しかったが根気がないせいか才能が無いのではないかと思い諦めて止めてしまったそれでも俳句には興味がありテレビ番組の「プレバト」を見続けている正木ゆう子さんのこの本はエッセイに俳句を添えてある心に留まった俳
ひとつ前の当ブログで、2015年に「新語・流行語大賞」にもノミネートされた「アベ政治を許さない」のプラカードを書いた俳人・金子兜太さんについて書きました。大正8年生まれの金子兜太さんは従軍経験があります。戦局が悪化する中、補給も途絶えます。現地で収穫したイモなどは軍人、兵隊に優先的に配られ、民間人には餓死者が続出します。また、士官・将校などは自分たちが無事に内地に帰ることしか考えておらず、部下たちを見捨てるような状況で、そんな光景を目のあたりにした金子さんは「無事に日本に帰ったら戦争のない世の
ひとつ前の当ブログで書いたように、2015年の「新語・流行語大賞」で「トリプルスリー」が大賞になりました。野球好きじゃないとピンとこない言葉ですから「大賞」になったときは違和感がありました。この年は「安保法案」が問題になっており、当然「アベ政治を許さない」が大賞と思っていたのにトップ10止まりだったので驚きました。多くの国民が「アベ政治を許さない」と書かれたプラカードを持って国会前で声をあげていましたが、その「文字」を書いたのが俳人の金子兜人さんです。金子兜太さんは2018年2月20日に98
2023・12・2の事Tデパートの中の本屋さん山頭火(1882-1940)は、俳人にして托鉢行乞の旅の僧であった。酒に溺れ、漂泊と隠遁を繰り返しながら、斬新にして自由な日本語で、自然と自己を見詰めた独自の俳句を紡ぎ出した*日本人に広く親しまれるだけでなく、世界で愛読されている前衛詩人である。出た出た又吉直樹他にも一杯とって来たんですけどまた次回にアップします此処でおなか一杯になってもうたならないそうだねでも又ね
当ブログで何度も取り上げている金子兜太。彼の句を知れば知るほど、人間を知れば知るほど、魅入られていく。今、読んでいるのはこちら↓「養生訓」とはあるが、そればかりではなく、黒田杏子さんの絶妙なインタビューによって、兜太の句と兜太という人間が見事に描かれている。黒田杏子さんは、俳人であると同時に博報堂のコピーライターとして活躍した方で、勝手に親近感を持っていたが、今年3月、脳内出血のため亡くなられた。84歳だった。金子兜太は2018年2月に98歳で亡くなったが、
遠山に日の当たりたる枯野かな高浜虚子不揃いの墓石に散って刈田風鷲谷七菜子晩秋の日本海暗夜は碧(へき)金子兜太争は久し瀬と岩十三夜平畑静塔10月に入って意外なほど夜の会が少ない。どうせ11月12月は何かと会合ばかりになる。今のうちに歩を進めておこう、ということで気力体力の続くまでデスクワークが多い夜長となっている。しんどいけれども、自分で選んだ事も多いからやりがいはある。四の五の言わずせっせとこなそう。晩秋の趣もよし。風もな
Kindle新発売のお知らせです。五島高資第一句集『海馬』Kindleにて99円キャンペーン中!11日(水)23時59分まで。本の最後に、リンクがあります。そこからアクセスしていただいて、著者よりプレゼントを受け取ってくださいね。Amazon.co.jp:海馬(一般社団法人アート・ボックス)eBook:五島高資:本五島高資(ごとうたかとし)金子兜太に師事。『海馬』にて、スウェーデン賞受賞。その他、受賞多数。驚くような感性の作品
近日Kindle出版予定!五島高資第一句集『海馬』Kindle出版決定しました!1996年5月20日東京四季出版より上梓されました五島高資『海馬』は、この度、新たにKindleにて出版が決定いたしましたので、お知らせいたします。金子兜太に師事。スウェーデン賞を受賞した『海馬』は、現在、絶版となっており、入手できなくなったことから、新たにデジタル本としての出版が決定いたしました。販売価格¥1000を予定しておりますが、公開と同時にキャンペーンの開
こんばんは。本当にようやくというか、暑さ寒さも彼岸までで、少し涼しくなりましたね。さて、秋分の日といえば、「彼岸花(曼珠沙華)」かな〜。・・・で、曼珠沙華で思い出すのは、俳人金子兜太さんのこの句。曼珠沙華どれも腹出し秩父の子金子兜太今日9月23日は、2018年2月に亡くなられた金子兜太さんのお誕生日。ご存命なら104歳になられていたんですね。そうか、2018年2月逝去の兜太さんも「令和を知らない
10月の下旬に北海道旅行を計画しており、会社には早々に有休を申請し、旅行代理店では航空チケットと3泊のホテルの予約をすでに済ませています。今回の夫婦での北海道旅行は観光旅行というよりも、北海道の親戚2軒のお宅を訪ねることがメインの目的。1軒は娘の嫁いだ相手のご実家。場所は上川郡比布町。旭川市に隣接した町のようなので、旭川で1泊して翌日は旭山動物園をゆっくりと見学しようと思っています。その後は札幌に移動して、札幌のホテルで2連泊しますが、1日は小樽に出かけ、亡
台風7号が紀伊半島からこちらに向かっている。既に県東部は警報が出るくらいの大雨になっているようだ。災害が起きないことを祈る。今日は日本にとっての終戦日。沖縄戦、海外や洋上で、本土空襲や原爆投下で亡くなった人たちを思い、戦争に関する俳句をめくる。戦争が廊下の奥に立っていた渡辺白泉昭和14年の作品。本格的な国民の動員など不穏を予感した作品。追撃兵向日葵の影を越え斃れ鈴木六林男自らの戦場での体験を歌う。海外を転々とし、自らも負傷し
2023年7月20日号の秩父鉄道では皆野町の俳句、金子兜太の関連で第24回・俳句列車展示列車を運行していますいつ来るのかわからず、列車は見ていましたが今日は、撮影ができましたTVでおなじみの夏井いつきさんからも話の中にも金子兜太さんの名前も出てきました俳句列車展示列車のヘッドマークです7800系車輛です樋口駅ー波久礼駅♦今日も見てくれてありがとう♦
今日はもう少ししたら出かける予定。超結社の句会があって、その後に句集鑑賞会がある。何故、私が呼ばれたのかよく分からないが、おそらく文字になって残る鑑賞会なので上手く喋れるかちょっと不安。でも、とてもいい句集なのでできるだけ冷静に褒める積り。終わったら、久しぶりに浅草の居酒屋に寄ろうかと思っている。勤めていた頃は、一週間に一回くらい、そこで独りで飲んでいた。カウンターだけの店。半年ほどご無沙汰なので、さて営業しているだろうか。酒やめようかどの本能と遊ぼうか金子兜太少しお酒を控えようかと思
此処に数冊重ねて置いて有りました毎日のように見に来てるけどこの度初めてです表紙の帯こんなでしたっけ初めて見たような表紙裏初めのところ撮っちゃったよ此処良いよね此の本の人紹介だね同じコーナーにパンどろぼう物凄い人気作品だそうです一緒のところに又吉さんの本も他に調べてみました金子兜太著孤独の俳句「孤独」や「孤立」を感じる時代だからこそ、深く心に沁みる名句がある。漂泊・独居しな
時々顔を出す俳句結社の大会があり、金子兜太の弟子が講演をするからと誘われて、聞きに行った。講演者は北海道在住の俳人・石川青狼さん。2023年2月に発行されたこの本でも、兜太について語っている。金子兜太は、1919年埼玉県生まれの俳人。現代俳句協会名誉会長。2008年文化功労者選出。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。なんと、我が母校の教授であった加藤楸邨に師事したとある。東大卒業後、日本銀行に勤務するも、出世を目指すことなく生涯「反権力」を貫いた。
「『第二芸術論』と青春」長峰竹芳三回忌にあたってコロナ感染症が騒がれるちょっと前のことです。まだお元気で句会に出られていたころの事。原稿の取材ということで戦後の俳壇のことについてお話をうかがったことがありました。大学生の竹芳青年が仰ぎ見た人達の事を記憶鮮明に語ってくれました。新興俳句に連なる人々、加藤楸邨、藤田湘子、桂信子、金子兜太などなど。俳壇の論争にも当時の文学青年として熱い視
2023年5月23日(火)【季語】牛蛙/夏牛蛙ぐわぐわ鳴くよぐわぐわ金子兜太(かねこ・とうた)1919〜2018年。俳人。昨年の5月23日の句→わが庭の『わが庭の〜細見綾子』2022年5月23日(月)【季語】夏蝶・揚羽蝶/夏わが庭のどこかにひそむ黒揚羽細見綾子(ほそみ・あやこ)1907〜1997年。俳人。昨年の5月23日の句→あ…ameblo.jp岡崎弥保HP「言の葉」ブログ「言の葉つむぎ」
こんばんは。今日は俳句の話から。プロの俳人ではなく、一般の方が詠んだ俳句で忘れられない俳句があります。それは下の写真の本『平和の俳句』の中に収められた、埼玉県の曳地トシさんという方の俳句。p66、5月2日の箇所よりうたってよピースソングを忌野忌曳地トシそう、今日は忌野清志郎さんのご命日なんですね。もう14年なのか・・・と。私はファンだったわけではないけれど、今、ピースソングを歌われるとしたらどんな曲になるんだろうか・・・と。
こんばんは。先日、俳人黒田杏子(ももこ)さんが、13日に亡くなられたと知りました。私は壇上の黒田さんを拝見したのが2回ほどで、弟子でもありませんが、俳人金子兜太さんの対談相手として、また夏井いつきさんの師としても有名な方。つい先日まで講演に出られていたのに、その翌日に倒れられたとのことです。以下の新聞記事を読み、黒田さんが30歳頃〜57歳の間、たった一人で全国の桜の名所を訪ね歩く「日本列島桜花巡礼」を満行まで行ったと知りました。各地の満開の花の下で桜の名
3月12日に俳人の黒田杏子さんが亡くなった。84歳だった。黒田杏子さんは博報堂のコピーライターとして長くお仕事をなさっていたこもあり、同じコピーライターとして勝手に親近感を抱き、密かに俳句の師と敬愛していた。💙先日の北海道新聞に「黒田杏子先生を悼む」と大きな記事が出ていた。書いたのは、日本中に俳句ファンを増やした夏井いつきさん。テレビで見る夏井さんは、サバサバとした語り口で人気沸騰。私も夏井さんが好きだが、この記事を読んで、さらに好きになると同時に夏井さん
この本、兜太の門下生たちがインタビュアーの菫振華さんの問いに応えて師を語った本。どの話も体験のなまなましさが楽しい。コールサック社刊、2000円+税。広く読まれるといいなあ、と思う。ちなみに、兜太には桜の名句がない気がする。本書では何人かの人が「言霊のは脊梁山脈のさくら」を挙げているが、この句はやや理屈っぽいというか、言霊という語が説明の域を出ない気がする。ともあれ、若森京子さん、伊藤純子さん、水野真由美さんなどの話、とっても面白い。面白い兜太、それがこの俳人の抜きん出た魅力であろう。
ハマシギ今回からトラック空襲、続いて海軍乙事件の話に移る。これまでも使い、今回以降も用いる「トラック空襲」という言葉は、昭和十九年(1944年)2月17日~18日に行われた空襲を指す。例えば翌々月の4月にも空襲があるのだが、便宜的にこう特定して呼ぶことにする。戦史もたいていトラックの空襲といえば、2月の出来事だ。この年の2月から4月に起きたこれらの出来事に関する戦史や回想録を読んでいると、第一線の海軍はそうとう疲れ、焦っているように感じる。同時期の陸軍はインパール作戦を前に、