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日本を知る:定年夫婦の日本一周日記[シーズン3]2024年5月2日(水)晴今日は福岡観光まず福岡城、そして大濠公園を散策次に福岡市立博物館ここでは教科書にも載っていた国宝の金印を見ることが出来た昼食はかろのうろんキャナルシティをぶらぶらしてから博多駅へ出来たての千鳥屋饅頭や三日月のクロワッサンを食べた15時過ぎにホテルにチェックインしてからすぐに博多祇園鉄なべへ向かうも、はや待ち行列30分くらい待ったがギリギリ1巡目で入店でき、餃子4人前と手羽先煮、ポテサラを食べた市役
志賀島de海霧(*´艸`)『志賀島ドッグde忘れていました(*´艸`)』志賀島ドッグde忘れていました(*´艸`)『志賀島ドッグde志賀島ドッグ(#/^^#)/』志賀島ドッグde志賀島ドッグ(#/^^#)/『志賀島ドッグ…ameblo.jpつづきです(#^^#)/ミサゴを観察して志賀島ドッグのオープンまで志賀島の周回道路金印街道を点線▷のように車を走らせました志賀島は国宝に指定されている
藤城清治さんの展覧会を観た後は福岡市博物館の常設展を観に行きました。ここではかの有名な、歴史の教科書で学んだ漢委奴国王と刻まれた金印を見ることができます✨また、福岡の歴史を展示品を通して学ぶことができます。順番に見ていって、ちょうど私の大好きな大正から昭和初期あたりのレトロ喫茶の展示のところで博物館の方が説明を、熱心にされている4〜5名のグループがいらっしゃるなぁ〜と思ったらなんと、その中心にいらっしゃるのは藤城清治先生ではないですか!レトロな可愛い車の展示の前で、
卑弥呼が魏に使者送り金印授かり大和統一=卑弥呼が統一した外の土地で天皇の領地ってどこ?
福岡市美術館は、福岡タワーの近くにあるので歩いて行きました。エントランス正面とても立派な建物でびっくり手入れの行き届いた公園の中にあります。中に入ると、すぐに博多祇園山笠が目に飛び込んできます。福岡といったら博多どんたくですよね。前回の福岡旅行の時に櫛田神社で大きな山傘を拝見したことを思い出しました。そして、今日のメインは…おおっ!これがあの!教科書で習った国宝の金印「漢委奴国王」(かんのわのなのこくおう)中国の後漢の光武帝が、今の博多湾付近に存
金印(漢委奴国王)の江戸期に作られたレプリカ。
邪馬台国論争日本と新羅の祖③「西暦57年」【神武天皇と新羅王・赫居世】新羅の祖は、新羅側では赫居世(生誕:前69年?、即位:前57、没・退位:後4年3月)とされ、日本側資料(新撰姓氏録)では、神武天皇の兄である稲飯命だとされます。なお過去記事で神武天皇と赫居世(稲飯命)は、共にその数値等からヨハネの黙示録の救世主(再臨のイエス・キリスト)が投影された人物として描かれている可能性があることを見ています。撮影阪急苦楽園口駅近く夙川沿画像と記事は関係ありません
「アテラ」3漢と魏と呉と日本(倭)川崎一水中国と日本後漢の混乱により董卓が献帝を擁して都を長安に移した。これに乗じて遼東太守であった公孫度が高句麗や烏丸を討伐し、山東半島も支配下とした。公孫度の子公孫康は三世紀初めには楽浪郡の南に帯方郡を新設した。韓や濊を攻略し、韓や倭は帯方郡に属した。そのころの帯方郡や楽浪郡は公孫氏によって支配されていたため、倭の魏への朝貢は公孫氏に対してであった可能性も高いといわれる。その後の後漢の衰退期には高句麗が侵攻
240年前の今日。1784年4月12日。志賀島にて金印《漢委奴国王印》が発見された。浪漫よねぇ〜。まあぶっちゃけた話※光武帝が「日本は中国の属国よ。」と言ってる様なもので「ふざけるな💢」ともチト思うが、それでも遥か昔、海を越えて異国と交流があった事実は浪漫としか言い様がない…。ワクワクするなあ😊久々にこの歌を聴こう👍※光武帝が金印を与えたのは現在の福岡市付近にあった小国奴国です。○海を忘れた倭人たち(海援隊)https://youtu.be/S8U4QE
始まりはいつも1本の糸名古屋→福岡弾丸日帰り旅行コレいいですよ福岡でレンタカー借りて隠岐島金印が見つかったとこでしたっけ?海の幸を満喫して福岡にもどり太宰府天満宮余裕で楽しめます弾丸日帰り旅行✈️なかなかいいですよ
■ナジャ猫カードそのうちににゃんかいいことありますやろそのうちにそのうちに何かいい事ありますでしょ猫の金印でポン、ね。今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝
邪馬台国論争キリストの墓⑥「十来塚と十代墓」【序】青森県の新郷村にあるイエス・キリストの子孫だと伝承される沢口家の土地に2つの盛り土があり、その上に十字架が立てられている。右がイエス・キリスト、左が弟のイスキリ(Isukiri)の墓だとされる。ではイエス・キリストの子孫が、なぜ沢口なのだろう?沢口⇒三+尺+口⇒San+Shaku+霊⇒Sun+Shaka+霊⇒イエス・キリストと釈迦の霊ここでのSun(太陽)を磔刑のイエス・キリストの
ご訪問ありがとうございます🎶いつも沢山のいいね&コメント感謝です🙏「華麗であれ至上であれ常に最たる輝きを」#七弦です👍本日は、「福岡旅行〜ネリネひとひら春風に乗せて〜」の2泊目の宿と3日目の行程をお届けします🎁今日も今日とてハードだったぁ🙀玄海旅館2泊目は、宗像市の「玄海旅館」です✨静かな宿で、波の音を聴きながら露天風呂で優雅な時間を過ごせました❗道の駅むなかた3日目は、「道の駅むなかた」からスタート💨道の駅むなかたは、玄海旅館の近くにあるので便利✌
本日、好天に足が大濠公園方面に向いてしまった。大濠公園福岡市中心にある市民の憩いの場「大濠公園」の公式サイトです。施設案内、イベント情報など。www.ohorikouen.jp大濠公園の公式サイトに大濠公園でチューリップを育ててみませんか?という催しをやっているらしい。みんなの公園にして行くことは素晴らしい。ところで、本日のアメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句のお題はチューリップであった。『チューリップ/卑弥呼』俳句・歴史おはようございますほんの少しの間、私と有意
福岡市立博物館にてこれが一番の目的だったりする。
唯一の快晴となった2日目まずは志賀島へ向かいます海の中道にあるホテルからは車で10分ほどの金印公園へこの辺りで金印が見つかったと高台に金印のレプリカが見晴らし良くて気持ちい~下から見た金印レプリカ本物は博物館にあるそうです次、太宰府天満宮に行きます太宰府駅賑わってますね他の神社と違い学生が多い本殿は改装中なので仮殿でお参りお願いしてはなかったけど資格試験の合格をお礼🤣屋根の上で職人さんが植栽の手入れ
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天気がいいので、海を見たくて志賀島までドライブしました。金印公園の前から。視界が良いとはいえないけど、PayPayドームから福岡タワーまでなんとか確認できました。ここで金印が見つかった。教科書に載っている歴史がここにある。。レプリカ^_^景色はいいけど風が強いです。金印のつまむところは、ヘビのカタチらしい。この日の昼食。キッチンしま
おはようございますわかばです。無事に壱岐島から帰ってきました❣️(3月18、19と壱岐島に行っていました。)きっかけは今年に入ってすぐのこと。壱岐島にまた行きたいなぁ、、、🤔と思ってたところへ「壱岐島に行きませんか?」と声をかけて頂いたのでした(笑)実は壱岐島に行くと決めた時からずっと出来れば「志賀島にも行きたい」と思っていました。あるTV番組で志賀海神社の再放送を3回も見ていたからです。「ここは、ぜひ行ってみたい❣️」というか、「行かなくちゃ‼️」と思ってい
邪馬台国論争漢委奴国王の金印「綿津見②」【序】志賀島にある志賀海神社は、綿津見を祀る神社の総本社だとされます。綿津見を「わだつみ」、「わたつみ」と読んだとき、3種ゲマトリアという限定的な条件の下では、それは唯識思想が説く森羅万象を造り出す阿頼耶識(666)、そして悪神・ヤハウェの象徴となり得る事を前回の記事で見ました。Wadatsumi1335666111Watatsumi143176
邪馬台国論争漢委奴国王の金印「綿津見」【序】後漢書に「西暦57年(建武中元二年)に、倭の奴國の朝貢があり、光武帝がそれに印綬を賜わった」という記述があります。建武中元二年倭奴國奉貢朝賀・・・光武賜以印綬その印綬が1784年に博多湾の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印だとされます(ただし異説あり)。過去記事でこの金印はその鈕(つまみ)の形状から、イエス・キリストの象徴であり、「漢委奴国王」は「漢は奴国王に(金印=イエス・キリスト)を委ねる」と読み、磔刑の仮死状態から
万葉集にも精通なさっている俳優の「苅谷俊介氏」。ファンの皆様を応援なさっています。苅谷氏ご出演NHK再放送「柳生十兵衛七番勝負」2月25日〜全6回日曜朝6時10分~。またご出演の松重豊氏は福岡市東区のご出身(コテコテの博多弁を聴いたことが!)ぜひご覧くださいませ!1月下旬からの、溶連菌感染症が長引いていましたが、5年ぶりに、農業組合から食事会のご案内があり、娘と4歳児を誘い(夫は所用)、出席してきました。以前は、奥様同伴が多かったですが、年々ご主人さまだけになっています。🍻
なるほどと思える解釈です。つまり、こうやって先人は、もらって有難迷惑な47のマウントをかわしていたのかと思うと尊敬の念が一段と沸いていきます。それに引きかえ現在の政府は、47の足の裏を舐めかねない奴等ばかりです。47とは、適度に離れて付き合おうは、昔から言えるようですね。
邪馬台国論争倭王帥升【序】過去記事で、隋書そして北史に記述される俀王・阿毎多利思北孤アマタリシホコ、阿每字多利思比孤アマタリシヒコという名前は、倭王卑弥呼と救世主・イエスを象徴し得るものであり、そしてここでの俀王、倭王は日本の王ではなく、クシャーナ朝の王であると措定しています(あくまで個人的推測です)。Amatarisihoko⇒Himiko+aaa+tsor⇒卑弥呼+aaa+trsoAmatarisihiko⇒Himiko+aaa+trsi⇒卑弥呼+aaa+trsi
寿仙掛玉フルセット掛玉10節寿仙万力欅金印夢作玉枠尺寿仙焼印入こちらの掛玉素材一本10節太めの素材を使用※現在小節の竹があまりないため高額になっております籐は極細の籐をさらに自分で細く仕上げた特細です現在籐御素材も高騰になっているためオール等のデザインは価格・製作等要相談となります夢作金印欅創作夢万力オーダーも可能です納期3か月位
昨年10月に行ってきた北福岡旅行。最終日は福岡城と福岡市博物館へ。福岡城は黒田官兵衛からの黒田氏の城。建物はほとんど残っていませんが、写真は唯一本来の場所に残る多門櫓。横に長~い建物で、両端が2階建。こちらは伝潮見櫓と復元された下之橋御門。元々天守が建てられなかったと考えられてきた城ですが、最近になり短期間天守が建っていた説が浮上している模様。建物がなくても立派な石垣が印象的でした。続いての写真は、福岡城の西の堀の役割を持っていた大濠公園。築城前は博多湾の入江だったそ
邪馬台国論争「漢委奴国王の金印③」【序】通説では、福岡市の志賀島で発見された「漢委奴国王」の金印は、後漢書にある「倭の奴國の使者が、建武中元二年(西暦57年)に光武帝から賜った印綬」だとされます(ただし贋作説あり)。金印の「委」の文字は一般的には「倭」の略字だとされ、漢委奴国王は「かんのわのなのこくおう」と読まれています。しかし金印に略字を使う必要性はなく、かつこれだと奴国は「漢に属する倭の中の国」と言う意味になってしまいます。しかし当時の倭が漢に属していたとは考えられません
おはようございます石垣空港で買って来た、宮古島の『かつおみそ』が絶品でビックリしています(右側の空間は食べちゃったところ)ちょっと甘めの味付けですが、ご飯が進むくんです!原材料も素敵。また見つけたらまとめ買いします2024.1.15(月)西戸崎駅にやって来ました。駅前には大きな木の下に『SAITOZAKI』の文字モニュメントここからはバスで金印公園に向かうのですが、次のバスまで待ち時間が結構ありました。駅