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河津桜が咲く松ヶ埼城跡へ。土塁と桜が楽しめる幸せいっぱいの場所。こんなににぎわっているとは。「幸せ絶好調」とか言いながら、写真を撮る人々。桜を見るのも嬉しいですが、嬉しそうな人々を見るのもお花見の醍醐味です。帰り道、大堀川レクリエーション公園に謎の土盛り発見。その東、あけぼの三丁目の野馬土手の下を通り、二重土手?土手見も楽しいです。桜の春が始まっています。
今日は4連休初日朝8:50~映画を観てきました教場Requiem2時間30分長かった・・・ある意味裏切られました平日の朝8:50の上映にしては入場者が多い!?鑑賞後、自宅まで散歩しながら帰宅しますこんなもの見つけました野馬土手適当に散歩しているとこんな発見もあるのですね!初めて知りました、勉強になりましたこんな近くにも知らないことがあるのですね利根運河・利根川方面曇り空が灰色です利根運河・
発掘調査報告書というものはありがたいです。ピンポイントで野馬土手の場所がわかります。そのコピーを手に、お散歩。ビニールハウスとその手前の塀の間に野馬土手があったということですが、痕跡は無いです。篠籠田の野馬土手。年々土手が削れて行っています。梅林の向こうが、かやの町。野馬土手があるのは、他人様の土地。周辺の駐車場から堀が見えます。他人の敷地をのぞきながらうろうろする不審者、野馬土手子。そんな土手子に僥倖が。中から人が。野菜を買えると看板があるので、くださ
石垣島で人々は、Tシャツ一枚で外を歩いていました。そんな島から帰った翌日の千葉は雪。雪の日はあまり散歩をしませんが、選挙なので投票しに行きました。柏市のバス停、三間のそばにある、うなぎ道(手賀沼発)の木戸跡の土手に雪。美しくて、うっとり。ちょっと解けてますが、雪の木戸跡、素敵でした。
今年も、千葉ロッテがキャンプをしている石垣島へ。そこから離島へ向かうのが常なのですが、初めて与那国島へ行きました。日本最西端。「仮面ライダーアギト」の敵、アンノウンの発祥の地、比川浜。Dr.コトーもいた場所です。海底遺跡を、半潜水型観光船で見たのですが、意識もうろう。そんな中、テキサスゲートへ。島には4か所のテキサスゲートがあり、野生で暮らす馬と住み分けているのだそう。その一つの東埼テキサスゲート。道にスノコみたいな溝が作られ、馬の通行を妨げています。自転車が溝に
「野馬土手は泣いている」には田中北小学校の南東、とか西とだけ書かれていた野馬土手。流山市研究第7号に、地図が出ていたので、それを頼りにまた、行ってみました。今の田中北小学校は常磐自動車道の南ですが、2023年移転する前は北。「野馬土手は泣いている」は2001年、流山市研究第7号は、さらに古い1900年発行。名残はまだあるのか。かつてあった野馬土手の場所も出ているので、やはりここは土手のあった場所だ。うんうん。そうだよね。土手跡。この堀沿いにもあった。土手跡沿い
どこもかしこも開発中。元高田台牧の緑は減って行きます。この向こうにある野馬土手は無事なのか見に行くことに。まず熊野神社にお参り。今年も野馬土手を歩けますようにと。神社の土手。道を隔てて、二重土手は健在です。堀の真ん中に木が生えています。東へ延びる野馬土手。左側の森には家が建つ予告看板が。右側は野馬土手とともに緑も残るのか?春めいていました。
野馬土手に踏み込むには絶好の季節。美しかった野馬土手が無くなった野々下。でも、そこから続いていた野馬土手はまだあります。ひもが張ってある手前まで踏み込みます。草が刈れて、見やすい野馬土手。一応。うろうろしていたら、ご近所に住んでいるという人に声をかけられました。以前はずっと森だった。この野馬土手は地主さんが売ることはないので、大丈夫、と言っていました。長崎。住宅が押し寄せる中、残っている野馬土手。ここでも、近所に住んでいる人とお話しができました、以前は住
名称:小金下野牧捕込別名:捕込(とっこめ)設置年:1596年~1615年築造主:江戸幕府所在地:船橋市咲が丘1丁目小金下野牧捕込大込(おおこめ)捕込(とっこめ)小金下野牧捕込跡
こんばんはソラです今日は烈風吹きすさぶ荒れた日曜でした!※青森5連隊が営所を出たのは1902年(明治35年)1月23日1月中頃の荒天…といえば「八甲田山の雪中行軍」の映画を思い出しますあの「八甲田」の映画…何回も見ましたが、そのあとで新田次郎原作「八甲田山死の彷徨」も読んでみました今は亡き高倉健さんの徳島大尉と北大路欣也演じる神田大尉の二大スターは今も色あせません!夏休みに現地に行ってみたことありますが…緑豊かで八甲田の山ものどかでとても美しい高原で
名称:下野牧二和野馬土手別名:野馬土手(のまどて)設置年:1596年~1615年築造主:江戸幕府所在地:船橋市二和東指定文化財:市指定史跡野馬土手(市指定史跡)
はま寿司に行こう、と姉に誘われ、喜び勇んで行きました。十余二店は、野馬土手密集地帯のただ中にあります。食後にまず、ひかり隣保館。土手っぽいです。しかし本格的な野馬土手は建物の向こう側です。柏市特別支援学校。大隈重信邸跡地に建てられた学校に野馬土手が残っています。なぜ大隈重信がここに、というと、牧跡を開墾した農民が小作料に苦しみ、三井に対して裁判を起こした際の賄賂にもらったから。おとなりの隣保館の敷地にも野馬土手。県道47号線沿いに野馬土手。流山ホークスグラウン
名称:中野牧野馬除土手別名:野馬土手(のまどて)設置年:1596年~1615年築造主:江戸幕府所在地:白井市冨士151-2指定文化財:市指定史跡野馬除土手(市指定史跡)
名称:下総小金中野牧別名:野馬土手(のまどて)設置年:1596年~1615年築造主:江戸幕府所在地:鎌ケ谷市東初富1-20指定文化財:国史跡野馬土手(国史跡)
名称:下総小金中野牧別名:捕込(とっこめ)設置年:1596年~1615年築造主:江戸幕府所在地:鎌ケ谷市東中沢2-1指定文化財:国史跡下総小金中野牧跡(国史跡)払込(はらいごめ)捕込(とっこめ)土塁
東武野田線に乗って土手見。運河駅の北に土手らしきものが見えたので、下りてみました。階段がある。すぐそばにお住まいの方に会えたので、許しを得て上りました。千秋社(キッコーマン)の土地で、開発されてない。山だったのを崩した。土手じゃない。謎がすぐ解けて、ありがたいです。しかし新たな謎に出会いました。事故が多いのはなぜか、謎なのだそうです。ロングスカートがトラックに巻き込まれて亡くなった人がいて、歩道が造られることになったけど、運河駅に東
救いようのない方向音痴の野馬土手子が、あっさり目的の野馬土手に到着できる、スペシャルな日があります。歴史研究の会の散策におじゃまする。これです。苦労してたどり着き、しつこく見学した野馬土手も、あっさり通過。旧オウル五香の駐車場から続く野馬土手です。ここを背に、低地を北へ向かいます。自分で目指すと何時間もかかる場所にあっさり到着。左の崖の上にもかつては野馬土手があったとか。松戸市新田の野馬除緑地。右側には水路があり、ナイスな野馬土手。さらに馬の
《不動産屋が歩くまちの魅力帖〜oda-house〜》オダハウスと申します。ご訪問ありがとうございます。まち歩きとマンホールカード集めの記録等をゆる〜く綴っています。「へぇ〜」と誰かに言いたくなるような、足元の小ネタ、街の空気を不動産屋視点も含めつつお届けします。本日のエリアはこちら🔍千葉県野田市野田市役所の前にこんなモニュメントが道路沿いに続く箇所があります。馬🐴ウマ🐴うま…千葉県野田市は特段、馬が有名な地域というわけではなかったはずですが。。。この土のとーっても地味な
この、野馬土手に見える土手が崩されようとしている投稿をフォロワーさんに教えていただき、とにかく見てみないと、と思い、探しました。これかと思ったんですよね。豊住第五公園の西。土手があります。反対側から。現地の人に聞くと、土手が崩される心配は無い、とのことでほっとしたのですが、よく見ると違う踏切でした。そして見つけたのがここ。ここに違いありません。この北には柏第六小学校があり、道沿いが野馬土手っぽいです。やざわ氏は、踏切の土手は野馬土手ではないと、柏市
踏切の向こうの土手を崩したいと、Xに投稿した議員さんがいて、その写真の野馬土手らしきものが崩されるんじゃないかと、踏切探しの日々。東武野田線の柏市内ということは分かっているので、今日は、柏駅から南を見て回りました。おなじみの豊住まで来ました。左前方の畑の中にあった土手は崩されました。でも、左後方の土手は残っているので、見に行きました。ここの野馬土手、上るの大変なんだよなと思いつつ、線路方向へ。あれ。草が刈ってあって、上りやすくなってる。向こうに見えるのは、馬の絵の看
歴史研究会の方々との牧歩きに参加しました。資料のコピー代も不払いのままの図々しい野馬土手子。いつも、新鎌ヶ谷駅から松戸方面の電車の中で注目するのは、野馬土手。北初富駅近くにある、半円形を伴う野間土手。すぐそばで工事していますが、土手部分にシートがかけられて、保護されています。そしてお散歩。おお、今までは電車の中からしか見られなかった野馬土手が近くで見られる道が作られています。なんと。柏や流山だったらとっくに平らにされていたであろうに。ここでは、存在が許され、
これって野馬土手に見えるけど。グーグルマップに申請したら、野馬土手(高田小学校)で、公開されました。そんな野馬土手。紅葉がきれいな中、写真撮影。大堀川と高田小学校の間にある土手。土手の上に小学校の校庭との境の塀があります。大堀川には、カワセミが。土手とともにある高田小学校。すばらしいです。
昨日、オランダ様を拝んで、まっすぐ帰宅しようと思ったのですが、よくわからない道を自転車をこいでいると、目の前に、上新宿の野馬土手出現。そういえば通り道かも。せっかくなので、見ます。右側は木の根がゴロゴロしていた下り坂。野馬土手の端でした。面影はありません。この辺は海辺だったと、発掘の人が言っていました。縄文時代は気温が高くて、南極の氷が解けてたから。温暖化でまた海になるのか、この辺。野馬土手は江戸時代。まだある野馬土手。上りやすくなっているので、遠慮なく。
江戸川台東一丁目野馬土手から北へ。野馬土手跡と思われる緑地をたどり、東深井を目指します。東深井12号緑地の北端に、野馬土手が残っています。まあまあ見えます。東武野田線の線路際から続いていた野馬土手は、土手幅の住宅になっていました。グーグルマップから消えても、土手は存在していたのですが、ついに。東深井12号緑地の野馬土手をグーグルマップに申請したところ、承認、公開されたので、写真をアップしました。短くても野馬土手。ありがたいです。東深井から線路を横切って続いて
牧跡の電車の駅は、野馬土手を利用した説を持っていたりします。柏駅は説だけですが、南柏駅は、野馬土手をホームにした目撃証言があります。そして豊四季駅。ホームの続きの土手があります。そんな東武野田線。アーバンパークラインとも言います。豊四季駅から乗って、野田に向かいました。以前乗った際、土手が目に入ったので、確かめようと。運河を渡ると、土手。梅郷駅。ホームのそばにも土手。すれ違い。そして土手。野田市駅。戻ります。そして運河。流山おおたかの森駅を過ぎると
お散歩の季節。紅葉の美しさを味わいつつ。個人宅の野馬土手を過ぎ、十太夫の野馬土手。保存されてて、ありがたいです。ここも個人宅の野馬土手。この先の、大堀川水辺公園も美しい。土手があればうれしい土手子。看板に何が書いてあるのかと思ったら、バーベキュー禁止でした。暑すぎた夏が過ぎ、美しい秋です。
お散歩に良い季節。野馬土手に踏み込んでも、蜘蛛の巣や、飛び交う虫に悩まされません。このチャンスに、柏市篠籠田の西光院の北にある野馬土手(?)に踏み込むことに。さいこういん、を返還すると、最高インと出てくるのがうっとうしいです。そんな西光院。ベルク柏しこだ店の北から続く野馬土手(?)堀に入ってみます。季節が良いせいか、そこそこ野馬土手らしい写真が撮れたので、見せたい欲望が。えーいグーグルマップに申請しちゃえ。承認されました。いつまであるかわかりま
柏・野田・流山と、書いてある「散歩の達人」という雑誌を本屋で発見。880円しますが、一か所でも行きたい所が見つかれば、と、購入。おお。P44で野馬土手の文字を発見。「野馬土手(馬が牧場から逃げないように作られた土手)があります」との看板があるが、全くどこにあるのかわからない。との記述。誰に聞くでもなく、ネットで調べるでもなく、そのまま通り過ぎたようです。知りたいとも思わなかったのかな。おおたかの森北一号公園の馬の遊具を、「馬ゾンビ」と、ばっさり。こうい
野馬土手(メゾン.アサノ)は南柏幼稚園そばの野馬土手。低いですが、住宅にはさまれた素敵な場所。柏市と流山市の境目にあり、日本一と言われる松が丘・南柏野馬土手から続く野馬土手の、貴重な生き残りです。以前、申請して、グーグルマップに載っていたのですが、気づけば消えていました。どうなっているか、見に行きました。メゾン.アサノの西側に、ちゃんとありました。美しい緑地帯です。ひもが張ってあるのは、足場が悪くて危ないからで、立ち入っても良いと以前言われたので、行きます。前
午前中は地域のイベントの芋ほりイベントに参加。午後は文化祭をやっている、流山高校へ。道から見える野馬土手らしきもの。指をくわえて見ていましたが、中に入れる方法があるのです。文化祭開催中に行けばよい。校門そばの受付で、野馬土手(?)を歩く許可を得て、行きます。野馬堀もある、と言うか水路。網の向こうに土手。回り込みます。上ります。上は広い。将軍様の小屋を建てられそう。景色を楽しみます。曲がっていく土手を下ります。また周辺をうろうろ。憧