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郡山城は畿内統治の要として機能し大坂城を防御する役割もあったようです1591年に秀長は59歳で病死し養子になり家督を継いだ弟の秀保も1595年に亡くなった事で秀吉の側近で後に五奉行に名を連ねる増田長盛が入城しました本丸は自然石を積んだ野面積みの石垣で固められ築城当時の状態を伝えています
みなさんこんばんは今回は地震前の北陸の旅シリーズをお届けしますわたくしは城好きなので道中にあると大体寄ってしまいます丸岡城🏯丸岡城は12ある現存天守で北陸地方唯一の現存天守でございます石垣は野面積み工法記念撮影は欠かしませんからの東尋坊ギリギリこの場所で18歳の時に記念撮影したので今回も撮りました18歳のわたくし時とは残酷だ焼き牡蠣、岩牡蠣、ズワイガニを食す続く
若葉に囲まれて美しい浜松城城🏯🍀浜松市役所の帰りにしばらくぼぉーっと眺めてました♫野面積みの、この石垣が好きだなぁ✨
福知山城は京都府福知山市にある平山城で、福知山盆地の中央に突き出た丘陵の先端地にあり、その地形の姿から臥龍(がりょう)城とも呼ばれています。明智光秀が織田信長の命を受けて1579年に丹波を平定し、西国攻略の拠点として福知山城と城下町を築き、明智の「智」の字を用いて「福智山」と名付けたと伝えられています。光秀は1582年の本能寺の変で、織田信長から一時的に天下を奪ったものの、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れました。その後、関ヶ原の戦いの後、有馬豊氏が
先日、浜松方面へ行ってきました🚙🌬️菜の花と河津桜が綺麗でした💛🌸河津桜はほとんど咲き終わってしまっていましたが、まだ咲いているところもあって良かったです🌸最後の写真は浜松城です🏯この石垣は400年以上前に組み上げられたものとのこと。自然の石を加工せずにそのまま積み上げている野面積み(のづらづみ)で築かれた石垣が400年以上崩れることなく現代まで残っているなんてすごいことだなぁと思いました✨
個人的に佐賀県が好きです。歴史的な街並みも保存され季節の移ろいも街中で感じられ季節のイベントも多い。自然も多い(ほぼ自然?^_^)大隈重信など佐賀の七賢人を輩出しているにも関わらず完全にお隣の福岡県とは異なり発展せず47都道府県の中で好感度は下から数えた方が早い。そんな佐賀県、私は好きです。🎎🎎🎎🎎🎎🎎🎎🎎3/2土曜日佐賀城下ひなまつりに行って来ました。桜のシーズンに佐賀城下をぶらぶらしたことはあるのですが。鍋島直正公の像がある駐車場に車を停めました🚗ちなみにこちらの駐
2月15日紀州/和歌山城曇時々雨和歌山城の石垣は年代も種類も積み方も多彩で(※)、半日巡って飽きることがない。初期の石垣に使われているのは、この地域に分布する結晶片岩。荒々しい野面積みは、本来の形が崩れかかっているように見える所もあるが、それもまた時の重みを感じさせて味わいがある。
「大阪城の入場料が来年春から2倍の1200円に値上げ」というニュース↓【速報】大阪城の入城料が来年春から2倍の1200円に値上げ天守閣としては「日本一高い城」に(読売テレビ)-Yahoo!ニュース大阪のシンボル「大阪城」の天守閣の入城料が、2025年春から、現行の2倍に当たる1200円に値上げされることが分かりました。天守閣のみの入城料としては、「日本で最も高い城」になります。大阪市news.yahoo.co.jpこのネット記事のタイトルを見たとき、え~600円→1200円
豊臣秀吉no最後の戦場となった九戸城九戸城エンテランス広場から石垣(外堀)に沿って本丸を目指します東京ドーム約10倍no広さがあるらしく・・・思いの外広かったですところどころ修復中なのか入口が判りずらくようやく二の丸大手本丸と二の丸を隔てる空堀と石
平成7年に復元された三重櫓(天守)木造建築です✨国内にある復元木造天守は、5ヵ所しかありません大変貴重なんです。白石城は、復元されたお城で初めて石垣も作られたそうです。三階からの眺めは、最高です「一国一城」と言われた時代に、白石城だけは特別に許され伊達政宗の信頼厚き家臣・片倉小十郎が居住していました。幼少期、梵天丸の時代から政宗の養育係として沢山の武道教養を教えた方ですよね。政宗が元服し、出陣するようになってからも一緒に多くの戦に奮闘されました。幼き頃に片目を失明して人前に出る
浜松城またの名を出世城はぁぁ~~~400年の歴史がある貴重な石垣。ロマンです✨天守閣は、昭和33年に復元された鉄筋コンクリートですが石垣だけは当時のまま・・・素晴らしい✨野面石(自然のあるがままの石)を使い、接合部(合端)をほとんど加工しないで積む野面積みという方式です。若き日の徳川家康公✨天守閣内部の資料掲示に、徳川家康の復元された鎧兜が二点あります‼️ぜひ見てほしいです。日本の歴史は、実在したんだ!と肌で感じられる石垣や天守閣を見るとたまらないです徳川家康(1)
1月2日、浜名湖リゾート&スパTHEOCEANをチェックアウトし、JR東海道線で浜松へ。駅前は地下道(地下街ではない!)が驚くほど発達しており、たくさんの出口の中から当たりをつけて目的のバス停の場所に上がりました。バス停の表示はしっかりしていて、分かりやすかったです。バスを市役所南で降りると、お城は目の前。平山城なので、少し登ります。城郭跡はほとんど市街化されているので、城跡の規模感はさほどではありません。なので、あっという間に天守閣です。もちろん復興天守ですが、写真のとおり、
1/6(土)に「青春18きっぷ」5回目を使って白浜方面へ「お城巡り」に出かけ、「紀伊田辺城」「安宅八幡山城」「安宅本城」「安宅大野城」へと計画通りに訪城した後は、一気に大阪まで戻る予定でした。5回目のスタンプを押した「青春18きっぷ」↓しかし、前回のブログでも記載したように、長時間乗車して座っていると足腰の疲れが回復してきて、「和歌山駅」に着くころにはすっかり疲れが癒され、しかも16時半だというのに外はまだまだ明るかったので、「和歌山駅」で下車して、「和歌山城」へ久々に寄ってみようと
3日目は浜松城見学から始まりました。浜松城は廃城令により明治4年(1871年)に取り壊されましたが、昭和33年に鉄筋コンクリート造りの復興天守として開城しました。浜松城の前身は15世紀頃に築城された曳馬城(引間城)であり、築城時の城主は不明です。浜松城は徳川家康や豊臣秀吉など数々の浜松城主が幕府の重鎮に出世した例が多いことから出世城とも呼ばれたそうです。私はこの先出世はご遠慮したいので出世納めも兼ねて適当に見学してきました石垣の上からは富士山が見えていました。
前回の常盤曲輪から今回は本丸へ。正門跡。正門をくぐって2回曲がる間の空間。内桝形。石垣と土塀に囲まれていた。正門から1回曲がる場所の石垣。上は切込みハギ。下は野面積み。崩れかかっている個所と崩れ落ちた個所が。空堀。写真では伝わりにくいが、この深さと規模が烏山城の最も見どころのある場所といえる。本丸。古本丸が使用されなくなって、二の丸が主郭となった。廃城後民有地になり杉が植えられた。城山全体が杉と藪で覆われ、人を寄せ付けなかったことで、ほぼ原形が残った。城があった頃は、日が当
令和5年3月、烏山城が国の史跡に指定された。年内に訪れようと思ったが、鬱蒼とした山城なので虫や蛇のいない冬を待ったが、押し詰まった年末に実現した。遠回りになるが、延々と続く毘沙門山の石段を登り、筑紫山を経て、城山にたどり着くルートをとった。まずは5城3廓で構成された烏山城の常盤曲輪の入り口、車橋跡にたどり着く。車橋は引橋だったと伝えられている。堀切を超えると常盤門跡。櫓門だったらしい。そして常盤曲輪。城の正面を守る曲輪で土塀に囲われていたという。矢穴跡。加工痕がある。烏山城でポピ
こんにちは。週末は温暖な尾張でも最低気温が0℃予想。風が強い日も増えてきたので運転には注意したいと思います。さてさて、長谷寺は石垣と供養塔を見て終了です。まずは五重塔へ。元々三重塔があったようですが、失火で焼失。昭和29年に五重塔として再建されたそうです。三重塔跡は礎石が残ります。五重塔から国宝本堂を眺めます。石垣は素晴らしいです。運動不足にはもってこいのアップダウン。奥歯ガタガタ言ってます。圧巻の石垣。ここも凄い。
浜松城&大河ドラマ館にきております浜松城でおみくじをひいたら今日のあなたは阿茶の局出ました健康…問題ないそれが一番浜松城の石垣は野面積みデザインミュージアムで勉強したばかりなので、じっくり見てきました御朱印巡りも終え、今から帰ります
翔くんの現地取材は兵庫県淡路島400年前に造られた洲本城の石垣の裏側に迫る翔くん高いところにも登ったね頑張りましたディレクターの阿部さんのポスト見えるところはほんの一部。見えていないほとんどの部分で強さを生んでいる先月のオトノハに書いてくれたのは、このことだったのね野面積みに挑戦初めてにしては、良い出来かと✨贔屓目ですみません一緒に番組をナビゲートする造形家の竹谷さんブックデザイナーの名久井さん番組冒頭お二人に「初対面ですか?」と問いかけ緊張を解す翔くんデザインは美
小倉城の石垣*とおりもんこんにちは!昼間の小倉城紅葉の季節で綺麗でした小倉城は度重なる火災の為幾度となく建て替えられてます。戦火の中にあってはそのような事も多いですよね。。綺麗な真っ白なお城も綺麗ですが、、私が心惹かれたのは下の部分石垣です。戦火にあっても石垣だけは歴史そのものです。小倉城は野面積み(のらずみ)と言われる加工されてない自然石を積み上げて行く技法です。数百年前の自然石が大きさまちまちに綺麗に表面は平たく積まれてます。苔さえ調和されてます。昔
岡山城別名烏城(うじょう)いきなり目に飛び込んできた石垣あれは野面積みに違いない廊下門を登り、中の段にある表書院跡に月見櫓築城時の石垣こんな感じで展示されてる不明門から本段へお月見?天守は綺麗すぎてちょっと風情がないような・・・これも野面積み実はライトアップの岡山城が見たくて倉敷から電車に乗って再訪めっちゃ綺麗後楽園側からの岡山城水面に映る城も素敵
昨日は昼頃に伊勢を立ち、名古屋に戻ってきました。2時過ぎていたので、まずは腹ごしらえ。ひつまぶし遅めの昼食の後は、真っ直ぐに名古屋城へ。前にきた時にはなかった知識を確認したくて野面積みという石垣を見たくて。野面積みとは自然石をそのまま使っていて、乱雑に見えるが隙間がある分、揺れによる圧力が分散されるので地震に強く、排水性も高く大雨でも崩れにくいのだとか。場所によっては危ないような積み方に見える所もありましたが、↑のような理由で大丈夫らしいです。清正の石大きさ約八畳、重さ推定10
※浜松城の変遷Ⅰ案内板今川(室町)時代~徳川(戦国)時代…旧引間城を取り込み要塞化していく過程がわかります浜松城に行きました!2️⃣続100名城No.148続きです①浜松城の変遷Ⅰ浜松城は、15世紀に今川家によって築かれ、「引間城」と呼ばれ、東海道の要衝に築かれていました。大河ドラマ「どうする家康」に、チョイ役で登場していましたが、当時の城主は今川家家臣の飯尾連龍という武将でした。連龍は、三河で独立した松平元康(家康
いよいよ「小牧山城跡(小牧山)」に登ります。小牧山は、標高86m。かって信長が城(小牧山城)を築き居城としたところです。永禄6年(1563)6月、築城の名手丹羽長秀に命じて築城を開始します。山全体(約21㌶)を城域とし、山頂の主郭地区の他6つの地区で構成されていました。本丸へは、南に設けられた大手道を直線的に中腹まで登り、そこから折れ曲がって本丸に入る造りとなっています。この姿は後の安土城に酷似していることは、信長の思いが表れているとされます。小牧山城は山頂に石垣が築か
こんにちは。このところようやく秋らしくなってきましたネ。何もしなくても腹が減るので食べてばかり、やや運動不足気味な今日この頃であります。さてさて紀州和歌山城の続きにて。南側の不明門を入るとすぐに南の丸跡の動物園があります。戦の象徴ともいうべき城跡に動物園があるとは何とも平和でいいものです。鳥がたくさんいましたよ。30℃超えにてペンギン達は暑そうでした。天守に向かうため動物園を抜け出して102段の新裏坂を登ります。こう言われると意地になりま
福知山線で終点の福知山についた。電車の中から福知s色が見えたので、そっちの方に徒歩で向かう。途中から城が見えて来た。近づくと、城全体が見えない。入場料330円を払って内部に入る。石垣は野面積みだった。内部は資料館になっていて、いろいろな資料などが展示されていた。天守閣からは遠くが見渡せる。色々城の中を見ていたら、こんな部屋に出くわした。将棋の竜王戦をした部屋らしい今、竜王戦真っ盛りだが、去年の竜王戦で、確か福知山城で実施したとの報道が頭の片隅にある。(藤井挑戦者vs豊島竜王)
出雲・松江城その2です。今回のその2では二之丸に鎮座する松江神社で参拝し、本丸の入口である一の門まで突き進みとうございます。二之丸南西に建つ興雲閣松江市が松江市工芸品陳列所として建てた建物です。明治35年(1902)12月に着工し、翌36年(1903)9月に完成しました。当初、明治天皇の行在所に使用する目的でつくられたため、装飾・彫刻を多く用いた華麗な仕上げとなっています。結果的には天皇の巡幸は実現しませんでした。駄菓子菓子!後に皇太子(大正天皇)は御旅館として使用し
2023/10/21~23徳島へ帰省の前に、琵琶湖あたりを周遊。彦根城見学へ立派な石垣は、野面積みひこにゃん(=^ェ^=)ちょっと空が白いけど、、、近江ちゃんぽん、いただきました京都から徳島へは、高速バスの移動。約3時間です。ついつい、写してしまう京都タワー。またね。
(2023年度-No.71)行った日:2023.10.11(水)ブログ作成日:2023.10.26(木)****************孫の幼稚園がバスで花園図書館横の畑まで恒例の芋掘りにやってきました家から近い所なので出かけて行って見つからないように近くのマンションの階段からこっそりと携帯で撮りましたが最後までどれが孫か確認できず残念でした(これはもしかして「盗撮」かな?)****************さて前回は激しい
徳川家康が青年から壮年時代を過ごした浜松城。29歳から45歳までの17年間を過ごす。この間、姉川の合戦、武田信玄とも戦っている。江戸時代を通じて、幕府の重役を輩出したことから出世城と呼ばれる。二階式櫓門の天守門の脇には、大きな「鏡石」が使われ、城主の権威を示している。現在の天守閣は、昭和33年に鉄筋コンクリート造りで復元された。地上3階地下1階の建造物で、1階と2階が歴史資料館。甲冑や刀、城下町ジオラマ展示などある。天守を載せる石垣は、自然石を組み合わせる「野面積み」で築かれている。その石