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3.11について考える日今回は震災遺構を見るため、野蒜(のびる)駅に向かいました。あいにくの天気で石巻までは行けませんでしたが、松島周辺を回ったので、まとめます。今回向かったのは、仙台近辺ではなく、JR野蒜駅です。ここは東松島市にあります。東松島市は、津波の被害が大きかった地域の1つです。実は現在の駅舎は、かつての野蒜駅とはかなり離れた場所にあります。現在の駅からの景色まず駅の改札を出ると、道路です。現在の駅舎道路を渡ると、仮設住宅的な家
2024年3月6日~3月11日にかけて東日本を旅しています。今回もその様子を速報版としてご紹介します。4日目です。おはようございます✨仙台駅からスタートです#風花とりっぷ#2024風花きゅんたび東日本pic.twitter.com/pUMBRP258B—風衣葉はな@交通系🚞✈️(@fuiba_JR)March9,2024仙石線1071S普通小鶴新田行き乗車。仙台→小鶴新田205系M-1編成#風花乗車記録#風花とりっぷ#2024風花きゅんたび東日本pi
【8/122日目⑤】お次は駅にやってきました。こうして見ると、キレイな駅舎なんですけど、右には津波の高さを示した標識があります。もう人の背丈は優に越してる高さですね。時計は、その時を止めたまま。券売機もやられたようです。ということはホームも…自然の力は恐ろしい。人間が、抑制しようとしても無理なんだと思う。だとすると、やるべきことは発災に備えることしかできないような気がする。自助、共助、公助と言われているけど、自分でできるのは自助のみ。共
仙石線沿岸部を走る鉄道仙台と石巻を結ぶ仙石線は大震災でかなりの損傷を受けました。特に東松島市の野蒜駅や東名駅は壊滅的な被害を受けました。野蒜駅などは山側に線路を新しく敷設し路線を変更しました。長い間仙石線は不通になりました。海側を走る線路は津波にもろいです。鉄道の不通は影響力が大きいので要注意です。鉄道と自然災害の関係をチェックすることが大切です。安部孝(あべたかし)ホームペー
野蒜駅宮城県東松島市にある駅です。野蒜駅は元々野蒜海岸・奥松島の観光開発のために建設された駅です。一時期神戸市の須磨海岸にならい、「東北須磨駅」を名乗っていましたが、国有化時に現在の駅名に改称されました。2011年の東日本大震災では甚大な被害を受け、仙石線の内陸部への移設に伴い駅も高台に移設されました。駅周辺は「野蒜が丘」という新しい町が造成されています。乗り入れ路線・仙石線駅舎。2015年に移転した際に建設された駅舎です。切符売り場。自動券売機が設置されていま
2023/10/12松島自然の家主催のみやぎ県民大学仙石線ウォークに参加東名駅から野蒜駅までの東日本大震災で付け替えられる前の廃線跡を散策しながら震災の影響を考える一日となりました新野蒜駅前に集合仙石線に乗り陸前大塚駅を目指します野蒜駅に到着した上り列車白線のある遊歩道を震災前は仙石線が走っていましたこの辺りは列車から松島が望めたのですが新しい防波堤からは海を望めません所々に鉄路のなごりが残っています旧東名駅跡に向か
仕事関係のイベントで、仙台旅🚄2015年7月に訪れたっきりで、約7年ぶり昼に到着し、仙台駅内にある〝喜助〝へ🚶〝牛タン炭火焼きミックス定食〝を注文しお味、タレ味の牛タン、肉厚でかみごたえがあり、ま〜〜い〜〜う〜〜〜だったその後、仙台駅内で、ずんだシェイクを購入初めて飲んだけど、バニラの香りの後にずんだの甘さがやってきて、超ま〜い〜う〜〜だった仙台駅を後にし、松島海岸駅へ🚃目的地移動まで時間があったので、瑞巌寺へ🚶いぶき(柏槙)延命地蔵本堂に入り、室中(孔雀の間)、上段の間
松島湾2023.0628-29
〇3月11日ここ数年、この日前後の旅日記1枚目の画像は「いわき駅前」。ほぼ同じアングルな気がします。そう。東日本大震災から12年。今年も震災時刻には何処かで手を合わせたく旅に出てきました。いわき駅前ですので、立喰いそば店の「そば八(旧ひよこ)」さんで朝食です。そば八さんに立ち寄りたいから、いわき駅前が旅のスタートなのかはわかりませんが今年も開店時刻の9時と同時に入店です。今回も「わかめそば」に柚子をトッピング。東北ぽっく少し濃い目の出汁にわかめが馴染み、爽やかな柚子が美味し
あの日から干支も一回りJR仙石線旧野蒜駅(東松島市震災復興伝承館)にて黙祷
ご訪問いいねありがとうございますm(__)m2022年11月26日の話です日本三景「松島」何回か書いてますが遊覧船に小学6年生の時に乗船してがっつり船酔いしてからびびって乗れてません…涙悪茄子(ワルナスビ)の実ドライブして東松島市の南余景公園で2022年10月21日~23日に行われたサンドアートジャパンカップ2022の作品を見に行きました作品名「私のなないろ」ぐるっと一周して作品を見れるようになっていたらよかったな作品名「夢の創造」1位の作品です作
野蒜駅に着くと旧駅への連絡通路があり、新しい駅舎のホームに出ると台地の上から遠くに海が見えて、時々戦闘機が離陸する轟音が聞こえてきます。地理院地図/GSIMaps|国土地理院地形図、写真、標高、地形分類、災害情報など、日本の国土の様子を発信するウェブ地図です。地形図や写真の3D表示も可能。maps.gsi.go.jp
こんにちは🌞吉川正子(仮)です鈴木軍の解散が哀しい😭😭😭😭😭ペンネームの(仮)は、鈴木軍初期にユニット名を鈴木軍(仮)としていたことに由来していますついに!100回目の記事となりましたー!日記も続かないアタクシにしてはようやっとるということで記念すべき100回目の記事は、10月の東北旅行、震災地を巡る旅の最終日です。この旅で最も行きたかった場所、それは仙石線の野蒜駅です【野蒜駅】乗り入れ路線JR仙石線JR仙石東北ライン11年前の震災からひと月半たったときに、野蒜駅近くを訪
2022.4.26思いがけず「石ノ森章太郎ラッピング電車」を楽しんだあとは、『奇跡の遭遇「石ノ森章太郎ラッピング電車」』2022.4.26東松島市のポケふたをGETしに、JR野蒜駅へ。※のびるって読むんだって〜カラフルなマンホールっぽいのを見つけたので向かって歩いて…ameblo.jp再びJR野蒜駅前でポケふたを探します。ちなみに、最初に見つけた”カラフルなマンホール”は・・・ポケふたではなかった本物のポケふたはこっち。
2022.4.26東松島市のポケふたをGETしに、JR野蒜駅へ。※のびるって読むんだって〜カラフルなマンホールっぽいのを見つけたので向かって歩いている途中・・・私の視界にラッピング電車が入って来たちょっ!撮りたいっ!「すぐ行くから出発しないでよ~」と願いながら、猛ダッシュでホームへの階段を駆け上がる。ムキーっ間に合った。ゼィゼィえ?なに?ロボコン?「お願いだからまだ動かない
※記事後半に震災時の写真があります。松島基地周辺に行く前に東日本大震災により亡くなられた方への黙とうを捧げました。松島基地周辺には、場外から展示飛行を見ようとする方々で一杯。遠くから眺めることにしました。戦闘機が飛んでいました。松島基地写真にはないですが、基地最寄り駅である仙石線の矢本駅を見てきました。ドラマ「空飛ぶ広報室」最終巻では、何回も登場した場所です。その後、東松島市の野蒜海岸方面に
~2022年8月21日・17時23分投稿「東松島市に行って来ました。(その1)」…の続きです。~伝承館の隣あるJR仙石線、旧・野蒜駅プラットホームが震災遺構として残されています。伝承館から外に出てみると…↓↓後ろを振り返ってみると…津波の高さがわかるパネルがありました。↓↓旧・野蒜駅の敷地内に入ってみました。↓↓伝承館内に展示されていた券売機も以前は、ここに設置されていたんですよね。津波の破壊力を感じ
2022年8月14日(日曜日)。今年の復興応援旅へ。今回、尋ねた場所は…宮城県東松島市。東松島市東日本大震災復興祈念公園&東松島市震災復興伝承館に行って来ました。↓↓伝承館には、被災前後の写真パネルや記録映像で防災・減災の大切さを伝えています。旧・野蒜小学校、屋内運動場の時計です。地震発生時刻(午後2時46分)から2分後に止まった時計。激しい揺れが始まった時は、まだ動いていたのでしょうね。揺れの治まりと共に時が止まってしまったのか
ポケモンマンホール探しに松島町へ遊覧船乗り場前の広場、土曜日にも拘らず人少ないやはり、オミクロン株の影響もありか。五大堂の彼方に赤い福浦橋福浦橋を渡って福浦島に渡ったことは一度もない橋を渡るのが有料とあったので、よっぽどいい天気の日にと思い延び延びに。ポケモンマンホール@松島町松島海岸を優雅に泳ぐラプラス、って感じかな観瀾亭中に入ったのは、2010年12月でお汁粉と和菓子セットでお茶を一服現在は、お汁粉はないかも。その観瀾亭の下から見た松島湾遊覧船に乗る人
大峠シリーズ、各地を転戦(?)してきましたが、第4章は東北へおじゃまします。例年晩秋に行っている”ツーリング納め”を兼ねてという形です。例年、"納め"は近場を走るのが恒例ですが、今年は『大峠シリーズ』を兼ねているという事で、1泊しての行程となりました^^・初期から当別荘ご覧のかたご存じの通り、僕は東日本震災以降、2015年あたりにかけ、特に東北に力を入れてツーリング作を出していました。津波や原発事故の被害等の現場へも赴き、当時のありのままの姿をお伝えしましたが、あれから10年、「いまの
一線を退いて満65歳となったが、高校から大学時代に愛してやまなかったバイクによるプチツーリングをもう一度やりたくなって、40年以上のブランクを経て、200ccのスクーターを購入した。バーグマン200というこのマシンは車両価格が手頃で、変速チェンジの必要もなく、体力的に衰えが迫りつつある老体にはちょうど良い重量感で、このマシンで若い頃のあのときめきを無理なくもう一度味わいたいと思った。今回は自宅のある宮城県岩沼市からまずは陸前高田市に向かい、三陸海岸を南下する2泊3日の旅を思いたった。
4月2日(金)、東日本大震災から10年、大きな被害を受けた東松島市の野蒜駅(震災復興メモリアルパーク)を訪問しました。在日米軍と自衛隊による「ソウルトレイン作戦」で駅舎の復旧作業が進められた場所です。米軍は大災害の混乱に乗じた周辺国によるミサイル攻撃など不測の事態を警戒し、衛星監視要員も被災地に派遣しました。派遣された北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の要員は、被災地で自衛隊と緊密に連絡を取り合い、米軍事衛星の情報をリアルタイムで共有したそうです。我が国が災害復旧に取り組む中、ミサイル防
私はあの揺れを知らない出張途中の鈍行列車がドンッと言う大きな音と衝撃で止まったそれが最初の揺れだったなぜ列車が止まったのか知ったのはしばらくたってから車体はカーブで傾き地震だとわかるとだんだん恐怖が増してくる様子を見てとりあえず駅まで動かすと聞き不安と安堵が入り混じった気持ちで見守る事なきを得て次の駅まで移動して列車で夜を明かすことがアナウンスされた幸いなことに列車はディーゼル車暖房も灯りもともったまま車掌さんの計らいでアナウンスはラジオに切り替わった車
旧野蒜駅は2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波の被害を受けて廃駅現駅舎は仙石線の内陸移設に合わせて海抜22mのところにある旧駅舎やホームは保存され現在「震災復興伝承館」となっている地震発生は14時46分時計は「震災復興伝承館」に展示されているもので地震直後から少し動いた後に停止したようだこの14時46分に野蒜駅からは上りと下りの列車が同時に発車している両列車は発車後まもなくして激しい揺れを感じ停車下り列車は高台に停まり津波は列車まで
東日本大震災から10年。もう10年なのか、まだ10年なのか。時の長さは人によっていろいろに感じられるが、震災後10年を機に東北の被災地の鉄道のことを取り上げようと思う。震災後、被災地のことはずっと関心を持っていたが、あまりにも被害が大きいので現地を訪ねるのは遠慮していた。私が初めて被災地の鉄道を訪ねたのは、5年後の2016年3月と7年後の2018年7月の2回だけである。震災から5年を迎えた2016年3月中旬、宮城県内のJRローカル線を青春18きっぷを使って訪ねた。今回は仙台から野蒜ま
仙石線の東名駅・野蒜駅は震災前と高台移転後に乗降したので両方の時点の画像があります。JR全駅画像サイトにはこれまでは旧駅の画像のみ載っていましたが、新駅の画像を統合しました。そもそも場所が違うので新駅側に旧駅の名残があるはずもないのですが、野蒜駅は震災記念公園も訪ねたので遺構となった旧駅の画像があります。あと、仙石線の快速の通過を撮った動画に旧東名駅のシーンもあるので再掲します。
復興NOBIRUJR野蒜駅JR仙石線🚃💨JR仙石東北ライン🚞
おはようございます、カイラです本日の内容は…「マンホールカード」そして紹介するマンホールカードは…「宮城県東松島市」まず、東松島市の場所ですが…東松島市は宮城県の観光地の「松島」と昨日紹介した「石巻市」のちょうど間に位置している市ですそんな東松島市のマンホールはこちらあ!建物の影でうまく撮影できないちなみに設置場所は…野蒜(のびる)駅の前
いったん乗降した駅は移転しようが駅舎が建て替えられようが高架化されようが再訪するつもりはなかったのですが、松島観光を行程に組み入れたら丁度通り道になったので途中下車しました。時間の余裕を取るため石巻発を一本早めて復興祈念公園になっている旧駅跡を訪れました。駅舎とホームが遺構として残っています。画像ははてなブログのこの記事にまとめました。