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火曜日にヘトヘト二なり、水曜日の休みはほぼ動いてない状態で過ごしたが、木曜日は朝から整形リハビリだし、何とか午前中なら天気も持ちそう。そういえばサントリー美術館からのお知らせで新しい展覧会始まるはずだな、と調べたら、17日からではないか。電車乗りついでに行っちゃおうかなと。リハビリではやはり足下のアーチ崩れてるので、先生が技を駆使してよくしてくれた後は、立つ重心の感覚もよくなったし、久しぶりに普通に歩けるので、こういう時に出かけるなら大丈夫かなと。しかし、10時とはいえ、やはり小田急線快速
こんにちは。金沢元気です。お城の石垣は所々崩れてますが、市場に能登の魚が並んでます。観光客も増えてます。石川県にお金を落とすぞ!と関西から友達ふたり。さよならサンダーバード。能登の早い復興を祈ってまたの再会を誓いました。感謝!ではでは今日もいい日でありますように~!
東京黎明アートルームで開催中の「初期鍋島と花鳥図屏風」展へ行って来ました。鍋島焼は鍋島藩の窯で、将軍家等への献上を目的とし、採算を度外視して焼造した最も精巧な日本の磁器です。200年以上続いた鍋島藩窯ですが、その創業期については諸説あり、創業年代や窯所在地について特定できていません。本展では、1650年代、または1650-60年代頃に作られたと思われる作品を紹介しています。また、六曲一双の《花鳥図屏風》などを展観します。会場入ると、《志野花畳文鉢》(美濃桃山時代16-17世紀
名品展国宝「紅白梅図屏風」MOA美術館2024年2月11日(日)久しぶりに熱海にあるMOA美術館を訪れました。MOA美術館と言えば、エスカレーター。登って登って登ると円形のホールのような踊り場が見えてきます。天井には色鮮やかな映像が。テクスチャーマッピングや、チームラボが現れる遥か前からこういう仕掛けを作っていたのですから、先見の明と資金力がすごいです。それにしても、なかなか展示室に辿り着きません。この広さは笑うしかないです。世界
熱海MOA美術館へ行って来ました6年ぶりの訪問だなんて梅の時期に公開する尾形光琳(1658ー1716)名品展国宝「紅白梅図屏風」令和6年2月2日〜2月27日昨年、根津美術館の「燕子花図屏風」を見に行って、同じく光琳の代表作「紅白梅図屏風」も見たかったので嬉しい2023年5月7日のブログ→★熱海駅に9:15分に着いて、バスターミナル8番乗り場に行くと大行列!!9:25発は臨時バスが3、4台出てたと思うオンラインチケットは1,600円→1,400円です。Dポイントでもお支払
「吉田博木版画の100年」からの続きである。入口を入って、外を眺め、最初の展示コーナーは日本画である。とても豪華なラインナップだった。「琴棋書画」橋本雅邦明治15年(1882)下の方の女性は、硯から墨を池(?)に流しているような。水が黒くなっている。「富士の巻狩」菱田春草明治35年(1902)解説パネルによると、「巻狩」というのは「獣を四方から取り巻き、追いつめて捕らえる狩猟方法」だそうだ。「椿」小林古径
野々村仁清
ぐい吞み仁清写重ね盃野々村仁清写金銀菱重酒盃銀菱口径=50mm金菱口径=41mm熱海のMOA美術館にて購入尾形光琳の紅白梅図屛風を鑑賞に訪れた時に本家の抹茶筒茶碗を、重ね盃に菱文と蓮弁文、雅なデザインがお気に入りです
入れ子になるので収納性が良い甘酒入れてみよう山道さんのお塩で引き締める内側が黒いので、映えますね粟国の塩(釜炊き)160gAmazon(アマゾン)770〜1,100円${EVENT_LABEL_01_TEXT}天然塩あまび国産天日塩無添加自然塩平釜(120g)Amazon(アマゾン)1,000〜1,980円${EVENT_LABEL_01_TEXT}【茶器/茶道具抹茶茶碗】筒茶碗一双金菱銀菱山岡善高作楽天市場24,4
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2023101010月10日は昔の体育の日。晴れの特異日。ドーミーイン金沢で迎えた10月10日は本降り。10月10日の本降り、私の記憶には無かったなぁ〜。起きたら温泉に入ってサービスの乳飲料、コーヒー飲んで、朝ドラ見て、ホテルの貸し傘借りて、金沢駅前からバスに乗ってお出かけです。先ずは「二十一世紀美術館」見学。今日は休館日ですが、コミュニティエリアを見ることは可能です。(香取慎吾さんの有料作品展示は有りました)美術館の屋上の像。この椅子揺れ具合良かった。次は「県立美術館」で
9月の季語(銘)を調べているが、茶道実用手帳には、秋の季節として「風」を意味する言葉がいくつか取られている。秋風、秋声、野分、吟風このほか、松琴、聴松も秋風が吹くときの松葉のさざめく音がイメージされる。ところで、「野分」(のわき)って何となく言葉の響きが「のどか」なので、涼やかなイメージがしていたのだが、本当の意味は、野の草を吹き分ける嵐のような風のことで、現代で言う台風のような大風と理解していい。「野分」と言われて、誰でも思い出すのは「枕草子」で
出光美術館へ。尾形乾山生誕360年「琳派のやきもの」写真NG。デザイナー。鉄赤の絵がたくさんありました。時間が経つとどの程度の色の変化なのでしょうか?やっと流れがわかってきたところで、狩野派と琳派の皿は自分なりに理解できました。密かに私淑している先生がいますが、私が生きている間にどこまで勉強できるやら。私淑という言葉を使うのもおこがましいけど、今から門下に入れないし自己満足です。家族の用事で数日出掛けていました。自分の用事だけではなく、そんな事も知らない世界を知るきっかけにな
出光美術館の“尾形乾山生誕360年ー琳派のやきもの”を鑑賞ポスターは、尾形乾山銹絵染付金銀白彩松波文蓋物江戸時代中期開催趣旨は、『江戸時代中期を代表する京の陶工尾形乾山(1663-1743)。彼の興した乾山焼は、絵画的な意匠でうつわを飾る「琳派のやきもの」として日本の陶磁史に革命をもたらしました。雅やかな公家文化や文学意匠を取り入れたやきものは、絵画や書の美と融和する新たなやきものの世界を生み出したのです。本展では、野々村仁清や仁阿弥道八など乾山と繋がりをもつ京焼のほ
丸ノ内に移転した静嘉堂文庫美術館が館長を祝って移転前の場所で特別展が8日間限定で開かれている。最寄り駅から遠いのでアクセスが悪いけれど鬱蒼とした緑地を歩くのは、アート鑑賞する前段階として必要不可欠でした。ただチラシを貰っていてきちんと読んでいなかったので丸ノ内の方で途中からこの特別展示がやるのかと思っていました国宝の俵屋宗達を筆頭に琳派や野々村仁清など20点ちょっとで厳選した感じが見受けられました。余談ですが日美などで見かけた山下裕二氏が駆けつけていて館長と談笑している場面に遭遇し盗み聞きし
金沢旅行の初日はあいにくの雨。全天候OKで楽しめるのが美術館のありがたさです。石川県立美術館で『陰影のなかの金彩』を開催中です。金沢と言えば金箔。金塊から何工程も経て工芸に使われる薄い箔になっていきます。この金をぜいたくに使った工芸品が展示されています。工芸とひと口に言っても多様で陶芸では絵の具(金泥)になって絵付けをし金箔を焼き付け漆塗りでは彫った溝に箔や粉が埋め込まれ(加賀蒔絵、沈金)着物では金糸になって布に織り込まれ、刺しゅう飾りになり・・・薄
折角の連休なので、普段できないことをやっておこうと思ったので、色んな図録から、野々村仁清の茶碗の写真を整理しておくことにした。色絵金銀菱文重茶碗重文(MOA美術館所蔵)野々村仁清は、江戸時代前期の陶工なのだが、丹波の野々村というところで生まれたことは知られているが、詳しい生没年は不詳らしい。何となく謎めいている。京都で陶芸の修行をした後、仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開いた。仁清の号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」の字を一字取り門跡から拝領したと
昨日の投稿の続きです。MOA美術館にてランチ後、庭園を散策。光琳屋敷尾形光琳が京都に建てた屋敷を、資料を元に復元。「新町通り二条下ル」、京都御所と二条城の間の辺りかな。左は片桐門というそうです。竹林もありました。美術館の中に入ります。素晴らしい作品がたくさんありましたが、一番見たかったこれ!尾形光琳「紅白梅図屏風」国宝間近でじっくり鑑賞できて感動しました!野々村仁清の壺もありました。こちらも国宝。そして杉本博司さんのこの作品。これ好き!寝室の壁紙にしたい。
「野々村仁清」(生没年不詳)は、江戸前期の陶工。丹波国・桑田郡野々村(現・京都府南丹市美山町大野)の出身。通称・清右衛門。瀬戸で轆轤(ロクロ)の修行を積み、仁和寺・門前に御室窯を開いた。仁清は、仁和寺の「仁」と通称・清右衛門の「清」から採った。当初、仁清は御室窯で焼いた茶壺・水指・茶碗・香炉・香盒(コウゴウ)などのブランド名だったが、やがて作家名として定着した。優れた轆轤の技術による造形と鮮やかな上絵付けが調和した優美華麗な茶壺な
MOA美術館で開催中の「名品展国宝「紅白梅図屏風」」に行って来ました。1982年1月11日に開館したMOA美術館は創立者・岡田茂吉が蒐集した日本・中国をはじめとする東洋美術を中心にした日本有数の美術コレクションで知られています。本展は開館40周年を記念し、「紅白梅図屏風」をはじめとした国宝3件を含むコレクションの優品を紹介しています。まずは中国の美術が紹介されています。中国の絵画・工芸は、古くからわが国に船載され「唐物」と呼ばれてきました。絵画では、宋時代絵画の主流を占めた画
今日の1枚のアート。(1枚じゃなくて1個だけど)←勝手に名付けた江戸時代の作陶家、野々村仁清の色絵茶壺の代表作。●野々村仁清《色絵月梅図茶壺》東京国立博物館に昨年展示。野々村仁清は丹波に生まれ、京都の御室仁和寺の門前に窯を構えました。梅の図柄が鮮やかでしたね。
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こんばんは何度もすみません夜中にまったり見ております。[びじゅチューン!]雉香炉さんちは職場結婚|NHK「びじゅチューン!」詳しくはこちらhttps://www.nhk.jp/p/bijutune/ts/MPPMVRL98N/?cid=dchk-yt-2301-166国宝と重要文化財の一対、野々村仁清「色絵雉(きじ)香炉」(石川県立美術館)が発想の源。雄の雉と雌の雉はどんな夫婦でどんな生活をしているのか想像してみま...youtu.be1月27日,Eテレ、23時50分~画像
仁清は京焼色絵陶器の大成者として有名です。が、向付の画像はほとんど見ない。余り造らなかったのだろうか。日本の陶磁(13)京焼Amazon(アマゾン)1,630〜16,120円No38色絵南天文向付仁清作の5寸皿。当時の茶道関係文献には仁清造の皿、鉢がさかんにでてくるが、こゆもんだったのではとされています。ある程度数は造ったのだが、伝わらなかったらしい。こりを見て轆轤が冴えている、さすが仁清だねとわーる眼力は残念ながらない。単なる皿にしか見えないので一目でわーる名物的変
…何処に窯を開いたか?仁清は、江戸初期に京都で活躍した陶工で、色絵陶器を完成させた。京焼の大成者とされる野々村仁清が窯を開いたのは、仁和寺の門前・御室である。丹波・野々村の出身、生没年や焼物の世界に入った経緯は不詳だが、京に出て洛東・粟田口や音羽辺りで陶芸の修行をし、尾張・瀬戸などでも技を磨いた。再び京に戻って励んだ作陶は、当時の茶の宗匠・金森宗和に認められるところとなり、その縁で仁和寺の知遇を得て、開窯(カイヨウ)出来た。「仁清」
こんにちは!白木佑充子(ゆみこ)です。いつもありがとうございます。今日は、シンフォニア岩国1Fで行われた、MOA美術館児童作品展の入賞者さんの、表彰式の司会をしましたよ~~~コロナ禍に会っても、子供たちの作品は、伸び伸びと明るく元気で、沢山のエネルギーをいただきましたよ。ほのぼのエネルギーに癒やされる~~~♪お子さんの作品は、邪推が無くて良いねぇ~♪心が洗われます。子供たちはコロナ禍に負けてない。はい
熱海について、すぐに駅前からバスに乗り、MOA美術館へ。現在は「井上涼展キラキラゴールデンびじゅチュ館」開催中。入館&喫茶のセット券を購入。入口を入ったら、延々とエスカレーターを上って行きます。天井に万華鏡を投影しているホール。刻々と図柄が変わっていきます。MOA美術館は山の中腹に立っているので、眺めがすごくいい。初島や大島もくっきりみえます。美術館には黄金の茶室があります。これは必見。常設のコレクションは日本の書画と陶磁器などの骨董品。びじゅ
円山応挙画『鶴亀絵土器皿』(三井記念美術館蔵)皆様、お今晩は。6月26日迄三井記念美術館にて開催されているリニューアルオープン展第一弾の「絵のある陶磁器~仁清・乾山・永樂と東洋陶磁~」に行って参りました。その感想です。江戸時代の京都では、仁清や乾山の色絵陶器、染付や金襴手のような中国陶磁を写した永樂家の陶磁器など、絵のある陶磁器が多く焼かれ、それらが今日の京焼へとつながっています。「江戸店持京商人」として、京都に居住した豪商三井家は、茶の湯を通じて仁清や乾山につながる永樂
昨日の続きです【資料】江戸時代の工芸は、幕府の政策(A)による都市文化のもとで発展しました。新たなパトロン層や愛好家が出現した時代でもあります。陶磁器では有田焼や野々村仁清、尾形乾山(B)の登場が挙げられます。着物のデザインの流行が庶民にまで広がった(C)ことは、同時代の絵画の中にも見出せます。また、幸阿弥家などそれまで伝統的な蒔絵が家業として引き継がれいた漆工芸でも、新しい家の登場や作家の個性が目立つ作品が出現してきました。(D)Q.254下線部尾形乾山(B)のやきものの説
…兄・光琳との合作でも知られる人物は?野々村仁清の弟子で、絵師の兄・光琳との合作でも知られるのは「尾形乾山(ケンザン)」である。乾山は京の呉服商の3男として生まれ、早くから学問を修めて詩歌や茶に親しんだ。次兄は後に琳派の大成者となる絵師・尾形光琳。乾山は当時、御室焼の名工で色絵の大成者・野々村仁清の窯がある仁和寺近くに居を構え、仁清から多くを学んだ。後に近くの鳴滝に窯を造り、兄・光琳と共に絵付けに力量を発揮した。乾山の陶風は教養の