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舞台は古代中国。紀元前700年頃から約70年の「春秋戦国時代」とひとことでまとめられている前半分の「春秋時代」。周が天下を制覇していた時代のひとつの国「晋」の歴史の変遷を描いた物語で、表題にもなった重耳(ちょうじ)、後の文公が主人公だ。有名な始皇帝が出る400年も前の話である。晋の第二公子として生まれた重耳が、跡継ぎ争いの余波を受けて、故郷を離れ、各地を流浪すること約19年。恩師や配下とのやりとり、そして、行く先々であう諸侯とのやりとりの中から、人としての生き方を大いに考えさせられる
家来との関係春秋時代の覇者の一人。重耳は、驪姫に惑わされた父の王に殺されそうになり、国を逃げてから、19年の、一万里の流浪の旅のなかで、成長した。飢え死にしかけたこともあり、何度も暗殺者の手から、助けられて、生き延び、60歳を過ぎてから、ようやく、祖国、晋の君主になった。閹楚(えんそ)は、寺人(宦官と同じような体にされた)で、すごく強く、重耳を暗殺する命令を受けて、ずっと付け狙っていた。が、命令を出した、父の王も、驪姫も、晋の君主になった弟の夷吾も、死に、その跡を継いだ圉(
近くのスーパーの初売りに行きました。1/3までお休みだったので。中国産ウナギが798円とか、(ふだん980円)早く行かないと、売り切れる~と思ったので、さっさと行って、ゲットしました。12月に撮ってあった写真です。ざくろの実が一個残ってた。さるすべりの実下関酒造のお酒、そろそろ飲み終わります。お正月もそろそろ終りです。きのうの日の出きのうは曇りでした。さて、今朝、『永楽帝』を見ていると、こんなのがありました。2015年製作で、82話なんですね。初めて見ま
近くの公民館で、本を借りてきました。ちょっと味見したら、やめられなくなりました。(>_<)「かつらの・・・」は、孔子と同時代の、衛の荘(そう)公が、自分の夫人のかつらのために、異民族の妻の髪を剃ったことを怨まれて、(ずっと前)怨んでいた夫に殺された、という話の紹介です。←『春秋左氏伝』見開き2ページの短い文章が載っていて面白いです。初出は、産経新聞と、新潮社の『波』だそうです。これも、読み始めると、やめられない危ない本でした。(>_<)50ページまできて、あっ、これ、『鶴れい華亭
晋の文公(以下重耳とする)は、中国春秋時代に覇権を握り時代を動かした人物である。驪姫(りき)の乱と呼ばれる後継者争いに巻き込まれ、長男の申生(しんせい)は自殺させられ。次男の重耳と三男の夷吾(いご)は国外に逃れる。さらに、暗殺者に狙われた重耳は、逃れて苦難の末「斉」にたどり着く。幸い斉の桓公は、重耳を重用し娘とも結婚させた。重耳はこの待遇に感激し与えられた豊かさにどっぷり浸る。だが、彼についてきた家臣たちは気持ちが収まらない。彼らは故国「晋」の惨状を知っていた。どうしても重耳に晋の君
古紙になるはずだった「介子推(かいしすい)」を読んだら「重耳(ちょうじ)」をどうしても読みたくなり「重耳」を読み終えたらまた「介子推」を読みたくなり…。純粋で揺るがない介子推は格好良くて、憧れる。#宮城谷昌光#介子推#重耳#古紙になるはずだった本
重耳全3冊合本版(講談社文庫)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}古代中国の春秋五覇の一人、晋の文公(重耳)の小説。継母に命を狙われ19年間もの流浪を経て晋へ帰国し、君主となります。流浪のなかで重耳は成長し、また臣下たちもそれぞれが一国の宰相となり得るほどに成長します。物語は重耳の祖父の称(武公)、父の詭諸(献公)の代から始まり、重耳の人柄がどのように形成されていったのかがわかります。称と重耳、重耳の兄の申生は賢いですが、父の詭諸はダ
塾長の書斎更新「重耳(上)(中)(下)(143)」https://fusanokuniinoujuku.vitaly.jp/book_blog/book143/#小説#講談社文庫#春秋時代#文庫#宮城谷昌光#重耳#晋#春秋五覇#周王弼#文公#覇者
塾長の書斎更新介子推(139)https://fusanokuniinoujuku.vitaly.jp/book_blog/book139/#小説#講談社文庫#春秋時代#文庫#宮城谷昌光#介推#重耳#春秋の覇者
口を閉じ→吽うん&ツノがあるゆえに、これは狛こま犬!獅子ではない崇神天皇は→額に二寸八分の青い角一本があった→吽ウン❗️終わりの天皇狛犬こまいぬ→狛ハクオオカミに似た獣。羊を追い立てるのが得意なもの。日本語用法→こま。こまいぬ→こま→高句麗、高麗こうらいのこと。漢辞海P903漢語林高句麗騎馬民族スサノオ崇神天皇勹ほうは、つつむ。くるむ。人が前かがみに、からだを曲げた形、包つつみ込む様子。包つつむは→巳み(己)が入り、子孫を
明日は清明節。清明節の前日は「寒食節」とも呼ばれる火を使わない食べ物を食する中国文化。・・・今日でも実践している人がどれだけいるかは分かりませぬが、、、。今回はその由来をざっくりご紹介。今日配信された中国文化のwechatメルマガから内容とイラストを拝借しています。時は春秋時代。継母に命を狙われた重耳が諸国を放浪して、最終的に晋の君主となって返り咲くのですがその放浪生活で食べ物がなくて大変な時期がありました。その時に自らの脚の肉を斬って重耳に食べさせ、飢えを救ったのが介
中国語(漢字)には慣れ親しんできたつもりですが、下記の自己診断テストで中国語の深遠さを再認識致しました◆长知识!“一读就错”的汉字,你能读对几个?(光明网01-06)知識を増やそう!間違って読んでしまう漢字、いくつ正しく読めますか?来源|人民日报中国文字博大精深。日常生活中有很多易读错的字,一不小心就会闹笑话!不要担心,已经为你整理好了平时易读错的地名、姓氏、成语、常见词语、历史人名,还有好玩的叠字……赶快戳图自测↓↓一起补节语文课,转发学起来!人民日報より中国語の
【キングダム】穆公(ぼくこう)はまれにみる名君だったのか?歴史の中の秦の穆公歴史関係の本を読むのが好きです。漫画でもキングダムを愛読しています。最近読んだ「人物中国の歴史Ⅰ大黄河の夜明け」(集英社)で、秦の穆公がでてきました。そうです。キングダムで、山の民と友好関係を築いて、秦の勢力圏を西側に大きく拡大し、秦王・政(のちの始皇帝)をして、「穆公はまれにみる名君だった」と言わしめた秦の君主です。以下が
(1)(2)琉球りゅうきゅう王室(沖縄)の初代は周の定王(BC598即位)の孫。周は東周→春秋時代のはなし。晉シンの重耳ちょうじ公は客人まろうどとして琉球王国に渡来した(らしい)。琉球は母の里→白翟の里。まろうどは本来住むべき場所を離れ臨時によそに行っている人のこと。いそうろうを客としてもてなすことをオモテナシ→おもてなしという客寓→かりずまい寓はいそうろう禺は✊→おながざる。なまけもの。虞。顒は温和で慎み深い。or波が高いさま。隅すみは
みんなの回答を見る歴史上の人物って、政治家ってこと?思想家?中国故事成語に出てくる人物っておもしろのよ宮城谷昌光さんの本を読むと魅力的な人がいっぱい重耳重耳上中下巻セット(講談社文庫)540円Amazon楽毅楽毅全4巻セット947円Amazon今日の《絵本のねこあつめ》『はんにんはだれ?』キャロライン・ブラウン絵はんにんはだれ?(世界の絵本ライブラリー)6円Amazon猫がどこにいるかわかる?
晋の文公城濮の戦いにより重耳の覇者としての地位は確固たるものになりました。重耳は19年の流浪の末に晋の君主として62歳で即位し在位は9年間ととても短いですが、晋を覇者の国にした功績で諡は文公と呼ばれます。諡の中では一番尊いのが文であり、晋の歴代君主で最高の君主だった事がわかります。賢人は隠れる重耳に付き従い流浪を共にした人物に介子推がいます。重耳の弟の夷吾は宦官の閻楚を使って何度も重耳を襲わせましたが、実直なこの人物は重耳に刺客の手が迫っていた時に何度も体を張ってそれを阻止しました。
子玉楚の成王の片腕である令尹の子玉は功名に焦っていました。令尹とは楚以外の国では宰相と呼ばれ、現在の日本でいう所の総理大臣のようなものです。子玉は傲慢ですが、とても厳格で兵を弛緩させません。成王にも気に入られていました。しかし、政敵の蔿賈に無能だと評されました。蔿賈は楚の国の天才的な軍人で、後に晋と楚が北林という所で局部的な戦いをしますが、その時は楚兵を見事に使い、趙衰の息子の趙盾を退けます。しかしこのときの蔿賈はまだ若く、その才能もクローズアップされていませんでした。しかし蔿賈
晋を治める帰国したばかりの重耳は安堵していられません。民意によって君主になったわけですからその期待に応えなければなりません。夷吾と圉親子は気に入らない臣下は弾圧する恐怖政治を行っていました。重耳は内政を整えます。ここでの弧偃や趙衰の政治力はハンパではなく帰国して数年で周王朝の内乱を静める力を持ち周王朝から伯を与えられます。伯というのは日本で言えば天皇家から幕府を開くのを認められるようなものです。これにより晋は正義をかざして戦の大義名分にできるようになります。そして軍制改革も行い、
穆公動く穆公は楚の成王に使者を立て、重耳を秦から晋に送る事を伝えます。成王は重耳には天意が味方をしているのを知っている人なので、穆公の依頼が天意だと察知して丁重に晋へ送り出します。穆公も重耳を丁重に扱います。穆公は秦の累代の君主の中でもトップクラスに優秀ですが重耳の器を見誤りました。重耳や重耳を助ける臣下は才能あふれる顔ぶれです。秦は中華の西にあり、東に晋があるため晋が弱ければ東に進出しやすい。つまり、重耳を帰国させ晋の国力が充実すれば東へ進出しずらくなります。しかし重耳をそこま
不誠実な夷吾重耳が放浪をしている間に晋では弟の夷吾は周辺諸国と争っています。夷吾は頭脳明晰でしたが猜疑心が強く、誠実ではありませんでした。晋は北は異民族と接し、他の方角は中華の国があり外交をして生き延びていく事が必要です。西には秦という国があり、晋は秦と結びます。この時代は秦の君主は穆公でした。穆公は百里奚や司馬錯という臣下を上手く使い秦を強国に育てた人です。しかし自国だけでは生きてはいけないので晋の夷吾にお互いの国が飢饉の時は助け合おうと盟約を結びます。しかし夷吾は晋が飢饉の時
成り上がりの楚楚という国は中国の南に位置し、重耳が生きた周王朝期の最初は小さな国でした。しかし徐々に力を蓄え斉の桓公が覇者となる頃には中国全体にとって脅威となるほどの武力を持ちます。楚は元々周など中国の中心の先進国からは野蛮な国と見られていました。なので他の諸侯と違い、周の王を戴くという価値観がありません。なので楚では君主を周と同じ王号を自称してきました。楚の成王は自尊心の強い王様です。彼は宋の襄公を泓水の戦いで破りましたが、それもこの王様の自尊心が強く横暴な性格が色濃く現れて戦に
宋襄の仁重耳は曹から宋へ向かいました。宋は襄公という評判のいい君主が治める国であり、次は歓待されると期待しましたが悪い報せが届きます。宋の襄公は隣国の楚に泓水の戦いで敗れ自身も怪我を負ったという事です。襄公は義理堅い人でした。楚と戦になった時に泓水という河を挟んで、にらみ合いの形で宋も楚も陣を展開させました。そして楚が攻めようと泓水を渡った時、襄公の臣下が敵陣が半ばを渡った時に攻めましょうと進言しました。そうすれば楚は渡河の最中であり、攻めるのも引くことも難しくなり撃退する事ができ
コントのような逃走重耳一行が斉に着き、ある程度年月がたったとき斉の桓公が亡くなりました。桓公は英主でしたが、後継者選びにおいては優柔不断でした。桓公という覇者を出し管仲という天才が整備した斉の平和が、乱れようとしていました。晋も後継争いで乱れたため重耳は亡命しました。斉も同じ轍を踏もうとしています。その状況に重耳一行で気づいていたのは弧偃と趙衰でした。彼らは重耳が斉に永住したい気持ちになっている事にも気づいていました。普通に話しても斉を出ると決心がつかないと思い重耳に策略を用いま
春秋の覇者・桓公衛を抜けやっとの思いで重耳は斉の国に着きます。斉の君主は重耳が生きている中国春秋時代において最高の名君と言われる桓公です。春秋時代には5人の覇者が現れましたがその筆頭にあげられる人です。なぜこの人がすごいのかというと管仲という人物を起用して天下を治めたからです。管仲はとても有能な人物でしたが評判が悪く、友達の鮑叔からしか信頼されていませんでした。そして桓公の即位の際に桓公の対抗勢力を盛り立てていたため桓公の即位を邪魔します。そして管仲は放った矢を桓公に命中させます。
介子推重耳は狄という地に亡命していました。ここから中国の東辺にある斉の国を目指します。夷吾の放った刺客の閻楚に恐れおののいた重耳でしたが、彼を影から守る臣下がいました。介子推といい晋を亡命する時からついてきた臣下でした。彼は閻楚の凶刃が重耳に届く前に払いのけます。閻楚に追われるように狄を出た重耳でしたが、まずは晋の隣国の衛を通過します。衛の土を拝受する衛の君主は文公でした。この人は亡命公子の重耳を軽く見て援助を申し出ませんでした。当時は現代のように道が整備してあるわけではなく
出奔兄の申生が自殺してしまいましたが、重耳には悲しんでいる暇はありません。もたもたしていると奚斉を太子にしたがっている驪姫に殺されてしまいます。重耳は亡命する事に決めます。その時、弧偃や趙衰など後に大活躍する臣下が付き従っています。また重耳の弟の夷吾も亡命し、事のなりゆきを静観する姿勢をとります。これにより驪姫は晋国内から有力な公子を追放し奚斉が太子になりました。驪姫の乱驪姫の一番の庇護者は君主である詭諸です。しかし、老齢の詭諸は亡くなり献公と諡されます。未亡人となった驪姫を
驪姫領土を大きく拡大した詭諸は異民族の驪戎を討伐しました。その時に一人の驪戎の娘を連れて帰ります。彼女は驪姫と呼ばれ詭諸に愛され奚斉と悼子という二人の子をもうけます。この二人の子供は男の子です。詭諸の頭の中に迷いが出てきます。「驪姫の子を後継ぎにしてやりたい」歴史を見ると太子と呼ばれる後継ぎはその子供の母親への愛情の大きさで決まる事が多いのです。国の君主と言っても情のある人間なので仕方ありませんが、その情によって多くの国が後継ぎ争いで内乱を起こしています。しかし驪姫の乱と後に呼
三兄弟称は晋の本家を滅ぼし、晋を統一しました。そして満足に包まれた晩年を過ごし死去します。そして晋の君主は詭諸になりました。詭諸は英気にあふれ気宇は壮大な人物です。頭も良く決断も早かったのですが、少し粗暴で女には目がない所がありました。重耳は詭諸の子でしたが次男でした。長男の申生と三男の夷吾がいる三人兄弟です。つまりこのまま平和に暮らした場合も長男の申生が後を継ぎ、やはり重耳は歴史の表舞台には出なかったわけです。詭諸の成功この三兄弟は周りからの評判もとてもいい三人です。特に
重耳の生い立ち重耳の生い立ちですが、少し遠回りをします。まずは重耳のおじいちゃんの話からしましょう。晋という国に重耳は生まれます。重耳のおじいちゃんは称(ショウ)といい、晋の武公と諡される人物です。この人物は戦も政治も上手い人でした。称は晋の国の本流、つまり本家の人ではなく分家の人間でした。そして、称が治める分家の曲沃の勢力が本家の翼の勢力を超えた時に称は戦を仕掛けました。度重なる戦をし、当時天下を経営する周王朝を味方につけた事によって翼を滅亡させ、また周王朝から晋の正当な後継と
中国歴史上でも稀有な事例中国は4000年の歴史と言われます。その長い歴史の中でも「重耳」は珍しい運命を辿った人物です。彼は王位継承の権利を持ったまま19年もの間、中国を旅行し、帰国して王となった後は優秀な人材を用いて中国を統治する覇者となったという人物です。こう書くと遊び人の不良な王子様が更生して立派になった的なイメージですが実際は亡命の旅です。旅の途中は何度も全滅しかけ、それでも重耳の天命を信じる臣下達の奮闘には心を動かされます。当時の概念「天」先ほど天命という言葉を使いましたが