ブログ記事13件
明智秀満㊱「津田宗及茶湯日記」『同(天正九)年四月九日ニ丹波亀山ヨリ奥郡ヘ通申候路次中ニて振舞有之四月十日朝福智山ニて明智彌平次殿之振舞七五三ノ膳也四月十一日朝従福智山罷出候也惟任殿御供申候路次にて福寿院振舞茶屋ヲ立て生鮎生鯉鮒せんすいに俄用意にて魚共をはなされ候是モ七五三色々様々ニ振舞也同四月十二日之朝長岡與壹郎殿振舞一、御人数惟任日向守殿父子三人長岡兵部大夫殿父子三人紹巴宗及宗二道是
織田信長が好んだ幸若舞『敦盛』の一節「人間五十年、下天の内をくらふれば、夢幻の如く也」の読みや意味、気になってましたがこの記事を目にしたので、検証してみます。乃至政彦「織田信長は「人間五十年」を本能寺で歌っていない!?『信長公記』「天理本」とほかの写本を比べてわかる真相」https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70835この記事にあるように、最近「人間五十年」の「人間」の読みは「にんげん」ではなく「じんかん」、「五十年」の意味は人の一生とか人
ご来訪ありがとうございます……何冊か読み終わりました……源為朝の本……これは久しぶりでした……天皇方につくか…上皇方につくか…これは運なんですね……藤原、源、平……共倒れを避けて両天秤するも……敗れた方は無念ですね……でも敗れても卑屈にならず……周囲に陽を灯す為朝……いいですね✨信長物を読み尽くしたと思ってました……素晴らしい……実行犯は明智光秀……最後がお見事でした……誰もが黒幕である証拠がない……これぞ朝廷たるものですね……
今日は秋の和歌に関する小噺を紹介します🍁小噺とはいうものの、今から紹介するお話は落語の一節と昔話・逸話のミックスとなります。(専門家がいたら怒られるかもですね😅笑)落語の元になった逸話です🍀これ豊臣秀吉を1人の男が知恵を働かせて助けるんですが2パターンありまして✌️1つは細川幽斎という連歌師(和歌の達人)1つは秀吉の家来の曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)…という2人の説があります。今回はその細川幽斎、曽呂利新左衛門の両方のパターンを混ぜて紹介します(^^)〜ストーリー〜戦
言霊のドラマ秀吉はなぜ連歌師紹巴を寵遇したのか?―尾崎千佳(解説)『連歌巻子本集2』Yahoo!ニュース時代は室町末期の天文20年(1551)から秀吉天下統一後の天正20年(1592)にかけて、明智光秀・細川幽斎など有力武将の名が見えるいっぽう、...●里村紹巴【中世こぼれ話】鎌倉時代に日本を襲った、寛喜の大飢饉について検証してみるYahoo!ニュースそして、法令の後半部分では、予測されるトラブルを避けるための配慮もしたが、この措置はのちに幕府を悩ませる。この法令は寛喜
最近、根拠は何かと信長公記である場合が多い!!最近の風潮。無節操に信用する。ここは、司馬遼太郎を想起する!司馬遼太郎は、信長公記は信用に値しないと指摘している。本城惣右衛門覚書と大差ない認識?(当然、司馬遼太郎が正しいわけではナイ)『信長公記』には、当時の様子がリアルに描かれている?それによると5月27日、愛宕山頂上の寺、太郎坊で三度、おみくじを引いたと書かれている?誰がみたの?誰が伝えたの?(ことは奇襲)翌28日には、場所を西坊という
やっと愛知県に里村紹巴が来たのでゲットしに行ってきました。7月ぐらいに実装されて三重まで来ていましたが、そのまま西に行ってしまったのでなかなか登用できず。やっと今回愛知県を通ってくれました。名古屋市の北の方、楠ジャンクション付近まで行ってきました。名古屋の道は渋滞がすごいからあまり好きじゃないので早朝に。信号待ちでポチッたらいた!これで現在廻っている異能の者はコンプリートです。
6月19日(金)から、都道府県をまたぐ移動自粛要請が全面解除となり、この週末は多くの観光地で(以前のようにはいかないものの)人のにぎわいが少し戻ったようです。全国の城郭においても、ほとんどの施設が再オープンを果たしていて、われわれもようやく県外の城郭へ足を伸ばせるようになってきました。三密を避けながら徐々にリア攻めも再開していきたいところです。一方で、そんな自粛解除を待たずして、というか、ステイホーム期間中すらもずーっと県境をまたぎまくっていた人たちがいます(°Д°;それが、廻
【問題】里村紹巴とは、次のうちどのような職業で名を馳せた人物か?【選択肢】陰陽師宣教師鋳物師連歌師【正解】連歌師【解説】里村紹巴とは戦国時代に活躍した連歌師である。里村昌休に師事し、その死後に里村家を継いだ。連歌を通じて、多くの公家や大名との交友関係を築いた。
週刊今川氏真詠草&おんな城主直虎の不都合な真実Vol.255月10日号(2020/04/30-05/10)一週間空いてしまいましたが、今宵も『おんな城主直虎』第24話「さよならだけが人生か」のお話をば。前回龍雲丸が雲のジュウザみたいなことを言って出て行っちゃったので、直虎ががっかりしてます。政次からは、「買いかぶり過ぎでは?」という冷めた言葉をかけられますが、直虎は龍雲丸たちが自由に生きられるのは、自力で生きていくスキルがあるからだと気づいて、龍潭寺で読み書き以外にも薬学や護身まで教
麒麟がくる、の第6話「三好長慶襲撃計画」では、三好長慶と松永久秀が連歌の会に行った先で、暗殺の計画があることを光秀が察知し、それを将軍家家臣の三淵藤英に通報する、という場面がありました。この「連歌」とは何でしょうか?連歌とは和歌の流れを汲むもので、2人以上の人が和歌の上の句(五七五)と下の句(七七)を交互に詠み合って続けて行く形式の歌、あるいはその歌会のことであります。室町時代にほぼ確立したこの連歌は、大名は貴族の教養の証しとされ、同時代に活躍した連歌師里村紹巴は、
里村紹巴という人がいます。戦国時代に活躍した連歌師で、大永五(1525)年生、慶長七年四月十四日(1602年6月2日)歿。二人目の師である里村昌休の死後、里村家を継いだので、里村紹巴と呼ばれますが、松井紹巴であったとされています。この方は、「彼は連歌を高めた人でなかったが連歌を広めた人だった」と死後に評された人物ですが、明智光秀の「愛宕百韻」に参加したことで有名な人物です。公家の三条西公条をはじめ、織田信長・明智光秀・豊臣秀吉・三好長慶・細川幽斎・島津義久・最上義光など
麒麟がくるを面白く2:記録が残る明智光秀の連歌興行一覧2019年も早いもので3月。うっかりしていると、何もできずに一年が過ぎてしまいますね(><)このブログは本来大河ドラマを面白くするアイデアを公開し、放送開始後は生温かく見守るためのものです。今年放映中の「いだてん」はほぼ現代ドラマなので視聴率は低迷していますが、ドラマとしては面白い。しかしサガラが言えることは何もないので、来たる2020年の「麒麟がくる」の方の情報提供をします。前回記事で書いたように
「麒麟がくる」を面白く1明智光秀の連歌と愛宕百韻に注目!今年ももう二月半ばを過ぎてしまいましたね(^^;)今川氏真詠草研究シリーズは昨年内に終わらせて、今年の抱負は2020年大河ドラマ「麒麟がくる」アイデア、「おんな城主直虎」続編「徳川四天王井伊直政」アイデア、2021年?大河ドラマ候補「伊勢宗瑞と今川氏親」アイデアなどを書くつもりが、ほぼどれもできてない(><)といっても、何もしてなかったわけではない。というわけで、今日は「麒麟がく
信長の二十四時間著者:富樫倫太郎★★★★★★★★★★10:超傑作、もう神の域ジャンル:、歴史、ミステリー、本能寺感想:相当以前から、当作家の作品は数冊が積読になっている。名前は以前から知っていたし、もちろんいつかは読むつもりで購入したのだろうが。ただ、どれもがそのへんに掃いて捨てるほどに転がっているありきたりのテーマや人物であったため、例えば、北条早雲や信玄、謙信とかの戦国モノ、土方歳三や新選組といった幕末ものなどのように、どうしても食指が動かなかった今
書評していただいていたので、リブログ!うっかりチェックしてませんでした!
皆の者達者であるか?大ふへん者前田慶次じゃ!我が日記帳開き大義。今日如何様に過ごしたであろうか?たった今蚊に刺され足首を掻きながら日記を認めておる。うむ。痒い。蚊の奴め。儂の血を吸ったから男前になってしまうな。蚊の世界にも男前という文化はあるのであろうか?気になるのぅ。さてさて。今宵も歴史を伝えて参る。題目一五八二年五月二十八日明智光秀、愛宕にて連歌会連日伝える歴史講話も明智光秀殿関連が続く。無理もない、本能寺の変が近いからな。して。本日は前回も伝えた愛宕山
皆の者達者であるか?大ふへん者前田慶次じゃ!我が日記帳開き大義。昨日の雨と変わり温かく心地の良い光が射す今日。主等の返文確と此処に届いた。節目だからどうこう。という戦働きをする我等ではないが、節目というものは記憶に残るし大切にする文化がこの日ノ本にある。参りし者達は期待を寄せ時を掛け金子をはたきその一瞬を大切に心踊る。応えてやろうぞ!?故に、まぁ。楽しみにしときゃーて!ワッハハハハハハ嗚呼。何と美しき景観か。では本日も歴史を伝えて参る。題目一五六九年五月二十四
【織田信長の「無鳥島の蝙蝠」再考】今回は「天下布武」に続き、織田信長が長宗我部元親を指して言ったという「無鳥島の蝙蝠」を解釈します。「無鳥島の蝙蝠」も「天下布武」と同様前から気になってましたが、最近ツイッターで武将ジャパンさんのマンガが出てきて、解釈する気になりました。武将ジャパン「変人は変人を知る!?四国の覇王・長宗我部元親は信長級の傑物!」『戦国boogie-woogie』vol.34https://bushoojapan.com/comic/comictaka/2
光秀の腹心?連歌師里村紹巴は三好長慶の殊遇を機に権力志向を強めた?以下ちょっと前のツイートです。天野忠幸さんの『三好長慶』を読んだばかり。今川氏の動向と重ねて面白く感じました。今川義元が仮名目録追加で「只今はをしなべて自分の力量をもって法度を申しつく」と室町幕府からの独立宣言?をした天正二十二年二月、将軍義輝は長慶と関係悪化、八月に近江に逃れます。相互に影響しあった?三好長慶はまた、連歌師里村紹巴を引き立てて権力の味を覚えさせて歴史に影響したかも?卑賤の身でも富貴の人と交われるから
[ご報告]氏真「玄旨紹巴」百首のベースが細川幽斎「玄旨百首」と判明!『細川幽斎―戦塵の中の学芸』所収「衆妙衆冒頭の百首歌について」(浅田徹)から、今川氏真の「百首イ」が幽斎歌集「衆妙衆」冒頭の「玄旨百首」と題名が一致すると判明!本能寺の変に関する二人の一首が興味深い!『今川氏と観泉寺』所収の今川氏真の二つの「百首イ、ロ」は、「百首於京都玄旨紹巴以此題読ル一巻令披見書写之勢州神部綴之畢」と記述がある。細川幽斎と連歌の宗匠里村紹巴から百首を書写し、氏真さんが同じ題で詠み、伊勢国神戸(かんべ
今川氏真詠草中【新春特別編3】立春新玉の年と長閑(のどけ)き天の戸も又立かはる今日の春哉(4―1)歳内立春うらやまし老きはまれる年の内に若かへりぬる春もこそくれ(5―1)内題に「百首於京都玄旨紹巴以此題読ル一巻令披見書写之勢州神部綴之畢」とあり。天正十二年から十四年の正月か。細川幽斎と里村紹巴の百首を借り受けて、同じ題で詠んだ百首二巻の最初の一首。紹巴とは紹巴の富士見行から、幽斎とは紹巴との縁もあり、天正三年上洛以降親交ができたようだ。この二巻を綴った伊