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2024/4/15(月)今日も初夏の暑さだった。もう冬の衣料は不要だろう今日は朝から薄着でも大丈夫なくらい暖かい。久し振りにショッピングセンター(MOMOテラス)へ出かけた。ユニクロなど衣料店では冬物のSALEをしていた。少し見て回わり魅力のある商品も見つけたが買うのを止めた。次の冬季を今のように元気に動き回れるか?を考えて躊躇した。もうこの歳になれば、その日その日が「元気に生かせていただいている」と心から感謝の気持ちになれる。
426年前、慶長3年に行われた醍醐の花見。本日、醍醐寺にて、豊太閤花見行列が開催されました。昨年同様に快晴の青空のもと、素晴らしい太閤行列に感動。時代を超えて、こうして引き継がれていく、歴史のロマンに魅了された週末でした。
こんばんは😊新年度でドタバタHickeyです😅仕事の方がやっと新年度モードに入りました😅💦この時期はドタバタいつもするんです😅💦読者の皆さんは新年度や新生活のスタートどうですか❓🤔季節の変わり目なんで体調崩さないよう気をつけて😊【Hickeyの暦の部屋🇯🇵】今日4月9日から七十二候は二十四節気《清明》の次候【鴻雁北】に入ったよ😁(こうがんきたへかえる)【鴻雁北】というのは飛来する燕と入れ替わるように冬の間を日本で過ごしていた雁(がん)が北国へ去っていく頃‼️そうい
東寺のガラクタ市を後にし、醍醐寺へ向かいました。京都駅の八条口から直行のバスが運行されているのですが、桜の時期のバスの混み具合は半端やないので、遠回りにはなりますが、地下鉄を使いました。醍醐寺は初めてと思っていたのですが、どうも昔、行ったことがあるようで…、自民党の脱税議員やないですが、全く記憶に無い(笑)醍醐寺は下醍醐と上醍醐に分かれていて、今回は下醍醐だけの参拝にしました。上醍醐へは下醍醐から徒歩で1時間の登山で、朝から来る方が良いかもです。先ずは総門の枝垂れ桜が出迎えてくれます。総
日付が変わって、一昨日2024年4月7日。大阪にプライベートで出かける用事があったので、京都で途中下車して、醍醐寺の桜を見に行って来ました!ちょうど、サクラの時期ですからね~♪「醍醐寺」の仁王門の前も、桜が♪🌸「醍醐寺」と言えば、豊臣秀吉が大規模なお花見会を開催した「醍醐の花見」。この地で、開催されたそうで…枝垂れ桜もキレイ♪国宝五重塔も素晴らしい!「醍醐寺」をお参りした後は、すぐ隣にある「長尾天満宮
4月6日花見日和でしたので、醍醐寺の桜を見てきました。地下鉄醍醐駅から、コミュニティバスか、歩いても10分ほどで行けます。3か所の拝観料1500円、券を買うのに並んでいる場合、霊宝館に先に行って買うのもありです。門を入ってすぐのところにあるのが、三法院の入り口、醍醐の桜ここから、庭園や建物内を初めて入って見ました。中で500円必要でしたが。内部は、仏像以外は写真OKでした。おいてったチラシを参考に見ましょう。つい、襖絵のほうに目がいってしまう。表書院の下段
今から426年前、豊臣秀吉公もこの桜を見ていたのかな。歴史のロマンを感じる醍醐の花見。華やかな桜のトンネル、一気に見頃を迎えました🌸見ているだけで世界中の万人が幸せになる、桜の花にはそんな不思議な力がありますね。
雨を心配していましたが当日は文句なしのお花見日和🌸アラカン塾とOKAMILABOのコラボ醍醐寺のお花見へ行ってきました🌸初参加の人が何人かいる中で地下鉄醍醐駅近くの公園に到着のぶこさんが朝早くから作ってくれたお弁当を広げました♪色とりどりで相変わらずどれも美味しそう〜🥰最後の仕上げにガスバーナーでチーズ🧀を炙りますとろとろになったチーズ🧀とパンの組み合わせはサイコーでした🥖おにぎりの中身はのぶこさんが先日行った玉置神社の近く?で手に入れたという梅入りでした🍙
おはようございます、京やの勝也です。桜が咲き始もう直ぐ満開です。毎年のことながらやはり楽しみです。さて、歴史を遡って花見といえば「醍醐の花見」が有名です。豊臣秀吉が700本もの桜を植えさせた醍醐寺で催した世紀の花見です。この花見については資料があるそうでその中から着物の価格についての考察です。見物するのは当然秀吉をはじめ大名や公家、大商人達ですがその奥方や側室たちがメインだったそうです。この花見に出席した女性が1300人。お色直しのため、ひとり3両(枚)の着物
◯上醍醐の始まりは、『成身院(女人堂)』から始まる。醍醐寺の受付は仁王門で済ませるが、上醍醐の受付は別で、女人堂脇で受付を済ませる。同じ醍醐寺のはずなのに、何故か、別々になっている。◯女人堂を入ったすぐ先に、史跡醍醐寺境内の大きな標柱が建っていた。いよいよ山道に入る雰囲気である。しかし、道はなだらかで、歩き易い。参道脇には、あちこちに外灯と思しきものも存在した。標高450mとあるし、約一時間を要するとの案内もあったから、心して登ることとする。◯少し行ったところに、三丁の案内標識があ
今日はひとり旅第2弾(昨年秋に第1弾、比叡山・瑠璃光院)何ヶ月も前から計画してた醍醐の花見&平安神宮に行ってきました🌸🌸🌸朝の5:45起床。遊ぶためなら目が覚めますね醍醐寺は9時からしか開いていないので、先に6:00から開いてる平安神宮に行ってみることに。こちらもはじめての訪問です✨✨YouTubeで予習していたので、大鳥居を通る所からはじめました。平安最初の桓武天皇と明治最後の孝明天皇のお二人が祀られています。8分の5に縮尺されている平安神宮に心躍らせながら入ると開放感ある空間
今年は、京都市の桜🌸の開花も遅れている中、“桜の名所”で満開という世界遺産の寺“醍醐寺”に行ってきました。開花状況は、“そうだ京都行こう”のサイトで、チェックしました。https://souda-kyoto.jp/guide/season/sakura/index.html醍醐寺は、枝垂れ桜、ソメイヨシノ、山桜、八重桜など、1000本もの桜が次々と花開きます。今日は、特に枝垂れ桜が満開でした。豊臣秀吉が、“醍醐の花見の宴”を催したのは、特別名勝の庭“三宝院”裏の山嶺。700本もの桜を畿内
京都・醍醐寺(だいごじ)をご案内させていただきました。醍醐寺は、京都市街の南東に広がる醍醐山に広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を多数所蔵されています。また、豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られており、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。かわづ桜をかわきりに、しだれ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラ、そして、三宝院の大紅しだれと金堂わきに大山桜が咲き終わるまで約3週間、様々な桜が咲き誇ります。
ご訪問有り難うございます今日(3月27日)は「桜の日」です桜は日本の春の象徴として古来より多くの人々に愛され続けています日本全国には様々な種類の桜があり地域ごとに独自の風情を楽しむ事が出来ます桜はその儚い美しさで知られ日本の文化や芸術にも深く根ざしています満開時、感嘆するほど見事な美しさを見せながらもすぐに散ってしまうその儚さや散り際の潔さは日本人の死生観や美意識にも大きな影響を与えています桜の語源について春、里に降りてくる農耕の守護神で稲の神の「サ」が座る「クラ」(座
こちらの記事をリブログさせていただきます。豊臣秀吉の「醍醐の花見」について書かれています。それを描いたと思しき「花下遊楽図屏風(かかゆうらくずびょうぶ)」の話も書かれています。以前に、私も「花下遊楽図屏風」のカルトナージュ貝桶を作ったことがあるのです❗2021年9月5日の記事をご参照ください。メルカリで見つけた黒留袖を使いました。画像お借りしています。この2人、高貴な母と子供と思われます。屏風の真ん中あたりに座って踊りを見ています。醍醐の花見で高貴な
おはようございます。今日から七十二候が移ります。【菜虫化蝶(なむしちょうとなる)】青虫が紋白蝶になる頃。「菜虫」は菜を食べる青虫のこと。菜の花が咲いてまさに春本番です。今日は1598年に醍醐の花見が行われました。豊臣秀吉が近親の者や諸大名1300名を従えて京都・醍醐寺で最後の花見です。写真出典『醍醐の花』(尾形月耕『日本花図絵』)【醍醐の花見】醍醐の花見(だいごのはなみ)とは、慶長3年3月15日(1598年4月20日)、豊臣秀吉がその最晩年に京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において催
醍醐寺(だいごじ)は、伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派の総本山となる寺院です。山号は醍醐山(深雪山とも)、本尊は薬師如来。上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)は、本尊は准胝観世音菩薩。京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵しています。1994年、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。平安時代初期の874年、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が准胝観音ならびに如意輪観音を笠取山頂上に迎え
天海(99)慶長3年(1958年)3月15日、京都醍醐寺に700本もの桜を移植し、醍醐の花見が行われた。諸大名の妻・女房衆等、女ばかり1300人を集めたというから、女好きの秀吉に相応しい人生最後の豪遊であった。家康は自ら薬草を煎じるなど、健康について人一倍気を配っていた。いつしか医学書なども読むようになり、医師顔負けの知識を持っていたという。家康は秀吉の病に早くから気付いていた。顔色が優れず、食欲の低下、頻尿、時に失禁が見られたというから、「これは腎虚であろう。」という
天海(98)大広間での宴会が終わると、天海、庄兵衛、妻木貞徳の三人は別室で、今後の情勢について情報交換を始めた。慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は京都の醍醐寺三宝院裏の山麓において大掛かりな花見の宴を行っている。「選りにも選って、この時期に、太閤は大掛かりな花見を計画しているそうだ。4年前に実施した吉野の花見の再来だ。諸大名は伏見城から醍醐寺までの沿道の整備に駆り出されて大騒ぎだという。」と庄兵衛は言った。「多くの諸将が異国で辛酸を嘗めている時期にいい気な
桜の開花+6日満開宣言±0日醍醐の花見、後半戦は平地にある二か所です。「伽藍」入り口の門『三宝院』11:30何回か行っていますがどこが何て名前か全然覚えられません。三宝院はメインは建物とお庭で桜自体の本数は少ないのですが大物がいます。秀吉桜と私は思っていたのですが調べてみたらどこにもそんな名前は書いてない勝手に思い込んでた?かなり高齢と思われる枝垂れだからいっつもボリュームがないのかなと思
HP|プロフィール|サービス内容|イベント|お問合せうわー、気が付いたら、もう11月も終わりますねっさて、11/23の休日、「光を観る旅」を京都の醍醐寺で開催しました。大阪から京都へ向かう電車はJRも阪急も通勤電車並みの混雑でした。市営地下鉄も混んでいましたが途中からかなり空いてきて、醍醐駅に着く頃には閑散としていました。醍醐駅から、バスに乗って醍醐寺へ移動しました。徒歩で行く場合は、徒歩15分弱です。世界遺産京都醍醐寺世界遺産醍醐寺
【食育クイズ:Vol.1467】「京都府」の「最古の木造建造物」おさらいクイズ!「京都最古の木造建造物」で国宝に指定されている「建造物」とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイ
さてさて……………【黄檗山萬福寺】を出発し、ランチタイムも終えて、我々が次に到着したのは……………【醍醐寺(だいごじ)】京都府伏見区醍醐東大路町22『京滋ツアー⑩〜醍醐寺〜』さてさて、かなり順調にスケジュールを消化している我々は、京都へと戻りさらに西国のお寺を巡礼することとした到着したのは……………【醍醐寺(だいごじ)】京都府伏見…ameblo.jpココロが前回に参詣した際の過去ブログはこちら【三室戸寺】同様、2019年12月26日以来、約四年ぶりの2回目の参詣となる前回は、夕方
地下鉄東西線醍醐駅から上醍醐へ。往復約8kmだった。以前、世界遺産である醍醐寺を訪れたとき、上醍醐登山口にある女人堂まで来ていた。いつか上醍醐に行ってみたいと思ってたので、京都一周グランドトラバースをリタイアしてパワーバッテリーが30%を切るものの、上醍醐へ向かった。私は女人堂の左サイドから登ったのだが、正面から登拝すべきだった。急峻な坂を70歳くらいと思われるお年寄りが続々登られていたことに驚く。よくもこんな急坂を、てぇてぇなあ、、、。と、感心してるところでもなかろう、
いざ、京の醍醐寺へ⬇⬇⬇⬇ポチッとな❗⬇⬇⬇⬇醍醐の花見にある幻魔母樹の破壊へたがそれぞれの敵も現れるこりゃ目先の目的に走っちゃう予感
昨日は、秀吉の側室淀殿について書きましたが、今日は、淀殿と同様に有名な側室京極竜子について書きたいと思います。京極竜子京極竜子は、大坂城の西の丸に屋敷を与えられたことから西の丸殿(西丸殿)、次いで伏見城に移ってからは松の丸殿(松丸殿)、あるいは、家名に因んで京極殿(京極様)などと呼ばれています。父京極高吉、母京極マリア(浅井長政の姉)兄(弟という説も)に京極高次、弟に京極高知がいます。又、母親の京極マリアは、キリシタンとしても非常に有名な女性です。因みに、兄の京極高次
あいしてる🌳🍃*✝︎*。MERU。*✝︎*
先に本来の三十三観音霊場だった上醍醐を過去写真で見ましょう。2019.10ですね。長引いた台風影響の山やお堂の荒廃にやっと目途がついて上醍醐に上がれるようになってしばらくの頃です。こういう出口、懐かしいですね。今も現役の様に見受けました。鳥居が架かります。左奥に女人堂。そこでさらに登拝料を支払います。下醍醐が特別月間?で1500円、ここでさらに600円。異常気象時代の治山を考えると山の方は妥当かなと思います。まだ復旧工事
妻と合流。早い昼食を終え地下鉄を乗り継ぎ向かったのは・・・。「醍醐」でした。駅からは丘陵地。市営団地群の間の歩道にも、既に桜が出迎えてくれています。今年初めての「芝桜」の開花をこの日の朝、「東本願寺」門前の「烏丸通」で出会ったばかりでしたが、こちらの植え込みではもっともっと咲いていました。この旅では一体何種類の「桜」と名の付く植物たちと出会えたのでしょう。府立植物園に行ったことで、人生で一番多い「桜」の種類と出会えた春となったと思います。さて、しばらく歩くといきなり満開の桜たちの
【問題】慶長3年に豊臣秀吉が催した醍醐の花見には、どれほどの人が参加したといわれるか?【選択肢】約130人約1,300人約13,000人約130,000人【正解】約1,300人【解説】慶長3年(1598)、秀吉は醍醐寺(京都市伏見区)において、1,300人余りを招いて盛大な花見の宴を催した(醍醐の花見)。参加者の多くは女性だったともいわれる。