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2021/03/2512:20「豊臣の美術」展展覧会チラシ令和3年(2021)4月3日~5月16日大阪市立美術館(天王寺公園内)醍醐の花見室町末、「応仁の乱」で京都・醍醐寺は、五重大塔を除き灰燼となり下醍醐は荒した。慶長元年(1596)、五重大塔修理や清瀧宮殿はじめ諸堂の復興・整備事業を太閤秀吉が計画、援助した。慶長3年3月15日(1598年4月)、秀吉は「醍醐の花見」を開く。秀頼、北政所、淀殿、諸大名はじめ、配下の女御衆(女房女中千人余を従え、醍醐寺三宝院から槍山
醍醐の花見京都では最も早く花見が出来る寺院が伏見の醍醐寺早くも枝垂桜が見頃を向かえておりましたJRの京都駅からは京阪バスで(乗り場がややこしい)天下人となった太閤秀吉が慶長三年に催した「醍醐の花見」豪華絢爛な行列があったとか・・・・・・・四度目の拝観でも見飽きない醍醐寺のHPはここから醍醐寺の動画はここから見れます撮影タイムです広い境内、伽藍内も通学路になってます京都駅まで戻り、小腹が空
2021/3/20(土、春分の日)天気予報では、「曇り後雨」だったので、ゆっくりと布団にもぐっていた。でも何となく明るさが気になり起きてみると晴れている。これは急がなきゃ!なぜなら、世界遺産の醍醐寺の桜が見頃になっている頃だろう。しかも今夜から明日は風雨が強くなりそうだから、見に行かなくちゃ・・・明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは家から徒歩片道35分(5千歩)、9時前に着いた。以下、下手な文章より写真をお楽しみ下さい
思い思いに楽しんでいます。
おはようございます。今日から七十二候が移ります。【菜虫化蝶(なむしちょうとなる)】青虫が紋白蝶になる頃。「菜虫」は菜を食べる青虫のこと。菜の花が咲いてまさに春本番です。昨日、気象庁は東京・靖国神社にある桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表しました。平年より12日早く、昨年より7日早い開花で、昨年と同じく観測史上最も早い開花日となりました。京都の開花予想は3月17日、満開は26日とされています。【標本木とは】気象庁では、観察する対象の木を「標本木」と呼んでいます。標本木は、全国各地の
ご訪問ありがとうございます春を象徴する花と聞けば、多くの方が「桜」と答えられると思いますそれくらい日本人の心をとらえ私達の死生観や美意識にも影響しています桜の語源は、春の里に降りてきて農業を守護する稲の神「サ」が座る「座」(くら)で「さくら」とする説「咲く」に複数形を意味する「ら」を付けて「さくら」とする説古事記の「木花之開耶姫」(このはなのさくやひめ)の「さくや」が転化して「さくら」とする説等諸説ありますまた豊臣秀吉の「醍醐の花見」(だいごのはなみ)(京都)は
バーチャルツアーで観光客誘致をnhk.or.jp万葉集にも歌われた大阪・柏原市と隣接する奈良県三郷町を通る「龍田古道」は、去年、日本遺産に認定され、地元では観光資源に活用できると期待...八角型の建物に色とりどりの四角い外装がカワイイ!「白浜フラワーパーク食堂」/昭和遺産へ...ダ・ヴィンチニュース盲導犬クイールの一生」の石黒謙吾氏がプロデュース&編集。8年間に訪ねた昭和遺産の数は1703ヶ所。南房総最南端の花畑にある食堂「白浜...全国の祭り風景を写真集にユネスコ
今回は、仁王2(59)夢路篇~醍醐の花見2ボス「藤吉郎2回目」「果心居士」・道中攻略です。詳しくは、こちらのYouTubeをご覧になって下さいね💓もしよろしければチャンネル登録していただけると喜びます無明ちゃんとはお別れ。またぼっちの道中この屋敷内の仏像が、煌びやかで見事でした今回は、ろくろ首だらけの道中でしたぁ道中が終わり、再び藤吉郎と戦うことに。。。この満開の桜うってつけだ・・・お前の墓標に”秀吉”は俺だ
●総門→三寶院(さんぽういん)→仁王門→清瀧宮(せいりゅうぐう)本殿→清瀧宮拝殿→金堂→長尾神社→不動堂→五重大塔→祖師堂→真如三昧耶堂→伝法学院→鐘楼堂→大講堂→弁天堂→女人堂総門-上醍醐寺も含め醍醐寺の境内入口となる。寺の規模から見て小さな感じがする門である。三寶院と庭園-拝観料大人\300小人\150/拝観時間08:00~17:00)三寶院は永久3年(1115年)醍醐寺第十四世座主勝覚(しょうがく)僧正の創建。その後、座主の主房とされていた金剛輪院に名
終戦記念日【船岡】京都高低差崖会凸凹ツアー!船岡山50万年のトータルヒストリー-磐座、中世墓地、城郭遺構、近代神社…生と死が交わる、京都の北のキワへ-#ガイド:梅林秀行参加したレポートですまずは少し、涼しくなっていただければ、東山区の白川です一昨年のいま頃場所をGマップを確認したらえ!!近くに「明智光秀の首塚」がある!!!引用三条通白川沿い東側にある「明智光秀の首塚」明智光秀は1582年本
醍醐寺にご案内たしました。上醍醐から下醍醐を含め約200万坪もの広大な敷地を誇る醍醐寺ここは豊臣秀吉の「醍醐の花見」で有名です。今は、境内一円に瑞々しい緑に覆われています弁財天がお祀りされている弁天堂朱塗りの輪橋を渡りお参りします。弁天池に写り込む姿は大変美しく、とても美しく風情があります。人も少なくゆったりとした時間が過ぎてゆきます境内一帯に広がる壮大な森は、圧倒的な緑を楽しむ事ができます。心静まるおだやかな時が流れているようでした。
高設定のバーサス打ちたいなぁ最近のバーサス…最初はカチカチ君で小役良くて設定2or6どっちだ⁉︎と…わくわくしながら打っても結局2(恐らく)しか最近打ててないなぁ昔の私はハナビ、バーサス、クランキー等…設定2あればほぼ勝てると思っていました笑でも今は設定②と⑤って…怖いと思ってます6ある!?って思える時以外は出たらヤメるようにしています過去に強い日?に行ってバーサス朝一設定2以上のハズレが出て…4万負けた事あるしコレまた…バーサスでしたが小役良くて…ハズレも良くて…BB中に設定5.
信長の棺上(文春文庫)Amazon(アマゾン)560円『奇跡には必ず裏があるもの。歴史とは勝者の作り話に過ぎない』信長公記の著者・太田牛一を主人公に、彼が「信長公記」書き進める中で、文献調査や聞き取り調査により、「光秀の謀反の理由」「信長の遺骨はどこに消えたのか?」「秀吉の手際よく中国大返しの理由」「桶狭間の戦いの真実」等の謎を暴いていく物語。上巻は、安土城勤めの牛一が「本能寺の変」を知り、信長からの秘命を果たそうとするところから、最期が近い秀吉の醍醐の花見に誘われるところまで、、
案内物件の途中にある宝蔵寺秀吉が醍醐の花見をするために近江・山城・大和・河内から700本集めた桜の1本だといわれています。春には美しい枝垂桜が!!来年の春は日常を取り戻して日本中で美しい桜が見れることを願ってます!!!
(*・ω・)ノやぁ今日はオークスでげすネペローっと出馬表を見て、買うなら④-⑤でいーんじゃねと思いますョ、僕Death競馬場も、都道府県を越えなければ来場OKにして欲しいナァ初めての二条城🏯の続き以外と小さい天守閣跡緑と赤がえぇ感じネェ善哉、善哉なんか分からん石お茶処もあったけど【禁煙】(当然か💧)だったから入らずぅでも、清流園つぅ庭園内のお店でえぇ感じ感ぽかったで〜外で庭園を眺めながらお茶飲めるみたい!豊臣秀吉が【醍醐の花見】をした桜の子孫だってョー🌸(割とショボイけど
豊国廟の中にひっそりと五輪塔が建っています。豊臣秀吉の墓所へとつながる長い石段の入口の左側奥に本当にひっそりと。気づく人がほとんどいないためか、参拝する人は少ないようです右側の大きな五輪塔は松の丸殿こと京極竜子。その左側に建つ小さな五輪塔は豊臣国松のものです。松の丸殿は京極高吉の娘として産まれ、秀吉の側室となります。もともと京極家は近江源氏の流れを汲む佐々木氏を祖とする家系です。鎌倉時代末期には北条得宗家の御相伴衆として仕えた佐々木道誉(京極高氏)が
リニューアル記事です。醍醐寺といえば、豊臣秀吉が花見をした醍醐の花見が有名ですが、恐ろしく広大な敷地で下醍醐の伽藍と上醍醐構成で、すべて見るには、5時間以上の余裕がいりますね。醍醐寺(だいごじ)空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のもので、座主勝覚の時代に山上・山下共に伽藍がことごとく整備されて、永久3年(1115)に三宝院が建立されて現在の状態となりました。どっしりと落ちついた五重塔(国宝)は天暦6年(952年)の建立で、京都府内
ご訪問ありがとうございます。連休最終日です。とはいえ、学校は明日・明後日登校後、11日(月)から再度休校。私の職場も5月末までの休館が決まっていて、今後の予定は未定。気持ちはまだまだ休止状態です。行動が制限されたこの連休中、近くの公園に行き、よく花のスケッチをしました。今は八重桜が満開です。(作:猫仏陀ペン、油性色鉛筆)数ある桜の名所の中で、私が感動した場所の一つに「醍醐寺」があります。「醍醐寺」は“豊臣秀吉の醍醐の花見”で有名な、京都を代表する古刹です。境内は桜で埋
みんなの投稿を見るこんにちは。今日は、わたくし、午前中。ふとつけたテレビで。「西国三十三所観音巡礼祈りの旅」。。っていう番組。再放送分、観ました。わたくし、お寺さん。たまに行くと、なんだか心が。ホッとするのですよね。。今日も、たまたま観た、こちらの番組。観ていて、心が。洗われた気が。いたしました。。あなたさま。よかったら。その番組のスクショ。ご覧くださいませ。ペコり。11番札所。世界遺産にも登録、真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺。貼り付け枚数15
こんばんは!今日、紹介するのは京都の「醍醐寺」です豊臣秀吉が晩年、贅を尽くして「醍醐の花見」を行ったことで有名です平安時代から「花の醍醐」と呼ばれる桜の名所でシダレザクラ、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、ヤエザクラなど、約1000本に及ぶ桜が咲き誇りますこの日はちょうど「豊太閤花見行列」が行われてました。過去の写真ですがご覧くださいまた来年の参考にしてくださいね。
足軽の子として生まれながらも他に類を見ない出世を遂げ、ついには日本全国を手中に収めた天下人、豊臣秀吉。そんな秀吉最晩年の一大行事として有名になった花見は京都の寺で執り行われました。醍醐寺。『醍醐の花見』が開催された寺は今でも京都随一の桜の名所として有名です。醍醐寺境内の通りでは満開の桜が出迎えてくれます。秀吉自身何回もこの地に訪れ、熱心に準備にも参加したそうです。花見の実現のために700本もの桜を植樹した記録があるそうです。さすが天下人、スケールが違います。
ランチを食べたら、下醍醐の有料エリアを抜けて上醍醐の女人堂に向かいます。ここで入山料・500円(本来は600円、下醍醐のチケットを見せると割引)を支払います。これが登山道の入り口です。ハイキング気分で向かうとえらい目に遭いますので、ご注意ください。具体的には↑のような道を一時間。参道として整備されているので、普通の山道よりかは楽ではありますがキツいことに変わりなく。というわけでいつものとおり、いきなり頂上付近≒上醍醐に着いたことにします。まず最初に見るべきは、清瀧宮拝殿。室町期(
本日も妄想にお付き合いください。聖宝さん「声明の祖が三国志に出てくる曹植さんやったやなんて、、、なんかすごい話ですな。」真雅さん「まあ曹植さんはイケメンって云われとるし、わしが声明の正統継承者ゆんも、みな納得じゃろ。」聖宝さん「イケメンと声明は関係ないでしょ。曹操の跡を継げなかった悲劇の後継ぎゆうことで、何割か美化されとんちゃいますの!」真雅さん「悲劇の後継ぎなぁ、、、それやけんわしはの、、、声明のたびに惟喬親王を思い出してしもての。」聖宝さん「
醍醐寺へご案内しました。春の京都といえば、醍醐の桜は外せません上醍醐から下醍醐を含め約200万坪もの広大な敷地を誇る醍醐寺1598年に豊臣秀吉が花見に際し700本の桜を植えた盛大な「醍醐の花見」400年以上経った今も、春には人々を楽しませてくれます。京都最古の五重塔も花に囲まれて歴史的な建造物も華やかな彩です。桜満開の醍醐寺太閤秀吉様の気分で散策してみてはいかがでしょうか
昨晩、NHKがBSPで「醍醐の花見」をやっていた。コロナ禍を避けるべく夜桜はテレビで、という趣旨のようだ。1598年4月20日(旧暦だと3月15日)、豊臣秀吉が1300人の女性たちのために開いた花見の宴である。北政所や淀殿以下、女中たちにまで、ひとりにつき3着の打掛を贈り、2回のお召し替えをさせた。その費用は今に換算すると39億円だとwikipediaにある。すごい経済効果!!このために予め、醍醐寺三宝院の裏山に700本の桜を植えさせたともいう。あの時代にはSNSなんてなかったけれど、話
先日、勧修寺へご案内しました。太閤秀吉の醍醐の花見で有名な醍醐寺から徒歩圏内にある隠れた桜の名所なんです『今昔物語集』に描かれた藤原高藤と宮道列子が運命的な出会いをしたロマンスの地です醍醐天皇が母の菩提を弔うために、山荘を寺に改めたのが勧修寺格式高く、おごそかな雰囲気の門跡寺院です。自然豊かな境内、池の中の島には水鳥のお宿があって、水鳥の姿を写真に収めるカメラ好きの方も多いんですよ。この日の勧修寺は、小雨の降るお天気でしたがとても綺麗な桜が出迎えてくれました。
桜が今を盛りにと咲いていますせっかくなので桜の記事を続けたいと思います♪先日の「桜と古代史」の記事で初めて文献に登場した桜のお話を書かせていただきました(^^)今日は日本で初めてお花見をしたのは⁇というお題にしてみようと思います先日もご紹介した通り「お花見」ということでは、奈良時代の貴族たちが中国から伝わってきた「梅」の花を観賞すべく始めた行事と言われております。平安時代に人気は梅から「桜」へと変わっていきます。この桜の花でのお花見の起源は、日本後紀によりますと、平安時代の81