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ルピシア世界のお茶の祭典昨日は、京都会場に行ってきました!いつもの場所のみやこめっせ東山駅から少し歩くけど平安神宮のすぐそばです。平安神宮の南の道沿いにあるカフェに終わったら行こうと思っていたけどなかった閉店?移転?ロロさん残念すぎる。楽しみにしてたのにな。大阪の時は所狭しと盛りだくさんな会場内だったけどなんかまったりした感じで。。。食べる場所も狭くて(食べず)演奏も合間が長くて(いる間に全く流れず)チャイ実演も合間が長いの?(いる間に見れず)でもこんな企画は
先日、妻とムスメを京都に誘った。一応息子にも声をかけたが、ボクは宿題があると言って断りを入れてきた。春休みは宿題はないハズなのだが、息子なりに気を遣ってくれたのだろう、息子も成長したものだ。ちょっとうれしい。この前みなを吉野に誘ったのだが、そのとき妻は行かなかった。露骨にイヤだ行きたくないとは言わなかったが、敢えてつよく誘うことはしなかった。理由は聞かなかったが、もともとわが妻はワタシの大切にしているものや趣味を嫌悪否定し、それに子供たちを誘い込むことにははらわたが煮えくり
木屋町通
2022年12月7日『合格率80%以上京都検定3級直前大人のためのワンコイン勉強会』この日、ココロはこの勉強会に事前に申し込み、参加することとした。せっかく京都まで出てくるんだから………と、ココロは少〜し早く奈良を出発し、京都の幕末の史蹟巡りをするために、地下鉄『市役所前駅』を下車した………まず最初に到着したのは…………【京都ホテルオークラ】西側にある………【桂小五郎(かつらこごろう)像】桂小五郎は、吉田松陰の門下生で長州藩における倒幕派の中心人物。【京都ホテルオークラ
…を目的にした何の屯所か?龍馬は神戸の勝海舟の下で海軍修業をしていたが、土佐・山内家が武市半平太ら急進派の弾圧に乗り出し、龍馬らにも帰国を命ずる。龍馬はこれを拒否し、薩摩・島津家の援助を得て、その本拠を長崎・亀山に移し、幕府から追討されようとしていた長州の支援を行うなどの政治活動を行った。この組織を「亀山社中」と呼ぶ。後に実現する薩長同盟も、龍馬の他、社中のメンバーが多く関わっている。その後、山内家は政治方針を転換し、龍馬らの山内家帰参を許
京都文化博物館にて開催中の「新選組展2022」を堪能した後は、やっぱり食事一階には飲食店や雑貨等のショップが入っていて、展示公式のグッズ以外に新選組関連その他のグッズが充実している。新選組展2022@shinsengumi2022京都文化博物館1Fの「京あめとにまる」と「前田珈琲」では#新選組展2022コラボメニューを販売中!展覧会の鑑賞と一緒に、京文博で新選組を体感しませんか?https://t.co/kbWoEkqEumhttps://t.co/qz2DYh3Bqr
…河原町三条下ル東入にある材木商の屋号は?海援隊龍馬ゆかりの旅籠・宿舎は、寺田屋・酢屋・近江屋などだが、この内酢屋は、池田屋のある三条の一筋南(車道・クルマミチと呼ばれていた)の東入北側に所在する材木商であり、高瀬川に沿って木屋町を下がれば、土佐藩邸がある。一応の安全は保障されていると思われた。龍馬はこの酢屋に海援隊の京都本部を置き、自らは河原町蛸薬師下ル西側にあった醤油商・近江屋(近年はファミマ、今は河童寿司)の裏手の土蔵に下宿していた。
セレステです京都らしい(とセレステが思う)おばんざいランチを頂いた後はしばし京都の街を散策若者が行列をなすビルの前の不思議な造形に目を奪われたり坂本龍馬の隠れ家を見つけたり高瀬川沿いの珍しい形の紫陽花を愛でたりそんな食いしん坊らしからぬ写真を撮りつつ先斗町へ先斗町っぽい写真いよいよ雨が降りそうな14時ごろお目当ての抹茶のお店に到着コチラでかき氷か抹茶パフェを頂く予定がまさかの『貸切中』‼️まぁ雨の降る前に宿に入れると前向きに捉えましょう歌舞練場を抜けて今回
京都の2日目です。朝早めに京都国立近代美術館に行ったので、美術館のオープン時間になる前に平安神宮にお詣りに。まだ人も少なくてゆっくり御詣り出来ました。右下の写真は右近の橘御詣りをした後、京都府立図書館の前を通ると…、市電の車輌がなくなっている!?去年の10月に来た時には図書館横の広場にあったんだけど…。レトロな図書館の雰囲気に合っていたのに残念お隣の京都国立近代美術館へ。「岸田劉生と森村・松方コレクション」を見に行きました。書くのが遅くなったので会期は終わってます…。岸田劉生
(旧)葉月二十八日木屋町に消えた命は数知れず志士という語に潜むあいいろ雲端上の写真は、幕末に坂本龍馬が京都での滞在場所にした「酢屋」という材木商である。ここには、龍馬が立ち上げた日本初の株式会社といわれる「海援隊」の京都支部も置かれていた。(本部は長崎)玄関先には「坂本龍馬寓居之跡」という碑も建つ。高瀬川に沿う木屋町には、幕末期には各藩の藩邸が建ち並んでいた。その中には薩摩、長州、土佐ももちろんあった。後に「幕末の志士」と
21.6/13.12:55-16:55京阪出町柳駅を南に出て賀茂大橋を渡り、鴨川デルタを眺めるロックバランシングアート探すが…残念今出川通を西へ、京都御苑を過ぎ堀川通の手前北側に、白峯神宮創建1868年(慶応4年)主祭神崇徳天皇·淳仁天皇孝明天皇の意志に明治天皇が創建を宣命1873(明治6年)淳仁天皇の神霊を合祀社地が、蹴鞠宗家の飛鳥井家の屋敷跡地で地主社には蹴鞠の守護神も祀られサッカーほか球技の守護神として参詣される南に晴明神社の堀川通を渡って北側に「京都市考
おばんです😃🌃今日も1日お疲れ様でした🍀😌🍀朝ご飯のお供にピッタリの商品子供たちも大好きだった山形県の「酢屋」さんの「南蛮納豆」ひきわり納豆で唐辛子の辛味が美味しい😋🍴しょう油やタレはかけずにこのままご飯にかけて🍚子ともが小さかった頃は近くの生協で買えたんだけど入荷されなくなっててずっと買えなかった😢💦ネットで買えるんだけどね冷蔵品なので送料がかかる😅久々に行ったイオンにあった普段は半径5キロ以内?近くで食材を買っていたけどさすがAEONは商品が豊富で👍️つ
三条から四条へぶらぶらお散歩です。京都三条、池田屋の前を通りました。新撰組で有名な、あの池田屋事件の池田屋。正確には、残っているのではなく、元の池田屋はなくなり別の物が建てられまたなくなり、今の食事処が建てられたのです。石碑はずっとあります。今回は入らなかったので、詳しくはリブログしたものをどうぞ土方さんのお料理なんてのもありますよ~。↑↑↑隊士カードがありまして(今もあるのかな?)、通いつめれば局長になるのも夢じゃないんだろうけど私は1度しか行かないままなので、ずっと万年平隊
3月京都旅の未公開画像を中心とした回想記総集編②になります。回想記は今回で終わりですが、3月京都旅ブログは次回の京都画像クイズで終了します。朝から川端三条の自転車屋さんに向かう道すがら、河原町通四条上ル西側何枚も撮ってるけど、その都度お店が変わっていきます。以前はコンビニでした。その前は旅行代理店だったかな。ちょっと自信なしです。坂本龍馬と中岡慎太郎遭難の地である近江屋跡ですね。河原町通を渡って近江屋のほぼお向かいにある中岡慎太郎寓居跡の石碑。ここ
2020.12.13坂本龍馬寓居跡とかマンガカフェをぶらり京都のおもてなしランチのあとはとくにあてもなく京都の町並みを家族とぶらぶら歩きました昔、若かりし頃「二十歳の原点」(高野悦子著)にガツンと感銘を受け、今で言う「聖地巡礼」的に京都旅行をしたかったこと、(旦那にも話したことなかった話だな)京都の喫茶店やジャズ喫茶に憧れてたことなんか昭和の話を聞いてもらいながら令和の京都を歩いていると…目についたのがココ↓坂本龍馬寓居跡「酢屋」高知に行ってき
大政奉還の記事を西暦で書きましたが、明治5年12月3日が1873年・明治6年1月1日に改暦され、これ以前は旧暦、以降は新暦で扱われることがほとんど。坂本龍馬の慰霊祭も11月15日に行われています。日本の歴史は記録書、書物や手紙・書簡に記載されている日にちが元になっているからなんでしょう。ちなみに誕生日は天保6年11月15日と命日と同じ11月15日。誕生祭として行うところもあるようです。以降、旧暦で。慶応3年10月14日、大政奉還が成ったあと龍馬は10月24日に越
おはよう!火曜日デスさっ今日もがんばって行きますよふぁいと~京都ネタ順番が前後するけど、この週末のん行きま~すこの日は、四条から木屋町通りを北へ高瀬川沿いのこの通り、夜は繁華街やけど、昼間は静かです土佐藩邸跡って石碑のとこを西へちょこっと岬神社
前回からの続きです(令和元年9月28日のことになります)木屋町の南下を再び続けていきます😁ずっと見てきた舟入の五番目・五之舟入址住所・京都市中京区木屋町三条下る西側高瀬川を渡ったとこに、舟入をプチ再現された庭園?がありました♪なかなか洒落てる♪これは龍馬通りを西へ行ったとこにありますその先へ行くと右手にあるのが坂本龍馬寓居之趾住所・京都市中京区河原町三条下る一筋目東入北側解説板もあります龍馬が京都滞在中は、ここ材木商酢屋(中川嘉兵衛方)に投宿海援隊屯所もここに置かれたそ
酢屋の坂
酢屋さんは290年の伝統をもつ材木商の老舗。坂本龍馬の投宿先で、海援隊の京都本部が置かれていました。2階の表西側が龍馬の部屋。今は坂本龍馬関係のギャラリーとして公開されています。新撰組や見廻り組に狙われていた龍馬は土佐藩邸により近い、近江屋新助方へと転居します。しかし、移って10日ほどで、龍馬は暗殺されるのでした。いつもポチっとありがとうございます!
高級車「クラシックティファニー」発見「お酒の美術館」なんて素敵な響きなんでしょ~移動焼き芋販売いい匂いがしてましたきれいな紫色のお花ハチミツ専門店で試食しまくりました(笑)扇子専門店「酢屋」坂本龍馬がいた所、公開中鴨川恋人たちが等間隔に並んでます祇園辰己大明神の所に外国人のツアー観光客さんたちが熱心に説明を聞いてました餃子「歩兵」たくさん並んでました大石内蔵助で有名な一力茶屋伊藤久右エ門の美味しそうなアイス南座先斗町夜も更けてきたので帰り支度です今
(写真多めとなっております)9/22、2日目。ホテルで朝食を頂き、チェックアウトした後はその周辺を徒歩で散策まず最初に訪れたのは瑞泉寺こちらは慶長16(1611)年、角倉了以が創建した豊臣秀次一族の菩提寺です。ここは江戸時代のはじめまで鴨川の河原の中州だった場所で、文禄4(1595)年に謀反の罪を着せられた時の関白豊臣秀次公が切腹となり、その一族がこの三条河原で公開処刑されました。瑞泉寺から少し歩くと、池田屋事件で有名な池田屋の跡地がありました
知り合いが京都にいてちょくちょく訪ねて満喫していたのですが、京都を離れることになり今までのように訪ねられなくなるのでお世話になったところにご挨拶すべく訪ねる旅になりました。東寺。最後なので拝観料も払って中に入りましたよ。宝物館の大正天皇の水晶の硯、筆置き、文鎮などに興味津々。太秦、広隆寺に弥勒菩薩を訪ねて。このお方。ロダン?みたいな。どうやってすべての衆生を救えるか考え中とか違うとか。境内は金木犀の香りが。濃縮されて?どこかクチナシみたいな香り。羊歯がすごいなあ。紫色の嵐電。祇
(10/5)喫茶マドラグを出た後は、「やっぱり鴨川方面行っておきたいよね」・・・という事で、先斗町近くまで歩きました京都の人々に愛される鴨川いつも沢山の人々で賑わっています少し中に入った所を流れる高瀬川はお店が立ち並び、とても素敵です夜は照明がまた良い雰囲気を醸し出しますあちこちの路地も興味をそそります祇園よろしく大きな神楽坂のような街なのですこんなお店も入ってみたい~よくこんな街並みがこの規模で作れたものだと感心します外人
坂本龍馬ゆかりの酢屋に行く。午前中がオススメらしい。
土曜日は夜ライトアップされているというので、酢屋の坂下公園近辺を長女と散策。
KYOTOMUSEが終わった後は、ぶらりと散歩🚶場所確認してたら、史跡がチラホラ見えたので梅田を諦め京都にした一因でもあります🖕まずは、近江屋跡ですね❗️後ろの店は結構、コロコロ変わるみたいですねここには、来た事あったか❓️来たような気もするのだか…昔は幕末あまり興味なかったから来たとしてもそんなに印象には残ってない😅次は、後藤象二郎寓居跡🎵これは、たまたま見つけた✨ただ、寓居跡は結構あるよね❗️どれくらい住んだら寓居になるのかな❓️次も、お龍の寓居跡ww更に、龍馬の
ルールル♬ルルルルールル♫と言っても、その部屋ではありません。(いろんな関係者に怒られるかな)坂本龍馬が大政奉還の時に、かくまわれた場所が酢屋の材木屋さん。その場所は享保6年から場所も変わらずあり、その2階が龍馬が居た部屋です。その部屋は今は龍馬の資料室になっていて見学することができます。(500円)2階に上がると屋根の木材の梁などが見える状態ですが、それが役290年前からの木材だと思うと浪漫を感じてしまいます。姉様に宛てた5メートルの手紙の中に酢屋にいる事が書かれています。コピーパネル
昨日、明治維新150年記念現地見学会「幕末・維新の歴史を歩く」第4回というイベントに参加してまいりました。京都の紅葉時期に合せて、西郷どんゆかりの地を訪ねるツアーの行程を考えていた時、岩倉具視幽棲旧宅という施設が数年前に公開されたことを発見しました。つるべが賭場を開いていたあのボロ家です。↓ボロ屋であったかもしれませんが、今はリノベがされ立派になっていました。この施設の存在を知ったのは1月前で、その時にHPを見ていて上記のイベントの案内が掲示されているのに気づきました。