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中央本線石和温泉駅(CO41)←酒折駅(CO42)→甲府駅(CO43)2025年10月11日(土)に訪問した、中央本線酒折駅の画像をUPします。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線の地上駅です。CC身延線善光寺駅が近くにあります。酒折宮と、山梨学院大学と、山梨学院短期大学と、山梨県立甲府東高等学校と、山梨トヨペット本社と、不老園の最寄り駅です。南口です。北口です。改札口です。酒折駅の1番のりばの駅名標です。駅ナンバーは、「CO42」です。酒折駅の2番のりばの駅
前回はこちら次の日の2025年10月11日(土)、ホテルニューステーションでチェックアウトを済ませ、甲府駅のコインロッカーにキャリーバッグを預けて、甲府駅から中央本線普通で酒折駅まで乗り、駅の撮影の後、酒折宮に行きました。酒折宮の鳥居です。酒折宮の大鳥居です。拝殿への鳥居です。酒折宮跡の説明板です。連歌の碑です。本居宣長碑です。社務所です。手水舎です。連歌発祥の地の石碑です。連歌発祥の地の説明板です。拝殿です。拝殿をバックに、自撮りをしました。スマホでも、自撮りをしま
今回は、山梨県の山梨学院高校です。https://www.yghs.ed.jp/index.html山梨学院は甲府市街からやや東方、JR中央本線甲府駅からひとつ東の酒折駅の近くに展開する学園です。幼稚園から小中高大、短大まで包括する総合学園で、このうち中学と高校は酒折駅北西のキャンパスを共有しています。「C2C哲学」を標榜し、”CuriositytoCreativity”と”ChallengetoChange”を通じて”世界の平和と持続可能な発展に貢献する変革者となる”を教育目
旧甲州街道の旅は、酒折駅前信号から国道411号線を西へ向かいます。既に甲府市の市街地に入ってきているので、沿道は両側に家が並んでいます。天気が良ければ正面には南アルプスが見えますが、石和の手前、笛吹川を渡る時に見た姿より大きく見えて、だんだんと近づいているのがわかります。250m先の酒折宮入口交差点を右折し、北方向へ路地を入ると、130m先に一の鳥居があり、その30mさきの宮前踏切で中央本線の線路を渡り、さらに30m先にあるのが、酒折宮です。かつて江戸方向からの旅人のために、山崎三差路か
おはようございますBASE整骨院は年末年始休業中1月5日より通常営業となりますのでお間違えのないよう宜しくお願い致しますさてお正月休暇をいかがお過ごしでしょうか今年最初のぶらり鐵散歩山梨県・甲府市酒折神社へ初詣へ伊鐵今年最初の運試し結果は、、、、、伊鐵、、、、小吉身体のメンテナンスは健康部門・BASE整骨院設備のメンテナンスは住宅設備部門どちらもお客様のニーズに合わせて対応して参りますので今後とも宜しくお願い致します。◾️BASE整骨院・(株)Touc
翌日は、清白寺参拝及びさくらんぼ狩りに行ってきた。まずは、酒折宮参拝。酒折宮鳥居拝殿酒折駅から歩いて参拝。相当な古社という。次に、塩山駅で下車、さくらんぼ狩りに向かう。さくらんぼ狩りの後は、清白寺参拝。東山梨駅から歩く。清白寺参道入口参道参道両脇の梅?惣門三門(鐘楼門)仏殿庫裏手水舎玄関本堂臨済宗妙心寺派寺院。山号は海涌山、本尊は釈迦如来。開山は夢窓疎石、開基は足利
こんにちは最近は、blogを書く前の確認作業をしているうちに、面白いなあと興味を持つ対象がアチコチに飛んでしまって、凄いね。面白いなあ。で、なかなか書き始められないままになってしまうことがしばしばです😅ですが、要点を書きとめておかないと、すぐに忘れてしまいますから書きとめねばですね。蓼科ドライブの帰り道に、お伺いしました酒折宮も、私の想像以上に面白かったです。関東には、日本武尊が東方遠征に歩んだルートの往路と復路がありまして、実際にお参りをしてみますと、その違いを感じられること
2024年4月25日旭川の畔にある岡山神社を参拝しました。岡山の地名の由来のこの宮は現在のの岡山城本丸に鎮座していて、坂下の社と呼ばれていました。岡山に入城した宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の血に遷し岡山城の守護神として社領を寄付しています。直家の子、秀家が本殿を、その後の城主小早川秀秋が拝殿などを造営しています。池田家が城主の時は城内鎮守として崇敬され酒折宮と号していました。明治15年に社号を岡山神社に変えています。岡山大空襲で髄神門他末社数社を残し、他は焼失してしまいま
酒折の宮から知らせを受けたニニキネさまは、清らかなアシツ姫にそこまでさせてしまったと、懺悔の気もちにかられると同時に、アシツ姫へのおさえきれない想いで胸がいっぱいになりました。聞けば、姫が白子に植えた桜は、三つ子が生まれた日に咲き始めてから、今なお咲き続けているといいます。もはや、アシツ姫の潔白は明らかです。いてもたってもいられなくなられたニニキネさまは、鴨舟を飛ばして、興津に到着されました。早速、ニニキネさまのご到着を知らせる使いが、酒折の宮に送られましたが、心を閉ざしてしま
「あっ!」なにも知らずに酒折の宮にいたイワナガ姫の脳裏に、いきなり、炎に包まれているアシツ姫と三つ子の姿が映し出されました。「アシツ、どこにいるの?アシツ!」お宮の中を探しても、アシツ姫の姿はありません。「まさか、アシツ・・・・・・。死んではなりません。子どもたちとしっかり、生きるのです。アシツが潔白だということは、ニニキネさまも、わかってくださるはず」イワナガ姫が強く願うと、さっとお日さまが顔を出し、ひと柱の龍神さまが天空に姿を現しました。ごうごうと風をき
こうして、温かな家族の愛に包まれて、アシツ姫は、水無月(六月)の一日に元気な三つ子をお生みになられました。すると、赤ちゃんを包んでいる胞衣(えな)に、梅のもようが浮かびあがったかと思うと、桜、そして、卯の花へと姿を変えていくという、不思議なことが起こりました。これにはなにか、特別な意味が込められているに違いありません。すぐに、ニニキネさまに知らせが出されました。ところが、いくら待っても、いっこうにお返事がありません。「白子の桜も、この一日に満開になったと聞くのに、それでも、ニニ
その頃、酒折の宮にも、アシツ姫が故郷へ向かっているとの知らせが届きました。両親とイワナガ姫が、今か今かと待ちわびていると、外がざわつき、アシツ姫のお輿の到着を知らせました。「アシツ!」三人がかけよると、青白い顔をしたアシツ姫が、お輿から降り立ちました。「アシツ。ああ、こんなに疲れた顔をして。まずは、すぐに中に入って、心と体を休ませないと」母の言葉に、アシツ姫は気丈に微笑んで、うなずきました。そして、侍女に支えられながらお宮に入り、そのまま床に就きました。「お母
朝の小鳥のさえずりにアシツ姫が目を覚ますと、ニニキネさまがいらっしゃいません。しばらく待ってみましたが、いっこうにお戻りになるご様子がありません。別のお部屋を探してみても、どこもシンと静まりかえっています。たまりかねて、アシツ姫は侍女を呼びました。「ニニキネさまのお姿が見えないのですが、なにか聞いていますか」「それが・・・・・・。大変申し上げにくいのですが、ニニキネさまは、夜半過ぎに伊勢へお立ちになられました」アシツ姫は、驚きで声をだすこともできず、ただただ侍女をみつめています
ところで、ホツマツタヱには、人が抱く嫉妬心の怖ろしさについて、繰り返し書かれています。妬む人が苦しむだけでなく、妬まれる人にも災いがおよび、大切な赤ちゃんを授かれなくなることまであると書かれているのです💦アシツ姫の場合は、無事、赤ちゃんに恵まれたわけですが、天下のニニキネさまのお子さまをすぐに授かったことで、女性たちの妬みを買ってしまったようですそして、お腹の赤ちゃんは、ニニキネさまのお子さまではないとの噂がたち、とうとう、ニニキネさまの耳にまで入ってしまいました。聡明で
宴もつつがなくお開きとなり、イワナガ姫とアシツ姫がほっと胸をなでおろしていると、お父上のカグヤマツミさまが、にこにこしながらやってきました。「イワナガ、アシツ、ふたりとも、よく務めを果たしてくれた。ニニキネさまも、おまえたちのことをお気に召され、ふたりそろって、お妃としてお迎えくださるとのご沙汰をいただいたぞ」「まあ、お父さま、本当ですか。なんてありがたいことでしょう」アシツ姫は、ほほを上気させていいました。「本当に、ありがたく、もったいないお申し出だ。イワナガ、おまえも
ハラミ山(富士山)の裾野の開拓を終えると、ニニキネさまご一行は、予定通り、酒折の宮に入られました。「お姉さま、とうとう、ニニキネさまが、お出でになられたのね。今夜の宴でご給仕させていただくと思うと、手が震えるようで」「心配ありませんよ。いつものあなたらしくしていれば、ニニキネさまも、きっと喜ばれることでしょう」「お姉さま、ありがとうございます。お姉さまが一緒にいてくださって、本当によかった」「歓迎の気持ちを込めて、しっかりおもてなしさせていただきましょうね」「はい、
「お姉さま、すごいお知らせが舞い込んできましてよ」「まあ、アシツちゃん、どんなことかしら」「なんと、今をときめく、アマテルカミさまの皇孫(みまご)、ニニキネさまが、ハラミ山(富士山)までいらっしゃるんですって」「ニニキネさま。つい最近、若くして、第十代アマカミになられた、あのニニキネさまが?」「そうなの。川をせき止めて、高い場所にある田んぼにも、いつもお水が潤うようにされた偉大なお方」「あれは、お山の多いこのお国にとって、画期的なことでしたね」「ええ。そんな雲
山梨県に酒折宮(サカオリノミヤ)という神社がある。日本武尊さんがお祀りされている。連歌の発祥地と言われてもいる。ホツマツタエによると富士山の麓には、昔、都がありハラミの宮と言ったり、酒折宮といった。ヤマトタケさんは、ホツマ討ちの帰路に酒折宮によった。そのとき、次のような歌を歌った。新治筑波(にひばり・つくば)を過ぎて、幾夜(いくよ)か寝つるそれに対してヨスナさんというお世話役の方がかがなべて、夜(よ)には九夜(ここのよ)、
「いよいよか」オホナムチさまが、出雲から青森に国替えを命じられたのをごらんになって、宇宙の創造神、アメミヲヤさまが、つぶやきました。「一万年続いた平和な縄文の世も、これで終わりじゃ。これから、人間は、富を求めて人を殺める道具を作り、自然からはなれてゆくだろう」アメミヲヤさまのお言葉を聞きつけて、天界の美しい御霊たちが集まってきました。「真の心の豊かさを学び取るには、どうしても避けて通れぬ茨の道・・・・・・」みんながシーンと静まり返る中、永遠の命をつかさどるひとりの天
2023年9月22日山梨県山梨市牧丘町のジャンボ鶴田さんの墓参りをした後、JR中央本線で塩山駅から酒折駅へ向かった。そして連歌発祥の地・酒折宮(さかおりのみや)へ向かった。その途中にあるブドウ農園から黒猫さんが出てきて近寄ってきてくれたのでしばし戯れた。かわいいのう!黒猫さんはこの後、酒折宮へ向かう僕の後ろに付いてきたのでこの子と一緒に酒折宮にお参りしようと思っていたら途中の御宅の玄関で止まって動かなかったので、そこでお別れした。その御宅の方にお世話になってる子なのだろう。そしてまずは酒
田舎では、昔みたいに山のお手入れってされてないから昔の人たちが、植えた木は大きくなり山の中の奥までしっかりと陽が届かなかったりします本当は、これらも適度に切って定期的に、山を管理した方が山に住む動植物たちにはいいんですよね山に陽が届くようになると根もしっかり張って地面強化にも繋がるような気がするんです꒰ঌ💙💜┈✧︎┈▫ꕤ︎︎▫┈✧︎┈💙💜໒꒱またまたきよちゃんがわかち愛してくれて、ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚そこからじぶんも、さらに記憶を
今日は勝沼ぶどう郷駅でレンタサイクルを借りてぶどう寺大善寺と武田不動尊恵林寺とジャンボ鶴田さんの墓とお参りし、酒折駅へ移動して徒歩で酒折宮と玉諸神社をお参りして甲府駅へ。そして甲府駅近くの大衆食堂安べゑという店で直会。まずは生ビールくぅ〜😆旨い‼今日は自転車で総走行距離30kmほどに加えてここまでの総歩数が12636歩とかなり汗をかいたので旨すぎる😆今日の山梨県は曇のち雨の予報だったんだが、曇時々晴れだったんだよね。誰だ!!天気を変えたのは?あ、僕かもしれません🤭ジャンボ鶴田農園ではシ
6月17日(土)関裕二先生の『ヤマトタケルツアー』続きましては記紀にも登場する、日本武尊と大変関わりの深い神社さんです⛩️『酒折宮』ご祭神日本武尊記紀(古事記・日本書紀)に記されている日本武尊の東征伝承によれば、帰路に甲斐国(現在の山梨県)酒折の地に立ち寄って営んだ行宮がここ酒折宮に因むとされます。山梨県内で記紀に記述がある神社は酒折宮のみです。また酒折夜雨(酒折宮の夜の雨)は甲府藩主であった柳沢吉里によって甲斐八景の一つに選ばれました。行宮に滞在中、日本武尊は塩海足尼を召して
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠に有難うございます。ブログ管理人の高坂美慧です。先日春のセンバツ高校野球で優勝した山梨学院高等学校さん。故郷へ凱旋されたようです。高校野球センバツ初優勝の山梨学院帰校式で快挙たたえる|NHK【NHK】センバツ高校野球で優勝し、山梨県勢として春夏を通じて初めての優勝を果たした山梨学院高校の選手たちが学校に戻り、生徒や保護…www3.nhk.or.jp山梨学院さんは山梨県甲府市酒折というところにあります。20
蝋梅の遠望には富士山ここ不老園は“梅”の名所ですが、そこかしこで蝋梅が、まだまだ可憐に咲いていましたこの時は早咲きの梅が開花したばかりではなく、蝋梅が見頃だったかもしれません。そんな2月9日の「甲府不老園」訪問記この後は、甲府というよりも、山梨県内でも非常に歴史のある酒折宮へと向かいます今春の選抜高校野球大会に出場をしている野球部ばかりではなく、全国サッカー選手権大会で、過去2回優勝するなど、サッカー部は超強豪高校の山梨学院高等部…酒折の町に“山梨学院”が融合していますそし
こんばんは午前中食料品の買出しに行きました似たような気温でも路上の端っこに降った雪が有るのと無いのと大きな違いだと体感しました残雪が有るとメチャクチャ寒くて凍えそうでした、甲府では必死に速歩だと我慢の範囲ですが5分と止まっていられませんよ当然ながら暮らすのは厳しい時々遊びに行くのがいいな・・・写真は「酒折駅」から目的地まで奥は甲府駅です「酒折宮」今回は寄りませんでしたhttp://www.sakaorinomiya.jp/s/top.html「山梨学院
2022年・冬の青春18きっぷの有効期限が迫ってるのに夫が家に居てどうも出かけにくいついにギリギリ9日10日の2日間で2回分を使いました9日午前中に越谷レイクタウンまで10日何とか1日フリーになり山梨・酒折宮と甲斐善光寺に行って来ました中央線勝沼ぶどう郷駅から見る甲府盆地遠くに南アルプスとぶどうの丘が見えるこの景色好きだなぁ…右の木は甚六桜乗った電車は松本行きこのまま乗って松本までいきたい。。。甲府の一つ手前
毎年恒例の流れ😁酒折宮→東光寺→甲斐奈神社→実家ポカポカ陽気の超晴天〜そしてやっぱり締めは、実家でガッツリ(笑)😁👍
ご訪問ありがとうございます。前々回には「日本書紀」のヤマトタケルの行程が、実は「古事記」や「常陸国風土記」とそう変わらない範囲だという事を検証しました。けっきょく東征範囲を東北地方まで範囲を広げたのは、間違いなく「日本書紀」の編集者たちであったのですがそれにしても現在、東北地方にもヤマトタケルの伝承地がしっかりと残っていますよね(^^;)単純に「古事記」「日本書紀」の影響だと言えばそれまでですが、できることならその理由を明らかにした方がいいだろうと思いますし、ちょっと考えてみましょう。
『ホツマツタヱのつまみ食い⑬『日の神アマテルの誕生』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑫『消された御子神とアワ歌』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑪『イザナギイザナミの系図』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑩『日本最初の…ameblo.jp『ホツマツタヱのつまみ食い⑫『消された御子神とアワ歌』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑪『イザナギイザナミの系図』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑩『日本最初の統治者と、殿様の由来』』『ホツマツタヱのつまみ食い⑧『宇…ameblo.jp↑のつづき。さてさて、イ