ブログ記事1件
都築惣左衛門秀綱は、徳川家康が遠州に侵攻した頃に浜松近辺にいた国衆です。その後本多忠勝の指揮下に入り、筆頭家老となっています。干城録では、姉川の戦い、三方原の戦い、大天龍の戦い、長篠の戦いと戦功を挙げた旨記載されています。また奥方は三方ヶ原の際に浜松城で小粥を家康に供し、褒美に小袖をもらっています。http://www.digital.archives.go.jp/das/image/M1000000000000018758都築家はたぶん現在の浜松市北区三ケ日都築近辺or南区瓜生町