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古代律令制度の下で武蔵国橘樹郡の郡司が政務を執った役所跡で、川崎市高津区千年において歴史公園として整備されている。
茨城県つくば市にある平沢官衙遺跡を訪れました。官衙(かんが)とは昔の役所のことです。平沢官衙遺跡は、いまから千年以上前の奈良・平安時代に造営された、常陸国筑波郡の郡衙です。昭和50年(1975)の調査でその重要性が判明し、昭和55年(1980)に国史跡に指定されました。平成5・6年度(1993・4)の調査で、大型の高床式倉庫と考えられる建物が数多くならび、それらを大きな溝が囲むという遺跡の全容が確認されました。郡衙には、政庁(執務用の施設)、正倉(穀物などの保管倉庫)、
岡山県の北東部にあった美作〈みまさか〉国の勝田〈かつまた〉郡は、平安時代の辞書に当たる「和名類聚抄〈わみょうるいじゅうしょう〉」によると勝田、飯岡、植月、塩湯、香美、吉野、広岡、豊国、新野、加茂、広野、河辺、鷹取、和気の14郷からなり、国府が置かれた苫田〈とまた〉郡に次ぐ人口を抱えていました。郡名のかつま(勝間、堅間)は目の詰まった編かごのことで、かつまた(勝間田)とは編かごの目のように水田が連なる豊かな土地を言うのでしょう。この勝田郡の役所の跡が、現在の勝央町役場の西側で見つかっています。
ちょっと所用があって出かけたついでに、その近くの橘樹官衙遺跡公園の様子を見てきました(^^以前からこの公園はあったのですが、遺跡公園と言っても石碑と説明板がある以外はただの原っぱでした。まぁそれはそれでシンプルで良かったのですが(笑)去年から飛鳥時代の正倉(しょうそう)の復元建物を建てる工事が始まっていたので、完成を楽しみにしていたのです。去年秋の時点でかなり完成に近い感じになってきていたので、そろそろかな~と思いながら遺跡公園への坂を登っていくと、むむ、菜の花の向こうに何か見える..
94.郡本八幡神社の概要迅速測図(1881年)と現在の地図との比較(歴史的農業環境システムによる)を見ると郡本八幡の立地が海と平野部を見下ろす丘陵の縁辺にあたることが分かる。いわゆる遺跡のホットスポットに属する地域であり、郡本八幡の辺りに古代、市原郡の郡衙、ないしは国府が置かれていた可能性も低くはない。館山自動車道(右側地図の緑色の線)から左上(北西)は水田地帯で戦後まで条里制区画が残存していた。なお、左の迅速測図では左端で紙が継がれており、五井に近い側の水田の区画が線描されていないので
こんにちは、みなさんお元気ですか?古い話で恐縮ですが、昨年秋に、茨城県つくば市平沢にある平沢官衙跡(国指定史跡「平沢官衙遺跡」)を見てきたので、記事にさせていただきます。こちらが平沢官衙跡↓平沢官衙跡は、今から千年以上前の奈良平安時代の常陸国筑波郡の役所跡。昭和50年(1975)の調査で重要な遺跡であることが判明し、昭和55年(1980)に国の史跡に指定されました。平成5年度(1993)・6年度(1994)に復元整備事業を計画し、本格的な発掘調査を実施。調査では、一般の遺跡ではみられない
宮城県黒川郡大和町吉岡東2丁目にある古代の官衙遺跡で、多賀城の下にあって黒川郡を治めた黒川郡衙跡と考えられている。
●私(久保田Ucon典彦)の住所は、大阪府高槻市郡家新町ですが、“郡家”(ぐんげ)・郡の家と言われています。郡の役所があった場所のようです。北隣は、郡家本町(以前は、本郷と言っていました。)ですが、この辺りに郡の役所があって、新町は、街道筋に新しい町として広がっていったと思われます。●大宝元年(701年)に、「大宝律令」が施行されました。日本(倭国)は、中国(
https://ameblo.jp/ph-lynott/entry-12544054361.html『藪川宇都宮神社と藪川の地名を考える~岩手県盛岡市藪川の例』〔藪川の地名や姓の語源は?〕藪川の語源については多くが明らかでない。一般的に言われるのが地形起源説である。藪=荒れた土地、食い破られる場所として結び付けられる…ameblo.jp藪は産土を指し、川は地縁による共同体が集まる流れを表す。そして藪川は古代産土神の集散地を意味する。川の地名は「流れる川」に対しての地名解釈が採用されるが、古来
郡衙(Wikipedia)。郡衙-Wikipediaja.m.wikipedia.org
2019年6月下旬に、仕事で、東急田園都市線の江田・市が尾方面に出かけたので、その途中に見かけた遺跡をアップしますね。東急田園都市線江田駅で下車し、西口側に出て、北の方に進んで行くと、「赤田西公園」があります。園内の遊歩道を左の方に進んで行くと、こんもりとした高まりが見えて来るんですよね。その高まりに近づいて…亀裂のようなものが見えます。こちらは、「赤田2号墳」。この一帯は以前「赤田」と呼ばれ、起伏に富んだ丘陵地形で、縄文時代から中世までの集落
こんばんは。古代のお役所跡を見てきました。2代目大工の三島です。そのお役所があるのは関市池尻。名前は弥勒寺(みろくじ)官衙(かんが)遺跡群。国の指定史跡にもなっているスゴイ所。暇なので見に行くことにしました。駐車場にとめると立派な石碑が迎えてくれます。字が古い印鑑を模した書体。私はなんかホラ〜なイメージだなぁ。看板もめっちゃ立派。日付からして看板は先月できたばかり。あらま、ラッキーです。4年前に見に行った古墳もこの遺跡群の1つ。→関市にある四角い古墳池尻大塚古墳さ
こんにちは、スタルペスです。「小郡官衙遺跡(おごおりかんがいせき)」から東南に5kmほど行ったところにある「下高橋官衙遺跡(しもたかはしかんがいせき)」にやってきました。※見にくいですが「下高橋官衙遺跡」と書いています。小郡市の隣町、福岡県三井郡大刀洗町にある官衙遺跡です。余談ですが、大刀洗の名の由来ですが南北朝の時代、九州の南朝方(後醍醐天皇方)の雄「菊池武光(きくちたけみつ)」は懐良親王を擁して南軍の総力を挙げて筑後国に進軍し少弐頼尚に対して決戦を挑みます。いわゆる
こんにちは、スタルペスです。7世紀後半の官衙跡(かんがあと)だった「上岩田遺跡(かみいわたいせき)」から「小郡官衙遺跡(おごおりかんがいせき)」にやってきました。※小郡官衙遺跡前回の上岩田遺跡の際にもご紹介したとおり官衙とは古代の役所のことです。この「小郡官衙遺跡」は今からおよそ1300年前の筑後国御原郡(みはらぐん)を治めた役所です。郡の役所なので「郡衙や郡家」と呼ばれています。※第二期西方官衙群御原郡は現在の小郡市と三井郡大刀洗町の大部分のエリアで明治29年までは御
【政界徒然草】「首相まんじゅう」から読み解く平成政治史産経ニュース政治家シリーズを主に手がけてきた菓子土産会社「大藤」(東京都荒川区)は、平成最後となる31年の商品を準備中だ。天皇陛下の譲位と皇太子さまの新天皇...フレディー・マーキュリーら、実在の偉人を演じて今年のアカデミー賞にノミネートされた名優4Yahoo!ニュース毎年のようにアカデミー賞でノミネートされるのが、歴史上の偉人を熱演した俳優たち。2019年2月24日(現地時間)に開催される第91回アカデミー賞にも、『...
はい。こんにちは。今日は律令国家となった日本がどのように支配していたかを講義します。今回はそのパート1です。奈良時代の国政の中心は大和です。これは今の奈良県ですね。朝廷は、大和とその諸国(山背、摂津、河内、和泉)を畿内と名付けました。ここでの注意は山背です。後で講義する平安時代以降は山城なのですが、当時は山背なのです。それは山背が大和の背中側にあったからです。しかし、平安時代は山背中心ですから背中では天皇に失礼だと言う事で、平安時代からは山城になったのです。ま
こんにちは、スタルペスです。福岡県上毛町の穴ヶ葉山古墳群から近くにある国指定史跡「大ノ瀬官衙遺跡(おおのせかんがいせき)」に行ってみました。※何もない広場のような「大ノ瀬官衙遺跡」以前、本ブログで大分県中津市の国指定史跡「長者屋敷官衙遺跡」を紹介させて頂きましたが、中津市にある"官衙遺跡"が「豊前国下毛郡」の郡衙(ぐんか)跡で、ここ大ノ瀬官衙遺跡は「豊前国上毛郡」の郡衙跡です。※「大ノ瀬官衙遺跡」の看板そもそも、"郡衙"とは、8世紀から10世紀初頭にかけての郡の役所です。
こんにちは、スタルペスです。実家に里帰りした際に、ちょっと気になっていた遺跡に訪れました。大分県中津市の「長者屋敷官衙遺跡」(ちょうじゃやしきかんがいせき)です。官衙(かんが)とは、古代(奈良時代~平安時代)の役所で、この遺跡は正倉跡(郡役所の米倉)と言われています。※礎石と柱の大きさを実物大に表現した標石です。以前から地面を掘ると炭化した米粒や出てくることから、長者屋敷の跡と言われてきましたが、1995年(平成7年)からの発掘調査で豊前国下毛(しもげ)郡の米を納めた正倉
こんにちは、みなさんお元気ですか?さて今回は、わたくし臣(しん)が住む茨城県筑西市の文化財をご紹介します。それはこちら、筑西市の東端の旧協和町域にある国指定史跡・新治郡衙(ぐんが)跡です↓茨城県民のみなさんは、「新治郡」と聞いて、八郷町や新治村のあった「新治郡」を連想される方が多いのではないでしょうか。ところが、実は古代の常陸国では、今の筑西市や桜川市、笠間市などがあるあたりを「新治郡(にいばりのこおり、にいはりぐん)」と呼んでいたのです。ちなみに郡衙とは、日本の古代律令制度下で、郡の